今さら『椿の庭』(映画)感想

2021年4月に公開された映画『椿の庭』の、今さらながらの短め感想です。

画面から伝わる空気が最初から最後まで素晴らしくて、圧倒されました。
この作品が映画初監督となる上田義彦さんは、今まで数々の傑作CMを作って来た方だそうで、今回、脚本・撮影も担当されたとのこと。
藤の紫、金魚の朱色、椿の赤、木々の緑、空の水色、海の青‥と、小高い丘の上に建つ古い家を包み込む色味の美しさ、佇まいの美しさが実に詩的で、鮮やかで、静やかで動きが少ないのに画面から伝わってくるものがとても雄弁で、心に響きました。

この家に、年老いた女性・絹子(富司純子)と孫娘・渚(シム・ウンギョン)が暮らしています。しかし、この二人がどういう関係なのか、中盤まで詳しい説明はありません。

(つくばい)の中の死んでしまった金魚を悲しげに見つめる二人。
金魚を花びらに包んで埋める、という行為が、二人が 自然の中で生かしてもらっている感覚をとても大切にしていることを物語っているような気がしました。
余計な言葉を重ねない、シンプルで柔らかく、しっとりと潤いを帯びて、なのにどこかきりっとしている・・それは絹子そのものの空気のようにも思えて。
それから、和装の祖母・絹子と、たどたどしい日本語を話す孫・渚、税理士の黄さん・・その多国籍な感じが、この家全体から醸し出される和洋折衷な佇まいに合っていて、絶妙なバランスで、自由で軽やかな空気を生んでいるようにも思いました。

春のある日、絹子の夫の四十九日忌が営まれ、それからほぼ1年の月日、この家の時間がゆっくりと流れて行くさまを、カメラが丁寧に映して行きます。

夫の死による家の相続をめぐる現実は、絹子を穏やかな気持ちのままでいさせてはくれません。税理士の黄(チャン・チェン)から何度か家の売却の話が出て、絹子はやがて決心せざるを得なくなります。

夫の友人・幸三(清水紘治)が訪ねて来ます。
久しぶりに心浮き立つ時間を持つ絹子。しかし、彼の帰り際、絹子は、「記憶って、場所や物に宿っていて、ある場所に行くと突然思い出したり、物を見ると思い出すみたいなことって‥そういうことってあるわよね。そしたら・・もし私がこの家から離れてしまったら、ここであった家族の記憶やそういうものすべて思い出せなくなってしまうのかしら。そしたら私は今の私ではなくなってしまうわね」そう言って倒れてしまいます。

ある日、黄が戸倉(田辺誠一)を連れて来ます。
「この部分は明治時代に京都の農家を移築したものです」という黄の説明を熱心に聞く戸倉。
「すばらしいですね、庭も手入れが行き届いていてとても気持ちがいい。それに海がこんなにきれいに見えるなんて。いい家ですね」と気に入った様子。

やがて、測量会社の人たちがやってきます。「明日だと思ってた」と言う絹子。
丁寧に手入れされた庭を見て、「もったいないね」と測量の人。
その言葉を聞いて、薬を捨てる絹子‥

思い出の品々の整理を始める絹子。
9月半ば 陶子が来ます。
具合どう?と心配する陶子に、「ぴんぴんしてる、お薬が効いてるのかしら」と元気にふるまう絹子。
家についても、もう決めたから。と。
「税理士の黄さんがいい人見つけてくれてね、その方若いんだけど、この家を大事に使ってくれるっていうのよ。」と。
かねてから、この家をたたんで自分のところに来て欲しい、と言っていた陶子の言葉にようやく従う決心をしたようです。

久しぶりに泊まった陶子は、渚とまくらを並べ、陶子の姉でもあった渚の母の思い出話をします。
ここでようやくこの家族の物語が見えてきました。

本を読む渚。「歌はどうして作る」「じっと観、じっと愛し、じっと抱きしめて作る」「何を」「『真実』を」「『真実』は何処に在る」「最も近くに在る」「いつも自分と一所に」

絹子は秋の深まりとともに次第に元気を失って行きます。
薬を飲んでいないことに気づいた渚は、落ち葉を片付けて、という絹子に、「今日掃いても明日また落ちてあんまり意味ないでしょ。それよりちゃんと薬飲んで休んでよ。それにもうこの家あの人に売っちゃうんでしょ」と言いますが、一人で片付け始める絹子を結局手伝います。

TRY TO REMEMBERを聞きながら、落ち葉を掃く渚を見ている絹子。
元気がありません。一つ咲く椿。
雨が降って来て、「おばあちゃん、晴れてるのに雨‥雨だよ」と言う渚に返事はなく‥
椅子に横たわる絹子。
レコードが回り続けている。海の上に虹がかかる。
雨上がりに散った椿の花びら。
絹子の手を握ってそっと涙する渚。
瑠璃紺の海‥

春 桜 取り壊される家を見守る黄。
絹子の「この家を大事に使ってくれるって言うのよ」と言う言葉を信じ、「いい家ですね」と言った戸倉を最後まで信じていた私は、重機で壊される家を見てショックで、勝手に裏切られたような気がしてしまいました。
いや、たぶん最初からそういう約束だったのかもしれませんが‥測量の人の「もったいない」という言葉に、絹子の中で信じていた何かが崩れて、薬を飲まなくなった、とも考えられて‥
結局 最後には家は壊されてしまうんだなぁ‥それが何だかすごく切なかった。

独り住まいの渚の部屋。小鉢に、あの家の金魚が放たれる‥
金魚はおばあちゃんであり、あの家であり‥渚にとっての真実、ということなのでしょうか。
渚が読んだ、「真実は最も近くに在る、いつも自分と一所に」という与謝野晶子の詩の一節が最後にふと浮かびました。


『椿の庭』
公開:2021年4月9日
監督・脚本・撮影・編集:上田義彦 
音楽:中川俊郎
配給:ビターズ・エンド
出演:富司純子 シム・ウンギョン 田辺誠一 清水紘治
チャン・チェン 鈴木京香 他