『誰か席に着いて』感想

『誰か席に着いて』感想 

ある財団による芸術家支援対象者の選考会。メンバーは四人。
財団創設者の孫娘・織江(木村佳乃)は脚本家だが、
妹の夫・奏平(片桐仁)が気まぐれで書いた脚本を盗用しようとしている。
織江の夫・哲朗(田辺誠一)はプロデューサーだが鳴かず飛ばずで、
過去に関係を持った織江の妹・珠子(倉科カナ)との復縁を願っている。
珠子は哲朗とのことで姉の織江に罪悪感を抱きながらも、
出産によって一時は断念したプロダンサーへの夢を捨てきれずにいる。
奏平は本業である音楽活動で借金を背負ってしまい、
財団の資金を使い込んでいる―――

盗作、不倫、使い込み…
四人がそれぞれに抱えた悩みは、
確かにそういうこともあるかもしれないなぁ、と思いつつも、
正直、自分のものとして身につまされるようなものではなかったし、
そのせいか、彼らとの距離を感じないでもないのだけれど、
でも、私は彼らを突き放して見ることが出来なかったです。

純粋にまっすぐ生きている人間もいなければ、
決定的に悪い人間もいない、
四人とも すごく魅力的なキャラとは言い難いけれど、
じたばた足掻(あが)いたり、あせったり、愚痴言ったり、言い訳したり、
自分ばかりが悪いんじゃないと自分に言い聞かせつつ、
自分の弱みを他の三人に見せたくない、という、
ちっぽけな自尊心とか自己保身とかに振り回される、
そんな彼らの姿を観ているうちに、何だか、
人間なんて所詮(しょせん)そんなもんだよねぇ、
四人とも人間っぽくて憎めないよねぇ、と感じるようにもなって‥
だって、もしあそこに自分が立ったら、やっぱり、
善良な人間の猫かぶりつつも自己中な言動しちゃったりとか、
心の内にある罪悪感をかっこつけのタテマエで正当化しちゃったり、
なんてこと、十分あり得る話だな、と思うからw

考えてみたら、
彼らのやっていることは、彼ら以外に危害を及ぼしていないんですよね。
世の中を揺るがすような大事件を起こすわけでもない、
命を懸けた大勝負をするわけでもない、
そんなものとは無縁の ごく狭い範囲での問題なのに、
それでも立ち位置が定まらないで右往左往、
立っては座り、座っては立つ、で、四人ともちっとも落ち着かない。
自分なりに一所懸命に考えるけど、どうもうまく行かない、
その、他人どころか自分さえも思い通りに動かせない歯がゆさが、
どこか滑稽で、ちょっと切なくて…
肝を据えて(時には素直に誰かの力を借りて)
自分のやっていることとしっかり向き合う覚悟を持てば、
揺らぐことなく ちゃんと自分の席に座っていられるだろうに、
そうすることから背を向ける、傷つきたくないから…

工務店のおじさん(福田転球)が、
そんな彼らのど真ん中を、汚れた足でヅカヅカ入り込む。
彼の仕事ぶりが小気味良くて、
ゆらゆらと揺らぎ続けて何も決められない四人と対照的。
彼みたいに ちょっとぐらい汚れることを覚悟すれば、かえって楽なのにね。

一方、一途に織江さん(の脚本)を愛する奈良さん(富山えり子)は、
その筋金入りの一途さで、分かりやすく四人を引っ掻き回してくれて、
そのことによって浮き彫りになる四人の脆(もろ)さに、
笑いながらも、チクッと胸が痛くもなり…

まったく、人生は ままならないものですね。
それは彼らのような年代になっても変わらない。
それでも、少しずつ余計な枝葉を払い落として行けば、
ひょっとしたら何か大切なものも見えてくるかもしれない、
「10時までに帰ること」
たとえば、お姉さんのあの時の視線は、
本当に妹のことを心配してのものだったのかもしれない、と…


                    ふくしま・みんなの文化センター大ホール 3列20番台 


『誰か席に着いて』     
公演:2017年12月17日 (日) ふくしま・みんなの文化センター
脚本・演出:倉持裕
出演:田辺誠一 木村佳乃 片桐仁 倉科カナ 福田転球 富山えり子