『太陽の蓋』感想

『太陽の蓋』 感想

映画として面白いかどうか、というより、
ひたすら やるせなくて、切なくて、苦しかったです。

この映画は、
東日本大震災による福島第一原発事故当時の数日間
官邸で一体何が起きていたのか、を、
菅直人元首相(三田村邦彦)をはじめ、当時の政治家たちの
実名を使って描いています。
新聞記者・鍋島(北村有起哉)の目を通す、という形ではあっても、
実在の政治家たちが登場する、というインパクトは大きく、
映画というフィクションであっても、
当時私たちが知らされることのなかった「原発事故の真相」に
限りなく近づくものになるのではないか、という期待を抱かせてくれたし、
ある意味、その期待を裏切らない内容になっていたと思います。

当時、東京電力(映画では東日電力)の隠蔽によって、
福島第一原発の様子をまったく知らされていなかった官邸。
未曽有の危機がぱっくりと大きな口を開けて彼らの前に立ちはだかる中、
短い時間の中で次々と新たな問題が噴出し、大きな決断を迫られる、
その苛立ちと もどかしさが 対策本部内で交錯するシーンは、
まるで『シン・ゴジラ』のシリアス版リメイクを観ているようで、
かたずを呑んで画面に見入ってしまいました。

一方で、鍋島の妻・麻奈美(中村ゆり)や息子の存在が、
当時の市井の人々の不安や動揺を丁寧にすくい上げてくれていて、
地震直後の「大丈夫?」という麻奈美のメールに
福島原発の危うい実情を知った鍋島が
「大丈夫だ」と返信するのをためらうシーンや、
原発の爆発をニュースで知った麻奈美が
あわててベランダで遊んでいた子を部屋に引き入れるシーン、
麻奈美の妹がアメリカ人の夫に日本退去命令が出たことを知らせに来て
「肝心なことを知らされていないのは日本人だけじゃないの?」
と言うシーン、
鍋島に「逃げろ」と言われた麻奈美が
「どこに逃げればいいの、日本中どこにも原発はあるわ」と言うシーン等々、
「突然日常に入り込んで来た放射能という得体のしれないモノ」への
言いしれない不安や怯えが ひしひしと伝わって来ました。

また、イチF(福島第一原発)で働く若者・修一(郭智博)とその家族の、
原発を抱えた土地に住む人々のリアルな生きざまにも、
つまされるものがありました。
彼らにとって、就職先としての原発は、決して特別な場所ではなかった。
自分の職場で事故があれば何とかしたいと思うのが当たり前で、
そこで働く人たちは実直に事故対応に当たっていたのだ、と。
だからこそ、数年後、鍋島に向かって淡々と言った、
「あの時テレビを観てた人たちは、今何を考えてるんですかね」
という修一の言葉は、胸が痛かったです。


当事の官邸の人々が実名で出ている以上、
しかも彼らのほとんどがまだ政治家であり続けている以上、
彼らを厳しく追及する、という形にはならないんじゃないか、という
若干の気掛かりが ないではなかったし、
実際、保安委員会や東電の人間を
分かりやすく悪者にしてしまっている、という気がして、
正直、少し残念な気持ちを抱きつつ観ていたところもあったのですが‥
終盤、鍋島の一言で、その思いは完全に覆ります。

数年後、鍋島は、
書くことが新聞記者の使命であると信じ、
事故の検証をするため、当時の関係者にインタビューします。
元内閣副官房長官だった福山(神尾佑)は言います、
「情報が官邸にまったく上がって来なかったんだ」と。
それに対して、鍋島は尋ねるのです、
「情報が上がっていたら 何とかなったんですか」
その言葉に、福山は一言も返せず沈黙してしまいます。

あの時、正確な情報が逐一上がっていたら、
これほどの被害にならずに済んだんだろうか‥
あの時、東電の人間が、保安委員会が、的確な判断をしていたら、
何とかなったんだろうか‥
あの時、現政権の首相があの立場にいたら、
少しでもいい方向に進むことが出来たんだろうか‥
そう考えた時、
すべてに首を振らざるを得ない暗澹(あんたん)たる思いに
心塞がれる自分がいました。

あの事故の真相はどうだったのか、結局誰が悪かったのか、
この映画で、真犯人探しをしようとしていた私は、
それが間違いだったことを思い知らされた気がします。

自然の驚異は、人間の想定を軽々と超えて突然やって来る‥
人間は万能じゃない、どこかでミスをする‥
原発」という太陽モドキの怪物は、
不完全な人間なんかには到底歯が立たないし、手に負えない。
そんな人間が 安易に太陽を手に入れようと考えること自体、
不遜だったのではないか――
この映画は、暗に、そのことを伝えようとしているのではないか、
と、私にはそんなふうに感じられました。


映画は、福島では、公開数か月経ってようやく、
しかも、1日1回だけ、数日しか上映されませんでした。
私が観た時は、他に50人ほど、
普段の映画にはあまり足を運ばないような50代以上の人がほとんど。
映画が終わって明るくなった館内を、
彼らは、ただ言葉もなく黙々と歩き、階段を下りて行きました。
その中には、ひょっとしたら原発の事故のせいで、
福島市やその近辺に生活を移さなければならなかった人も、
いたかもしれない。

わずか数十キロ先に、かろうじて蓋をされつつある壊れた太陽がある‥
福島は、これから先何十年も、
原発廃炉に向けた危うい作業に付き合って行かなければならない‥
一方で、日本の人々のフクシマへの記憶は、
おそらく ゆっくりと薄れて風化して行くのだろう‥

そう思うと、
映画を観終わって家路に向かった人たちのやるせない沈黙が、
一層重く 心に響いてくるような気がしました。


                             11月2日 福島フォーラム


    *公式サイトのスピンオフが映画と同じくらい見ごたえがあります。
     興味のある方はぜひ。《公式サイト》

    *福島民報のコラムです。(この映画を取り上げています)
     《あぶくま抄/11月4日「何も終わっていない」》



『太陽の蓋』
監督:佐藤太 脚本:長谷川隆 音楽:ミッキー吉野
プロデューサー:大塚馨 製作:橘民義 
制作プロダクション:アイコニック 配給:太秦
キャスト:北村有起哉 袴田吉彦 中村ゆり 郭智博 神尾佑 
三田村邦彦 菅原大吉 青山草太 大西満信 
菅田俊 井之上隆志 宮地雅子 菜葉菜 阿南健治 伊吹剛 他
公式サイト