『ネオ・ウルトラQ』感想まとめ

ネオ・ウルトラQ』感想まとめ
11月1日に『ネオ・ウルトラQ』最終巻のDVDが発売になりました。
ネオ・ウルトラQ VOL.1 [DVD]ネオ・ウルトラQ VOL.2 [DVD]ネオ・ウルトラQ VOL.3 [DVD]ネオ・ウルトラQ VOL.4 [DVD]ネオ・ウルトラQ VOL.5 [DVD]ネオ・ウルトラQ VOL.6<完> [DVD]
以下、恒例の感想まとめです。

 

▼第1話/クオ・ヴァディス
円谷プロ×WOWOW共同プロジェクト。
40数年前に放送された『ウルトラQ』のセカンドシーズン、
という位置づけのドラマ。
画面のタッチが限りなくモノトーンに近く、
登場人物にしても、背景にしても、
オマージュとしての色合いが濃く出ており、
半世紀前の『ウルトラQ』をかなり意識した丁寧な作りで、
私の年代には懐かしくも嬉しい空気感。

 

他のウルトラシリーズと違い、
怪獣が、人間にとっての明らかな「敵」としては存在しない、
通常の人間世界に不自然なく入り込んでいる、
という「ウルトラQ」独特の世界観に関する詳しい説明がないので、
戸惑いを感じた人も多かったかもしれないし、
詳しい事情が語られないまま、いきなり怪獣が登場するので、
初めて観た人には、ちょっと不親切な作りになっているかもしれない。

 

しかしそれは、今回は あえて、
「怪獣とは、いったい何なのか?」という問いの答えへの、
ほんのひとつの扉を開けただけ、に とどめているからのようにも思えます。
したがって、この回だけで判断するのは早計、
12話すべて終わって初めて、
ネオ・ウルトラQ』が表現しようとする全体像が見えて来るのではないか、
という気がします。

 

感想は、人さまざまだと思いますが、
私は面白く・・というか、興味深く観ることが出来ました。
今回、おそらくあえて「答え」を明確にしなかった、
出来事・人・言葉・文字・・
1話で撒かれた、そして次回からも撒かれるであろう
たくさんの「Q(クエスチョン)の種(たね)」・・
今後、それらがどう結びついて「怪獣」という概念を具体化して行くのか、
私たちをどこに辿り着かせようとするのか、
楽しみに観続けたいと思います。

 

登場人物。
主要3人(田辺誠一高梨臨・尾上寛之)は、
まだ、人となりが断片的にしか描かれていないので、
キャラがきっちりと掴み切れない感じですが、
演じている俳優さんたちは、いい意味での「懐古的(昭和的)ウルトラQ色」を
もともと持ち合わせている人たちのように思います。
他の出演者(島田雅彦さん、辰巳蒼生さん、滝藤賢一さん、
品川徹さん)もしかり。
中でも、屋島教授役の島田さんが、私のツボに入りまくりwでした。

 

さて、田辺誠一さん。
怪獣に家族を殺された小林(滝藤賢一)へのカウンセリングで見せた、
どこか痛ましげな表情が印象的でした。
それは、家族を失った小林の心の痛みへの同調と共に、
小林の内にある「怪獣への憎しみ」に対して密かに抱いた感情
でもあるような気がします。
今のところ傍観者という立場にとどまっている南風原仁は、
最終回にどんな表情を見せるのか・・
いったい何者なのか・・ (と言ったらさすがに妄想働かせ過ぎかw)
もまた、楽しみです。

 

監督:石井岳龍 脚本:いながききよたか
出演:田辺誠一南風原仁) 高梨臨(渡良瀬絵美子) 尾上寛之(白山正平)
 / 島田雅彦屋島教授) 辰巳蒼生(丹下准教授) /
 / 滝藤賢一(小林達也) 品川徹(井草六郎)/ ニルワニエ


▼第2話/洗濯の日
うん、私このお話好きです。 『ウルトラQ』の中でも、
もともと こういうテイストの作品が好きだったから、かもしれませんが。

 

ブレザレンは、人間の生活に馴染んだ 愛されキャラの怪獣ですが、
彼自身は、ただ、自分が出来る仕事を丁寧にやってるだけで、
そこに自分の感情が入っているようには見えないんですよね。

 

彼のやることに意味を持たせているのは、周囲の人間たち。
頑固おやじ(足立建夫)とのやりとりは、
ユーモラスな温かさ(感情は深く読めないけど体温はちゃんと感じられる、
というのは、着ぐるみ怪獣の魅力でもありますよね)
の中に ほの哀しい空気もはらんで、
でも、ブレザレンの感情があらわにならない分、ウエットに流され過ぎず、
ほど良い感傷になっていて、味わいがありました。

 

いつも無言で、文句も言わず黙々と仕事をこなすブレザレンに、
人間の欲求は いや増して行く。
ある日、国連事務総長堀内正美)がやって来て、
「汚れきった地球を洗濯してほしい」と頼む。そして・・
というお話。

 

このオチを、くだらないと取るか、
痛烈なブラックユーモアと取るか、は、観ている人間次第。
私は、いくらなんでも、このちっこい怪獣にそこまで頼むのは、
人間の怠慢だろう、と。 だから、自業自得の結末だと思いましたが。

 

・・でもねぇ、もしこんな怪獣がいたら、
地球全部とは言わない、せめて半径20キロだけでも洗濯してほしい、
とも、思ってしまうんですよね、ここ(福島)に住んでいる人間としては。
もちろん、それもまた、エゴには違いないんだろうけれど。

 

監督:田口清隆 脚本:いながききよたか
出演:高梨臨(渡良瀬絵美子) 尾上寛之(白山正平)
/ 足立建夫(大山シロウ) 藤あけみ(大山シズエ)
 堀内正美(東郷国連事務総長) 他

 

▼第3話/宇宙(そら)から来たビジネスマン
毎回、各監督が、自由に自分の色を出しているように感じられます。
監督の違いによって「ウルトラQ」の世界観の構築の仕方も違うし、
毎回見所も違うので、作品によって、観る側の好き嫌いが分かれる、
ということもあるかもしれませんが、それぞれに興味深いです。
(クレジットタイトルまで凝っているのが嬉しい)

 

今回は、ヴァルカヌス星人という「宇宙人」をどう作るか、
に興味があったのですが、
村杉蝉之介さんの持ち味をうまく引き出した造形になっていて、
宇宙人としての特異さも違和感もあまりなく、
イマドキの東京であんな格好で歩いてても、
何かのコスプレと思われて素通りされるだけなんだろうな、
と妙に納得してしまいました。

 

南風原田辺誠一)とあっち向いてホイやって和んでる宇宙人って・・w
いや、宇宙人とあっち向いてホイやって和んでる南風原が面白いのか・・
南風原は負のエネルギーをかなり持っていたから、
宇宙人も彼に興味を示したのかもしれないけれど、
それにしても馴染みすぎでしょ。w

 

考えてみると、ヴァルカヌス星人が欲しがる負のエネルギーは、
地球にうんざりするほどたくさんあるわけで、
だとすると、これは、地球にとっても、ものすごく大きなビジネスチャンス
にもなりえるわけですよね。(しかも誰も不幸にならない)
そういう先見の明を持った人が現れて、
積極的に宇宙人と交渉するようになったら面白いのにな〜・・
・・って、私も宇宙人に馴染み過ぎてる?w

 

渡良瀬(高梨臨)たちが必死で負のエネルギーを集めたことによって
地球に残れることになったのに、
結局、ヴァルカヌス星に旅立つことを選んだ美樹(小泉深雪)。
だけど、彼女が美しさを保つために望んで向かったヴァルカヌス星は、
「負のエネルギー」を美しい、と感じる星。
彼女が、自分の美(地球的な)に満足してしまえば、
負のエネルギーが弱まって、
ヴァルカヌス星の人々からは醜いと観られてしまうわけで。

 

最後にそのブラック感に思い至った時に、
今回のドラマの面白さが、私なりのレベルで、ではあるけれど、
いくらか理解出来たような気がしました。

 

監督:入江悠 脚本:いながききよたか 山本あかり
出演:田辺誠一南風原仁) 高梨臨(渡良瀬絵美子) 尾上寛之(白山正平)
島田雅彦屋島教授) 小泉深雪(美樹) 
村杉蝉之介(ヴァルカヌス星人・羽屋丈二) 他


▼第4話/パンドラの穴
「あなたが暗闇を覗く時、等しく暗闇もあなたを覗いているかもしれません。
あなたが怪物と闘う時、あなた自身が怪物になっているかもしれません・・」

いやいや いいですね、これぞウルトラQ!という感じ。
ドラマ冒頭のこのナレーション(長塚圭史)に心奪われたまま、
ぐいぐい物語に引き込まれてしまいました。
今回のお話、私としては非常に面白かったです、
私が「ウルトラQ」の大きな魅力のひとつだと思っていた、
「向こう側からの視線」を存分に貫いてくれていたように思えて。

 

正と邪、真と偽、善と悪・・その境界はどこにあるのか。

 

恋人に対して、
人間の悪意や憎しみを消せる人体実験を行った黒木(村上淳)。
自分が信じる科学の力を証明するための実験でもあったけれど、
果たしてそれが正しかったのかどうか・・
自分のやったことが、正・真・善なものと信じたい、
世間にもそう認めてもらいたい、
けれどもそれは自己欺瞞(ぎまん)に過ぎない、と知っている、
誠実で善良で弱い人間ゆえの悩み苦しみ。

 

「蓋を開ければ、この世界から善悪の境界がなくなって、
おまえはその苦しみから解放される・・」とマーラーはささやく。

 

でも・・おそらく その蓋を開けるまでもなく、
人間の中にはすでに、正と邪、真と偽、善と悪、その両方が存在している。
辛くても苦しくても、その境界線を引くのは、人間自身がやるべきこと。
進むのも、立ち止まるのも、後戻りするのも、
自分自身の良心と向き合って決めなければいけないこと。
蓋を開ければ楽になれるかもしれないけれど、
人間が持つべき本当の心の強さ・清らかさは失われてしまう・・

 

黒木に対して哀しげな遠い視線を送る南風原田辺誠一)。
同じ科学者であり、同じ研究をしていながら、
どこかの時点で、南風原は立ち止まり、
黒木と同じ道を進むことを止めた、その境界線はどこにあったのか・・

 

南風原と黒木に共通する匂い・・
ひょっとしたら、南風原はすでにマーラーと出逢っていたのかもしれない。
その時、彼は、自分の中に邪や偽や悪が宿っていることを認め、
その上で、少しでも正・真・善に近づこうとする人間でありたい、と、
マーラーの誘惑を退(しりぞ)けたのかもしれない・・
・・・・などと、バーで絵美子(高梨臨)や正平(尾上寛之)と話す
南風原の佇(たたず)まいを見て、そんなことを思いました。
・・いや、まったくの妄想ですが。w

 

第1話でも思ったことですが、
物語が示唆しているものは確かにあるんだけれど、
漠然と大き過ぎてよく見えない。
分かりやすく簡単には伝えてくれないし、
何をどう判断するか、の多くは、観る側に委ねられている。
だから、受け取るのは簡単ではないし、
間違った受け取り方をしてしまうかもしれない。
だけど、それでいいようにも思うのです。
そこにある曖昧としたもの、不完全なもの、答えのないもの、こそが、
ウルトラQ」が伝えたいものでもあるんじゃないか、
と、そんな気もするので。

 

ラストの思い切ったカットも心地良かったです。
正平が覗こうとしたカップの中身は何だったのでしょうか。


村上淳さんと田辺誠一さん。
科学者として道を分かった黒木と南風原の、
一概に、どちらが善か悪かとは言い切れない二人のコントラストが
とても良かったです。

 

田辺さんが黒木を演じていたら、ひょっとしたら、
もっと大袈裟に心の揺れを表現してしまっていたかもしれない。
黒木に関しては、村上さんはまさに適役だったと思います。

 

そして、田辺さん。 この人は、やはり、
「自分も痛みを抱えつつ、痛みを持った者に優しげな哀しげな視線を注ぎ、
そっと心を寄り添わせる」・・というような役が本当によく似合うと思う。
南風原仁は、まさにそういう役。
人間に対しても、怪物(怪獣)に対しても、等しく同じく。

その魅力が、5話以降、どういう形で出て来るのか、
(あるいは未消化で終わってしまうのか)
ちょっとドキドキしながら、続きを観たいと思います。

 

監督:石井岳龍 脚本:いながききよたか
出演:田辺誠一南風原仁) 高梨臨(渡良瀬絵美子) 尾上寛之(白山正平)
村上淳(黒木第千)  咲世子(ハルカ) 日向丈マーラー


▼第5話/言葉のない街
鰐渕晴子さんの出演は嬉しかったな。
彼女は、浅丘ルリ子さんあたりにも通じるような、
実際のリアリティとは違う、その作品の中でしか通じないリアリティ
を生み出せる女優さん、という気がします。
こういう、ちょっと不思議な空気感の作品にはぴったり。

 

言葉のない街は、
何となく、海の底のような異世界を覗いているような感じでした。
淡々と静かにゆるやかに穏やかに生息するエピゴノイド。
その世界に入り込んで行く、南風原田辺誠一)、絵美子(高梨臨)、
そして正平(尾上寛之)・・
この3人に、いたずらに事を荒立てない品性と優しさ、
また、エピゴノイドに対する同調性のようなものが備わっていて、
刺々しさや激しさがなく、安心して観ることが出来ました。
(完全にエピゴノイド的視点で観てるワタシw)

 

今回は、中でも特に正平が良かった。
理解している人間である南風原
理解しようとしている人間である絵美子、に対して、
理解は出来なくても、いつも自然とすべてを受け入れている正平が、
エピゴノイドに対しても、素直な眼差しを送ってくれていたように思えて。

 

相手の感情を言葉なしで完璧に理解出来るエピゴノイド。
しかし、彼らは、相手を本当に愛することが出来なかった。
「相手の気持ちが分からないからこそ、相手を愛することが出来る」
・・この、逆説的な発想が、今回も興味深かったです。
これもまた、先週同様、「向こう側からの視線」という感じ。

 

ここまでネオウルトラQに出て来た怪獣や生物たちは、
建物を破壊したり人を傷つけることはほとんどなく、
直接、人間の心に入り込んで来ようとしているように思われます。
善い人間が悪い怪獣をやっつける、なんていう
単純で爽快なお話ではないし、アクティブなシーンがほとんどないので、
面白くなく感じる人もいるかもしれないけれど、
これはちょっと、そういう先入観を一旦はずした方がいいのかもしれない。
ここまで観て来た私の印象としては、
やはりこれは、「ウルトラシリーズ」ではなく、
世にも奇妙な物語」の流れと考えた方がしっくり来るような気がするので。

 

いやいや、ひょっとしたらこれらは、
想像以上に繊細なドラマ群なのかもしれない。
これからどんな作品が観られるかは分からないので、
間違った捉え方になるかもしれませんが、
もしかしたら、ひとつひとつの作品としてはもちろん、
ネオ・ウルトラQ』全体を、ひとつの大きな作品としても
捉えることが出来るのではないか・・という気がし始めています。

 

監督:中井庸友 脚本:いながききよたか
出演:田辺誠一南風原仁) 高梨臨(渡良瀬絵美子) 尾上寛之(白山正平)
/鰐淵晴子(美鈴)  太田莉菜(メリ) 尚玄(ハシオ)


▼第6話/もっとも臭い島
途中までは、ありきたりな話だと思ったけれど、
最後は「なるほど、そう来たか〜」と。
「洗濯の日」(第2話)もそうだったけれど、
田口監督の作品は、最後の最後で、ドーンと落として来る。
その、一種の墜落感みたいなものが面白かったです。

 

優希(市川実和子)は本当にセーデガンに友情を感じていたんだろうか。
おそらくこれがネオではないウルトラQなら、
同じラストの落とし方にしても、
そこまでの過程に もっと人情的な繋がりを描いたんじゃないか、と思うけど、
彼女は、セーデガンに対してどこかドライで、
命乞いをするところでも、打算が働いているんじゃないか、
と思ってしまったのは、私の心も濁ってるってことなんだろうか。(苦笑)

 

そんな観方をしたせいか、
最初の3人のやりとりも、あえて、どこか俗っぽい匂いを残そうとした
ように感じてしまいました。
もっとも、このお話なら、それが正解という気がしたけれど。

 

監督:田口清隆 脚本:いながききよたか 山本あかり
出演:田辺誠一南風原仁) 高梨臨(渡良瀬絵美子) 尾上寛之(白山正平)
市川実和子(上田優希)  辰巳蒼生(丹下准教授) セーデガン 他


▼第7話/鉄の貝
観終わって、手塚治虫さんを思い出したのは何故でしょう。
単純明快な悪役の描き方、人間の身勝手な判断に翻弄される怪物、
酔っ払いの父親と心優しい娘、正しい者 対 間違った者、
そして かすかな希望・・
それらの中に、手塚さんらしい匂いが感じられたからでしょうか。

 

悪役・福田教授(岩松了)の描き方があまりにも単純なのは、
30分でまとめるには仕方なかったのかもしれないけれど、
屋島教授(島田雅彦)との対比に、もうちょっと深みがあったら・・
と、そこがちょっと残念でした。

 

激しい熱を発して地球に害をおよぼすと思われた、
巨大な巻貝ガストロポッド。
しかし実際には、地球の熱を吸収して、
活発化する火山活動を沈めてくれていた・・
このお話もまた、
一方向からだけ物事を捉えることの危うさ・怖さを示唆しています。

 

「いいもの」と「悪いもの」の正しい境界を見出すことは難しい。
その正しいジャッジが出来るのは、
案外、「暗黒」を覗いたことがある人間なのかもしれない。
欲を捨てた状態で暗黒を覗き、またこの世界に戻って来た時、
彼は、一体、どんな人間になっているのだろう・・

 

・・・いつにも増して妄想過多な感想ですみません。

 

監督:入江悠 脚本:いながききよたか 加藤綾子
出演:田辺誠一南風原仁) 高梨臨(渡良瀬絵美子) 尾上寛之(白山正平)
島田雅彦屋島教授)  辰巳蒼生(丹下准教授)
岩松了(福田教授)  平澤宏々路(波多野マヤ)  ガストロポッド  他


▼第8話/思い出は惑星(ほし)を越えて
そういえば、「ロマン」という言葉をしばらく忘れていたなぁ、
と、このドラマを観てふと思いました。
「思い出は惑星(ほし)を越えて 」というタイトルからして、
何だか少し甘酸っぱい、センチメンタルな感じがして、
それがまたちょっと心地良かったりもして。

 

設定自体が すんなりと私の中に入ってきたこともあるし、
染谷将太くんや渋川清彦さんが、私の好きな俳優さんだった、
ということもあるけれど、
限られた時間の中で、これだけの話を無理なく伝える、
そのアプローチの仕方みたいなものが、とても魅力的に思えました。
異星人をどう表現するか、どんなふうに動かすか、
きっと石井監督はあれこれ楽しみつつ考えたんだんだろうなぁ、とか。

 

そのあたりの見せ方は、ある意味非常に「今風」なんだけど、
設定が古風なので、ちゃんとウルトラQの色味に収まっているように、
私には感じられました。

 

染谷くんと山下リオさんの空気感が素晴らしかったし、
正平(尾上寛之)が今回もいいポジションで使われていました。
渋川さんも良かったなぁ、一途過ぎて器用に立ち回れない感じが・・
そして私は、屋島教授(島田雅彦)に続き、
丹下准教授(辰巳蒼生)も好きになりつつあるのであった・・w

 

監督:石井岳龍 脚本:いながききよたか
出演:田辺誠一南風原仁) 高梨臨(渡良瀬絵美子) 尾上寛之(白山正平)
/辰巳蒼生(丹下准教授)
染谷将太(浩一)  山下リオ(敬子)  渋川清彦(ハタ・ギ・ノール)  他


▼第9話/東京プロトコル
これは相当怖いお話ですね。
今現在の日本の状況と、どこか似通っているようにも思えて。

 

とにかく、今が良ければいい、後のことなど知ったこっちゃない、
重要な問題を後回しにしておいて、きれいな花が咲いて良かったね・・
って、そんな単純に喜んでいいことじゃないだろうに。
手に負えなくなって初めて、
きっと彼らは、事の重大さを知ることになるのでしょう。
そうなる前に、どこかで警鐘は鳴っていたはずなのに、
眼を閉ざし、耳をふさいで、見ないふり、聞かないふりをして・・

 

今の快適な暮らしが、いつか人間を破滅に導くことになりはしないか・・
その問いかけをしながら、どこかで自制する勇気を持つ・・
それは、すごく難しいこと。
それでも、「もしかしたらそうなるかもしれない」とか、
「そうならないようにするにはどうしたらいいか」という想像力を
常に持ち続けることが必要なんだと思います。

 

日本には、2年前から、
素っ裸の人間が立ち入ったら 程なく死んでしまうような場所が存在します。
ウルトラQの世界でも何でもない、現実のお話です。
最近、日本の偉い人たちは、
そのことを故意に忘れようとしているように見えて、何だかすごく怖い。


・・・さて、
盛大に花を咲かせたプラーナはその後どうなったのでしょうか。

 

やがて実をつけて、タネを落とし、世界中に増殖したプラーナは、
なおも温室効果ガスを吸い込み続け、
そのせいで二酸化炭素が不足して、植物は光合成が出来なくなり、
酸素が作り出せなくなり、そして・・
と 私なりの乏しい科学知識(小学生レベル)で想像してみましたが、
はたして?

 

監督:田口清隆 脚本:いながききよたか 山本あかり
出演:加部亜門(森安ヒロシ) 内野智(森安タケシ) 高部あい(秘書)
プラーナ 他


▼第10話/ファルマガンとミチル
ここ(10話)まで来ると、各監督の持ち味がくっきりと浮き立って、
なかなか興味深いです。
『言葉のない街』もそうだったけれど、
中井監督の作品は、ファンタジー的色合いが強いですね。

 

今回のお話は、甘くてすっぱくて、まさにはちみつレモン。
優しさと、残酷さと、切なさと・・
子供の頃、「人魚姫」を読むたびに切なさに胸痛ませた者としては、
そのテイストが混じった今回のような作品には、
どうしても惹かれてしまいます。

 

これは、人間対人間だったら成立しないお話かもしれない。
ある人間の足を治すために、別の健康な人間の命を奪う、というのは、
あまりに理不尽で、「物語」にはなりにくい気がします。
その点、ゴミの塊で、誰にも相手にされないファルマガンなら、
バラバラに空中分解しても、観ているこちらの心はそれほど痛まない・・
きれいな物語として観やすくなる・・

 

でも、私は、そこにも人間の残酷さが潜んでいるような気がして・・

 

この話の中の、「傍観者」としての南風原田辺誠一)が、
私にはすごく魅力的に感じられました。
ミチルに寄せるのと同等の・・いや、むしろそれ以上と言ってもいい、
ファルマガンに寄り添った「痛みの共有」・・
怪獣が消え去った後の南風原の表情からは、
なんとも言いようのない切ない哀しみが伝わって来て・・

 

もう本当に、こんな時、私は、
田辺誠一という俳優の底力を思い知らされるわけで。
そうなんだよなぁ、
ガラスの仮面』や『月下の棋士』の時から変わっていない、
こういう空気感を作り出せる人だからファンになったんだ、私は。
・・・なんて、はるか昔のことを思い返したりして。w

 

残る2話。
南風原仁(@田辺誠一)の醸す この空気感が、また味わえるか否か、
というあたりも楽しみにしたいと思います。

 

監督:中井庸友 脚本:いながききよたか 加藤綾子
出演:田辺誠一南風原仁) 
大野いと(矢代ミチル) ヨコタシンゴ(ファルマガン)  他


▼第11話/アルゴス・デモクラシー
う〜ん、このお話は難しかったです。
というか、ふたつの話を無理にくっつけたような違和感があった。
怪獣を敵と見る人もいれば、共存を望む人もいる。
そのふたつの考え方に接点はないのか、
というあたりを、もうちょっと掘り下げて欲しかった気がします。

 

唐沢(室井滋)のお母さんたちへの媚びは選挙がらみと想像つくけれど、
ヤマグチ(光石研)の怪獣に対する想いはどこから生まれたものなのか・・
そのあたりがはっきりしないまま、
急に民主主義とかデモクラシーとかイデオロギーなんて言われても、
私には何だかしっくり来なかったですし、
せっかく室井さんとか光石さんとか力のある俳優さんが出ていたのに、
もったいない使われ方だったようにも思いました。

 

そもそもアルゴスは何のためにやってきたのか、
人間がデモクラシーに固執するわけを知ってどうしようというのか・・
唐沢やヤマグチを拘束し、国民投票を行って、何をどう試そうとしたのか・・
なぜ実体のないアルゴス南風原田辺誠一)の顔が映ったのか・・
私の読みが足りないのかもしれないけれど、
ほとんど未消化のまま終わってしまったのが残念でした。

 

ただ・・
今ひとつ気づいたのは、ヤマグチたちの扮装。
これは、日本の中の話ではない。
地球上には、さまざまな思想・宗教を持つ人たちが存在する。
その人たちすべてを民主主義という定規で測ることが出来るのかどうか・・
そう考えると、
南風原の「人間は不完全だ。人間を試さないでくれ!」という言葉が、
意味の深いものにも感じられる気がしました。

 

監督:入江悠 脚本:いながききよたか 
出演:田辺誠一南風原仁) 高梨臨(渡良瀬絵美子) 尾上寛之(白山正平)
島田雅彦屋島教授)
室井滋(唐沢貴子) 光石研(ヤマグチ) 螢雪次朗(村上警部)


▼第12話=最終回/ホミニス・ディグニターティ
30年前に日本最古の地層から発見されたソーマは、
宿主の老化を防ぐ力を持つ。
ソーマを人間に寄生させると、限界寿命(144歳)まで生きられるが、
貴重なソーマをすべての人間に寄生させることは出来ないので、
IQ150以上の優秀な人間のみを厳選して寄生させ、
国のために働くよう教育するシステムを作った・・
というのが、このお話の前提。

 

彼らがいる場所があまりにも無機質で、
人間の感情を押さえつけるような重苦しさがあるのは何故でしょう。
ソーマを背中に寄生させ続けるには、
そういうストイックな生活を送らなければならない、ということなのでしょうか。

 

そんな生活から抜け出して、自由になりたい、という願いから、
自分に寄生するソーマを切除してしまった少女・ヒカル(杉咲花)。
彼女のカウンセリングをまかされた南風原田辺誠一)は、
「ちっぽけな人間の想いなんて、広い世界の前では踏みにじられる。
ただ、誰かに命を操られるなんて、絶対に間違ってる。
僕は決めた、きみにそんな想いはさせない」
と、実は自分の背中にもソーマが宿っていることを伝えて、
彼女の望みを叶えてやろうと脱走を企てます。

 

そして、ヒカルの望むまま、絵本を読んでやり、メリーゴーランドに乗り、
まるで父と娘のような時間を持って、心を通わせ・・
・・さて、その後二人はどうなったのか・・
この物語の続きはいったい・・?

 

・・いや、正直に言うと、私がもっとも気になったのは、
二人・・ではなく、南風原仁の過去と未来。

おそらく最も初期にソーマを寄生させられたであろう彼が、
この20数年間、どんなふうに生きて来たのか・・
なぜ「猶予期間」を与えられたのか・・
それが終わるのはいつか・・
終わった後、彼はどうするのか、どうなるのか・・等々、
ヒカルよりも、つい南風原に想いを巡らせてしまったのは、
私が田辺さんのファンだから、なんだろうけれど・・w

 

いつも思うことですが、
田辺誠一という俳優は、相手役と対峙した時に、
滅多に、真正面から鋭く切り込んで行かない気がします。
優しい役を演じることが多いから、とも言えるかもしれないけれど、
田辺さんの中に、相手(俳優に対しても役に対しても)への
一種の畏れや敬意があって、
自分が前に出ようとせず、一定の距離を保ち、
相手の持ち味を踏みにじらないようにしようとするから、
そういう役が多く回って来る、とも言えるのかもしれません。

 

その、どこか臆病でプラトニックな空気感は、
役によっては物足りなさを感じることもあるけれど、
それによってもたらされる「清潔感・清涼感・安心感」のようなものが、
時に、役の上に、男性性を超えた「純愛」を加味するから、
いくつになっても、そういう役を不自然でなく演じることが出来るし、
観ていて違和感もないのかな、
なんて、ちょっとそんなことも思いました。

 

それが、今回のような、父と娘、のような距離感でも変わりなかった、
というのが、なかなか興味深かったです。

 

監督:中井庸友 脚本:いながききよたか 
出演:田辺誠一南風原仁) 高梨臨(渡良瀬絵美子) 尾上寛之(白山正平)
杉咲花(橘ヒカル) 田辺桃子(山野ユリ)  他

 

『ネオウルトラQ』公式サイト