『37歳で医者になった僕』(第11話=最終回)感想

37歳で医者になった僕』(第11話=最終回)感想

先週、10話を観終わった段階では、
本当にあと一回ですべて納得出来るところまでまとめられるのかな・・
と、正直、ちょっと疑う気持ちもあったのですが、
それはまったくの杞憂(きゆう)でした。
もちろん、こんなにすべてのことが都合よく回収されて行くなんて、
現実には有り得ないことなのかもしれないけれど、
でも、このドラマが、一種のメルヘンであることを思うと、
この心地良さに素直に身を任せていいんじゃないか、という気がするし、
‘だからこそ’の草彅剛草なぎ剛)だったんだよなぁ・・と、
おおいに納得もして。


本当に、草彅さんには、
人間の残酷さとか、生々しい業(ごう)とか欲とかを自然に吸収して、
メルヘンやファンタジーにしてしまう不思議な力がある、と思います。
けっして演技がうまいわけではないけれど(ファンの方ごめんなさい)
彼が出演する作品は、いつも、独特の清(すが)しい空気に包まれる・・
観ていて、後味の悪いものにはならないのですよね。


今回の役は、医者として、と、婚約者として、の二面性があり、
しかも、十分に描き切ってもらっていないところもあって、
非常に難しかったと思うのですが、
ドラマ全体としては、
草彅剛がいてこそ生まれる空気感」がちゃんとあったように思うし、
その独特の空気感が好きな私としては、
最後まで興味深く観ることが出来た気がします。


また、今回は、
脚本・古家和尚さんにも惹かれました。
佑太とすず(ミムラ)の関係を、もうちょっと深く描いて欲しかった、
といううらみはありますが、
37歳で研修医になった佑太が、大学病院で波紋を広げて行く、
そのやり方に、年齢的な意味をきちんと反映させていて、
最初の頃こそ、KY(空気読めない)な上に無茶をして、
危なっかしかった彼ではあるけれど、
大学からすぐ研修医になった20代半ばでは持ちようのない、
患者や周囲の人間に向かう姿勢に大人としての視点があって、
だからこそ、
患者やその家族が、彼に心をゆだねてくれるようになって・・
周囲の人間も、いつのまにか じんわりと 彼の言動に感化されて行って・・
そのあたりの無理のない人物造形は、
古家×草彅だったからこそ、のようにも思います。


小道具の使い方も有効。
患者の子供がくれたキャンディを受け取った佑太と、
受け取らなかった新見(斎藤工)、
患者を追いかけてドアを飛び出して行った下田(八乙女光)と、
ドアの前で躊躇(ちゅうちょ)する佑太、
森下(田辺誠一)がいつも食べていた愛妻弁当と、
瑞希水川あさみ)が初めて作った豪快な手作り弁当、
「ミラクルドクター治子」のDVD・・


ほんと、瑞希のお弁当は豪快だったなぁ!
あれを見て、ますます彼女が好きになりました。
あのお弁当には、瑞希の、
すず(ミムラ)への想い、佑太への想い、自分自身の夢への想い・・
いろんな想いが詰まってる。
缶詰入りの焦げ焦げ特大のお弁当を見ながら、
なんだか彼女がすごくいじらしく思えて、ホロリと泣けて・・


水川さんは、本当に売れっ子で、
たくさんのドラマや映画に出ているけれど、
少なくとも私が観た彼女の作品の中で、
こんなにも、強さと 優しさと たくましさと 脆(もろ)さと を、
多彩に見せてもらったのは、初めてだった気がする。
このドラマの中で、誰が一番好きだったか、と聞かれたら、
私は、迷わず「沢村瑞希」と答えるだろうな、と思います。


他の登場人物も、
それぞれ存在理由がきちんと描かれていて、しかも、単純ではなくて、
私は、どの役も好きになりました。
若い研修医ゆえの迷いや弱さに揺れた下田や谷口(桐山漣)・・
娘との距離を測りかねて悩むオトコマエな看護師長・相澤(真飛聖)・・
佑太と接することで、静かに自然に憎まれ役を解いていった新見・・
斎藤工くんは今後も注目したい俳優さんになった)
ただの腰ぎんちゃくじゃない、案外使いでがあった中島(鈴木浩介)・・
(廊下で森下(田辺)と二人でかわす会話がすごく良かった)
透明度の高い美しい存在感で佑太を支えたすず・・
ミムラさんが持つ空気感も とても好き)
そして、
ラスボスとしての重い存在感を示しながら、
どこかに、子供のような幼さや、老人のような達観した気持ちを抱き、
それゆえに最後まで憎み切れなかった佐伯(松平健)・・


そういう意味では、
本当のラスボスは、森下、と言ってもいいのかもしれない。
メルヘンタッチのこのドラマに、
前回、一瞬「ナマ臭いダークな一滴」を落としたのは彼で、
そんな黒・森下を演じていたのが田辺誠一さんである、というのは、
何だか私には、不思議な気分だった。
だって、今まで、草彅さんと共演した作品すべてにおいて、
田辺さんは、草彅さんと同じ側・・
つまり、常に、メルヘンの側、ファンタジーの側、に居る人だったから・・


たとえ一瞬にせよ、病人を前にして、あの表情をした時点で、
彼は、医者としての道に悖(もと)ったことになる・・
だけど、だからこそ、佑太が、森下に対して、
「目の前に居る患者を助けようと思わない時点で、
森下先生も、佐伯先生と変わりないと思います!」と、
鋭く斬り込むことにもなったわけで・・
だとすれば、あの一瞬間に表現されたものは、
森下を演ずる人間によって、正確に図(はか)られたものだったのだ、
とも言えるわけで・・
そこまで徹底的に「大人」にならなくてもいいのに・・と、
正直、ちょっと複雑な思いもして。
(いまだに引っ掛かりを感じている厄介な自分・・苦笑)


それでも・・
田辺さんが、このドラマで、そういう求められ方をしたことに対しては、
やはり、すごく嬉しかった。


森下という役は、すべてを内包していなければ出来ない役。
確かに佐伯が言う通り、
「理想が高い分、冷酷」なのかもしれないけれど、
正義だけではない、悪だけでもない・・
「ミラクルドクター治子」を観て医者を志して、
毎日愛妻弁当を食べているかと思えば、
佐伯の学部長選にあたっては、敵方を震撼させるほど暗躍し、
(おそらく、伊達(竜雷太)の件を示談に持ち込んだのも彼だと思う)
佐伯に「頭のいい人間はやることが早い」と言わしめ、
自分が思い描く理想の医療を一刻も早く実現させるべく、
ひたひたと佐伯や佑太を追い詰める一方で、
担当であるすずの治療に関しては、しっかりとこなし、
そして最後には、
佑太の一言によって、まい進して来た自らの歩みを緩める、という・・
そういう多面性を身内に自然に内在させている男を、
単純に一色に染めることなく淡々と演じて、
しかも、観る人間を十分に納得させる、
その難しさと面白さが、この役にはあったように思うから。


田辺さんは、この役によって、
30代の最後のカラを捨て、完璧に40代の俳優にステップアップした、
と言ってもいいかもしれない。
ファンとしての欲目が多少入っているかもしれないし、
そうなったらなったで、若干寂しい気持ちがしないでもないけれど。
まぁ、田辺誠一という俳優さんは、
森下以上に、青臭さを身内にちゃんと残している人だろうと思うのでw、
今後も、役を柔軟に捉えて、軽々と跳躍してくれる、
(求められれば中二レベルまでもw)と、信じておりますが。
――閑話休題


ドラマ終盤、
出来ることなら、まっすぐに突き進もうとする佑太と、
突き崩すことが容易ではない真の大人である森下との対峙(たいじ)を、
もう少し時間をかけて描いて欲しかった気もしますが・・


すずの死さえもゆるやかに浄化されて行き、
それぞれがそれぞれの「前への一歩」を踏み出して行く、
穏やかで見事な大団円のラストを観ると、
そこまで望むのは贅沢なのかな、という気もしました。


そして、願わくば、
「ミラクルドクター治子」のように、
このドラマを観て、医者を志す人が増えてくれれば嬉しい・・
そんなことも思いました。