『37歳で医者になった僕』(第10話)感想

37歳で医者になった僕』(第10話)感想

伊達(竜雷太)の死に責任を感じ、退職願を出した下田(八乙女光)は、
伊達の妻・由美恵(田島令子)に会い、
裁判で佐伯(松平健)の医療ミスを証言する、と言いますが、
「伊達を悼(いた)む気持ちを患者さんに向けて欲しい」と言われ、
病院に戻ることに。
このあたり、正直、もう一歩踏み込んで欲しい気がしましたが、
由美恵が、病院側にうまく丸めこまれて裁判を断念したのではなく、
自分の意思でそう決めた、と感じられたことが、
救いになっていたような気がします。


下田は、越えてはいけない、と言われていた「医者としての一線」を越え、
より、患者やその家族に近づこうとした・・
そのやり方が正しかったかどうかは別にして、
それって、佑太が医者としてやろうとしていたことでもあったのでは?


医者として病気に向き合う、ということは、
その病気を持つ人間の心(気持ち)にも向き合うこと・・・
病気を治療する、ということは、
患者の「身体」と「心」を受け容(い)れて、
一緒に、より良い道筋を見つけ出そうとすること・・・


このドラマの中で、紺野佑太(草彅剛草なぎ剛)が、
医者であると同時に、重篤な患者の婚約者でもある、
という設定になっているのは、
その両方に より真剣に向き合わざるをえない、
そういう状況をあえて作りたかったからだ、という気がします。


佑太が、医者として すず(ミムラ)の身体を治そうとするだけでなく、
人として彼女の心に正面から向き合い、
その気持ちをすべて受け入れた時、
すずの声が自然に出るようになったシーンは、象徴的でした。


一方、学部長選は圧勝したものの、
佐伯が、実は膵ガンに侵されていることが判明。
そのことが、森下准教授(田辺誠一)の知るところとなり、
学部長選のお祝いを述べた彼は、
一瞬、ダークな表情を浮かべるのですが・・


うーん・・
私の思考は、ここでストップしてしまい、
前に進まなくなってしまいました。
森下のこの表情が意味するものは、いったい何なのか・・
ほんの一瞬立ち昇った(と私が感じた)「悪の香り」は、
佐伯の病気を知ったこの場面で本当に必要なものだったのか・・
それとも、それは私の勘違いで、
そこまでの深い意味合いを持たせていたわけではないのか・・
いや、もしかしたら、もっと大きな意味があるのか・・
再度観直しても、私の中で結論を出すことが出来ませんでした。


なので、そのあたりについては、
次回(第11話=最終回)を観てから改めて、ということにさせて下さい。
中途半端な感想ですみません。