『37歳で医者になった僕』感想まとめ(その2/第8-11話)
『37歳で医者になった僕』
放送日時:2012年4〜6月毎週火曜 22:00- (フジテレビ系)
脚本:古家和尚 演出:三宅喜重 白木啓一郎 プロデュース:木村淳
原作:川渕圭一「研修医純情物語〜先生と呼ばないで」
「ふり返るなドクター〜研修医純情物語」
音楽:菅野祐悟 主題歌:「僕と花」サカナクション
制作著作:関西テレビ放送
キャスト:草彅剛 水川あさみ ミムラ 八乙女光 桐山漣
志賀廣太郎 藤吉久美子 鈴木浩介 でんでん 斎藤工 真飛聖
田辺誠一 松平健 他 『37歳で医者になった僕』紹介サイト
『37歳で医者になった僕』(第8話)感想
毎回、何かしら心に響くものがあるドラマですが、
今回のエピソードは特に、身につまされました。
歳を取って行くことで失ってしまうものが間違いなくある。
その寂しさ、くやしさ、むなしさ、を、どう受け入れて行けばいいのか・・
頑固者の伊達(竜雷太)を、若い下田(八乙女光)が懸命に助けようとし、
その下田をさりげなくフォローするように、紺野佑太(草彅剛)(草なぎ剛)が、
(もう若くない)37歳の目線で伊達に接していたのが、
とても印象的でした。
医療ドラマというと、普通、外科が舞台になることが多く、
派手な大手術、なんていう‘見所’を作れない内科のドラマは、
面白味に欠けるんじゃないか、などと最初は思っていたのですが、
ひとりひとりの患者の気持ちを丁寧に追い、
医者それぞれがそれぞれの感情を持って接する・・
人間がやることだから、そこには間違いも失敗もあるけれど、
医者と患者がしっかり向き合うことで、
より正しく病気に立ち向かう姿勢が出来上がって行く・・
地味ではあるけれど、非常に伝わるものの多いドラマだな、と思いました。
これで、佑太の立ち位置が定まってくれるといいのだけど、
どうやら、そう簡単には事が進みそうもなく・・
佐伯(松平健)の恩師である伊達の急変の裏で、
これまであちこちに張られていた伏線が、
ラスト数分、一気に表面に浮き上がって来た時には、
思わず「えーっ!?」と声を出すほどびっくりしてしまった。
森下准教授(田辺誠一)〜、あなたはいったい何考えてるんだー!
・・でも、きっとこれは、
「善い人間」VS「悪い人間」などという単純な話じゃない気がする。
誰が正しくて、誰が間違っているか、なんて、簡単には線引き出来ない。
誰にも その人なりの夢があり、誰にも その人なりの正義があり、
誰にも その人なりの名分(めいぶん)があるから。
佐伯を観ていて、ふと、『空飛ぶタイヤ』の狩野(國村準)を思い出しました。
狩野がそうだったように、佐伯もまた悪役とは言い切れない気がするのは
なぜでしょうか。
病院を存続させるためには、
より高い医療技術を提供すると同時に、順当な利益を得なければならない。
大病院になれば、医者同士の政治的な駆け引きも必要になる。
佑太のようにきれいごとばかり言っていては、
実際問題として、病院の経営は成り立たない。
今までの医療ドラマは、利益の追求や政治的駆け引きを
「悪」とみなすことが多かったように思うけれど、
医療現場を取り巻く環境を考える時、
実はそのどちらも大切な問題なのは確かで。
このドラマは、それを、
より俯瞰的(ふかんてき)に捉えようとしている気がしてなりません。
良くも悪くもKY(空気読めない)で、
決して正しい選択だけをしているわけではない佑太が・・
すでに医者としての確固たる意志を持つ沢村瑞希(水川あさみ)が・・
そこにどんな形で絡んで行くのか・・が、大いに楽しみです。
さて、田辺誠一さん。
森下准教授、ここに来て一気に暗躍開始!ですね。
うわ〜、そう来たか!って驚かされると同時に、
瑞希と話す横顔を見ていて、不謹慎にも惹かれてしまった。
森下って、良きアドバイザーに終始した藤田みたいな役なんだろう、
(@ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない)
と決め込んでたんですが、
いやいや、そんな生易(なまやさ)しい人間じゃなかったですわ!w
一気にボスキャラの空気さえ漂うようになった森下ですが、
田辺さんが「いかにもワル」という演技をしていないのが逆にそそられます。
そこに何があるのか・・その意味は何なのか・・
今のところ明らかにはなっていませんが、
おそらく森下は、清濁併せ呑むような人なんじゃないか・・
沢田(@空飛ぶタイヤ)や清川(@ジーンワルツ)なんかより
ずっと‘大人’なんじゃないか・・という気がするし、
今まで巡って来そうでなかなか巡って来なかったそういう役を、
田辺さんが今後どんなふうに演じてくれるのか、
それを観るのもまた楽しみです。
『37歳で医者になった僕』(第9話)感想
気がつけば、毎週、
『リーガルハイ』と『37歳で医者になった僕』という
歯ごたえガッチリのドラマが重なる火曜日を心待ちにしている私・・
今回は特に、どちらも、観ているこちらの予想をはるかに上回る展開で、
ドラマファンとしては、とても嬉しく興味深く観ることが出来ました。
さて『37歳で医者になった僕』――
このドラマが11話かけて伝えたいことの全貌が、
徐々に具体的な形となって見えて来たように思います。
伊達(竜雷太)の死について、
そもそも佐伯(松平健)の誤診が引き金になっていた、
という事実を、必死に隠そうとする側近たち。
そこには、大事な学部長選が間近に控えている、という裏事情もあって。
そんなことで誤診をごまかされたり踏み潰されたりしたら、
患者やその家族は たまったもんじゃないですが、
だからと言って、下田(八乙女光)のように、責任を感じて退職願、
というのも、決して正しい選択とは、私には思えなくて。
もし、下田が医者を続けていたら、
これから先、いったいどれだけの人を救うことが出来るだろう・・と思うと、
医者を辞めるという形で患者への責任を取る、というのは、
どこか間違っているような気がするのです。
時に患者にとって命取りになってしまうミスや誤診は、
もちろん、医療従事者としてあってはならないことですが、
医者は神様じゃない、
完璧であろうとしてもそうはなれない、しょせんはちっぽけな人間で、
迷うことも、間違えることもあって。
それでも、病気は待ってはくれない。
重篤(じゅうとく)な患者の前で、医者は常に正確な判断を求められる。
その判断が、時に、生か死か、に直結し・・そして時に・・
「間違い」が起きる・・
では、いったいどうすればいいのか・・
懸命な治療をして、それでも
あってはならない間違いが起きてしまった時に、
そういう立場に立った時に、
医者として どうすることが最善の道なのか・・
その難しい命題を、誰もが真剣に考える、考えざるをえない、
そういう回だったように思います。
自分の担当の患者ではない伊達のことを考え、
婚約者・すず(ミムラ)の変調に気づかなかった佑太(草彅剛/草なぎ剛)。
すずに対して、婚約者としても医者としても向き合わなければならない
彼は、普通の人よりずっと重いものを背負わされている・・
100%の治癒を望む婚約者としての自分と、
それだけの治療をするのが難しいことを知っている医者としての自分と・・
これから、彼の中でどうバランスを取って行くのだろう、と思うと、
とても切ないし、
新見(斎藤工)や中島(鈴木浩介)の、
「権力」と「良心」の間で揺れ動く姿にもまた、
ナマの人間が医者をやっている、というリアルが深く伝わって来て、
何だか胸が痛いし。
そんな中で、沢村瑞希(水川あさみ)が、
このドラマすべての医者(佐伯も森下も含めた)の
「支柱」となっているような気がしたのは、私だけでしょうか。
彼女には、どこか、「医者としてのすべて」を内包しているような、
達観したところがあり、あらゆる感情や事情に呑み込まれない
傍観者のような距離感があるように感じられます。
主人公・佑太が揺らぎを示し、森下も正体が読めない今、
彼女がいることで、私は、
ようやく安心してこのドラマを観ることが出来ている・・
と、そんな気さえしています。
それにしても・・
この脚本の伏線の張り方は本当に見事です。
今回の佐伯教授の異変は、
ゴルフコンペの時の何気ない会話から読み取れたものだし、
森下(田辺誠一)の「夢のかけら」は、
早い段階で本人から佐伯に提示されているし。
もう一度最初から観直したら、
もっといろんな伏線が張られていることに気づくことが
出来るかもしれない。
森下は、自分のことを「佐伯教授の後継者」と言ったけれど、
いったい「何」の後継者なのか・・
それを読み解くヒントもまた、どこかに隠されているのでしょうか。
・・そう、たとえば、
おそらく彼女のサインを受け取った人たちしか観ていないであろう、
あの昔の人気TVドラマのDVD・・とかに・・・
俳優さんたちについて。
こんなふうに、すべての役に明確な存在理由が与えられているドラマは、
観ていて本当に面白い(見応えがある)のですが、
出演している俳優としても、相応の力量を持っていないと、
脚本に負けてしまう可能性があって。
中でも、この作品で一番難しい役をあてがわれているのは、
他でもない、主役・紺野佑太を演じている草彅剛さんではないか、と。
主人公の成長物語、とはいえ、佑太はすでに37歳。
若い下田のように、何事にもまっすぐにぶつかって行き、失敗し、
そこから学んで行く、というような、明解な道筋を取れないんですよね。
佐伯や森下の「大人の事情」も読めてしまうし、
なまじ医者であるせいで、
すずの病気に対して、家族としてストレートに
想いや願いを共有してやることも出来ない。
どんどんいろんなものを背負って寡黙になって行く佑太・・
そういう彼を、草彅さんは、‘作らずに’演じているように思います。
何だろうなぁ・・草彅さんって、演じることに無理をしていない、
って感じがするのですよね。
分からないことを無理に分かろうとしないで、
分からないまま演じている、って言ったらいいか。
なのに、ちゃんと「役」の中央に存在している・・不思議な人です。
斎藤工くんは、
『江』の時はあまり興味がなかったんだけど(すみませんw)
この新見を観ていて、惹かれるようになりました。
悪い人間を演じていても、
その俳優さんのキャラクターで いい人感が滲み出てしまう、
という人もいるけれど、
彼は、ちゃんと新見という人間の芯を掴んで、
自分の色味を抑えて演じている。そこがすごいなぁ、と。
新見は、悪いんじゃなくて弱い・・
そういうところが、彼が演じることによって、
ちゃんと伝わって来たように思います。
鈴木浩介さんも、惹かれた一人。
中島って、最初は単なる佐伯の腰ぎんちゃくだと思ったんですが、
鈴木さんが実に丁寧に演じているのを観て、
ひょっとしたら違うのかもしれない、と思い始めて。
そうしたら、回を追うごとに、
中島なりの医者としての姿勢、みたいなものが見えて来て、
これも単純な役じゃなかったんだ、と、気づかされて。
で、案外、教授が似合う人間になって行くのかなぁ・・などと、
つい、先々のストーリーを勝手に作ったりして。
さて、田辺誠一さん。
森下准教授を初回からずっと観て来て、
すっかり 素敵な大人の俳優さんになってしまったなぁ・・と感慨深し。
(彼よりずっと年上なので、上から目線はご容赦w)
これまでも、同じような感慨を持ったことはあったんですが、
こんなに「大人」だと思ったのは、初めてな気がします。
今までは、40代(の役)と言っても、どこかに30代の甘さとか青さとか
そういうものを感じてしまうことが多かったんですが、
この役からは、そういう未熟さみたいなものが一切感じられなくて・・
あえて、感情の幅を非常に狭(せば)めて演じていると思うのですが、
そんな難しい表現の中からも、きちんと響いて来るものはあって・・
今回私が一番好きだったのは、
教授会の日程が書かれたホワイトボードを見つめた時の、
ひんやりとした鋭い視線。
普通なら、そこに、
悪役としての何かしらの意味を持たせようとするのでしょうが、
田辺さん演じる森下の表情からは、
そういう‘いかにも’な作り物めいたものは感じられず、
でも、だからこそ「読めない怖さ」がある、とも思われて、
ゾクッとくるものがありました。
あと2回、悪としての本領を発揮しつつある(ように見える)森下を、
どんなふうに演じてくれるのか、が、
ますます楽しみになりました。
『37歳で医者になった僕』(第10話)感想
伊達(竜雷太)の死に責任を感じ、退職願を出した下田(八乙女光)は、
伊達の妻・由美恵(田島令子)に会い、
裁判で佐伯(松平健)の医療ミスを証言する、と言いますが、
「伊達を悼(いた)む気持ちを患者さんに向けて欲しい」と言われ、
病院に戻ることに。
このあたり、正直、もう一歩踏み込んで欲しい気がしましたが、
由美恵が、病院側にうまく丸めこまれて裁判を断念したのではなく、
自分の意思でそう決めた、と感じられたことが、
救いになっていたような気がします。
下田は、越えてはいけない、と言われていた「医者としての一線」を越え、
より、患者やその家族に近づこうとした・・
そのやり方が正しかったかどうかは別にして、
それって、佑太が医者としてやろうとしていたことでもあったのでは?
医者として病気に向き合う、ということは、
その病気を持つ人間の心(気持ち)にも向き合うこと・・・
病気を治療する、ということは、
患者の「身体」と「心」を受け容(い)れて、
一緒に、より良い道筋を見つけ出そうとすること・・・
このドラマの中で、紺野佑太(草彅剛/草なぎ剛)が、
医者であると同時に、重篤な患者の婚約者でもある、
という設定になっているのは、
その両方に より真剣に向き合わざるをえない、
そういう状況をあえて作りたかったからだ、という気がします。
佑太が、医者として すず(ミムラ)の身体を治そうとするだけでなく、
人として彼女の心に正面から向き合い、
その気持ちをすべて受け入れた時、
すずの声が自然に出るようになったシーンは、象徴的でした。
一方、学部長選は圧勝したものの、
佐伯が、実は膵ガンに侵されていることが判明。
そのことが、森下准教授(田辺誠一)の知るところとなり、
学部長選のお祝いを述べた彼は、
一瞬、ダークな表情を浮かべるのですが・・
うーん・・
私の思考は、ここでストップしてしまい、
前に進まなくなってしまいました。
森下のこの表情が意味するものは、いったい何なのか・・
ほんの一瞬立ち昇った(と私が感じた)「悪の香り」は、
佐伯の病気を知ったこの場面で本当に必要なものだったのか・・
それとも、それは私の勘違いで、
そこまでの深い意味合いを持たせていたわけではないのか・・
いや、もしかしたら、もっと大きな意味があるのか・・
再度観直しても、私の中で結論を出すことが出来ませんでした。
なので、そのあたりについては、
次回(第11話=最終回)を観てから改めて、ということにさせて下さい。
中途半端な感想ですみません。
『37歳で医者になった僕』(第11話=最終回)感想
先週、10話を観終わった段階では、
本当にあと一回ですべて納得出来るところまでまとめられるのかな・・
と、正直、ちょっと疑う気持ちもあったのですが、
それはまったくの杞憂(きゆう)でした。
もちろん、こんなにすべてのことが都合よく回収されて行くなんて、
現実には有り得ないことなのかもしれないけれど、
でも、このドラマが、一種のメルヘンであることを思うと、
この心地良さに素直に身を任せていいんじゃないか、という気がするし、
‘だからこそ’の草彅剛(草なぎ剛)だったんだよなぁ・・と、
おおいに納得もして。
本当に、草彅さんには、
人間の残酷さとか、生々しい業(ごう)とか欲とかを自然に吸収して、
メルヘンやファンタジーにしてしまう不思議な力がある、と思います。
けっして演技がうまいわけではないけれど(ファンの方ごめんなさい)
彼が出演する作品は、いつも、独特の清(すが)しい空気に包まれる・・
観ていて、後味の悪いものにはならないのですよね。
今回の役は、医者として、と、婚約者として、の二面性があり、
しかも、十分に描き切ってもらっていないところもあって、
非常に難しかったと思うのですが、
ドラマ全体としては、
「草彅剛がいてこそ生まれる空気感」がちゃんとあったように思うし、
その独特の空気感が好きな私としては、
最後まで興味深く観ることが出来た気がします。
また、今回は、
脚本・古家和尚さんにも惹かれました。
佑太とすず(ミムラ)の関係を、もうちょっと深く描いて欲しかった、
といううらみはありますが、
37歳で研修医になった佑太が、大学病院で波紋を広げて行く、
そのやり方に、年齢的な意味をきちんと反映させていて、
最初の頃こそ、KY(空気読めない)な上に無茶をして、
危なっかしかった彼ではあるけれど、
大学からすぐ研修医になった20代半ばでは持ちようのない、
患者や周囲の人間に向かう姿勢に大人としての視点があって、
だからこそ、
患者やその家族が、彼に心をゆだねてくれるようになって・・
周囲の人間も、いつのまにか じんわりと 彼の言動に感化されて行って・・
そのあたりの無理のない人物造形は、
古家×草彅だったからこそ、のようにも思います。
小道具の使い方も有効。
患者の子供がくれたキャンディを受け取った佑太と、
受け取らなかった新見(斎藤工)、
患者を追いかけてドアを飛び出して行った下田(八乙女光)と、
ドアの前で躊躇(ちゅうちょ)する佑太、
森下(田辺誠一)がいつも食べていた愛妻弁当と、
瑞希(水川あさみ)が初めて作った豪快な手作り弁当、
「ミラクルドクター治子」のDVD・・
ほんと、瑞希のお弁当は豪快だったなぁ!
あれを見て、ますます彼女が好きになりました。
あのお弁当には、瑞希の、
すず(ミムラ)への想い、佑太への想い、自分自身の夢への想い・・
いろんな想いが詰まってる。
缶詰入りの焦げ焦げ特大のお弁当を見ながら、
なんだか彼女がすごくいじらしく思えて、ホロリと泣けて・・
水川さんは、本当に売れっ子で、
たくさんのドラマや映画に出ているけれど、
少なくとも私が観た彼女の作品の中で、
こんなにも、強さと 優しさと たくましさと 脆(もろ)さと を、
多彩に見せてもらったのは、初めてだった気がする。
このドラマの中で、誰が一番好きだったか、と聞かれたら、
私は、迷わず「沢村瑞希」と答えるだろうな、と思います。
他の登場人物も、
それぞれ存在理由がきちんと描かれていて、しかも、単純ではなくて、
私は、どの役も好きになりました。
若い研修医ゆえの迷いや弱さに揺れた下田や谷口(桐山漣)・・
娘との距離を測りかねて悩むオトコマエな看護師長・相澤(真飛聖)・・
佑太と接することで、静かに自然に憎まれ役を解いていった新見・・
(斎藤工くんは今後も注目したい俳優さんになった)
ただの腰ぎんちゃくじゃない、案外使いでがあった中島(鈴木浩介)・・
(廊下で森下(田辺)と二人でかわす会話がすごく良かった)
透明度の高い美しい存在感で佑太を支えたすず・・
(ミムラさんが持つ空気感も とても好き)
そして、
ラスボスとしての重い存在感を示しながら、
どこかに、子供のような幼さや、老人のような達観した気持ちを抱き、
それゆえに最後まで憎み切れなかった佐伯(松平健)・・
そういう意味では、
本当のラスボスは、森下、と言ってもいいのかもしれない。
メルヘンタッチのこのドラマに、
前回、一瞬「ナマ臭いダークな一滴」を落としたのは彼で、
そんな黒・森下を演じていたのが田辺誠一さんである、というのは、
何だか私には、不思議な気分だった。
だって、今まで、草彅さんと共演した作品すべてにおいて、
田辺さんは、草彅さんと同じ側・・
つまり、常に、メルヘンの側、ファンタジーの側、に居る人だったから・・
たとえ一瞬にせよ、病人を前にして、あの表情をした時点で、
彼は、医者としての道に悖(もと)ったことになる・・
だけど、だからこそ、佑太が、森下に対して、
「目の前に居る患者を助けようと思わない時点で、
森下先生も、佐伯先生と変わりないと思います!」と、
鋭く斬り込むことにもなったわけで・・
だとすれば、あの一瞬間に表現されたものは、
森下を演ずる人間によって、正確に図(はか)られたものだったのだ、
とも言えるわけで・・
そこまで徹底的に「大人」にならなくてもいいのに・・と、
正直、ちょっと複雑な思いもして。
(いまだに引っ掛かりを感じている厄介な自分・・苦笑)
それでも・・
田辺さんが、このドラマで、そういう求められ方をしたことに対しては、
やはり、すごく嬉しかった。
森下という役は、すべてを内包していなければ出来ない役。
確かに佐伯が言う通り、
「理想が高い分、冷酷」なのかもしれないけれど、
正義だけではない、悪だけでもない・・
「ミラクルドクター治子」を観て医者を志して、
毎日愛妻弁当を食べているかと思えば、
佐伯の学部長選にあたっては、敵方を震撼させるほど暗躍し、
(おそらく、伊達(竜雷太)の件を示談に持ち込んだのも彼だと思う)
佐伯に「頭のいい人間はやることが早い」と言わしめ、
自分が思い描く理想の医療を一刻も早く実現させるべく、
ひたひたと佐伯や佑太を追い詰める一方で、
担当であるすずの治療に関しては、しっかりとこなし、
そして最後には、
佑太の一言によって、まい進して来た自らの歩みを緩める、という・・
そういう多面性を身内に自然に内在させている男を、
単純に一色に染めることなく淡々と演じて、
しかも、観る人間を十分に納得させる、
その難しさと面白さが、この役にはあったように思うから。
田辺さんは、この役によって、
30代の最後のカラを捨て、完璧に40代の俳優にステップアップした、
と言ってもいいかもしれない。
ファンとしての欲目が多少入っているかもしれないし、
そうなったらなったで、若干寂しい気持ちがしないでもないけれど。
まぁ、田辺誠一という俳優さんは、
森下以上に、青臭さを身内にちゃんと残している人だろうと思うのでw、
今後も、役を柔軟に捉えて、軽々と跳躍してくれる、
(求められれば中二レベルまでもw)と、信じておりますが。
――閑話休題。
ドラマ終盤、
出来ることなら、まっすぐに突き進もうとする佑太と、
突き崩すことが容易ではない真の大人である森下との対峙(たいじ)を、
もう少し時間をかけて描いて欲しかった気もしますが・・
すずの死さえもゆるやかに浄化されて行き、
それぞれがそれぞれの「前への一歩」を踏み出して行く、
穏やかで見事な大団円のラストを観ると、
そこまで望むのは贅沢なのかな、という気もしました。
そして、願わくば、
「ミラクルドクター治子」のように、
このドラマを観て、医者を志す人が増えてくれれば嬉しい・・
そんなことも思いました。
演出:三宅喜重