『ジーン・ワルツ』(映画試写会)感想【ネタバレあり】

ジーン・ワルツ(映画試写会)感想 【ネタバレあり】
初めにお断りしておきますが、
私はまだ、この映画の全体の流れを把握しきれていないし、
咀嚼(そしゃく)しきれていません。
大事な台詞をいくつか聞き流してしまったんじゃないか、
というジレンマもあり、
さらに、どう受け取っていいか分からない、
という不確かな部分もあった上での感想なので、
非常に偏(かたよ)ったものになってしまっています。
あくまで、こんな観方をする人もいるのか〜ぐらいの、
軽い気持ちで読んでいただけると、助かります。


    ↓


この映画はミステリーではありません。
また、産科医療のさまざまな問題にメスを入れる、というほどの
シャープさもありません。


精一杯の治療を医療ミスとされ、逮捕された三枝久広(大森南朋)、
久広の母で、末期ガンの茉莉亜(浅丘るり子)、
無脳症の子を身ごもった甘利みね子(白石美帆)と夫(音尾琢真)、
不妊治療の後、人工授精で妊娠する荒木浩子(南果歩)と夫(大杉蓮)、
シングルマザーの青井ユミ(桐谷美玲)、
代理母として人工授精し、高齢出産する山咲みどり(風吹ジュン)・・
それぞれの描かれ方があまりにも浅く、
ひとりひとりが背負った問題も、それをどう乗り切って行くのかも、
しっかりと描かれていないので、
ただエピソードを繋げただけになってしまっているように思えて、
正直、私としては、誰にも深く感情移入することが出来ませんでした。
(甘利夫妻に心動かされるものはあったけれども)


私は、原作の最初と最後をパラパラッと流し見た程度ですが、
その程度でも、ラストには、
曽根崎理恵が産科医療の問題点にスッパリと切り込んで、
一気に切り拓こうとする爽快感が十分に伝わって来た、
非常にしっかりと描かれた小説だった、という印象があります。


しかし、映画の理恵(菅野美穂)には、
そこまでの強い志(こころざし)が感じられなかったし、
清川吾郎(田辺誠一)が体制の内側から、理恵が外側から変革する、という
その「変革」とは何なのか、
それを実現するために、ふたりが具体的にどう行動しようとするのか、
が、何も描かれていないもどかしさがあったのですよね、
ただひたすら「変える」という言葉だけが繰り返されるばかりで。


終盤まで観て行くうちに、
私は何だか暗澹(あんたん)たる気持ちになっていました。
なぜ、大谷健太郎監督は、原作が提示しているさまざまな問題に、
もっと思い切って踏み込んで行かなかったんだろう・・
なぜ、女性たちの周りで、ただうろうろと行ったり来たりするような、
及び腰の、歯ごたえのない、こんな映画を作ったんだろう・・
原作が持つもっとも大切な(貴重な)テーマに踏み込まず、
ただ「赤ちゃんが生まれるのは奇跡」という、
ほのぼのとしたハートウォーミングな映画を作りたいだけなら、
この原作を使う必要はなかったんじゃないのか、と。


そう思いながら、ラスト近くになって、
ただふたり、ずっと対峙する理恵と清川を観ているうちに・・


この映画で、ひとつ救いがあるとすれば、
理恵だけが勝利する物語になっていなかったことだなぁ、と、
そんなことを考えるようになって・・


「医療ミステリー」「クールウィッチの大胆な計画」「禁断のキス」・・
(あお)るような宣伝フレーズと、
一人主演の形で菅野さんだけが大きくクローズアップされているポスターと。
理恵が勝者だとしたら、敗者は清川に他ならない。
原作では、そこのところは微妙に回避出来ていたように思うけれども、
映画では、理恵が安易な勝者になってしまうのではないか、
と、一抹の不安を感じてもいたので、
ラスト近くの手術シーンと、そこから先の理恵と清川の言葉や表情に、
ようやく少し救われた気持ちにもなって。


清川は最後まで理恵を支え、護る覚悟を決めている。
勝敗をつけなければならないなら、確かに清川は敗者だろうけれど、
勝者に負けない強さと意志を持って、あえて敗者になったようにも思えて・・
それだけは、救いになったような気がして・・


映画を観終わって、感想をどう書いたらいいのか、
ずっと迷い続けていたのだけれど・・
理恵と清川の関係をず〜っと考え続けていて・・
何度も何度も理恵と清川のやりとりを思い出して・・


・・ふと、
あるいは大谷監督は、
自分の命をかけて妊娠・出産するパートナーに対して
何も出来ない男の、無力感と、ふがいなさと、情けなさと、
それでも、愛するその人や子供に自分が出来ることは何なのか・・
を懸命に考える、そんな、男の側からの話を描こうとしたんじゃないか、
ということに思い至り・・


種を宿し、胎内でちゃんとした赤ちゃんになるまで育て、出産する、
それまでの間に、男として出来ることは、
遺伝子の提供だけなんだろうか・・
何か他に出来ることはないんだろうか・・と思った時に、
パートナーをひたすら愛し、いたわり、護り、支え、
手を握り、背中をさすり、愛しているよ、とつぶやく・・
10ヶ月、小さな命を護って綱渡りを続けるパートナーに対して、
男が出来ることは本当に微々たるものでしかないんだけど、
だけど、それこそが大事で、
彼女たちはそれこそを望んでいるんじゃないか・・と・・


・・・最初に書いたように、これは、私個人の偏った観方で、
だから、この感想は、映画の目指したものとは、まったく違う、
とんちんかんなものなのかもしれないけれど・・
だから、これから書くことも、
とんでもない勘違いをしているかもしれないけれど・・(苦笑)


改めて原作のあらすじを読んでみて、
この映画が、(おそらく故意に)原作と違う描き方をした部分に気づいて、
たぶんそれが、大谷監督がこの映画を通じて伝えたかった
大事なことのひとつなんじゃないか、という気もして・・


理恵の起こした行動は、やり方はどうであれ、
愛する人の子供が欲しい」と、純粋にそう願った上のことであり、
遺伝子を意のままに操ろうと「企(くわだ)て」たものではなく、
「たくらみ」や「操作」でもなく、
すべてが純粋で一途な「愛」ゆえの行為であり・・


それを悟った清川は、
愛する人を、持てる力すべてで支えようと決意する・・


そこに、すべてのエピソードが集約されて行く――


結局、(原作はともあれ)この映画は、
理恵と清川、ふたりの物語なのではないか、と・・
理恵と清川、互いが互いに対して抱いた、切ない愛のドラマ
なのではないか、と・・


もしかしたら、それは、
原作が描いたふたりとは違っているかもしれないけれど、
でも、ひょっとしたら、監督は、彼らをこう描くことで、
原作とは少し違った道筋を、ふたりに与えようとしたんじゃないか・・
そんなふうに感じる私がいました。


そう思わせてくれる空気感を作ってくれたのが、
菅野さんと田辺さんだったのは、言うまでもありません・・が・・


ここまで書くだけでやっと、という疲労困憊の状態(苦笑)なので、
ふたりについて感じたことは、また改めて、
ということにさせて下さい。


映画全体については、
もう一度、ちゃんと観て確かめたいことがいくつかあるので、
再見の後に、もうちょっと踏み込んだ感想が書ければ・・と思います。


(2/2 郡山テアトルにて)


『ジーン・ワルツ』感想その2