田辺誠一の清川吾郎(ジーン・ワルツ)

まだまだ『ジーン・ワルツ田辺誠一の清川吾郎
TAROの塔』の記者会見やら、『どんど晴れSP』出演やら、
ウーマンリブ』写真撮影やら、『ケロロ軍曹』やら、
最近の田辺周辺、実に賑やかなのですが、
私は、先日三度目の『ジーン・ワルツ』を清川吾郎中心に観て、
何だかモヤモヤしたものが芽生えてしまいまして・・(苦笑)
で、ちょっとそのあたりを掘り下げてみようかな、と。


以下、いつにも増して妄想度の強い文章になってます。特に田辺さんのファンの皆様、寛大な心で読んでいただければ幸いです。


田辺誠一さん演じる清川吾郎が、
深みのあるかっこいい大人の男に見えないことについての一考察】

(え〜・・確認しておきますが、言うまでもなく、私は田辺さんのファンですw)

前2回観た時も、
決して清川をかっこいいとは思わなかったのですが・・。
ただ、主人公の理恵(菅野美穂)と対(つい)になる重要な役だったし、
大学病院の準教授だし、医者だし、
見た目が私の好みなのは確かだったのでw
これほどモヤモヤした気持ちにはならなかったんですが、
今回、清川を重点的に追いかけて観ていたら、
何だかあれこれ引っ掛かってしまって。


特に前半の、清川の理恵に対する話し方、
いつもより語尾が微妙に高くなっているのが気になりました。
浮遊感があって、何となく聞いていて落ち着かない気分。
理恵に対してだけ そういう言い方をしているのですが、
情感が十分にこもっていない、というか、
感情がすっきりと伝わって来ない、というか・・。


確かに、持って生まれた「人の良さ」みたいなものは感じるし、
優秀で、ちゃんと上司からも認められている、とか、
プライドもあり、実際に力もある、というあたりは
ちゃんと出てると思うんだけど、
一方で、どこか青臭いところや、うぬぼれているところ、
肝心なものから逃げているところも、見え隠れしているようで・・
能力や才能としてではなく、
人間として、しっかりと成熟した大人になりきれていない、
不完全で、どこかに甘いところがあるような・・。


全体的に台詞も軽くて、
前述の語尾を上げた話し方のせいもあるのか、
心のこもらない棒読みにも聞こえ、
そんなこんな・・で、前2回で感じたほどには、
清川にしっかりした芯が通っていないんじゃないか、
という思いに囚(とら)われるようになり・・。

そのあたりでつまづくと、(今回の私のように)
清川@田辺がかっこいい、とは まったく思えなくなるので、
観ていて拒否反応が出た人もいたんじゃないか、という気がしました。


以前なら、その時点で相当不安になったと思うんだけど・・
いや、事実今回も、清川をそういう男にしてしまっていいのか、
という疑問を持ったのは確かなんだけど・・

もし、清川が、本当に、
強くて、正しくて、芯がしっかりした魅力ある大人の男なら、
田辺さんは、こういう演じ方はしない・・と思う。

ひょっとしたら、この、浮いたような台詞の言い方・・
心を晒(さら)していない感じ・・
田辺さんは、あえて、そういうふうに演じていたのではないか、と。


試写会の感想で、清川を「敗者ゆえの強さ」と書いたけど、
今回は、田辺さんが演じている清川に、
そんな「敗者の美学」みたいなものは、あまり感じられませんでした。
ずーっと敗者のかっこ悪さの中にいて、
最後にようやく少しそこから抜け出す気配が感じられる、といった程度。

清川の、「立場」としての理恵との接し方、というのは、
はっきりしてるんだけど、
人間と人間・・あるいは、男と女・・として対した時に、
思い切って理恵の心に踏み込んで行こうとしていない・・
ギリギリまで理恵に救いの手を出しかねている・・といった、
揺らぎがあったように見えました。


もしかしたら理恵は、そんな清川を、
(少なくとも最初は)頼るに足る人間とは思っていなかった・・?
だから、彼に何の相談もなく、
すべて自分だけの意思で決めてしまった・・?
いやいや、それにしたって、
そこまで清川を突っぱねなくてもいいだろう、
なんでそんなに清川に甘えられないんだよ、とは思うけれど。


(菅野さん演じる)理恵と、(田辺さん演じる)清川には、
それぞれに人間として弱いところがある・・
どこか臆病な感じがします。
理恵は、自分の本音を表に出してぶつけて行かないし、
清川は、理恵のすべてを受け止める覚悟が出来ていない・・
そして、お互いがお互いのそういう弱さ(臆病さ)に、
あまりいい感情を持っていないようにも見える。
(自分が持っているものであるがゆえに?)


清川が理恵のことを心配するのは、
純粋に彼女のため、という感情もあるはずなのに、
彼の中にある臆病さが、そういう気持ちを覆ってしまっているから、
自分の立場しか考えていないように見えてしまう。
逆もまたしかり。


菅野さんも、田辺さんも、そのあたりを、
あえて演技上の感情を制限して淡々と演じているように思えるし、
そういう演じ方をすることで生じたであろう(と思われる)
臆病さゆえに踏み込めない お互いへの微妙な距離感が、
逆に、私には、すごくリアルに感じられる気がしました。


理恵と関係を持っても、
彼女に対して「好きで好きでたまらない」というような、
まっすぐな愛情や、それ以外の深い感情は、
田辺さんの清川からは あまり強く感じられない。

では、それが‘純粋な愛情’ではないのか、というと、
そうではないのだろう、と思うのです。
清川は、自分が本来心の奥に持っている「熱さ」に、
ちゃんと向き合っていなかったんじゃないだろうか。


だけど、「好きな人の子か・・?」という清川の問いに、
「・・もちろんです」と答えた理恵の本気が、
彼の中に潜んでいた「熱いもの」を揺り動かし始める・・
そう、動かし始めたばかり・・なんですよね、ようやく。

手っ取り早く言うと、
「まだまだ父親の覚悟が出来てねー」ですw。
清川、いいかげん大人になれよ、っていうお話だったのかも。
そして、理恵、いいかげん清川の奥に潜んでいるものに気づけよ、
っていうお話だったのかも。


でも、そういう見方でもいいのかな、という気もするのです。
清川と理恵・・父親と母親になりたての、まだ未熟な、
これから子供を介して成長して行くだろう、男と女のお話・・
と取ってもいいのかな、と。



他の俳優さんが清川を演じたら・・
こんなに漂(ただよ)っている感じにはならなかったと思う。
一見浮(うわ)ついているようでも、
ちゃんと男として魅力ある役に見えるように、演じてくれただろうと思う。


でも、田辺さんは違う。
弱さとか、ずるさとか、どこかしっかり収まっていない浮遊感だとか、が、
演じている田辺さん自身が持っているもののように感じられるので、
役自体に揺らぎや不安感があると、
田辺さん自体もそういう人に見られてしまうことが多い。


そこに、田辺さんが、他の俳優さんのように、
誰からもすんなりとは好きな俳優として受け入れてもらえない、
(本人も、そういう形で受け入れてもらおうとは思っていない?)
ひとつの理由があるような気がします。
そのあたり、ファンとしての歯がゆさを感じるとともに、
奥深い面白さも感じるんだけれども・・w。


終盤、理恵との関係にじんわりと血が通って行くところもいいけれど、
院長とのやりとりも、とてもいいです。
特に、「すみません」と深々と頭をさげるところ。
あのシーンで、一気に清川の背景が見えて来た気がしました。
立場上、さまざまな問題に立ち向かってはいたけれど、
一方で、清川は逃げて(踏み込むのを恐れて)いたんだと思う、
一番肝心な「命を尊く感じること」や「人の心の痛み」から。


最後の院長との会話や、赤ちゃんを抱く姿・・
「自分が扱っているのは人の生命(いのち)なのだ」と、
じんわりと自分の中に染み込ませて行ってるような、
優しい声音や、仕草や、やわらかな表情に・・
(前半におそらく田辺さんがあえて仕掛けたのであろう)
「決してかっこよくない清川吾郎」に対する
私の中の心地悪い違和感が、
ようやく解(ほど)けて行くような気がしました。