『ヤマトナデシコ七変化』(第6話)感想

ヤマトナデシコ七変化』(第6話)感想
う〜ん・・う〜ん・・
確かに楽しいんだけど、面白いんだけど、何かが足りない・・
みんなかっこいいし、いい雰囲気だし、キャラも立ってるんだけど、
スパイスが効いていない、というか、どこか物足りなくて もったいない・・
・・・いや、それは、実は最初から感じていたことなんだけど。


何だろう、って、ずっと考えてて、ふと思った、
足りないのは、たぶん、恭平たち4人それぞれの「切実さ」なんじゃないか。
(あ、蘭丸は別だけどね、そういうのを超越してるキャラだからw)


いや、全員シリアスなキャラにしろ、って言ってるんじゃなくて、ね。
いくらマンガ原作だとは言っても、感情に深みがないと、
キャラとしての奥行きが感じられなくなってしまう・・
フォーカス(焦点)が絞れていない感じがしてしまうんですよね。


もちろん、設定自体、超マンガチックで、ありえない話なわけだから、
そこにリアリティを入れ込むのは、難しいかもしれないんだけど、
でも、「人」をしっかり描かないと「ドラマ」にならない、
ただ表情や仕草をかっこよく見せるだけなら、
プロモーションビデオでいいじゃないか、と思ってしまう。


役の魅力(深み)を引き出すためのプロフィールを、
企画段階で、きっちりと捉え切っていないせいなのかどうか、
4人の、役としての軸が、まだ弱い気がする。
演じ手の魅力だけで役が成り立っているように思われて、
役自体が持つ背景とか、陰影とか、奥深さとか・・
全体的なドラマチックさ、みたいなものが、身に迫って来なくて、
どこか絵空事でしかなくなってしまってる気がする。


今回、恭平の背景とか武長の背景とかが描かれていたけれど、
あと一歩二歩、彼らの内面にあるはずの影に、踏み込めなかったものか、
もう6話なんだし。


4人(恭平・亀梨和也/雪之丞・手越祐也/武長・内博貴
蘭丸・宮尾俊太郎)とも、輪郭は、すごく魅力的に出来上がっているし、
惹かれる部分も多い。でも、その輪郭の魅力に、
中身(役の上での人間としての魅力)が伴っていない・・
寂しい、嬉しい、哀しい、楽しい、のウラにあるはずの、
役が持つ感情の微妙な揺れを、表現しきれていない・・と言うか、
そもそも、そこまで求められていないように感じられて、
それが、すごく残念だなぁ、と。


今回の武長の話は、ありきたりではあるけど、決して悪くなかった。
武長が、どうして突然家に戻る決心をしたのか、も、納得出来た。
それでも・・

私は、恭平と武長に、本気で喧嘩をして欲しかった。
自分がひとりぼっちになるのが寂しいから、ってだけじゃなく、
武長の本当の気持ちを考えて、「戻って来い!」と訴える恭平と、
そんな恭平の気持ちを嬉しく思いながらも、
家のために自分の本心を封じ込めてしまおうとする武長が、
ガチで激しく自分の想いをぶつけ合ってこそ、
その後の和解=友情のさらなる深まり、が、生まれるんじゃないのか、と。
ふたりの本音のぶつかり合いが、あの楽しげな水遊び(に私には見えた)じゃ
あんまり弱過ぎるだろう!と思うのですよ。
そのあたり、どうも、ぬるい気がしました。


若い演じ手たちは、求められれば、もっともっと出来る気がする。
外見の魅力だけを武器にして役をやりこなすんじゃなく、
悩んで苦しんで役作りをする、
彼らをそこまで追い詰めて欲しいです、周りの大人たち(制作陣)が。

ドラマの中の4人の人間としての奥行きが、
今後さらに増して行くことを楽しみにしつつ、今回は、あえて苦言。 
生意気な暴言の数々、多謝!