栗本薫、逝く。

栗本薫、逝く。
27日夜、報道ステーションで、訃報を聞いた。
不思議と驚かなかったし、その死を悼んで泣くこともなかった。

最近の栗本薫に関して、私は何も書く材料を持たない。
もはや彼女は、私にとって、
「時代を共有してくれる作家」ではなくなってしまっている。
そのことを、悲しいとも辛いとも悔しいとも思わない。

 

彼女は、最後まで、自分の小説を、
いい意味でも悪い意味でも、同人誌の感覚で書いていたように思う。

自分の大好きな世界を、好き勝手に書き連ね、
それを世間に晒(さら)して、どう評価されるか知りたかった。
本にして販売してみたくなった。

 

ただ、その初期の作品群があまりにも面白かったために、
商業ベースに乗せられてしまい、
同人誌のワクに収まり切れなくなったことが、彼女の不幸であった、
とは言えるかもしれない。

 

いいものも悪いものもひっくるめた玉石混淆(ぎょくせきこんこう)の作品群は、
勝手に自由に一人歩きするようになった登場人物たちのキャラの魅力と、
彼らを生み出した「栗本薫」という作家の名前の力で売れ続け・・
やがて、次第に尻すぼみになって行く世間の評価の中で、
それでもひたすら、彼女は書き続けた。

 

それを、才能の枯渇と言うのは容易(たやす)い。
稀代の多作小説家も、さすがに文章力が廃(すた)れてしまったのか、と。

だけど、私は、そうまでして書き続け、また書き続けた彼女の、
「同人誌作家」としての満たされない渇望と夢とを、
(わら)ったり、貶(おとし)めて見たりすることは出来ない。

いつまでも大人にならない、さらけ出された弱さや甘さや痛さ・・
子供ゆえの、いきがり や はったり・・
そこには、「出来上がってしまったもの」に対する疑問や反発が潜んでいる。

彼女は、あえて「安定」を求めなかった。
「分別ある大人」になることを、かたくなに拒(こば)んだ。
「未熟な若者」であり続けることを・・望んだ。

 

グインサーガ』は、126巻という未曾有の長さを書き連ねながら、
ついに完結することなく幕を閉じる。
グインだけでなく、彼女の小説は、何と未完が多いことか。

しかし、そのことさえも、
『ぼくを探しに』(シルヴァスタイン作)のように欠けたものを追い求めつつ、
たくさんの「やりたいこと」を残したまま、未完成のまま、
じたばたと生きることに執着しながら、突っ走りつつ死んだ、
最期まで書き続けることに執着しながら、前のめりに死んでしまった、
栗本薫らしい、と、
そんなふうに思えてならない。

 

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栗本薫さんのこと。

私が最初に彼女の言葉(文章)と出逢ったのは・・いつだったでしょうか。
デビュー作『ぼくらの時代』(1978年)だったか、
偶然買った同人誌の、少女まんがに関する評論(中島梓名義)だったか、
あるいは、雑誌か何かでの、沢田研二に関するインタビュー
だったでしょうか。

 

その頃、私は、もう同人誌を作り始めていたか・・
初期のコミケットコミックマーケット)に参加していたか・・
いずれにしても、『ぼくらの時代』の背景として描かれたものや、
少女まんが、特に「花の24年組」に対する造詣に対して、
非常に惹かれたのを覚えています。

 

しかし、何と言っても、
私の中で、栗本薫中島梓)がくっきりと心に刻み付けられたのは、
沢田研二の熱烈なファンであった彼女が、
数々の場面でジュリーを語り、書く、その言葉(文章)の魅惑的な色彩に、
おおいに酔わされたからに違いありません。

 

彼女の中に存在する沢田研二は、
悪魔のようなあいつ』の主人公・可門良そのもの
であったような気がします。
沢田研二に魅入られた数々の才能ある人たち・・
久世光彦や、阿久悠や、長谷川和彦、といった時代の寵児たちが、
沢田研二本人の魅力だけでなく、
沢田研二」という名前が背負っている「時代の空気」まで描こうとした
このドラマは、
決してその もくろみ が成功した、とは言いがたいのだけれど、
少なくとも、栗本薫というジュリー大好きの作家によって、
『真夜中の天使』や『翼あるもの』等々の、
退廃的で痛々しい、時代の一断面を印画紙に焼きつけたような作品が
生み出されるきっかけとなった、とは言えると思います。

 

この二つの作品を読んだ時の衝撃は、非常に大きかった。
自分が見て来たもの、感じていたこと、と同じようなことを見て、感じて、
しかも、その時の空気の匂いのようなものまで、
的確に、魅惑的に、文章に出来る人がいる、という驚き。

この時から、私にとっての栗本薫は、
沢田研二も、少女まんがも、小説も、メディア理論も、その他のカルチャーも、
全部ひっくるめて、「自分と時代を共有してくれる作家」となりました。
もちろん、私の勝手な、一方的な思い入れに他ならなかったけれど。

 

それにしても・・・
『ぼくらの時代』シリーズ
『豹頭の仮面』(グインサーガ)シリーズ
『弦の聖域』(伊集院大介)シリーズ
『魔界水滸伝』シリーズ
これら、栗本薫の名を世間に知らしめた主な代表作の記念すべき第1巻が、
すべてデビューしてわずか3年の間に出版され、
しかし、そのどれもが、初期の勢いや魅力を継続出来ず、
さらに、30年余の作家生活の中で、
ついにこれら以上の評価を得る作品を上梓出来なかったことを考えると、
栗本薫という作家は、結局、
デビュー直後の数年間が最も充実していたのかなぁ、と、
そんなことを思ったりします。

 

いずれにしても、遠い感慨になってしまいました。
そういう距離になってしまったことが、少しだけ残念です。