明日の記憶(talk)

2006・5公開
★このトークは、あくまで、翔と夢の主観・私見によるものです。


夢:翔は、病気の映画というのがあまり好きじゃないよね。
翔:・・そう・・だね。
夢:『解夏』とか『半落ち』とか、比較的評判の良かった作品でも、拒否反応が出てたものね。
翔:病気を扱った映画やドラマって、どこか綺麗事だったり、お涙頂戴だったり、どうしても「作り物」めいてしまってる感じがして・・現実はもっと違うだろう!という想いが強くて・・・
夢:うんうん。
翔:まぁ、それは、私自身、自分の父親が亡くなるまでの様子を傍(はた)で見ていて、この人の中にどれだけの無念や悔しさが渦巻いているんだろう、と、ずっと考え続けていたことが、大きな要因になっているとは思うけど。
夢:・・・・・・・・
翔:私の父のように、病気に侵され、やがて病気に屈して行く人間の「悔しさ」だとか「無念」って、誰にでもあると思う。 
だけど、たとえば『半落ち』だったら、息子の記憶が次第に薄れて行く切なさ、とか、『解夏』だったら、眼が見えなくなって行く辛さ、とか、そういうものが、実際にその病に侵された人間のナマの痛みの感覚じゃなく、周囲の人間の視線から語られているような気がして。
夢:周囲の・・・?
翔:そう。 病気になってしまった人間の芯にある「不安」とか「恐怖」というのを、どこか、外から見ている感覚なんだよね。
夢:外から・・・?
翔:結局、病気になった人間の本当の苦しみというのは、実際になった人にしか分からない。
夢:うん。
翔:その「実際になった人にしか分からない苦しみ」を、どうにかして映像化しようとした時に、まるで観ている自分も同じ病気になってしまったような感覚になる作品というのは、実際には、ドキュメンタリーでもなければ滅多にない。 
夢:う・・ん。
翔:そこまで突き詰めてしまうと、重くて暗くて、映画(ドラマ)として商品にならない、ということが大きいんだろうと思うけど。 
 でも、『解夏』や『半落ち』は、それでも かなり出来の良い方だったと思う。 中には、ひたすら病気を美化して、観客(視聴者)を無理に泣かせようとしている作品も多かったりするから。 特にTVドラマにその傾向が強いように思うけど。 ・・・どう考えても、病気になることや死ぬことが美しいはずはないんだけどね、本人にしてみたら.
夢:うーん、そのあたりは、かなり深い意味を持ってる気がするけど・・・。 まぁ、視聴者の好みとか視聴率とかを絡めれば、どうしても描き切れない部分は出て来るんだろうけどね。 実際、観る側からしたら、病気の苦しみをリアルに見せられたら辛いだけだから、そういうものをドラマで観ようとは思わない、という気持ちも、正直あるし。
翔:・・・・・確かに。
夢:でも、この作品は、そうじゃなかった、ということだよね、翔にしてみれば。
翔:そうだね。 こんなに病気になることの切なさや痛みがきっちりと伝わって来る作品は滅多にないように思うから。
働き盛りの49歳の男が、病気(アルツハイマー)によって働く場を奪われる、しかも、仕事そのものの能力が奪われて行く・・・ あれだけ打ち込んで来た仕事に対して、体力的な部分でなく、能力的な部分で力が削がれて行く・・・ その苦しさや辛さの根本のところ、芯の部分って、到底私たちには想像がつかない。 その想像がつかない部分を何とかして視覚化(映像化)しようとしたのが、この映画なんじゃないか、と。
夢:うん。
翔:まぁ、ケレンに過ぎた、という人もいたけどね。 演出の手法として、佐伯(渡辺謙)の周りの景色がグルグル回るとか、同じ人間(坂口憲二)が何人も並んで出て来るとか、画面が歪むとか、堤幸彦監督ということもあって、そのあたり、かなり作為的でもあったから。
夢:・・・・・・・・
翔:だけど、それこそ、この映画がドキュメンタリーじゃなくて、エンタティンメントであり、視聴者の興味を惹く作り方になっていた部分でもあったんじゃないか、と。
「病気の‘不安’や‘辛さ’の視覚化」 という、すごく難しいことにチャレンジして、成功した、めずらしい映画なんじゃないか、そういう意味では、この映画の監督に堤さんを持って来た渡辺謙プロデューサーの見識というのは、すごいなぁ、と、素直にそう思った。
夢:う~ん・・なるほどねぇ・・・
★    ★    ★
夢:今の翔の話を聞いていて、ひとつ引っ掛かることがあったんだけど。
翔:うん?
夢:病気をよりリアルに、という方向で映画を捉えると、アルツハイマーの苦しみはあんなもんじゃない、それこそ この映画は綺麗事だ、という人も多かったよね。 
翔:そうだね。
夢:ラストが綺麗過ぎる、という人も多かったし。
翔:・・・この映画は、あくまで病気を抱えた人間の視点から描かれているんだよ。 だから、たとえば看病する側の妻(樋口可南子)の本当の苦しみには突っ込んで行っていない。でもそれは、あえてそうしている、と思うんだよね。
夢:うーん・・・
翔:佐伯のように、仕事一途だった人間にとって、病気になったことでの一番の不安は、「自分のやるべき事」 がどんどん奪われてしまうこと、「自分らしさ」がどんどんスポイルされて行くこと、だと思う。 それは、ひょっとしたら、自分の病気がどんな症状で、どんなふうに進行して行くのか、というよりも、彼にとっては重大な問題なんじゃないか、と。
夢:それは、要するに、看病する人間側を重要視していない、ってことだよね。
翔:いやいや、そうじゃなくて、たまたま この映画では、そこが重要なポイントじゃなかった、ってことなんじゃないかなぁ。
 渡辺さんも、堤さんも、まさに佐伯世代で。 自分が同じような病気になるということもありえる、という可能性の中で、自分がそういう場面に直面したらどうするだろう、どうすればいいんだろう、という、一種「切実な空想」から生まれた作品なんだと思う。  
夢:切実な空想・・かぁ・・・・
翔:私はむしろ、佐伯の病気と入れ替わるように奥さんが働き出す、そういう彼女が、すごく生き生きしているように見えて、「やるべき事」を持った奥さんに嫉妬する佐伯が、ものすごく哀れに見えたんだけどね。 実は、自分もそうやって、いや、もっと徹底的に家族を置いてけぼりにして来たのに、いざ自分が逆の立場になってみると、ものすごく淋しかったりもして・・・
夢:うん。
翔:でも、そういうことがあって初めて、彼は、ようやく、気づいたんじゃないか、と、「家族」という存在のありがたみに。
夢:うーん・・・
翔:だから、失われて行くものと並行して、彼の中に生まれて来たものもあったんじゃないか、と思うんだけどね。・・・まぁ、ちょっと話が逸れてしまったけど。
夢:・・・・・・・・
翔:話を戻すと、渡辺さんや堤さんが描きたかったものって、結局は、病気によって自分の「仕事」を突然奪われるかもしれない恐怖と、追い詰められてもなお仕事に縋(すが)りつこうとする、佐伯の、あわれで滑稽な姿そのもの、だったんじゃないか、と。
だから、本当はこの映画のクライマックス(思い出の森で実枝子が佐伯を見つける)から、実枝子の看病人としての本当の苦しみが始まる、と言っていいのかもしれないけど、そこはあえて削ってあるんだろうな、と。 だって、あくまで佐伯視点で考えれば、病気に支配されてしまった後、というのは、すごく穏やかで静かなものでしかないかもしれないんだから。
夢:・・・うーん・・そうかぁ・・・
翔:佐伯側(である渡辺さんや堤さん)からしたら、あの、あまりにも穏やかなラストというのは、一種の理想だったのかもしれない。 そこに至るまで、さんざん苦しんだ佐伯だから、せめて病気に支配されてしまった後には、穏やかな時間が流れて欲しい、周囲の人間に対して、優しく受け入れて欲しい、という密やかで臆病な願望が入っているから、どうしても美しく描いてしまったんじゃないか、という気もするけどね。
★    ★    ★
夢:登場人物について。 
翔:これはもう 渡辺謙さんありき、の映画。 とにかく、映画全体を引っ張って行く牽引力がすごい。 観ている側としては、安心して謙さんに身を委(ゆだ)ねていればいい、という、すごく居心地のいい作品だった。 奥さん役の樋口可南子さんも、そういう謙さんに負けてない、しなやかな存在感があって、この二人で、映画の魅力のかなりの部分を担っていたように思われた。
夢:うんうん。
翔:あと、今回改めて、河村役の香川照之さんの上手さに降参しました。(笑)
夢:降参!(笑)
翔:今回、香川さんを観ていて、何となく、肝に力を入れて演じてる、って感じがしなかった。
夢:肝に力を・・?
翔:そう。 何と言うか・・あえて芯を持たないで、風呂敷をブワッと広げて、佐伯(渡辺)の行動や感情をふわっと包み込むように受け止めようとしている、と言ったらいいか。
夢:ふわっと包み込むように・・かぁ・・
翔:何だろう、とにかく優しいのよ。 毒舌吐いてるようでも、佐伯に対する優しさが滲み出てる。 佐伯よりいくつか年下の役だけど、よしよしって、佐伯の背中を撫でてあげてるみたいな、ものすごくあったかいものを感じて、それが、観てる私にも、じわ~んと伝わって来て・・・
夢:なるほど~・・
翔:こういう人と関わりが持てた佐伯は、幸せだったんじゃないか、と、そんなふうに思えたから。
 佐伯を演じている謙さんも本当に素敵だったと思うけど、香川さんの、あの、作り込んでいないナチュラルな感じというのも、すごく印象的だった。 
  渡辺vs樋口、渡辺vs香川、というのが、この映画の二本柱だったんじゃないか、とさえ思う。
夢:・・・・すごいね。
翔:すごいよ。そういう醍醐味みたいなものを味わえたということがね、本当にすごい、と・・・
夢:うんうん。 ―― 他の出演者については?
翔:佐伯に病名を告げる医師役の及川光博さんと、クリエーター役のMCUが良かった。 初見の時もいいと思ったけれど、今回観直して、なおさらグッと響くものがあった。 
  ミッチーは、『ホテリアー』や『阿久悠物語』を観て来た私の中で、今では、すごく信頼出来る俳優さん、という位置づけになってるんだけど、そう思い始めたのは、思えばこの作品あたりからだったような気がする。
夢:うん。
翔:MCUは、クリエーターとしての存在感が絶妙だった。 佐伯みたいな堅物と仕事をしていても、物怖じしていないし、仕事を面白がっているし、自由だし。 ・・・それが、役作りでそうなったのか、もともとMCUが持っているものだったのかは分からないけど。
夢:なるほど。
翔:会社関係では、遠藤憲一さんとか、部下たち(袴田吉彦水川あさみ他)とか、私生活では、娘夫婦(吹石一恵坂口憲二)とか、キャスティングも とても良かったように思う。
夢:翔は、初見の時、陶芸教室の先生(木梨憲武)の気持ちが読めない、って言ってたけど?
翔:うーん・・・設定としては、佐伯を騙してお金を二度払いさせようとする、ずるいところのある男なんだけど、どうしてもそんなふうには見えなくて。 
夢:うん。
翔:本当に佐伯を騙したのかどうか、あるいは、うっかりお金をもらったことを忘れていたのか、どっちが本当か、によって、木梨さんの役というのは、まったく逆の印象になってしまう。 それがどっちかよく分からなかったのは、木梨さんの演技不足というんじゃなくて、そういうところのある男だということを、こちらにしっかりと印象づける、そこをちょっと怠っているように思えたんだよね、演出レベルで。
夢:うんうん。
翔:でも、今回観ていて、そのあたりが読めない(はっきりしない)ことはあまり問題じゃない、って気がした。 バリバリ仕事をしていた佐伯が、そんなふうに、人の言う事を真に受けるしかない、自分の行動が信じられない、そうなってしまった寂しさ・切なさを伝えようとしていた、という気もするから。
夢:陶芸教室から帰る佐伯の後姿が印象的だった。
翔:自分自身を自分が信じられなくなってる、その寂しさみたいなものが、すごく伝わって来たよね。
★    ★    ★
夢:今回観直してみて、田辺さんが演じた園田という役も、木梨さんの役同様、掴み切れない曖昧(あいまい)な部分があった、と翔は言ってたよね。
翔:はい。
夢:園田は、この映画の登場人物の中では、唯一悪役と言ってもいいんだけど・・(笑)
翔:悪役・・ねぇ。(笑) 全然そういう感じはしなかったけど。
夢:翔は、初見の時、「何もしないのが興味深い」と書いてたよね、田辺さんに対して。 「何もしない」というのと「曖昧」ってのは、ちょっと違う気がするんだけど、今回観直して、その印象が変わった、ってことなの?
翔:うーん・・・初見の時の、余計なことをしてなくてシンプルでそこが興味深い、という感じより、何だか、もっと掴みどころがない感じがしたんだよね、今回は。
夢:・・・・ん?
翔:なんだろう、普段だと、田辺さんが演じている役に対して、いろいろ背景を読む、というか、その人となりをあれこれ想像出来る、空想や妄想を働かせることが出来るんだけど・・・
夢:今回の役ではそれが出来なかった?
翔:初見の時は結構あれこれ妄想働かせて遊べて楽しかったんだけど・・・
夢:地方から出て来た、とか、奥さんは高校の時の同級生、とか言ってたよね、確か。(笑)
翔:そうだね。(笑)
夢:それ以上先に妄想が進まなかったの?
翔:・・・というか、最初の妄想そのものにも違和感を抱いてしまった、というか・・・
夢:えっ!?そうなんだ・・・
翔:何かねぇ・・・あのメガネが曲者(くせもの)だよね。(笑)
夢:くせもの・・って。(笑)
翔:仕事が出来るんだか出来ないんだかも、よく分からないし、仕事に真剣になってるのかどうかさえ、何だかピンと来なくて。
夢:えっ、そうなの?
翔:何もつかめない、読めない・・・ ふわっと浮いていて、捉えどころがない。 もっとはっきりと上昇志向だったり、それこそパンフレットにあるように野心家だったり、というと、分かりやすくて、すんなり受け止められたんじゃないかと思うけど。
夢:うーん・・・
翔:その点、安藤(袴田吉彦)の方が、ずっとしっかりしてるし、佐伯とのコミュニケーションも取れていて、園田よりもっと 使いで があるだろうに、と。 
 で、この園田の掴みどころのなさ、って、いったい どういうところを狙ったんだろう・・園田を十分信頼しているとは思えない、物足りなさを感じてるに違いない、それでも佐伯が園田を使う理由って何なんだろう・・と。
夢:・・・・・・・・
翔:何だかすごく歯がゆい・・もどかしい・・何かもっと、悪いなら悪いなりに、それを現す描写が欲しい、と思うんだけど、どうも、そのあたり、するりと逃げられて、掴みどころがなくて・・・
夢:・・・うーん・・・そうかぁ・・・・
翔:しゃきっとしろ!って、ぶん殴りたくなって来る、と言ったらいいか、イラッとするんだよね・・・よく佐伯は我慢してるなぁ、と。(苦笑)
夢:翔~!(笑)
翔:で、何度も何度も園田が出ているシーンを繰り返し観ているうちに・・・
夢:うん。
翔:結局、その「もどかしさ」こそが、園田という男を現すキーワードなんじゃないか、と思うようになって。 どこまでも本当の気持ちを人に委ねない、どこか垣根がある、マニュアル通りにしか動かない、でも生真面目には違いない・・・・そんな掴みどころのなさ、というのは、どこか、今の30代という世代の一面を現しているのかなぁ、という気もするし。
夢:うーん・・なるほどね~。
翔:佐伯は、きっと最後まで園田の本当の力を見極めることが出来なかったんじゃないだろうか。 最後に園田にかけた佐伯の言葉が、その「もどかしさ」と「期待」とを、とても上手く表現していたように思う。 そう考えると、あの園田の表情にも、園田なりの「受け取った想い」があったのかな、と。
夢:うん。
翔:園田が無能な男じゃなかったことは、1年後、ギガフォースが業界2位に大躍進!という新聞の見出しを佐伯が見る、そこで証明されたわけだし。
夢:そうかぁ。
翔:記事を見た時、佐伯はきっと嬉しかったんじゃないかな。 もちろん、自分が係わって来た仕事だし、河村への責任も果たせたし、ということもあるけど、心許(こころもと)ないながらも仕事を預けた園田が、ちゃんと仕事をこなしてくれた、ということで、何となく、自分の気持ちが彼に繋がったような気分になれたんじゃないか、と。 で、そのことが、会社を辞めた佐伯の存在証明にもなり、彼の心残りや、さまざまな苦(にが)い想いを、いくらかでも中和してくれることにもなったんじゃないか、と。
夢:うんうん。
翔:園田は成長したんだよ、佐伯という人間に係わることで。 そういう捉え方をして、初めて、何となく自分の中で、園田像がやっと出来上がったような気もしてるけどね。