スロ-モ-ニング(talk)

2003・6・21放送(J-WAVE
★このトークは、あくまで、翔と夢の主観・私見によるものです。

  夢:『はなまるカフェ』(アメリカンドッグ編)の数日後にゲストナビゲーターとして出演したラジオ番組。 3時間の生放送と聞いて、長いかなぁ、と思ったら、あっと言う間で。
  翔:この日はちょうど『ライフ・イズ・ジャーニー』の公開初日で、これから舞台あいさつに行く、という、まさにグッドタイミングの出演だったので、映画の話を中心に、ということだったんだろうけど、でも、その他にもいろんな話をしてくれて、楽しかった。
 夢:ほんとほんと。
 翔:最初は旅の話。 20代の初め頃、大沢たかおさんとスペインに行った、という。
 夢:大沢さんとふたり、って、どんな旅だったんだろ。 一見、ひたすら穏やかにおとなしく、って感じがするけど、でもきっと、全然違ってたんだろうなぁ。(笑)
 翔:レンタカー借りて、すっ飛ばしたりしていたかも。(笑)
  夢:フラメンコを観に行って、向こうの人に踊らないかと誘われたのに、ふたりとも照れくさくて踊らなかった、今だったら、絶対踊ると思う、って。
  翔:聴いていて、『眠れぬ夜を抱いて』(TVdrama.19)の要士を思い出した。
  夢:・・・ああ、うんうん。
  翔:人前で踊る、って、何かを捨てないと出来ないと思う。
  夢:・・・あ、そう?
  翔:いや、全然平気な人もいるんだろうけど。(笑) 田辺さんは大変だったんじゃないかな、と、要士を観て思ったので。
  夢:ふ~ん。
  翔:今なら絶対踊る、というのがね、何だか聴いていて嬉しかった。
  夢:ん~そうかぁ・・・・
★    ★    ★
 夢:次が『ライフ・イズ・ジャーニー』の話。
翔:監督・田辺と俳優・田辺の相性、みたいなことを訊かれて、「仲はいいと思います」と。
夢:お互いに、もうちょっとこうして欲しい、ということはあるけど、って。(笑)
翔:田辺さんらしい。(笑)
夢:「役者と監督、そのふたつの距離が、昔は遠かったんだけど、今は近づいてる」 とも言ってたね。
翔:そのあたり、聴いていて とても興味深かった。
夢:そう? どういうところが?
翔:近づいている、ということは、俳優としての田辺さんと、監督としての田辺さん、どっちが歩み寄った結果なのかな、って。(笑)
夢:う~ん・・・・そうかぁ。(笑) どっちだろうね。
翔:どっちだろうねぇ・・・・まぁ、双方から、ということなのかもしれないけど。(笑)
★    ★    ★
翔:田辺監督の映画ソース、みたいな話も、 面白かった。 外国に行った時のスーパーのレジの風景、とか。
夢:ああ、アコーデオン背負った若者が、肉とか野菜とか家庭的なものを買い込んで、レジで、巾着から、演奏してもらったチップらしい小銭を出して払ってた。 そういうのを見ると、レジを舞台にした映画が作れないかと思う、と。
翔:なんか、ああいいなぁ、と思った。 映画云々より前に、そういう何気ない瞬間を素敵だと思い、自分の記憶の中に留めようとする、その「感性」みたいなものが。
夢:うんうん。
翔:そういう映画を観てみたい、と思う、田辺監督で。 そういう「美しい感性」や「独特の味わい」みたいなものを、スーッと素直に自然に映像の中に染(し)み込ませた映画、と言ったらいいか。
夢:うん。
翔:映画を撮る、と言っても、そう簡単じゃないし、多作出来る状況じゃない、とは思うし、だから、たまに作る映画に、渾身でぶつかりたい気持ちは分からないではないけど、あまりいろいろなものを詰め込み過ぎたら、そういう「田辺らしさ」が、損なわれてしまわないだろうか、とも思うので。
夢:・・・・・・・・
翔:たとえば、風景だったり、演じ手の表情だったり、カメラワークだったり・・・ 明確な言葉(セリフ)や行動にだけ頼らなくても、ちゃんと伝わる力が、映画にはある。 そういう「力」を、田辺さんならどう見せて(魅せて)くれるだろう、という純粋な興味が、今、私の中で、大きくなって来ているので。
夢:田辺監督への純粋な興味・・かぁ。 なんか、初めて翔からそういう話を聞いた気がする。(笑)
翔:・・・・・・・(笑)
★    ★    ★
夢:親友・住正徳さんへのインタビューも、中身がすごく濃かったよね。(笑)
翔:住さんが暴露してくれた高校時代の裏話が楽しかった。 住さんが入院した時、動けないのを知っていて、手の届かないところに「鉄道マニア」みたいなオタクっぽい雑誌を置いて行った、とか。(笑)
夢:「祝ご出演・女ののど自慢!」という横断幕を持って、空港に友人を迎えに行った、とかね。(笑)
翔:すでに、その頃から、ふたりの独特のユーモアは育まれていたんだなぁ、と。
夢:ほんとほんと。
翔:それと、田辺さんに対する形容が、住さんらしいなぁ、と。
夢:え?どういう・・・?
翔:「警戒心強い小動物」とか、「もてキャラじゃない」とか、「オーラない」とか、「頑固で真面目」とか、「幸せな家庭を作るのが人生のひとつの目標」とか。(笑)
夢:ああ、うんうん。(笑)
翔:正直、そこまで言ってしまっていいのか、と思わなくもないところもあったけど、でも、住さんとしては、田辺誠一という人間を語るのに、どうしても外(はず)せないものだったんだと思うし。 
夢:うん。
翔:田辺さん本人の言葉ではなく、住さんの口から語られたから、かえってすんなり受け止められたような気がする。 たぶん、田辺さんのことを、ある意味 一番理解してくれている人、だと思うから。 
夢:確かにそうだね。
翔:なんとなく、あの住さんのインタビューを聞いて、私の中で区切りがついたものがあったなぁ、と。 ・・・うまく言えないけど。 
★    ★    ★
翔:面白かったのが、「二枚目論」で。
夢:「田辺さんにとって二枚目とは?」と訊かれて、「バリバリ・・器がでかくて優しくて・・・」と。
翔:「二枚目を演じる面白さとは?」と訊かれて「僕なんかが、ってのはあるけど、でも、やるからにはバシッと・・」と、口ごもりながら。(笑)
夢:この話になった途端、ものすごく照れくさそうだったよね。(笑)
翔:この「二枚目」という言葉に関しては、すごくいろんな意味が含まれているし、人それぞれ捉え方が違うから、同じ「二枚目」という言葉でも、なかなか奥が深くて、面白いなぁ、と思うんだけど。
夢:≪翔夢BBS≫での「二枚目論」もすごく面白かった。
翔:田辺さんは、自分が「二枚目」と呼ばれることに、ものすごく抵抗があるみたいだけど、でも、ファンの立場からすれば、見た目とか、「器がでかくて優しくて・・・」というだけじゃない、もっといろんなものを含ませて使ってるので、田辺さんに逃げ腰になられると、逆に、意地でも言い続けてやるぞ!と、闘志を燃やしたりもするわけで。(笑)
夢:うんうん。(笑)
翔:「小雪さんや松本潤くんは二枚目でしたか?」と訊かれて、「彼らは彼らでしかない、というところで、二枚目でしたね」と答えた田辺さん。 ほら、あなた、ちゃんと解かってるじゃないか、なんで自分の時だけ意固地になるんだよ、と思ったけどね。(笑) 
  でも、ま、そこが「田辺誠一らしい」ところでもあるわけだから。 逆に「はい、僕は二枚目です」なんて、今さらすんなり肯定されても、それはそれで引っ掛かるけど。(笑)
夢:複雑なファン心理だ。(笑)
翔:いやもう至って単純明快だよ。 普段の自分を二枚目と思ってるかどうか、ということが問題じゃない、演じている時に、役を「二枚目」として捉えられるかどうか、ということ。
  演じる田辺さんが、たとえそれを どれほどやりにくいと感じていても、その役が「二枚目」であるとしたら、ちゃんと「二枚目」として演じなければならない、と思う。 
夢:うん。
翔:「立ち役」が「立ち役」の、「三枚目」が「三枚目」の、「敵役」が「敵役」の、それぞれの存在理由があるように、「二枚目」は、「二枚目」としてそこに存在する意味がある。 それをちゃんと認めて欲しい。 まずそこをきちんと踏まえた上で、自由な役作りをしていけばいい、と思うんだよね。
夢:でもね、逆に、「二枚目を二枚目として演じない」ところに、俳優・田辺の存在価値がある、とは思わない?
翔:・・・・思ってるよ。
夢:・・・・・・・・・・えっ!?そうなの?(笑)
翔:そうです。 『ガラスの仮面』でファンになって以来ずっと、「二枚目」というところに収まらない、複雑な色合いが出せる俳優さんだと思い続けているし、そこが、私がすごく興味深いと思っているところでもあるわけだし。
夢:うんうん。
翔:だけど、一方で、きちんと逃げずに「二枚目」を演じることが出来る、そういう基礎部分というか土台というか、むしろ田辺さんの覚悟、と言ったほうがいいか・・・があれば、そういった「田辺誠一独自の魅力的な色合い」に、なおさら磨きがかかる、とも思うから。
夢:・・・・・・・・
翔:つい最近 『BRUES HARP』 をほんのちょっとだけ観たんだけど、ちょっとだけだったのに、ものすごく引き込まれてしまった。 あそこに描かれた健二の、一直線に突っ走る感じというのが、私はとても好きだったし、どこにも逃げられない、ただひたすら役に対して錐揉み(きりもみ)のように突き進んで行くしかない状況に追い込まれていただろう俳優・田辺誠一に、あらためて、ものすごく大きな魅力を感じもしたんだよね。
夢:・・・・・・・・
翔:それは、田辺さんが、自分を追い込んで追い込んで、真っすぐに役にのめりこんで行ったおかげでもあるし、三池監督がまた、田辺さんを、そこまでぎりぎり追い詰めたおかげでもあるんじゃないか、と思う。
夢:うん。
翔:たぶん、田辺さんは、いつも、そういう状況で役作りをしている・・・・ 簡単に役の本質を掴んで、簡単にそれを演技で表現出来る俳優さんじゃなくて、いろんなことを考えて、悩んで、形にしてみて、替えてみて、そうした繰り返しの中で、ようやく「役」の輪郭を捉え、中身を捉え、演技として表に出して行く俳優さんなんだと思う。
夢:うん。
翔:だけど、特に「二枚目」と言われる役の時、私は、そういう田辺さんの「真摯で懸命な役への向かい方」が、ともすれば弱まったり、どこかで逃げていたり、という印象を受けることが多くて、たとえばどこかにお笑いの要素とか本筋には関係ないアドリブを入れて、そこに、自分なりの役の楽しみ方をみつけているようなところが見受けられたりする。
  それは、田辺さんの俳優としての力がついて、余裕が生まれてきたから出来ること、なのかもしれないけれど、私には、やはり、どこか「二枚目、というものへの真っすぐな向かい方をしていない=逃げ」と取れてしまって、すごく悔しい思いをすることがある。
夢:うーん・・・・・
翔:三池監督が求め、田辺さんが応じた『BRUES HARP』の健二は、「二枚目」という観念から はずれているけれど、結果的には見事な「二枚目映画」になっている。 それは、演じるほうも作るほうも、へんに「二枚目」という意識を持っていないから、なんだと思う。
夢:・・・・え?・・・・いや、ちょっとそれは、さっきから翔が言ってることと矛盾してない? たとえば蓮實(@きみはペット)みたいに、みんなから「かっこいい」とか「素敵」とか言われる、見るからに「二枚目」な役を演じる時に、「二枚目という意識を持たない」んじゃ、役作りは出来ないんじゃないか、とも思うんだけど。
翔:私もずっとそう思っていたんだけど、この頃、それはちょっと違うんじゃないか、と思い始めるようになって・・・・
  たとえば、蓮實(演じる田辺さんではなく、役の上での)が、本当に自分を二枚目だと思ってるかどうか。 私はそう思ってはいないと思う。 ことさらに二枚目として意識した言動をしているわけじゃないけれど、結果的に、二枚目に見える、ということなんじゃないか、と。 
  周囲の女の子たちがキャーキャー言ってる部分(見た目)で役作りをしようとすると、演じているほうは絶対に拒否反応が出てくると思うんだけど、そうじゃなくて、演じる側としては、そういう「見た目」の部分を意識しないことが、逆に、その人なりの「二枚目」になるんじゃないか、と思う。
夢:・・・・・・ん?
翔:「二枚目(という見た目)」への自意識が、逆に俳優を縛ってしまう、ということもある。 そこにある「嘘」や「ばかばかしさ」を読み取ってしまって、どうにかしてそこから逃げ出そうとする。
  だけど「二枚目」に大事なのは、むしろ、「見た目」よりも、「気持ち」なんじゃないか。 演じ手としては、「気持ち=ハートのかっこよさ」を演じればいいんじゃないか、と思うんだよね。
  で、その「ハートのかっこよさ」を最後まで貫いた時に、その役は、ものすごく魅力的になるんじゃないか、と。 見た目を意識するよりもむしろ、ね。
夢:うーん・・・・・
翔:「二枚目」と言われる俳優さんが、歳を重ねていくうちに、どうして揃いも揃ってヒゲを生やして汚れ役をやりたがったり、三枚目を演じたいと思うようになるのか。 自分に対する「二枚目」という、見せかけだけの中身のなさ・くだらなさ・つまらなさに耐えられなくなるからなんじゃないか、と言ったら、あまりに極論かもしれないけど、でも、逆に、私のように観る側の人間からすれば、みんな「そこ」から逃げているような気がして仕方ない。 
夢:・・・・・・・・
翔:今の日本で、ノーブルな二枚目が演じられる30代40代の俳優さんが、どれだけいるか。中身の伴った二枚目を俳優に求める監督が、どれだけいるか。
  三枚目を演じることも、汚れ役をやることも、時には必要だと思うし、そうやって俳優としての幅を広げて行くことは、とても大切なことでもあるし、それはそれで、面白いと思ったり、すごく好きになったりもしてるんだけど、でも、一方で、「精神的に二枚目」である、という部分を決して失って欲しくないし、作り手側も、遠慮なくそういう部分を俳優に求め、追い詰めて欲しい、と思う自分がいるのも確かなので。
夢:・・・・・・・・
翔:普段はどんなに汚かろうが三枚目だろうが構わない。 どんな役だろうと、真剣に演じているものであれば、観る側がそれを受け取ることは、大きな喜びであることに違いない。 でも、いざとなったら、いつでも、「見た目も精神の形も曇りなくきれいな人」が演じられるように、「そこ」に戻って来られるように・・・・
夢:健二のように?
翔:健二や、清水一角(@忠臣蔵~決断の時)のように。
  追い詰めたら、きっと田辺さんは逃げずにぶつかって行くに違いない。 逃げられないように、ぎりぎりまで追い詰めてくれる監督はいないものだろうか、と思うし、田辺さん自身の気持ちより、むしろ、そういう監督(や脚本家)の存在こそが必要なのかもしれない、とも思うけれど。
夢:うんうん。
翔:たとえば、「40代の二枚目」「50代の二枚目」・・・ これから続く長い俳優人生の中で、その時にこそ出せる、香り立つ「色気」や、鋭利な「凄み」や、ほろ苦い「切なさ」等々が、絶対にあるはず。 そういう「美しいもの」に、錐揉み(きりもみ)のように鋭角に がむしゃらにぶつかって行く田辺誠一を、ぜひぜひ観てみたい!と、熱望しています。 
夢:「田辺誠一をそこまで追い詰めてくれる監督、出(い)でよ!」 ということだね。
翔:そうだね。