『風林火山』(第12回)感想

風林火山』(第12回)感想
山本勘助内野聖陽)の荒れ寺に青木大膳(四方堂亘)が訪れた時、
勘助の台詞の言い回しが今までと違っていた
(時代劇調というか講談調というか)ので、
ちょっとびっくりしたのですが、
今回から、まさに「第2部/勘助、晴信に仕官す」と言ってもいい
内容になるので、
内野さん、あえて、色を変えて来たのかもしれないなぁ、
だとしたら、ほんと、この人は自由自在に空気を操れるんだなぁ、と、
さらに俳優・内野聖陽への興味が増した私です。


さておき。
この大河ドラマの主役は、武田晴信(信玄)なんだ、と確信した今回。
(おいおい。笑)
いや、こんなこと言うと、数多い内野ファンに叱られちゃいそうですが、
でも、晴信という「日輪」がいてこそ、
勘助という「月」の存在が際立つ・・
晴信という歴史の主役が中心にいてこそ、
勘助という影の存在が浮き彫りになる・・とも思うのですよね。
今まで、勘助を主役に据えたドラマをいくつか観て来たけれど、
主役であるがゆえに、どうしても勘助を物語の中心に置いてしまって、
不似合いな太陽のような明るいスポットライトをあててしまったものが
ほとんどだった、と記憶しています。
でも、本来、勘助という男は、光そのものを放つ光体(恒星)ではなく、
誰かの光を受けて初めて、
魅力的な輝きを放つようになる存在なのではないか、
だとすれば、この大河ドラマで描こうとしている山本勘助こそが、
彼本来の、本当の魅力を伝えてくれるのではないか、
という気がするのです。


信虎(仲代達矢)追放によって、ようやく雲間から全姿を現し、
燦然たる光を放ち始めた武田晴信市川亀治郎)。
しかも、その本当の強さ・大きさの片鱗なりと知る者は、
まだ、勘助と板垣信方千葉真一)、
そしてドラマを観ている私たちしかいない――
そんなふうに描いてみせている脚本や演出も心憎いなぁ、と思うけれど、
そういう晴信と勘助の立ち位置を、
ドラマの上での役の重さ軽さ(主役か脇役か)に係わらず、
亀治郎さんは遠慮なく主役のごとく堂々と、
内野さんは主役でありながらきちんと抑制を効かせて、
二人それぞれに、役の「分(ぶん)」として捉え、演じているのが、
非常に気持ちがいいです。

これから、いよいよ、この二人がタッグを組んで、
甲斐の武田を大きくして行く・・・・
ん〜〜、なんか、わくわくしますね〜♪


小山田信有(田辺誠一)。
わはは〜、もう、こういうの大好きだわ。(笑)
晴信と信方と勘助(と観ている私たち)にしか解からない
緊迫したやりとりの最中に、
「女子(おなご)なれば良い心掛けじゃ」などと軽く茶々を入れる信有。
他の家臣ともども「何にも解かってない」感ありありで、
晴信・信方・勘助と、信有を含めた他の家臣たちとの、
ものすごい温度差(笑)が、何とも絶妙でした。
ああ、いつかきっと、こいつ(信有)も、
晴信に鼻っ柱をへし折られることになるんだろうなぁ。(笑)


先週、苦言を呈した信有(を演じている田辺さん)ですが、
今週は、とても良かった。
「女子なれば‥」という俗な言い回しも、
その後の、勘助の風貌に対する蔑(さげす)みも、
田辺誠一ゆえの「信有色」が出ていたように思いました。
あいかわらず「小山田信有」としては、ようやく点から線になったところ、
まだ、面としての広がりを与えられていないような気がするのですが、
演じている田辺さんは、
「信有の輪郭の作り方」に自分なりの工夫をし始め、
ようやく、役本来の魅力に負けないだけの「田辺味」が、
少し出て来たような気がします。

まぁ、先週のように一本調子になっちゃうこともあったり、と、
まだまだ、信有の魅力をすべて掴んで上手く演じている、
とは思えないのだけれど、
逆に、信有という役自体もまた、
田辺誠一という俳優の魅力すべてを使い切っている、
とは言えないとも思うので、
この役は、もっともっと膨らんで行くんだろうな、という気がします。
まぁ、それは、いつものように、
田辺贔屓(ひいき)ゆえの幾分過剰な期待、
というものなのかもしれないけれど。(笑)


     **


tanave.com(田辺誠一オフィシャルHP)のprofに、
いつのまにか『風林火山』の出演時期が書き込まれていました。
1月〜9月とのことです。
あとまだ半年も楽しめるのね〜嬉しいな。
(しかも、4〜6月は『ホテリアー』もあるし)