『フリック』感想:1

 ≪たくさんの過去と未来の真実を背負って≫〜DVD1回目の鑑賞〜

最初に観た時、これは、何層にも積み重ねられた「真実」から、
ひとつを抜き出して「事実」を構築する、
その過程を「村田(香川照之)の妄想」として見せる、
そういう手法を使った映画なのだ、と思った。

 

今、右か、左か、そのひとつの判断を違えただけで、
未来は、大きく変化してしまう。
その、変化して行く未来を、
「ひとつきりしかない真実」として見せるのではなくて、
村田(私たち)が生きている世界の現実が、実は、
たくさんの「そうなっていたかもしれない真実」からたまたま選び出された
「ひとつの事実」に過ぎないのだ、と、
佐伯の「真実なんてもんはいくらでも存在する。
ただし、残された事実はひとつだけだ」という科白を何度も反芻しながら、
そんなふうなことを考えた。

 

ターミネーター2』で、シュワルツネガーは、
未来を変えるために未来から送られて来る。
未来を変えてしまえば、シュワルツネガーを過去に送り込んだ青年は、
少なくとも、変化した同じ時代に、同じ形では存在しなくなる。
平和で穏やかな生活を送っているかもしれないし、
ひょっとしたら、死んでいるかもしれない・・・・
しかし、それもまた、真実には違いないのだ、
別な未来にあるものであるにせよ。

 

たとえば、村田が妄想の中で繰り返し見たものは、
そういう、あらゆる未来の、あるいは過去の、
「可能性」の断片ではなかったか。
たくさんの「選ばれなかった未来」と、たくさんの「捨てられた過去」を、
村田は、すべて背負ってしまっていたのだ、妄想、という形で。

 

最後に、村田は妄想から解放され、穏やかな笑顔を見せる。

私は少しほっとする。
それもまた、「数ある真実」のうちのひとつ、でしかないのかもしれない、
という、切ない思いに囚(とら)われながらも、
村田が、とにもかくにも、
「そこ」に「事実」を見出すことが出来たことに――――