『恋人はスナイパー』<劇場版>:3

恋人はスナイパー<劇場版>感想:3 04年4月23日(金)showm
そもそもTV版のストーリーからして、
ついていけないものがあったんですが。(笑)
今回改めて思ったのだけど、
結局これは「インチキストーリー」ってことなんだなぁ、と。

 

映画を観る前に、他の映画の予告編を観ていて、
今は、実写も、アニメも、CGも、
全部混ぜこぜになった作品が、平気で作られてる、
それを(たとえばキューティハニーみたいな作品を)
すんなり受け入れられる人と、受け入れられない人、ってのは、
当然いるわけで、
じゃあ、どっちに向けて作品を作って行くか、という時に、
受け入れられない人は、あえてほったらかしにして、
受け入れられる人に向けて作っちゃえ、という作品が
増えてるような気がする。

 

じゃあ『恋スナ』はどうか、というと。
シリアスとお笑い(ユーモア)の境界線を引かずに、
そのどちらをも行ったり来たりして、物語を作ろうとしてたんだろうな、
という気がします。

このお話をシリアスなものとして捉えるには、相当無理があって、
だいたい、日本にスナイパーを出現させる ってとこからして、
おいおい、と言いたくなるし、
1211とか、母をたずねて何千里とか、
絵空事のような展開に ついて行けなくもなる。

しかし、これが、そもそもインチキストーリーなんだ、
というところから観直してみると、
ゆるかったり、甘かったり、無理があったり、という部分が、
それはそれとして「ひとつの世界」として成り立っているようにも思える。

ところどころに差し挟まれるお笑いの要素、シリアスといいかげんさ、
その間を、自分の感覚をたよりに、自由に行き来する、
そのこと自体を「楽しい」と思える人でないと、
(そんな人がどれだけいるかわかんないですが)
この作品を観るのは、かなりしんどいんじゃないでしょうか。

 

私個人としては、
お笑いの番組で、芸人さんに混じって俳優さんが出てるのを観る、
というのと、
ドラマで、俳優さんに混じって芸人さんが出てるのを観る、というのを、
いっしょくたに味わってるような感覚でした。
そういう観方でよかったのかどうか・・・
ってのも、かなり疑問ではありますが。(笑)

ただ、
私は、田辺誠一さんという興味対象がいたから、
すごく楽しんで観たけれど、
受け入れられる人に向けて作った作品が、
受け入れられない、と思った人をも引きずり込んで、大きなうねりになる、
そこまでの力は、この作品にはないかもしれないなぁ、とも思いました。

 

君塚良一さん(脚本)の(9・11に繋がる)怒り」については、
もし、そういうものを持っていたとしても、
シリアスとお笑い(くだらないものも質の高いものも含め)の
せめぎあいの中で、
具体的にどういうことが言いたかったか、というのを
はっきりと伝える必要性を感じていたかどうか、私には疑問です。

ただ、このインチキストーリーに、
「1億3千万人の誘拐」という奇想天外な原作をくっつけた、そこに、
インチキがシリアスを凌駕する、
あるいは、シリアスがインチキと同じところまで墜ちる、という、
そんなことが起き得るかもしれない、それを見せたい、という思惑は、
ひょっとしたらあったかもしれないなぁ、という気もしました。