『七人の恋人』感想:1

 『荒神〜AraJinn〜』(風左衛門)の時は、
出逢った時の一瞬・一刹那がすべて、まさに‘そこ’が頂点、
観終わった後の「風左を観た!」という幸せな余韻は、実は私にとって、
ほとんど「燃えかす」でしかなかったのですが。

今回もそうなってしまうかなぁ、と思ったら、違ってました。
同じ一刹那でも、後に来てじわじわ沁みて来るものがある。

それは、中島かずきいのうえひでのりコンビが、
確信犯的にメッセージ色を薄め、
徹底的にエンターテインメントを目指した
(だからきっと「ライブの時が頂点」で正解だった)のに対して、
宮藤官九郎という人が、メッセージなど到底入らないような芝居の中に
「毒」を潜ませたことによって、
観てるこちらに‘引っ掛り感’が生まれたせいなのかなぁ・・と。

 

―――仕切り直し。(笑)

 

まず最初に、どうしても言いたいひと言。
『田辺さん、あんたいったいどこまで行ってしまうのさ!』(爆)
 ≫天地左右、どこにベクトルを伸ばして行っても、
 ≫さらに「その先」、もっとすごい場所、もっとすごい役が待っている。
と以前書きましたが、その数多いベクトルの中でも、
こっち方向(お笑い系)に一番ベクトルが伸びて行ってるのは
間違いない。(笑)

いや、すごいです、
『熊沢パンキース03』の時の「お客様」な感じは、一切ありません。
それどころか、大人計画のメンバーだ と言っても過言ではないくらい(笑)
みごとに主体的な存在感を見せてくれてます。

それは、演出や監督の「こうしてね」「ああしてね」という要望の他に、
田辺さん自身の「こうしよう」「ああしよう」という部分が格段に増え、
しかも、それが「お笑いとして的をはずしてない」(笑)おかげで
生まれたもの、のように思えました。

それと、「ここでは裸の自分を見せちゃっていいんだ」という、
安心感 のようなものも、あるのかもしれない。(笑)
何やっても(くだらなくてもバカバカしくても)「おもしれ〜っ♪」
って笑ってくれて、一緒にノリノリでやってくれる、
そういう人達と、そういう場の存在は、
特に漫才系お笑いに触手を伸ばす彼(爆)にとって、
すごく嬉しくて、楽しいことなんだろうなぁ、と。
(もちろん、そういう中にも、
きちんとした節度・距離というのは、保っているのだろうけど。)

 

クドカンがまた、田辺さんを、
前作(熊沢パンキース03)の五十嵐から
一気に「田辺くん=白い恋人」にまで引っ張ってくれちゃったことが、
私としては、すごく嬉しかった。

なんで?と言われるかもしれないけれど、
私が成住(大奥〜華の乱)の時に物足りなく思っていた部分を、
「田辺くん」がかなり補ってくれてたような気がします。(笑)

白い学ランの田辺くん、完璧に二枚目です。(笑)
でも、完璧にお笑い系です。(残念!笑)

でも、たとえお笑い系であっても、
あそこまで「二枚目」になり切った田辺さんを観たのは、
初めてのような気がする。
たとえお笑い系であっても(しつこい。笑)
「二枚目」のツボにぴったり収まった演技を見せてもらったのは、
初めてのような気がする。

逆説的(お笑いだから)に、ではあるけれど、
そういう部分で、私はもう内心大喜びしてました。(笑)
と同時に、
「お笑いなら‘あれ’が出来るのに、何でシリアスで出来ないんだぁ〜!」
と、田辺さんに、声にならないツッコミを入れてました。(爆)

 

二枚目を、二枚目と意識しつつ、二枚目として演じる―――
私の勝手な印象ですが、風左衛門(荒神)は、
田辺さんが、初めてと言っていいくらい
珍しく、二枚目を二枚目として演じた役だったよう気がします。

でも今回は、完全に「二枚目を意識しつつ」(自意識)の部分も
ちゃんと入ってる、お笑い系だけど。(爆)

実はこれ、田辺さんにとってすごいことのような気がするし、
お笑い系ではあれ(くどい。笑)‘それ’を田辺誠一にやらせたクドカン
喝采を贈りたい、と思うのです。

クドカン、あいかわらず的をはずしてない、
ちゃんと田辺の弱点を突いてます。
しかし、それを正面から受けて立って、
「歌」(かわい〜♪)であれ「二枚目」であれ‘やりこなしちゃった’
田辺誠一も、素晴らしい!と思います。