『新・近松心中物語』感想:4

『新・近松心中物語』感想:4 
最近、私の中で、
「私が感じる田辺誠一の魅力」=
田辺誠一が他の俳優とは違う と私が感じている部分」
というのが、だんだんはっきりしてきた、という気がしています。

 

田辺さんの演じられた役を追って行く中で、
私が、その想いを特に強く持たされた・・
「田辺さんが演じるから、この役は、こういう感じになったのよね。
田辺さんじゃなければ、こういう感じにはならなかったよね」
と、いい意味で決定的に悟らされたのは、『忠臣蔵』の清水一角でした。

ある意味、「今まで皆が抱いていた清水一角のイメージ」を、
完全に打ち崩したと言っていい、あの一角を観た時、
「どう演じても、そうなってしまう」田辺誠一という俳優の、
足枷(あしかせ)とも思えた部分が、
彼のたぐい稀なる魅力、としても存在しえるのだ、ということを
改めて思い知らされた気がしたのでした。

 

どんな悪党を演じても、どんな非情な人間を演じても、
ある種の清涼感、穢(けが)れなさ、内気な戸惑い、心の揺れ、
を感じてしまう。

それが、役によっては、似つかわしくない、
と感じられることがあるかもしれない、
もの足りない、と思われることがあるかもしれない、
だけど、それでも、そういう
「無意識のうちに育まれたもの」=
田辺誠一という俳優の内にある、永遠に動かない何か」を、
けっして失わないで欲しい、と、今は、痛烈に思う。

その上で、役を演じるにあたって、もし、不足しているものがあるなら、
あとは、「意識的に作って」行けばいい。

 

「変えられない自分」を背負って、なお その上に、
「違う自分」を塗り重ねて行く、
「無意識に出て来てしまうもの」と「意識的に作ったもの」とが、
綯(な)い交ぜになる、
その足し算の向こうに、田辺誠一という俳優の、
≪本当の魅力≫ が生まれ出るのでは・・と
そんなことを取りとめなく考えている・・・考えることが出来る・・・
その幸せを与えてくれたのが、
他ならぬ「傘屋与兵衛」だった、ような気がします。

 

★このコメントは、あくまで、翔の主観・私見によるものです。