新・近松心中物語(BBS res)

2004・3・8観劇 (日生劇場)/2004・1・28放送(スカイパーフェクTV)

以下は、BBSに寄せられた『新・近松心中物語』の投稿 へのレスです。
投稿文章へのレスを掲載するにあたり、
投稿して下さった方のお名前、レスに引用させていただいた文章部分は割愛させていただきました。
また、読みやすくするため若干編集させていただきましたことをご了承下さい。

★――――――― 3/14

私は、与兵衛は、楽な方へ楽な方へ逃げていたと思います。
だからラストの段階までは、「苦労してる」とは思えないんですよね。
ただ、「寿命の来るまで、生かしといてや」とつぶやいた後、幕が降りた後に、
彼は、とことん苦労することになるんだろう、という気がします。
楽な方へ逃げたツケを、きっと、必ず払わされることになるんだろう、と。
「生きることを決意した与兵衛は決して楽をしない」んだろう、と。

★――――――― 3/14

お今にとっては、「家」を守る事が第一、という考え方もあります。
でも、だからと言って、お今が、家のために与兵衛を切り捨てる、っていうのは、
あまりにも切ないものがあります。
与兵衛が可愛そうなんじゃなくて、お今はそういう人じゃない、
と思いたい自分がいるので。

もちろん、彼女の中には、家を守らなければならない、という気持ちが
強くあったには違いないだろうけれど。
だから問題を起こした与兵衛を突き放さなければならなかったんだろうけれど。
・・・うーん、やっぱり私にはやりきれないものがあります。

★――――――― 3/14

与兵衛の性格を際立たせた、あのセリフまわし。
それを計算して与兵衛を形作って行った時の田辺さん、きっと楽しかったでしょうね。
まな板に乗って、監督(演出家)のなすがままにされてるだけじゃなく、
自分の主張みたいなものを持ち始めた、と考えるのは、早過ぎるでしょうか。(笑)

★――――――― 3/14

私、阿部さんはそれほど悪い出来ではない、と思ったのですが、
忠兵衛に、若者らしい勢いが感じられなかったのは、不満でした。
もっとカッと熱くなって、見境つかないぐらい突っ走る感じになって欲しかった。

田辺さんに忠兵衛を、と言った手前、忠兵衛もきちんと観て来たつもりです。(笑)
で、やっぱり、いつかはやって欲しい・・と思った。
忠兵衛という役が好きか嫌いか、は別として、
↑の疾走感とか、梅川との初めての出会いでの、一気に心を奪われる表情とか、
田辺さんならどう演じるだろう、という、「俳優・田辺」への興味が湧いて。
難しいとは思うんだけど・・・

★――――――― 3/21

田辺さんのカーテンコールの時の顔。
あの顔だけで、軽く一文書けそうな(笑)
田辺ファンの友達と夜っぴて話せそうな(笑)
とっても「いい顔」だったですよねぇ。
他の人も、終わった後の充足感みたいなものがあって、
とってもいい顔してたのですが、
何だろう・・田辺さんだけは、まだ与兵衛を背負ってる、というか、
「こいつ(与兵衛)の人生、全部俺が責任持ちます」みたいな、
確固たる意志と決意と自信と・・
そういうものが、肩に力が入ってるでもなく、気負ってるでもなく、
自然に身内から湧いて出ているような、そんな感じ。

いろんなものを受け取って、すごく満足した気分で幕が下りるのを見ていた私は、
再び幕が上がって、田辺さんの、あの眼の力、あの表情にぶち当たって、
客席で固まってしまった。

ひょっとしたらこの人は、
とんでもないものを手に入れてしまったのではないか、と・・・

★――――――― 3/24

田辺さんのインタビュー。
へそまがりなんで、頭で考えてることを並べられてもすんなり受け取れなくて。(笑)
「言いたいことは分かったから、それを観せてくれ!」
という想いが、今までは強かったのかもしれないです。

与兵衛はねぇ、「ちゃんと観せてもらってる」ので、
あとから、どんな言葉を積まれても、すんなり受け入れられるのかもしれない。

★――――――― 3/24

蜷川さんって、「自分の眼」というのがちゃんとあるんだけど、
俳優を信用してまかせる部分ってのも、持ってるような気がするんですよね。

最近よく、橋口監督を思い起こすのですけど、
彼は、まず自分の世界をきちんと創り出すこと、を大事にしてる人、
という印象がある。

もちろん、俳優を信じてる部分というのも、確かに持ってるんだけど、
自分が作りたいものと俳優の演技の間にギャップがあったら、
とことん取り除こうとする人のように、私には見える。

何年かに一度しか映画を作らない橋口さんにとって、
その1本の重み、というのは、かなりのものがあるんじゃないか、と。
だとしたら、作者として監督として「譲れないもの」ってのも、
きっとたくさん持っていて。

蜷川さんは、確かに自分なりの構想はしっかり持っているけれど、
演じる俳優を自由に動かして、そこから受けるインスピレーションなんかも、
大切にしてるんじゃないか、とか。
自分を曲げることが、平気で出来る、というか。

多作の蜷川さんだから、それが出来るのか、
そういうことが出来る蜷川さんだから、いろんなジャンルの演出をこなせるのか・・・

橋口さんと蜷川さん。
どちらがいい悪い、ということではなく、興味深いなぁと思います。

★――――――― 3/26

立っている姿を見ただけで、
人一倍恋していたり人一倍傷ついていたりするのがわかるほど
感情があふれ出てる気がする――
うん、確かにそういう感じもしますね。
それが「演技なのかどうか」というのも、私にとっての「田辺の謎」のひとつ(笑)
だったりするわけですが。

★――――――― 3/28

そう言えば、私、「田辺さんの与兵衛のこういうところが好き!」ってこと、
具体的になんにも書いてなかったなぁ、と・・・
今ごろ気づいてどうする!?って感じですが。(笑)

パンキースの時もそうだったけれど、
舞台を観た後、というのは、舞台から浴びたエネルギーを受け止めるだけで精一杯、
と言う感じがあって、
田辺さんに対しても、細かいところまで気が廻らない、
情けない状態になってしまいます。

今回、特にその傾向が強かったのは、劇場が大きかったせいなのか、
あるいは、圧倒的に与兵衛から受け取ったものが多かったせいなのか・・

そうだなぁ・・
ある意味、最初の「上には上があるもんやぁなぁ~」という、
あのセリフの言いまわしひとつで、
私は、完璧に、田辺・与兵衛の術中に陥(おちい)ってしまったのかもしれません。(笑)
もっと悔しげにも、もっと卑屈にも、いくらでも言い方が考えられるあのセリフを、
あんなふうに言った田辺さんに、正直、最初は違和感があったのだけど、
与兵衛を観続けるにつれ、あのセリフが、
彼の性格を裏付けるカギになっているとさえ思え。

そこから先は、田辺さんが作る与兵衛に、心地良く酔うことが出来て。
・・・今思い出しても、幸せな気分になれるのです。

お亀を刺してしまった後、裾を直してあげて、そっと口づける・・
与兵衛は、あの時、初めて、
「人の想い」を絶対的に受け止めなければならなくなった、と思うんです。
逃げて逃げて、けっして人の気持ちを真正面から受け止めようとしなかった与兵衛が、
「お亀の死」という、逃げられない事実を突きつけられて、
初めて、お亀への気持ちを心に満たす瞬間・・
不器用だけど、裸の心を晒(さら)した与兵衛が、あそこにいたような気がしました。

それにしても、どうして田辺さんって、ああいうシーン、
ドロドロの感じ、というか、熱い感じにならないんでしょうか。
どこか、浮世離れしてる、というか、ファンタジ―になる、というか・・・
いや、だから好きなんだけれども・・・(笑)

★――――――― 3/28

死ぬ時に好きな人がそばにいてくれるなんて幸せだよね~――
うん、だから、忠兵衛と梅川はもちろん、
お亀も、ひょっとしたら幸せだったのかもしれない、と思いたい。
一緒に死ねなかった与兵衛は、いったい最後に、どういう死に方をするんだろうか・・
その時、幸せだった、と思うことが出来るんだろうか・・
せめて、自分を好きになっていて欲しいなぁ・・

★――――――― 3/28

寿命が尽きるとき、自分を好きになっていてくれるのでしょうか、与兵衛は。
そうなるかどうかは解からないけれど、そうなっていて欲しいとは、痛切に思います。
お亀の死、のように、
誰の助けも借りられず、自分で受け止めなければならない出来事を、
いっぱいいっぱい経験して、
裸の心を晒して、痛めて、それでも、清い部分は決して失わず・・
そうして少しずつ少しずつ変わって行く、変わらされて行く・・
そういう人であって欲しいと思うから。

★――――――― 4/14

昨日は休演日。
田辺さん、うんと深呼吸して、疲れを癒して、また与兵衛に帰ってくれたでしょうか。
どうかどうか、あと20数回しか演じられない与兵衛を、
心ゆくまで味わって楽しんで演じて欲しい、と、願わずにはいられません。

★―――――――4/16

私、つねに、田辺さんに喧嘩を売ってます。
舞台も、「負けるもんか!」って気持ちで観てます。(笑)
それなのに、前回は完全にノックアウトされた。
今回は、さらにハードルを高くしてやろう、という思いもあって、GC席で観ました。
「かかってこい」という思いもあった。
でも、きっとまた返り討ちに会うだろうな、なんて、幸せな予想もしていた。
私は、「新しい何か」「さらにその上」を観たかったんだと思います。
しかし、それが出来なかった。
「感情移入することが出来なかった」というのは、そういう意味です。
そして、それは、田辺さんだけの責任じゃない、受け取る私自身にも問題があった、
ということも、付け加えなければなりません。
(詳しい説明は省きますが)

私は、もともとあった「田辺誠一の思いから生まれた色」に、
田辺誠一が作った、微妙で繊細な色」が何層にも重ねられていって、
はじめて、「与兵衛の色」というのが出来上がっていたんじゃないかと思うのです。

加わったり混じったりして、根っこの部分から濁ったり揺らめいたりしたのではなく、
何層にも重なった「作った色」の何枚かが、薄皮を剥ぐようにめくれてしまった、
そのせいで、最初の「思いから生まれた色」が浮き出てしまった、
ということなんじゃないかな、と。
だから、演じてる田辺さん自体にブレが起きたわけではない、
と感じたんだと思います。
(ん~~言いたいこと、伝わってるだろうか?)

★――――――― 4/16 , 4/17

うーん、私は、与兵衛を「人を愛せない人」だとは思ってないですね。
むしろ、愛したいのに愛し方が解からない、というか、
そういう気持ちを表に出すことに臆病になってる、というか。

与兵衛って、ものすごく「痛み」に敏感なんだと思う。
同じことを経験しても、他の人より、
心に受け止める量が、ものすごく大きくなってしまうんじゃないでしょうか。

「痛み」を避けるために、自分の心を頑(かたく)なにする、
人の気持ちを受け取るまいとする・・・

でも、それじゃあ、何の解決にもならないのですよね。

最後に、与兵衛だけが‘生かされた’のは、
心を開かなければ、おまえは、永遠に漂うしかないのだ、と、
生きるためには、痛みを受け入れなければならないのだ、と、
そのことを伝えるためだったのではないか、という気もするのですが、
いかがでしょうか。

★――――――― 4/14

いろいろ考えたのですが。
 >「お亀を愛したい、自分(与兵衛)を愛したい、愛したい!、愛したい!!」
 >与兵衛を早く着地させてあげたくて、許してあげたくて、うずうずしている
というのは、ひょっとしたら、
田辺さんが「最初から抱いていた気持ち」なんじゃないか、と。

以前、ここで、
「無意識に育まれたもの」と「意識的に作られたもの」について、
私の考えを書きましたが、
田辺さんは、与兵衛に出逢った時から、彼を、ひとりの人間として、
「愛したい、許したい」と思っていたのではないか。
(演じる者として、意識的に作った感情ではなくて、‘無意識’のうちに)
しかし、その想いを表に出してしまったら、あの揺らめく与兵衛が表現出来ない。
だから、「有り余るほどの感情(愛情)」を‘意識的’に封じ込めて、
与兵衛を作り上げていた、のではないか、と。

そして、それは・・その「想い」は・・見事に隠しおおせられた。
私たちが与兵衛を観た時には、それを演じている田辺さんからは、
そういう感情は、まったく感じられなくて、
まったく「根無し草の与兵衛そのもの」になっていた、
ということなのではないか、と。

2回目に観た時に、
体力も精神も、少し疲弊(ひへい)してしまっているように思えてしまったのは、
むしろ、いつもいつでも懸命に
「与兵衛として生きよう」としているためだったのではないか、という気がします。
ブレずに「与兵衛として生きる」、
それを3ヶ月間持続し続けるのは、容易なことではないのも確か。
田辺さんの中で、それでも
「与兵衛として生きるための変わらない何か」「大切な何か」だけは、
間違いなく揺らぎなく存在してるように、私には思える。
いつも、ごまかさないで一生懸命に頑張っているから、失われずにあるのだ、と思う。

そういう田辺さんだから、そういうふうに、役に対して真摯であり続けるから、
私はファンであり続けているのだ、という気もします。

そして、続けて言わせてもらえば・・・
苦しんで苦しんでこの胸突き八丁を乗り越えた後、
田辺さんは、さらに、大きくかけがえのない財産を得るように思えてならないのです。

・・・なんて、こんなこと言ってると、
またまた、ファンの贔屓目、以外の何物でもない、ということに
なってしまうのでしょうかねぇ。(笑)

たくさんの書き込み、ありがとうございます。
ひとつのお芝居から、こんなふうに、それぞれ違った感想を持つ、って、
やっぱり面白い。
「見解の相違」と言ってしまえば、それまでなのですが、
皆さん、相手の想いをねじ伏せようというのではなく、
かと言って、自分の気持ちを曲げて相手に歩み寄ろうとするのでもなく、
いい意味での平行線を辿って、結論も出なくて・・・
でも、自分の気持ちを言葉にすることで、相手の気持ちを読むことで、
ひょっとしたら、何かが見えて来ることもあるんじゃないか、と、
そんなふうに思います。

★これらのコメントは、あくまで、翔の主観・私見によるものです。