『解夏』感想

解夏』感想 投稿日: 2004年1月30日(金)roji
観た直後の正直な気持ち。
「うーん・・・感想書くのがむずかしい映画だ」(苦笑)

 

人間って、こんなに綺麗に、病気を受け入れられるものなんでしょうか?

解夏』は、
長崎の観光キャンペーン映画でも、
大沢たかおさんのプロモーションビデオでもないはず。
作り手がこの映画を通して伝えたかったもの、
というのが、もっと明確でないと、
「映画を観に行く」という行動を起こした人達に対して、
「それだけの価値があった」と納得してもらうことは
出来ないんじゃないだろうか。

半落ち』の場合は、
良く出来ているように見えるのに、
あるところで物足りなく感じている自分自身、
というのがすごく面白い(興味深い)、と思えたのだけど、
解夏』は、そういう「物足りないと感じた部分への興味」さえも、
湧かなくて。
(思いっきりきつい言い方してます。すみません)

 

ただ、大沢さんはとても良かった。
笑顔と、泣き顔と、ふいに見せる少年っぽいところと、が、
肩に力が入ることなく、すんなりと流れるように自然に演じられていて、
もし彼のファンだったら、
そんな彼を観るだけでも、充分に満足出来たかもしれないなぁ、
などと、ちょびっと嫉妬心燃やしたりしました。(笑)

富司純子さんの「やわらかさ」も、好もしかった。
渡辺えり子さん演じるところのまんじゅう屋のおばちゃんとのやりとりは、
ひょっとしたら、この映画で一番好きなところかもしれない。

 

さて、田辺誠一さん。
ちょっと映画全体がモノトーンの感じだったので、
ひとりで明るくするには、荷が勝ち過ぎていたように思いますが、
「友人の病気を知ってなお、明るくふるまう」
・・・つまり、「普段の明るさを、隆之相手に‘演じている’」
という観方をすれば、いい味出してたんじゃないか、と。
松尾は長崎の明るさの象徴、隆之の母は長崎のやさしさの象徴なのかな、
なんてことも、ふと思いました。
ただ、そうなると、別れの際に隆之(大沢)を励ますセリフは、
「演じる」ことからストンと素に戻った松尾(田辺)の、
ナマな部分で発せられた言葉のはずだと思うのだけど、
それにしては、ちょっと「演じ過ぎ」じゃなかろうか、とも。

半落ち』では、演じなさ過ぎ。 『解夏』では、演じ過ぎ。
・・・・って、私の田辺さんへの注文は、滅茶苦茶だな、
と、自分でも思ふ。(苦笑)

 

この映画の前半に、柄本明さんが出て来るのですが。
本当に、気持ち良く「観ている自分」を委ねられる、というか、
ものすごく安心感があったなぁ、と。

「演じる」ってどういうことなんだろう、と、
田辺さんを観ていていつも思うのだけど、
柄本さんのような演技を見せられると、難しいことなんか
何もないんだなぁ、とも感じる。
ただ、自分をそこに置くだけでいいのかもしれない。
それだけで、充分なのかもしれない・・・・