『半落ち』感想:3

半落ち』感想:3 投稿日: 2004年1月27日(火)roji
映画を観ている時に、私がずっと密かに心の奥で感じていたことを、
言葉にすることが出来ていなかったことに気づきました。
それは何か、というと・・・・

私は、映画を観ながら、
「梶の選択は、ずるい」 と、ずっと思っていたような気がするのです。

たとえ、啓子(梶の妻)にとって「魂を失うのは、死んでいることと同じ」
だったとしても、
その生命を断ってしまう権利が、梶にあるのだろうか?
これ以上生きることが、啓子にとって、死よりもつらいことだ、と、
なぜ、梶に断言できるのか?

誰かに生きていて欲しい、と願う気持ちと、啓子の生命を絶つ行為は、
相反するものではないのか?
梶がそうであったように、啓子の命もまた、
誰かを救うものになるかもしれない、とは考えなかったのか?

梶は、これ以上啓子を見続けることにいたたまれなかったのではないか?
たとえほんのわずかにせよ、
自分の置かれた状況から逃げ出したい気持ちがあったのでは?
・・・・と。

たとえ、それらの代償として、「殺人という罪」が存在し、
「罰」を受ける覚悟が出来ていたとしても、
私には、やはりそれは、
「自分が犯罪者になっても、妻を救ってやりたい」という
「愛情の表現」というよりも、
「逃げ」でしかないように思える。
私は、最後まで支え続け、見届ける「つらさ」をこそ、
梶に選択して欲しかったのかもしれません。

だから、後半、藤林の家庭の話が出てきた時に、
病を持った肉親を見つめ、支え、
それを継続していく家族の大きな苦しみと、
それとは比べものにならないくらい小さい、でも、
間違いなく存在する、ほんのかすかな「なごみ(希望)」のようなもの、
の方に、より心を動かされたのだと思います。

本当の痛みを知らない人間の、甘っちょろい感傷、なのかもしれませんが。

 

藤林判事について。
演じていたのが吉岡秀隆さんだった、ということもあるのでしょうが。
父親との対峙のシーンは、吉岡さんならでは、という気がして、
私には、とても印象的でした。

以前、
「田辺さんにあの役がやれるだろうか」というようなことを書きましたが、
あの父親に向かった時の田辺誠一さんの表情、というのが、
私には、どうしても想像出来なかった。
だから、ああいうふうに書いたのですが・・実際はどうでしょうか。

高島礼子さんについては、
うだつのあがらない亭主に対する「デキル妻」
ってあたりを狙ったと思うし、
それにしては(脚本が)描き切れてない部分もあって、
高島さんとしては、あれだけやるのが精一杯だったような気がするけど、
田辺さんの役は、もうちょっと膨らませることが出来たんじゃないか、と。
階段のシーン、すごく意味のあることを言ってるはずなんだけど、
田辺さんの言い方が、すごくさらっとしてて、
こっちまで充分伝わって来なかったような気がしたので。

・・・・・・私、田辺さんに対して厳しすぎますか?

ちなみに、「半落ち」での、私の一番好きな田辺さんは、
中尾(鶴田)と携帯で話してる時の声、です。(笑)