『ナイトホスピタル』感想(BBS)

以下は、BBSに載せた『ナイトホスピタル』の感想です。

取り急ぎ、初見。 投稿日:2002年10月22日(火)
ナイトホスピタル』1・2話を観て。
かなり本格的な医療ドラマ(という言葉があるのか?)にするつもりらしい、と感じました。
登場人物何人か(大久保・坂本あたり)にも、医療に関する問題を抱えさせてる
みたいですし。

森沢(仲間由紀恵)vs大久保(高島礼子)、というのを基本形にするのでしょうか。
森沢の立ち位置というのは、はっきりしてると思うのですが、
大久保の立ち位置が、いまいち良く判らない。
「細胞と人間は違う」と言い切るのなら、
森沢が感じた疑問を、聞く耳ぐらいは持ってもいいのに、と思う。
へたすると、仕事に流されてる印象を与えかねない、と。

ただ、臨床医と病理医(現在は臨床医だけど)という、立場の違うふたりが、
ぶつかり合いながらも、患者の為に、精一杯力を尽くす・・
どちらも、自分の足りない部分を認め、相手の優れた部分を理解し、
やがて、よりよい医者になって行く・・
病気の原因の究明と、確実な治療、という2本立てが揃って初めて、真の医療が出来る・・
というのなら、何となく、先が見えない事もない。
(その為には、森沢が常に正しいばかりじゃない、という部分が欲しいですが)

東(田辺誠一)はどうかというと、
「森沢vs大久保」の図式の中で、どういう立場にいるか、というのが、
どうもよく見えないんですよね。
まだ、ほとんど手探り状態、という感じで。
田辺さんの中では、ちゃんとした「東像」みたいなのが出来上がってる気もしますが、
観てるこっちが、それをまだよく掴み切れてない、と言うか。
ただ、間違いなくめちゃくちゃいいのは、東の小児科医としての顔。
あの顔観てると、いくら森沢に憎まれ口たたいても、「あ、結局いいヤツじゃん」と
思わされてしまいます。(笑)
森沢が、今後、東の中の「何」を揺り動かすのか、それもまた楽しみにしたいです。

高体温♪  投稿日:2002年11月21日(木)
今週の『ナイトホスピタル』・・・嬉しかったですねぇ。
何が、って、東先生の体温、高いじゃないですか、熱いじゃないですか。

こんなふうな‘熱さ’って、
今まで田辺さんが演じた役では、私、ほとんど感じたことがなかったので、
なんか、ものすごく嬉しくなってしまって。(「うるせぇよ」も聞けたし)
ますます、「俺に近づくと火傷するぜ」的な「危険な男」になって欲しい、なんて、
また妄想がふくらむのでした。
(私って、根はミーハ-)

うーーん・・・・  投稿日:2002年11月26日(火)
ナイトホスピタル』って、どうも「病気」の肝心なところに踏み込んでない、
と思うのは、私だけでしょうか。
「病院」という特殊な空間に、さらに「夜間」という限られた時間を持ち込んだ、
その意味って、いったい何なのか、が、いまだによく分かりません。

病気を究明するあたりに、発想のカケラみたいなものを感じることはありますが、
どうも、それが全体のストーリーの膨らみに発展しないもどかしさもあるような気がします。

東先生の病気に関しても、
「○○という病気かと思ったら、実は△△だった」
という、単なる病名発掘ドラマになってしまわないか、と、かなり心配になってきました。

人の命が、とても重いものであるのは当然で、
だからこそ、病(やまい)を抱える人間の辛さや痛みも、半端なものではないはず。
まして、自分自身が医者であれば、背負うものはより大きい。

ここまで、エピソードとして少しずつしか語られなかった「病気を抱えた東先生」が、
ドラマの中心として語られるようになった時、
はたして、そこに、
「病を抱えた医師としての苦悩」を、
「病気と徹底的に闘うひとりの人間の姿(その弱さも強さをも)」を、
ただ、手の震えやおびえた表情だけでなく、
もっと奥深いところから現出させることが出来るのか、
俳優・田辺誠一のお手並み、とくと拝見したい、
というのが、今の私の正直な気持ちです。

今週は・・  投稿日:2002年12月 3日(火)
吹越満×三船美佳コンビにさらわれましたね。
三船さんは、『R-17』の時、うまいなぁ、と思ったのですが、
今回も、ポーンと役に身を投げ出してる感じで、
観てるこちらも、すごく感情移入してしまいました。

びっくりしたのは、吹越さん。
こんなに「受け」のうまい人だとは思いませんでした。
彼女を抱きしめた時の、微妙な微妙な表情の変化・・・・惚れ直しました。

さて、田辺さんですが、
今回は、↑のおふたりの自然な演技に、一歩譲った感があります。
ひとり、色の違った演技(病の表現に、手の震えは必要不可欠だったのでしょうが)
だったので、観る側を引っ張り切れてない感じがしました。

この自然な空気を、来週、「東の病」という違った空気にどう変化させて行くか、
今週とは違う緊迫感を、どういうふうに持たせて行くか、
楽しみ、というより、恐い、と言った方がいいような・・・・・

実は、予告を観て、びっくりしてしまって。
東中心のストーリーを、ワクワクして待ってる、という雰囲気じゃないな、と。
いくら役の上での病気でも、観てるのがつらくなるんじゃないか、と。
少なくとも、予告の東は「壮絶」だったので。

私が震えたのは・・・・  投稿日:2002年12月11日(水)
自分でもよく分からないんだけど、
たぶん、田辺さんが、「俳優・田辺誠一」としての‘ハードル’を持たない人だったのだ、
と、思い知らされたからなのかもしれません。

普通、俳優さんって、自分の個性というものを持っていて、
オファーも、その色に合ったものが来るし、
自分も、その色で勝負したい、という気持ちがあるんだと思う。

たまに、その色を壊したくて、違う色の役を演じて、「新境地」なんて言われて、
それはそれでちゃんと評価されたりもするけど、
でも、結局は自分の持ち場、自分の色が最大限出せる場所に戻って行く。

それが、その俳優の個性となり、その俳優の魅力ともなる。

でも、田辺さんは、違う・・・違う気がする。
彼には、「自分に出来ないこと」の制限を課す気持ちが、最初から、ない。
自分を他の俳優と比較し区別する、「個性」や「自分だけの魅力」を、
打ち出そうという気もない。

ただ、周りの人間の気持ちを受け止め、
それを、自分の内で、すべてのエネルギーに替えて、表現する。

ひょっとしたら、田辺誠一という俳優の個性は、「個性を持たないこと」なのかもしれない、
なんて、今日一日、そんなことを考えてました。(あいかわらずの私見

で、今回、私が一番好きだったのは、
公園で、礼(須賀健太)が遊ぶのを見ながら、母である大久保先生が話すのを聞くシーン。

ただ、立って、話を聞いているだけなのに、
そこにいるのは、まぎれもなく、東浩太郎だった、と、
少なくとも、私にはそう見えました。

いや、他のどのシーンを取っても、そこにいるのは、東であり、
東として、微塵の揺らぎもなかった。

だから、ラストシーンも、衝撃的ではあったけれども、
東の病の行き着くところとして、不自然とも、イヤだとも思わなかった。

田辺さんのこの演技を、簡単に「うまい」という言葉で括(くく)ってしまうのは、
私には抵抗があります。

う~~ん、だからと言って、どういう言葉を使えばピッタリ来るのか、
よくワカラナイ、ってのが、現状だったりするんだけど・・・・

「家族が出て来ない」というお話ですが、
今まで、ひとつの物語の中に、少なくとも一人は、
必ず励まして(反発の場合もありますが)くれる人が出て来てた、と記憶しています。
東の場合、生死にかかわる病気でありながら、
その役を、身内でも恋人でもない「医者」である森沢が引き受けることになる・・・・

それって、東・森沢、どちらにも、あまりにも辛いものがあるんじゃないか、と、
思ったんですが。

でも、ひょっとしたら、それも、何か意味があるのかもしれないので、
来週を楽しみにしたい(ちょっとコワイけど)と思います。

あんまり期待しないようにしよう  投稿日:2002年12月12日(木)
とは思ってるんですが、妄想ばかりが先走って、気持ちを押さえることが出来ません。
いろんなことを考えては、堂々巡りしてるみたいなところがあります。

私が最終回に期待するのは、東vs森沢のぶつかりあいです。
森沢の医者としての成長を描くために、東の壮絶な病との闘いが用意された、
(そのために、田辺さんにあれほどの演技を要求するのはヒドイ)という見方も、
当然出来るかもしれませんが、
私は、今日一日いろんなことを考えるうち、
ちょっと違った見方、期待の仕方、をするようになりました。

このドラマでは、今まで、森沢が実際に主人公になったことがありません。
森沢は、あくまで傍観者(医者としてのからみはあったとしても)で、
彼女の周辺で起こるさまざまな出来事に、
強い関わりを持つことがなく、ここまで来ました。

患者と彼女の間には、患者の家族や恋人や友人が介在していて、
彼女は、ただ、患者と、そういう周囲の人たちが、新しい一歩を踏み出す手助けを
(病名の発見、という部分で)しているに過ぎなかった、という気がします。

しかし、東の場合は、森沢との間に介在するものがない。
つまり、最終回で初めて、森沢は、傍観者ではなく、このドラマの真の主人公として、
東という患者と対峙することになるのではないか。

森沢(仲間由紀恵)が、その時、自分の何を、どれだけ引っ張り出せるのか、
そのカギを握っているのは、当然、東(田辺誠一)ということになる・・・・

眠れぬ夜を抱いて』の最終回で、
私が田辺さんの進藤要士を観て、「舞台あらし」を想像してしまったのは、
進藤のあの「熱さ」を受け止める「相手」がいなかったことが原因ではないか、
と、今、そんなふうに考えます。
ぶつけるべき相手(中河欧太)の不在が、
あの「熱」を、宙に浮かせてしまったのではないか、と。

しかし、今回は、東の「熱」を受け取る相手がいる。
東である田辺さんのテンションの高さを、
森沢である仲間さんが受け止め切ることが出来るか否か・・・・

私はむしろ、仲間由紀恵のための田辺誠一、ではなく、
田辺誠一のための仲間由紀恵、という、
かなり偏見に満ちた眼で、最終回を観ようとしている、のかもしれません。

最終回初見です  投稿日:2002年12月17日(火)
うーーん・・・・
食い足りないと思った部分と、興味深いと思った部分、相半(あいなか)ばした、
というところでしょうか。

食い足りない部分は(今回ばかりじゃありませんが)、
病気に対する患者や医師の向き合い方が、どうも類型的になってしまうこと。
先が読めてしまう、というか、
患者の病気の向こうにあるものへの突っ込みが甘い、というか。
だから、病気を抱えた人間の必死さ、ひたむきさ、みたいなものが不足している、と、
最初からずっと思ってたことを、今回も感じました。
(主に脚本・演出の問題)

良かった、と言うより、興味深かったのは、
東と森沢のあいだに、最後まで恋愛感情を挿まなかったこと。
徐々にほのぼのした感情が育ち、やがて・・みたいな展開だったら、
田辺さんも、あ~んな表情や、こ~んな表情をフル稼働させて、
得意の展開に持ち込めたんでしょうが、
そういう甘さが一切なかったことが、かえって、また「新しい田辺誠一」を観たようで、
非常に興味深かったです。

俳優としての田辺さんに対しては、
役が魅力的かどうかによっての好き嫌いはあるにせよ、
私個人としては、このところ、ずっと、安定した評価を抱いています。
このドラマでも、今まで見たことのなかった田辺さんを、
たくさん見せてもらったな、という気がします。

ただ、最終回で、あと一色、何か違った色を見せてもらうことが出来たら、
もっともっと高評価になったのでは、と思うのですが・・・・・
(贅沢?)

やっぱり、あと1回欲しかった  投稿日:2002年12月18日(水)
せめて、森沢が東を連れて病院をこっそり抜け出した後ぐらいから
最終回だと良かったのに。
あまりにも、いろんなことが起こり過ぎて、散漫になってしまった気がします。

後半(森沢の家に移ってから)、
もっときちんと、脚本が丁寧に時間を追いかけることが出来ていたら、
随分面白い展開になっていただろうに、と、残念でなりません。

医者が、民間療法を患者に施す、
それが「医療行為」でないとすれば、医者が罪に問われてしまう、という事実。
しかし、縋(すが)れるものならワラでも縋りたいと思ってる患者には、
何が医療行為で、何がそうでないか、なんて、何の意味もないことで、
医者というのは、いろんな柵(しがらみ)を取っ払って、
そういう患者に向き合って、手を取ってあげることが大切なんじゃないか。

ひとりの患者のために、ひとつの病院の存続をかけてもいいぐらい、
人の命というのは、重いものなんだ。

拝金主義に見えた院長(竹中直人)が、実は、
ちゃんと患者のこと、医者のことを考えてくれていた。

・・・・そんなさまざまな出来事が起こった半年のあいだ、
森沢と東は、あの部屋で、どんな会話を交わしたのだろう。
絶望と希望とのはざまで、
時にぶつかり、時にいたわり、時に傷つき、時に泣き、笑い・・・・
そうして少しずつ光明を見出して行く、
その、気の遠くなるような「時間」をこそ、描いて欲しかった、と思う。

東が、もし、医者でなかったら、
きっと、もっともっと森沢に縋ろうとしたに違いない。
ひょっとしたら、恋愛感情に発展したかもしれない。

でも、彼は医者で、
自分の病気がどんなものか、ちゃんと理解している。
病気との「距離の取り方」を、ちゃんと知っている。
だからこそ、「情」ではなく、純粋に「医者」としての森沢の力を必要とした、
ただ、ひたすら「病気」と闘うために。

東の、森沢への寄り掛かり方、というのが、
私には、「医者として、無理のないもの」に思えました。