『37歳で医者になった僕』(第9話)感想

37歳で医者になった僕』(第9話)感想

気がつけば、毎週、
『リーガルハイ』と『37歳で医者になった僕』という
歯ごたえガッチリのドラマが重なる火曜日を心待ちにしている私・・
今回は特に、どちらも、観ているこちらの予想をはるかに上回る展開で、
ドラマファンとしては、とても嬉しく興味深く観ることが出来ました。



さて『37歳で医者になった僕』――
このドラマが11話かけて伝えたいことの全貌が、
徐々に具体的な形となって見えて来たように思います。


伊達(竜雷太)の死について、
そもそも佐伯(松平健)の誤診が引き金になっていた、
という事実を、必死に隠そうとする側近たち。
そこには、大事な学部長選が間近に控えている、という裏事情もあって。


そんなことで誤診をごまかされたり踏み潰されたりしたら、
患者やその家族は たまったもんじゃないですが、
だからと言って、下田(八乙女光)のように、責任を感じて退職願、
というのも、決して正しい選択とは、私には思えなくて。
もし、下田が医者を続けていたら、
これから先、いったいどれだけの人を救うことが出来るだろう・・と思うと、
医者を辞めるという形で患者への責任を取る、というのは、
どこか間違っているような気がするのです。


時に患者にとって命取りになってしまうミスや誤診は、
もちろん、医療従事者としてあってはならないことですが、
医者は神様じゃない、
完璧であろうとしてもそうはなれない、しょせんはちっぽけな人間で、
迷うことも、間違えることもあって。


それでも、病気は待ってはくれない。
重篤(じゅうとく)な患者の前で、医者は常に正確な判断を求められる。
その判断が、時に、生か死か、に直結し・・そして時に・・
「間違い」が起きる・・


では、いったいどうすればいいのか・・
懸命な治療をして、それでも
あってはならない間違いが起きてしまった時に、
そういう立場に立った時に、
医者として どうすることが最善の道なのか・・
その難しい命題を、誰もが真剣に考える、考えざるをえない、
そういう回だったように思います。


自分の担当の患者ではない伊達のことを考え、
婚約者・すず(ミムラ)の変調に気づかなかった佑太(草彅剛草なぎ剛)。
すずに対して、婚約者としても医者としても向き合わなければならない
彼は、普通の人よりずっと重いものを背負わされている・・
100%の治癒を望む婚約者としての自分と、
それだけの治療をするのが難しいことを知っている医者としての自分と・・
これから、彼の中でどうバランスを取って行くのだろう、と思うと、
とても切ないし、
新見(斎藤工)や中島(鈴木浩介)の、
「権力」と「良心」の間で揺れ動く姿にもまた、
ナマの人間が医者をやっている、というリアルが深く伝わって来て、
何だか胸が痛いし。


そんな中で、沢村瑞希水川あさみ)が、
このドラマすべての医者(佐伯も森下も含めた)の
「支柱」となっているような気がしたのは、私だけでしょうか。
彼女には、どこか、「医者としてのすべて」を内包しているような、
達観したところがあり、あらゆる感情や事情に呑み込まれない
傍観者のような距離感があるように感じられます。
主人公・佑太が揺らぎを示し、森下も正体が読めない今、
彼女がいることで、私は、
ようやく安心してこのドラマを観ることが出来ている・・
と、そんな気さえしています。


それにしても・・
この脚本の伏線の張り方は本当に見事です。
今回の佐伯教授の異変は、
ゴルフコンペの時の何気ない会話から読み取れたものだし、
森下(田辺誠一)の「夢のかけら」は、
早い段階で本人から佐伯に提示されているし。
もう一度最初から観直したら、
もっといろんな伏線が張られていることに気づくことが
出来るかもしれない。
森下は、自分のことを「佐伯教授の後継者」と言ったけれど、
いったい「何」の後継者なのか・・
それを読み解くヒントもまた、どこかに隠されているのでしょうか。
・・そう、たとえば、
おそらく彼女のサインを受け取った人たちしか観ていないであろう、
あの昔の人気TVドラマのDVD・・とかに・・・



俳優さんたちについて。
こんなふうに、すべての役に明確な存在理由が与えられているドラマは、
観ていて本当に面白い(見応えがある)のですが、
出演している俳優としても、相応の力量を持っていないと、
脚本に負けてしまう可能性があって。
中でも、この作品で一番難しい役をあてがわれているのは、
他でもない、主役・紺野佑太を演じている草彅剛さんではないか、と。


主人公の成長物語、とはいえ、佑太はすでに37歳。
若い下田のように、何事にもまっすぐにぶつかって行き、失敗し、
そこから学んで行く、というような、明解な道筋を取れないんですよね。
佐伯や森下の「大人の事情」も読めてしまうし、
なまじ医者であるせいで、
すずの病気に対して、家族としてストレートに
想いや願いを共有してやることも出来ない。
どんどんいろんなものを背負って寡黙になって行く佑太・・
そういう彼を、草彅さんは、‘作らずに’演じているように思います。
何だろうなぁ・・草彅さんって、演じることに無理をしていない、
って感じがするのですよね。
分からないことを無理に分かろうとしないで、
分からないまま演じている、って言ったらいいか。
なのに、ちゃんと「役」の中央に存在している・・不思議な人です。


斎藤工くんは、
『江』の時はあまり興味がなかったんだけど(すみませんw)
この新見を観ていて、惹かれるようになりました。
悪い人間を演じていても、
その俳優さんのキャラクターで いい人感が滲み出てしまう、
という人もいるけれど、
彼は、ちゃんと新見という人間の芯を掴んで、
自分の色味を抑えて演じている。そこがすごいなぁ、と。
新見は、悪いんじゃなくて弱い・・
そういうところが、彼が演じることによって、
ちゃんと伝わって来たように思います。


鈴木浩介さんも、惹かれた一人。
中島って、最初は単なる佐伯の腰ぎんちゃくだと思ったんですが、
鈴木さんが実に丁寧に演じているのを観て、
ひょっとしたら違うのかもしれない、と思い始めて。
そうしたら、回を追うごとに、
中島なりの医者としての姿勢、みたいなものが見えて来て、
これも単純な役じゃなかったんだ、と、気づかされて。
で、案外、教授が似合う人間になって行くのかなぁ・・などと、
つい、先々のストーリーを勝手に作ったりして。


さて、田辺誠一さん。
森下准教授を初回からずっと観て来て、
すっかり 素敵な大人の俳優さんになってしまったなぁ・・と感慨深し。
(彼よりずっと年上なので、上から目線はご容赦w)
これまでも、同じような感慨を持ったことはあったんですが、
こんなに「大人」だと思ったのは、初めてな気がします。
今までは、40代(の役)と言っても、どこかに30代の甘さとか青さとか
そういうものを感じてしまうことが多かったんですが、
この役からは、そういう未熟さみたいなものが一切感じられなくて・・
あえて、感情の幅を非常に狭(せば)めて演じていると思うのですが、
そんな難しい表現の中からも、きちんと響いて来るものはあって・・


今回私が一番好きだったのは、
教授会の日程が書かれたホワイトボードを見つめた時の、
ひんやりとした鋭い視線。
普通なら、そこに、
悪役としての何かしらの意味を持たせようとするのでしょうが、
田辺さん演じる森下の表情からは、
そういう‘いかにも’な作り物めいたものは感じられず、
でも、だからこそ「読めない怖さ」がある、とも思われて、
ゾクッとくるものがありました。
あと2回、悪としての本領を発揮しつつある(ように見える)森下を、
どんなふうに演じてくれるのか、が、
ますます楽しみになりました。



公式サイトに、田辺さんのインタビューがアップされていました。
草彅さんに対するコメントが、とても興味深かったです。
『37歳で医者になった僕』公式サイト・インタビューページ