『ガラスの仮面』雑感

ガラスの仮面』(「ドラマ×田辺誠一」+「原作マンガ」)雑感です。思いつくまま書いてみようかと。

   ****

昨年10月から今年4月にかけて、BS朝日にて『ガラスの仮面』『ガラスの仮面2』が放送されました。

このドラマは、私が田辺誠一さんのファンになるきっかけを作ってくれました。
特に『2』の後半、田辺さん演じる速水真澄にすっかり惚れ込み、以後、田辺関連のホームページやブログを作るなどして、20数年、ずっと(時期によって距離感の遠近はありますが)田辺さんを追いかけることとなり、今に至っています。

もともと原作の『ガラスの仮面』が好きで、マンガもずっと読んでいたのですが、ドラマになった当初は、原作への思い入れもあって あまり真剣に観ようとは思わず、『1』は最終回近くなって何話か観る程度でした。
『1』の評判が良かったこともあって 『2』がドラマ化された時は、どんなもんだろう?と興味が湧き、最初から観ました。そこで感じたこと…
田辺さん演じる速水真澄は、原作とはちょっと違っている、でもその「違っている部分」というのが、私にはすごく興味深かった。速水真澄としての空気感(全体の雰囲気や表情、マヤへの想い等々)が原作以上に響いて来ることも多く、あっという間に速水@田辺にドハマリしたわけです。

今回、久しぶりに観た『ガラかめ』は、やはり面白かったですが、田辺さんに関して言えば、正直、どこか物足りなさも感じる。
たとえば、安達祐実さんにしても、野際陽子さんにしても、今 同じ役を演じても あの時とほとんど変わらない気がする、つまり、あの時点でほぼ出来上がっていた気がするのですが、田辺さんは違うと思うのですよね。
あの時はまだ、演技として未熟な部分があったのだなぁ、と、あれ以来、田辺さんが演じるとんでもなく幅広い多彩な役を数多く観続けて来て、改めて思います。
無理な注文とは分かっているのですが、「ああ、今の田辺さんで観たかったなぁ」(年齢完全無視…というか、原作の速水の一種 老成した雰囲気は、今の田辺さんの方が近い気がするw)と思うこともしばしば、で、その気持ちが、物足りなさに繋がっているのかもしれません。
だって本当に凄いと思うから、田辺さんが俳優として20年積み上げて来たものって…
しかも、あの時田辺さんが醸し出した「速水真澄の 少年のように純粋で痛々しいほどの優しい躊躇(ちゅうちょ)」は、20年以上経った今でも俳優・田辺誠一の内に宿っているに違いないし…

原作が非常にスローペースで、なかなか進まないこともあり、ドラマを観てからは、何となく本家のマンガに違和感を覚えるようになってしまい(本末転倒w)、マンガの速水を見て「田辺さんと違う!速水さんじゃない!」と訳の分らんことを思い(爆)、それでも、この大大大長編マンガの最後がどんなものになるのか、という興味は、やはりあって。

先日、オペラ『紅天女』の無料配信を観ました。この芝居を最後まで描いた(脚本を担当)、というのは、美内すずえさんにとって、『ガラかめ』のラストを描く決心がついた、ということなのではないか、と、勝手に思ったわけですが…

実は、私の中でも、もう『ガラかめ』のラストは出来上がっています。もちろん勝手な妄想ですがw、それは、ずっと変わらず私の心の中で発酵し続けています。

ここからは、私個人のまったくの想像・空想・妄想の中でのお話、と強く断りを入れておきますが―――

『ガラかめ』の連載が始まったのは、いわゆる「少女まんが」というジャンルがより広い世界に認められ出した頃。『ベルサイユのばら』や『エースをねらえ!』といった、今も語り継がれるような傑作が生まれ、その後の「二十四年組」に繋がる流れの中。
連載当初、美内さんは『ガラかめ』を2巻ぐらいで終了させようと考えていたらしいですが、その思惑がはずれたのは、もちろんマンガ自体がすごく面白かったので多くのファンの支持を得た、ということが一番大きかったとも思うけれど、私はちょっとひねくれた観方をしていて(そういうの得意というか大好物なのでw)、実は『エースをねらえ!』が陰に影響していた部分もひょっとしたらあったのではないか、という気がするのですよね。
『エース』の岡ひろみと宗方仁の師弟関係は、北島マヤ月影千草に近いし、「紅天女」を姫川亜弓と二人で争うようになってからは、マヤと速水真澄の関係にも似ている部分があるなぁ、と。
どちらのマンガも、主人公だけでなく、主人公の夢を支える側の人間の葛藤にもしっかりと筆を費やしている。宗方がテニスを通して本人に知られないままひろみを愛する姿は、速水が紅天女を通して密かにマヤを愛する姿に被(かぶ)る‥なんて、そんな観方をするのは私だけなのかもしれないけどw。
でも、テニスと演劇、という違いはあるにせよ、宗方と速水の底に流れるひろみやマヤへの愛情の深さは、俗に言う「男女の恋愛」といった言葉だけでは簡単に括(くく)れないもののような気がするのです。
それは、どちらかがどちらかを真似た、ということではなくて、あの時代、たとえば『ベルばら』などにも通じる、非常に大きなものに共に立ち向かう「姿勢」と言えばいいか、互いが相手だけを見つめる、といった男女の恋愛関係(だけ)ではない、互いが支え合って、高みにある最も大切なもの・命を懸けて悔いないもの に向かってひたすら突き進んで行く、そのひたむきさが、あの当時の少女マンガのいくつかに共通する世界観として存在していたのではないかと。
(美内さんが稀代のストーリーテラーと言われる所以(ゆえん)は、さらにその上に、速水というキャラに対して、自分の素直な感情を告白出来ない事情を挟み込んだ、というところなんじゃないか‥というのは閑話)

『ガラかめ』が、当時の美内さんの思惑通りに短期間で終われなかったのは、「命懸けで何かに挑む物語」を、ベルばらやエースのすぐ後に三番煎じのように終わらせたくない、というような、密かなためらいがあったのではないか、という気がするのですが‥まぁ考え過ぎかなw。

いずれにしても、終わりの時期を逸したガラかめは、美内さんのそれこそ未曽有の「あらゆる設定の物語をいくらでも生み出せる稀有な才能(能力)」もあって、次から次へと新しいドラマが紡がれて行き…そして40年、49巻を経て、未だに終わらない。

49巻が世に出てはや8年(2012.10刊)にもなるのに、そこから50巻へ踏み出せないのはなぜか。
もちろん美内さん自身の個人的なさまざまな事情もあったでしょうが、私は、美内さんの中で、自分が決めたこの物語のラストを実際に描くことへの迷いがあったのではないか、という気がしています。
あの時代なら描けたことでも、今の時代に同じように描くことが可能なのか、描いてしまっていいのか、等身大の少女を描くことの多い現在の少女マンガという括(くく)りの中で、良く言えばドラマチック、もっと言えば荒唐無稽でさえある(でもそこが面白いんだけど)このマンガが、あの頃のように、皆に受け入れてもらえるのかどうか…

これだけ長く続けていると、このマンガのラストはどうなるのか…と、ファンの間でもさまざまな憶測が生まれます。
マヤと速水が結ばれる大団円を望むファンも多いですが、はたしてどうでしょうか。
二人が幸せになる、という括りで言えば、私が考えた最後も、あながちそこからはずれたものではない、という気がします。
マヤの一番の幸せとは何か、速水の一番の幸せとは何か…
マヤが紅天女になるために最も必要なものを速水だけが与えられるのだとしたら…
互いが互いを求め、ひとつになる‥オペラで阿古夜と一真がひとつに溶け合って自然そのものと一体になったように、速水がマヤの内に溶け込んで一体となり、紅天女を演じる‥それが二人の幸せであり、二人の紅天女であり、それがこの長い物語のラストなのだとしたら…

そして、マヤの永遠のライバル亜弓については…
これから先、速水のマヤへの大きな愛、それこそが、亜弓がマヤと紅天女を争う上での、もっとも大きな厚い壁となるのではないか、という気がします。
視力を失いつつある彼女がこの試練をどう乗り切るか、も、非常に気になるところですが(どんな形であれ、ハミルの存在が大きくなって行って欲しいです)、亜弓派の私としては、彼女には、さらに大きな役目を背負って欲しい、とも思う。
常にマヤの前を走る、走り続ける…
紅天女に選ばれるか否かにかかわらず、彼女には、そうやってずっとマヤの前を走り続ける、いつまでも「マヤが目指すべき女優」であって欲しい、と願ってやみません。

ここに来て(実はこの記事を書くために40巻から再読したw)桜小路優の存在が、控えめでありながら重要な役目を担うのではないか、と思われるようになって来ました。マヤを実質的にささえて行くのは、彼の今後の役目になって行く気がします。

そして‥ 実は、このマンガで私がもっとも気になっているのは、紫織さまの去就。どういう結果になるにせよ、決して紫織さまが不幸であってはならない、彼女こそ絶対にこれ以上不幸にさせてはならない‥と、そう願っている自分がいます。速水やマヤのためにも。
(ふと、ドラマ『きみはペット』の蓮實@田辺さんを思い出した、なぜだろう)

まとまりませんが…
これが、今現在、私の心の中にある『ガラスの仮面』の姿です。


追記。
ガラスの仮面』『ガラスの仮面2』と来たら、ぜひ『完結編』も再放送して欲しいし、すべて込みでのDVD化というのも、過去に周囲の田辺さんファンと一緒に実際に「完結編のビデオ化お願い運動」をした者としては、それこそ「悲願」ではあるのですが…
原作が終わらない限り、なかなか難しいのかな、と、私は思っています。

そもそも、原作が終わっていないにもかかわらずドラマでピリオドを打ってしまう、というのは、とても難しいこと。原作者の最も大切にしているテリトリーにズカズカ踏み込んで、作者が丁寧に丁寧に練り上げて来た最終回のイメージを、へたすると壊してしまう可能性もあるわけで。
たとえば『JIN~仁~』というドラマは、1クールで無理に終わらせず、原作のマンガが終了してから完結編を作りましたが、それほど慎重に扱わなければならない事なのだと思うのです。
だから、『ガラかめ』も、完結編を作ってくれただけで感謝、原作が終わっていないにもかかわらず その許可を与えてくれた美内さんの懐の深さにも感謝、という気がします。

『完結編』は、まだ原作が描いていない部分に触れている(ドラマ独自の解釈で一応の終止符を打っている)。なので、再放送は難しい、というのが、私の見立て。
原作マンガが無事終了したら、『完結編』の放送も、『ガラスの仮面』すべてのDVD化も、ファンからのリクエストが多ければ、美内さんからOKが出るのではないでしょうか。
だから、望みを捨てないで待っていよう、と思います。

…ん~~、ただ、原作はまだ「紅天女」の試演にも至っていない。
オペラ化でついに「紅天女」のラストを描いたことで、美内先生が本家の『ガラかめ』を描く気になってくれたとしても、50巻どころか、60巻ぐらいまでかかりそうな気がするなぁ (-_-;)

   ****

↓ 49巻未読のまま7年半前に書いた「ガラスの仮面 考」
私の『ガラスの仮面』(原作)に対する観方は、この当時とほとんど変わっていないなぁ、と、改めて思うw
『ガラスの仮面』考 - 路地裏より愛を込めて