『ライフ・イズ・ジャーニー』感想

2003・6公開 (2003・12・3DVD発売)
以下は、BBSに載せた『ライフ・イズ・ジャーニー』の感想です。

『ライフ・・』初見 『ライフ・イズ・ジャーニー』:1 投稿日:2003年12月 4日(木)showm
今、観終わりました。
田辺監督インタビューは、あえて未見、
あくまで作品のみの初見感想、ということになりますが・・・・

4本のうち、一番好きだったのは『ん』でした。
主人公ふたりが、とても魅力的だった、ということと、
「言葉遊び」が中心で、セリフに重みを持たせていないので、
逆にすんなり受け取れるような気がしたので。

『ヤ』は、女の子らしい瑞々しさにあふれてて、日常の切り取り方がうまいな、と。
ただ、たわいないことに笑い転げつつ語られるふたりの会話が重たいので、
特に前半を観てて、ちょっとしんどかった。
あれは、女の子が日常使う言葉じゃないんじゃないかなぁ。

『LIFE』は、技術的にすごく面白いことをやってるし、
それを、女性の一生に見立てた着眼点は、すごいと思ったし、
セリフ抜きで、あれだけのことを伝えられる、という意味でも、
確かにすごい作品だと思うけれど、
あれだけのことが出来るなら、さらに一歩、あと一歩、あの女性に食らいついて欲しかった。
イデアだけでなく、技術だけでなく、「女性の一生」を描く努力、というか。
うーん、でも、それをやったら、せっかくのあのアイデアが、うまく機能しなかったかも。

『No where』。
3月23日と4月3日の間に流れる特別な時間、
その中で、自分自身を見失いそうになる感覚、みたいなものは、たぶん、
田辺さん自身の実体験、というか、実感覚なのかもしれない。
その部分は、すごく興味を惹かれたのだけれど、
それが、この作品の中で十分に膨らみ、十分に練り上げられてこちらに伝わったかというと、
ちょっと首をかしげたくなる。
「何を捜し、何を見つけたのか」を、もっと端的(たんてき)に描いてもよかったんじゃないか。

・・・ああ、なんか、ものすごく辛口になってますね。
でも、全体の感想としては、すごくクォリティが高いと思ったし、とても面白かったです。

あと特筆すべきは「撮影」ですね。
フレームに納める部分の切り取り方というのが、すごく素敵だなぁ、と思いました。


Re:ありがとう 『ライフ・イズ・ジャーニー』:2 投稿日:2003年12月 5日(金)showm
好きだったら、何を言ってもいい、何をやってもいい、というもんじゃないけど、
逆に、好きだったら いやなことは言っちゃダメ、ってことも、絶対にない、と、
少なくとも私はそう思っていて、
それは、そのまま、この≪翔夢≫の根っこを成してる大切な部分でもあるような気がします。

ならば、私の気持ちも正直に書かねばなりますまい・・・・・

おそらく『ん』がなければ、
私の感想も、もっともっと辛(から)いものになっていたかもしれません。

『No where』が、もし、ひとつの作品として世に出ていたら、
私の気持ちは、かなり落ち込んでいたかもしれないです。

どうしても受け入れられないものは、私にもいっぱいあったんですよ。

それでも、今回、トータルで「面白い」と思えたのは、この映画が、
4短編で、ひとつの作品『ライフ・イズ・ジャーニー』を形作っていたからかもしれません。
ある作品で「重い」と思っても、他の作品で中和されて、重さが苦にならなくなる。
「語り過ぎ」の作品があっても、語らない他の作品があって、差し引き0になる。
そういう、全体のバランスがあって、受け入れられたものも多く。

それと、前回の『DOG-FOOD』に比べ、
田辺監督が、人に預けた部分というのが、格段に増えていて、
監督から預かった人たちが、おそらく、監督の予想通りの力を発揮してくれたんだろうな、
と思えたことも、嬉しいことでした。

この映画では、
監督・脚本・プロデュース・俳優、と、4つの顔を持つ田辺さんですが、
中でも、私がもっとも興味深かったのは、プロデューサーとしての田辺さんでした。
「人の集め方の妙」というか、何と言うか(キャストにしろ、スタッフにしろ)
そのあたりのフィット感がすごく心地良くて、
で、この映画を「面白い」と感じた、ということも言えるのかもしれません。

うーん・・・そういうところで「面白い」と思われても、
仕方ない、っていえば仕方ないのかもしれないけどね。(笑)

少なくとも、私にとっては、『DOG・・』の時のように、
この映画を「田辺さん捜し」の手だてにすることがなかっただけでも、良かった、
その分、随分と気楽に観ることが出来て良かった、
と、今は、正直、そういう気分でもあります。
監督インタビュー観て、どう変わるかわかんないけれども。(笑)

Re:ありがとう 『ライフ・イズ・ジャーニー』:3  投稿日:2003年12月 7日(日) showm
『NO WHERE』
たぶん、田辺さんにとって、この作品を作らなきゃ○に出来ないことがあったんだろうけど、
観ていて、「もういいんじゃないの」と思ってしまった。
テーマは、すごく面白いと思ったんですけどね、田辺さんらしくて。

『SWIM2』を観た時、
ほとんど楽しめたのに、ある部分で二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなってしまって、
結果、トークの時に、『SWIM2』全体の感想にならなかった、という経験があって、
でも、今回は、他の3作でカバーされたというか、
田辺さんの中で、ある意味「過去」になってる、という気もして、
ちょっと楽に観ることが出来た、という感じがしました。
(あくまで個人的な感想です)

ただ、そうなると、逆に、作品としては、言いたかったことが伝わってないもどかしさ、
みたいなものも感じてしまうわけで。
(その点は『DOG・・』の方が、ずっと、こちらに伝わるものが多かった気がする)

4本に一貫性がない、とも言えるかも。
今回は、あれもこれも、と欲張って作った感じがしますが、
きっと、田辺さんの内には、表現したいことがいっぱいあって、
だからそうなってしまった、という気もしますね。
押し寄せるほどの「何か」を形としてすべて表現しえない(心の中にはあったとしても)
ちょっと臆病なところが、田辺さんらしい、とも思えたり。

ストーリーを作り出す視点は、田辺さんならではのものなので、
その点は私もすごく興味を持ってるんだけど、
それを「作品にする」段階で、「自分が可愛がってる言葉」だけで脚本を作ってる感じがする
のがイヤなのかもしれない。
ちょっと息苦しい、もっともっと遊んでもいいじゃない、と思ってしまうんです。

なので、私は、
田辺さんの感覚や考え方も好きでファンになっているけれども、だからと言って、
田辺さんの作り出す世界にすごく共感します、とは言えないなぁ、
全面的に受け入れることは(今のところ)出来ないなぁ、と。
もちろん、何度も言いますけれど、人それぞれの観方・感じ方でいいわけですが。


Re:ありがとう 『ライフ・イズ・ジャーニー』:4  投稿日:2003年12月10日(水)showm
hitomiさんは、本当に素敵だったと私も思います。
ほわ~んとやわらかくて、でも、しっかりと意志を持って受け止めてくれる感じで。
彼女自身も素晴らしいけれど、
この人を使いたい、と思った田辺さんの直感力と感性も、すごいもんだな、と。

「みんながクドカンを好きなんじゃなくて、クドカンがみんなを好き」――
そうですねぇ、本当にそう思う。
「みんなが田辺さんを好きなように、田辺さんはみんなを好きですか?」――
好きなんですよね、きっと。
だけど、より多くの人、すべての人を好きになろうとして、
ひとりひとりを「その人」として認識して愛する、というところまで、気持ちが行き渡らない
(・・いや、田辺さんの意識は行き渡っているのに、それを感じにくくなってるこちらの責任
なのかもしれないけど)、そんな気もして、無性に淋しくなったり。
(こちらの勝手な空虚感なんだけど)

私が『熊沢パンキース』や『木更津キャッツアイ』や
マンハッタンラブストーリー』を観て思ったのは、
そこにいるひとりひとりを、クドカンは、とても好きなんだろうな、ということ。
他の誰でもない、滝を、金子を、五十嵐を、ぶっさんを、店長を、赤羽さんを、
ああいう彼等が、ああいう彼等であるゆえに、好きなんだろうな、と。

『ライフ・・』のような気持ちの乗せ方(監督の)を否定するわけではないし、
そこに展開する田辺ワールドに興味を持たないわけでも、嫌いなわけでもない。
表現方法としては、まちがいなく格段の進歩をしている、とも思うし、
そうやって変化して行く田辺監督の今後、というのにも、すごく惹かれるものがある。

だけど、一方で、いつか、「その人を、その人であるがゆえに好き」という作品を
作ってくれないだろうか、と、ふと考えてしまう自分がいるのも事実なのです。
(そういう作品を作っているのに、こちらがそう感じないだけなのかもしれないですが)

私としては、今回の4本の中で、一番、そういうことが感じられたのが『ん』だった。
だから、私は『ん』が好きなのかもしれません。


改めて『ライフ・イズ・ジャーニー』 『ライフ・イズ・ジャーニー』:5 投稿日:12月15日(月)showm
この映画(DVD)を、『DOG-FOOD』のような見方で観ていたら、
私の感想は、ずいぶんと変わっていたかもしれないなぁ、と思います。

私は『DOG・・』を、
「田辺さんって、何を考えているんだろう」とか「何が言いたいんだろう」とか、
出来るだけ田辺さんの気持ちを読み取る材料にしようとしていたのですが、
今回の『ライフ・・』は、
あえて、監督(脚本)が伝えようとしているものに鈍感になって、
それでもこちらに伝わって来るものだけを、受け取ろうとしていたような気がします。

「田辺さんのすべてを受け取ろうとすること」が、
今の私にとって、あまり意味を成さなくなった・・・・
逆にそれが、私個人にとっては、
監督である田辺さんへの「ささやかな歩み寄り」の始まり、なのでは、と、
そんなことも ふと思いました。

それは、『ライフ・・』について、
田辺監督の制作姿勢に、田辺誠一という‘俳優’の存在が、
おそらく大きな影響を及ぼしているのだろう、と感じられたことで生まれた、
私の勝手な予測、に過ぎないのだけれども。


続・改めて『ライフ・イズ・ジャーニー』 『ライフ・イズ・ジャーニー』:6 投稿日:12月15日(月)showm
↑って、単純に「田辺熱が冷めた」と言ってるみたいだなぁ、と。
いや、違うんですけどね、実際は。(笑) 

『ライフ・・』を観て思ったのは、
これ、田辺さんが監督でなかったら、私、どんなふうに観ただろう、ってことで。
ここに書いた一連の感想も、「田辺さんが作ったものだから」という捉え方を
極力しないようにしようと思って書いてました。

少なくとも、私にとって、『ライフ・・』の田辺さんは、
他の多くの監督・脚本家と、同じフィールドで作品を語るべき監督(脚本家)になった、
だけど、そういう目で見れば、私には、「まだまだ」と思ってしまう部分がたくさんある、
と、そういうことなので。

実はこれ、俳優としての田辺さんにも、同じことが言えます。
最近、田辺さんを、なるべくファン目線で観ないようにしている。
他の大勢の俳優さんと同じフィールドで観たら、どうなんだろう、
という興味が、強くなっているので。(こんなこと、前にも書いたと思いますが)

そういう距離を保つことが、「熱が冷めた」と言うのだとしたら、
冷めたのかしらねぇ。(バクダン発言!笑)

だとしたら、3月の『近松』をワクワクしながら待ってるワタシは、何なんだ!?


Re:ありがとう 『ライフ・イズ・ジャーニー』:7  投稿日: 2006年1月 9日(月)showm

『ライフ・イズ・ジャーニー』
え~・・私が田辺監督作品を語ると、なぜか、同時に「自分」を語ることにもなってしまうもので、
一方的な気持ちをさらけ出したトークを読まされる方には、えらい迷惑だろうな、
とも思うんですが。(苦笑)
どうも、田辺監督に対する自分のスタンスみたいなものをちゃんと話さないと、
感想を語れないカラダになってしまってるようです。すみません。(笑)

田辺さんが「ディスプレイを高いところに置いて作業をしていた」の一文に即☆撃沈――
私も私も~!(笑)
監督・田辺に対しては、徐々に好きになりつつある、という、
まだ本腰入ってない状態ですが、
編集・田辺には、間違いなくゾッコン惚れ込んでます、私。(笑)

「変わらない部分」を持ちながら、
別なところで、どんどん自分を変化させて行ってる田辺さんが、
私には、また、とてもとても魅力的に見えるのですよ。
「変わらない部分」を見出す醍醐味と、「変化しようとする意志」を感じる醍醐味と、
その両方を味わえる、だからこそ興味も尽きないんだろう、という気がします。


Re:ありがとう 『ライフ・・』のりんご  投稿日:2006年10月10日(火)roji

田辺さんの周辺にちょくちょく登場する「りんご」については、
私にもその意味が解かっていません。
ただ、私が、田辺さんの監督作品を観てきて感じているのは、
以前の田辺さんは、その意味を 作品を通じてより多くの人に伝えることによって、
自分(の本質)への理解を求めていたのではないか、
でも今は、あまりその必要がないと感じているのではないか、ということです。
(そんなふうに感じたからなおのこと、今の田辺さんが映画を撮ったら
 どういうものになるか、という興味も、私としては大きかったわけですが)
まぁこれも、あいかわらず、私の主観・私見でしかありませんが。

で、さらに、『ライフ‥』を撮り終えて、ひとつのピリオドを打った今は、
もう、そういう切羽詰った「吐き出したい想い」「理解して欲しいという欲求」を
田辺さんは消化してしまったのじゃないか、という気がするのです。
‥いやいや、違うかな、
そういうものを、「映画を作ることで自分の外に出す」ことから、
自然に、「俳優として演じる」ことになめらかに転化させて、
役の中で表現する術(すべ)を身につけた、と言えばいいか。
――あ、これももちろん、田辺さん自身がそう思っている云々ではなくて、
あくまで私(翔)側から見ると、そう見える、ということなのですが。

私には、田辺さんはもう「りんご」を自分の中に溶け込ませてしまっている、
あるいは超えてしまっている、という気がするのですが、
もちろん、実際にどうなのか、は解かりません。

私にとっては、「りんご」というのが具体的に何なのかは謎、
永遠に「これだ」とは解からなくていいもの、のような気もします。