『ネオ・ウルトラQ』(第4話)感想

ネオ・ウルトラQ(第4話/パンドラの穴)感想
「あなたが暗闇を覗く時、等しく暗闇もあなたを覗いているかもしれません。
あなたが怪物と闘う時、あなた自身が怪物になっているかもしれません・・」

いやいや いいですね、これぞウルトラQ!という感じ。
ドラマ冒頭のこのナレーション(長塚圭史)に心奪われたまま、
ぐいぐい物語に引き込まれてしまいました。
今回のお話、私としては非常に面白かったです、
私が「ウルトラQ」の大きな魅力のひとつだと思っていた、
「向こう側からの視線」を存分に貫いてくれていたように思えて。


正と邪、真と偽、善と悪・・その境界はどこにあるのか。


恋人に対して、
人間の悪意や憎しみを消せる人体実験を行った黒木(村上淳)。
自分が信じる科学の力を証明するための実験でもあったけれど、
果たしてそれが正しかったのかどうか・・
自分のやったことが、正・真・善なものと信じたい、
世間にもそう認めてもらいたい、
けれどもそれは自己欺瞞(ぎまん)に過ぎない、と知っている、
誠実で善良で弱い人間ゆえの悩み苦しみ。


「蓋を開ければ、この世界から善悪の境界がなくなって、
おまえはその苦しみから解放される・・」とマーラーはささやく。


でも・・おそらく その蓋を開けるまでもなく、
人間の中にはすでに、正と邪、真と偽、善と悪、その両方が存在している。
辛くても苦しくても、その境界線を引くのは、人間自身がやるべきこと。
進むのも、立ち止まるのも、後戻りするのも、
自分自身の良心と向き合って決めなければいけないこと。
蓋を開ければ楽になれるかもしれないけれど、
人間が持つべき本当の心の強さ・清らかさは失われてしまう・・


黒木に対して哀しげな遠い視線を送る南風原田辺誠一)。
同じ科学者であり、同じ研究をしていながら、
どこかの時点で、南風原は立ち止まり、
黒木と同じ道を進むことを止めた、その境界線はどこにあったのか・・


南風原と黒木に共通する匂い・・
ひょっとしたら、南風原はすでにマーラーと出逢っていたのかもしれない。
その時、彼は、自分の中に邪や偽や悪が宿っていることを認め、
その上で、少しでも正・真・善に近づこうとする人間でありたい、と、
マーラーの誘惑を退(しりぞ)けたのかもしれない・・
・・・・などと、バーで絵美子(高梨臨)や正平(尾上寛之)と話す
南風原の佇(たたず)まいを見て、そんなことを思いました。
・・いや、まったくの妄想ですが。w


第1話でも思ったことですが、
物語が示唆しているものは確かにあるんだけれど、
漠然と大き過ぎてよく見えない。
分かりやすく簡単には伝えてくれないし、
何をどう判断するか、の多くは、観る側に委ねられている。
だから、受け取るのは簡単ではないし、
間違った受け取り方をしてしまうかもしれない。
だけど、それでいいようにも思うのです。
そこにある曖昧としたもの、不完全なもの、答えのないもの、こそが、
ウルトラQ」が伝えたいものでもあるんじゃないか、
と、そんな気もするので。


ラストの思い切ったカットも心地良かったです。
正平が覗こうとしたカップの中身は何だったのでしょうか。



村上淳さんと田辺誠一さん。
科学者として道を分かった黒木と南風原の、
一概に、どちらが善か悪かとは言い切れない二人のコントラストが
とても良かったです。


田辺さんが黒木を演じていたら、ひょっとしたら、
もっと大袈裟に心の揺れを表現してしまっていたかもしれない。
黒木に関しては、村上さんはまさに適役だったと思います。


そして、田辺さん。 この人は、やはり、
「自分も痛みを抱えつつ、痛みを持った者に優しげな哀しげな視線を注ぎ、
そっと心を寄り添わせる」・・というような役が本当によく似合うと思う。
南風原仁は、まさにそういう役。
人間に対しても、怪物(怪獣)に対しても、等しく同じく。

その魅力が、5話以降、どういう形で出て来るのか、
(あるいは未消化で終わってしまうのか)
ちょっとドキドキしながら、続きを観たいと思います。



監督:石井岳龍 脚本:いながききよたか
出演:田辺誠一南風原仁) 高梨臨(渡良瀬絵美子) 尾上寛之(白山正平)
村上淳(黒木第千)  咲世子(ハルカ) 日向丈マーラー

『ネオウルトラQ』公式サイト