『小公女セイラ』(第10話=最終回)感想

小公女セイラ』(第10話=最終回)感想
見かけ(思いっきりマンガチック)によらず、
きっちりと芯の通った、歯ごたえのあるドラマでした。
全部観終わった後に、心地良い爽快感のようなものさえ感じられたのは、
やはり、脚本(岡田惠和)の力によるところが大きいんだろうけれど、
それだけではなくて、こういう世界観をお膳立てした、
磯山晶プロデューサーや、金子文紀吉田秋生演出を始めとするスタッフ、
期待に応えた、志田未来さん、樋口可南子さんを始めとするキャスト、
といった、全体の力を結集した賜物だったのではないでしょうか。

 

「伝えたいこと」を明確に持ったドラマは、
どうしても地味になったり、説教臭くなったりして、
観ていて、面白い、とは思えないこともあるんだけれど、
このドラマは、舞台を「ミレニウス女学院」という学校内にほぼ限定して、
あまり外の空気を入れず、現実から離れた空気感を作ったことで、
いじめシーンなどのつらい場面も、
「物語」として、ちょっと突き放して観ることが出来たし、
一見メルヘンチックな場面設定や、どこまでも嘘っぽい安易な展開、
マンガナイズされた分かりやすいキャラ等々、
(おそらく)あえてツッコミどころ満載にしたことで、
重くなりそうなところを、うまくかわしていたようにも思いました。

 

また、誰か(主にセイラ)が真っ当な事を言っても、
別な誰かがそれをちゃかしたり、諌(いさ)めたり、というひねりが効いて、
正論を突きつけた人間と突きつけられた人間、
双方の立場や主張が、ちゃんと相対して描かれていたので、
観ていて、どちらの感情も理解出来たし、納得出来たような気がします。

 

脚本から発せられた大切なメッセージは、
全体を通して、ほんの些細な一言にまで隙間なく練り込められていて、
人は、人と対等に関わってこそ、繋がっていると言える・・とか、
人と人は、本音でぶつかり合って初めて、本当の理解が得られる・・とか、
痛みを知った人間こそが、痛みを理解し、乗り越えることが出来る・・
何が正しくて、何が間違っているか、というのは、
より多くの人との関わりの中で、自然と自分の中に形作られていく・・
etc・・etc・・
それらが、毎回、シーンごとに次から次へと
押し寄せるように心に響いて来て、
とても全部を受け取り切れないほど、だったように思います。

 

このドラマが、単純な勧善懲悪にならなかった最大の要因は、
権力者であるはずの千恵子が、心の奥に大きなコンプレックスを抱き、
権力下に置かれたセイラが、非常に強い意志と正義を胸に秘めていたこと。
また、登場人物の多くが、強い面と弱い面とを持っていて、
どこかに必ず共感出来る部分を持っていたこと。
そのあたりの的確な性格描写が、
原作でさえ表現出来なかった(と個人的には思う)複雑で魅力的な味付けを
登場人物に、そしてドラマそのものに、与えていたような
気がしてなりません。

 

登場人物について。

 

★セイラ(志田未来
いやいや、すごい女優さんですね!
もちろん、主人公として、このドラマを引っ張って行く、
そういう確実な力強さも感じられたけれど、
私は、むしろそれよりも、
もうひとりの(真の)主人公と言っていい千恵子役の樋口可南子さんを、
真正面からがっちりと受け止めて、付録を付けて返す、
その、受け手としての度量の大きさに、恐れ入ってしまった。
このドラマ全体を下支えしていたのは、間違いなくこの人だったと思う。

 

まぁ、しかし、多少物足りないと思ったところも なくはなくて。
貧しかった時のセイラでは、
観ている人間を圧倒するような存在感を示すのに、
プリンセスに戻った途端、どうも心許(こころもと)なくなるんですよね〜。
大金持ちの娘としては、ちょっと華やかさが足りなかったかな、と。
でもまぁ、そのあたりは承知の上での磯山Pの志田起用だったんだろうし、
ご愛嬌って感じもしましたがw。

 

もっと気になったのは、カイトに対する「恋」という感情の表現。
これは、まぁ、脚本や演出の段階で、
もっとしっかりと下地を作ってあげないと可哀想かな、
という気もしたけれど、
志田さん自身の感情の作り方というのも、
他のシーンと比べると、がっつり心を掴まれる、というところまでは
行ってなかったような気がします。
もう一色、一途に好きになった女の子の心情が表情に出ていたら・・と。
・・でもな〜、今後に向けて、
そのぐらいの課題があったほうがいいかもしれない、
この、どこにもスキのない実力派女優にはw。

 

思いがけず見応えがあったのが、舞台で演じた、ひとりジュリエット。
これを観て、志田さんに北島マヤガラスの仮面)を演じて欲しい、
と思った人も少なからずいたようで。
私は、あのシーンと、カイトの告白シーンと、亜蘭先生の抱きしめシーンで
完璧に『ガラスの仮面』に脳内変換出来てしまった、
カトリーヌあやこさんに指摘されるまでもなくw。

 

★カイト(林遣都
いや〜、とにかくナチュラル!
セイラの周りでオロオロしてる感じが、何とも頼りなくて、でも可愛くて。
この佇(たたず)まいというのは、本当に貴重な気がする。
数多(あまた)いるキラ星のごとき若手男優の中で、
彼はちょっと、特別な存在感を持っているような気がするし、
ピュアな部分をずっと持ち続けて欲しい、と思いました。

 

それと、思ったよりも、型にはまらず自由に動ける印象もあって。
で、ふと、クドカンに揉まれたらどうなるだろう、
という、いぢわるな妄想が・・w
勝地涼くんのように、意外と自在にこなしてしまうんじゃないか、
という気がしないでもない。

 

★真里亜(小島藤子)/まさみ(岡本杏里)/かをり(忽那汐里
セイラと関わることで、それぞれのコンプレックスから解放され、
徐々に成長して行く様子は、観ていて気持ちが良く、
真里亜が、セイラを真のライバルとして認め、相対するところとか、
最後まで傍観を決め込んでいたかをりが、セイラの一言で
生徒たちの中央に引き出され、真里亜とともに強制的にライバルにされ、
結果、三人で頑張っちゃうあたりも、面白かったです。
セイラのクラスメイトである彼女たちの言動は、
いわば、少女マンガの定番、みたいなものなんだけど、
定番だからこそ、安心して見ていられたようにも思います。

 

演じた三人は、正直、まだ 技術的に上手い とは言いがたかったですが、
それぞれに非常にいい雰囲気を持った人たちだったので、
今後の仕事が楽しみです。

 

★栗栖(要潤
この役は、かなり難しかったんじゃないでしょうか。
何の伏線もなく、途中から突然出て来て、やることは突拍子もなくて、
しかも、その存在理由から行動理由まで、
ほとんど言葉による説明だけで済まさなきゃならない、という・・
要くんを使うなら、
もうちょっと力が出せるような役をやらせて欲しかった、とも思いますが、
セイラが大金持ちに戻る過程を細かくやってたら、
ドラマ全体の勢いがなくなってしまっていた、とも思うので、
そのあたりのまとめ役に栗栖という青年を使い、
それを要くんにやらせる、というのは、逆に言えば、
かなり信頼して任せた、ということが言えるのかもしれません。
この人も、田辺さん同様、本当にこういう世界観の似合う人だ、
ということを、改めて感じました。

 

★笑美子(斉藤由貴
道化役と言っていい笑美子の役造形というのは、本当に興味深くて、
斉藤さんが自由自在に演じていて、いつも観るのが楽しみでした。
最終的には、千恵子を救う一因になるんだろうな、
とは予想していましたが、
ふたりで泣きながらクッキーを食べる、なんていう名場面が
用意されているとは思わなかった!
笑美子で泣かされるとは思ってなかった!

 

斉藤さんは、相当アドリブを入れていたらしい。
正直、ちょっとやり過ぎじゃないか、と思ったことも
なくはなかったけれどw
攻撃的な役作りを観るのは、すごく楽しかったです。

 

★千恵子(樋口可南子
相当性格が屈折していましたが、
この人がヒロインだったんですよね、結局は。
志田さんが、大女優の風格さえ感じさせつつ、支え役にまわったことで、
樋口さん演じる千恵子の孤立感、はかなさ、痛々しさ・・といった、
ヒロインとしての風情が、きれいに浮き立つ結果になった。
どんなにセイラをいじめても、叩いても、ヒステリーを起こしても、
嫌なヤツ、と感じたことは一度もなかった。
そのことが、この役を演じる上ではものすごく大切だったように思うし、
そういう役を、最後まで気品を保ちながら演じた樋口さんが、
ますます好きになりました。

 

それにしても・・
オーナーとなったセイラが、千恵子に対して、
院長であり続けると共に、教師として教壇に立つことを条件にした、
というのも素晴らしい判断だったと思うのですが、
同時に、経営部門から手を引かせた、ってあたりで、
思わずにんまりしてしまった。何なの、この現実的な処置は?
セイラ、父親ゆずりの商才おおいにあり、ですw。

 

★亜蘭(田辺誠一
さて、どこから書きましょうか。
ん〜、まずは、フワフワ宙に浮いたまま、現実の世界に着地しないまま、
二枚目の!(とあえて強調するw)フランス語教師を完走したこと、
私としては、すごく嬉しかったですw。
前にも書いたけれど、田辺さんって、以前は、
本当に二枚目を演じるのが嫌い、というか、苦手で、
二枚目と思われる役にも、ことごとく三枚目の要素を入れ込んで来るので、
いつもいつも、「逃げずに二枚目にぶつかってみろ!」
と、私は叫び続けていたwわけですが。
肩ごしの恋人』というドラマで柿崎祐介という役をやった時に、
田辺誠一が‘作る’二枚目」というのを、
初めてちゃんと見せてもらえた気がして。
与えられた役を二枚目として演じる意味、みたいなものに、
ちゃんと向き合ってくれたような気がして。

 

で、今回の亜蘭という役。
このドラマのような、「メルヘン」「ファンタジー」といった、
ありえない世界に、二枚目の男性として自然に棲息するのは、
田辺さんぐらいの年頃(脂分が身に付きやすい40代)の俳優さんにとって
決して簡単なことではない、と思うのですが、
本当に、まったく、笑っちゃうほど違和感がなくて。
だいたい、アランなんて名前が不自然じゃないんだものなぁ!
要くんのクリスもそうだけどw。

 

でもね、宙に浮いたまま、着地しないまま、と最初に書いたけど、
実は、一瞬、きちんと着地してる、生身の人間が話してる、
と思えたシーンがあって。
9話、学院を出て行く前に、セイラとカイトに別れを告げる場面で、
きっちりと、ナマな人間の声と表情を見せてるんですよね、
亜蘭(@田辺)は。
カイトに対して「きみなら出来る」と言った時のまなざしと声の強さ、に、
ふと、熱血クールな佐野先生(ふたつのスピカ)を思い出し、
セイラに対して「負けるな」と肩を抱く 芯からの優しさ、に、
大人の懐(ふところ)の深さを感じさせた緒方耕平(ホテリアー
を思い出して、私は、ひとりで勝手に感激してたわけですが。

 

そのあたりの、非現実から現実への跳躍、というものが、
まったく違和感なく、自然に、楽々とやってるように見えてしまう、
というのがね、私みたいな田辺フリークには、
たまらないところだったりもするんですよねw。

 

千恵子に対する「千恵子さん」という語りかけも、
すごく好きだったんですが、
そちらは、逆に、現在のナマの感情がほとんど含まれていなくて、
初恋の頃のままの、少年・亜蘭の語りかけのようにも思えて、
それはそれで興味深いなぁ、と。

 

前回、亜蘭に対して「千恵子を抱きしめてやってくれ」と願った私ですが、
最終回、彼は、ノーブル学園長(!)として再登場、
で、いきなり「お二人をわが学園にスカウトしに参りました」とか、
千恵子に対して「では、私の妻になる、というのはいかがでしょう」とか、
「おいおい〜」と、観てるこちらがツッコミたくなるようなことを、
しれっとして、しかもキャラとしての違和感なく、
言ってくれちゃったわけですが・・w

 

でも、どうして「千恵子を抱きしめる」じゃなくて
「承諾を得られないと解かっている千恵子へのプロポーズ」
だったんだろう・・と考えた時に、
千恵子にとっては、自分を正面から抱きしめてくれる人よりも、
彼女の内にある誇り(プライド)を認め、愛し、信じて、
自由に行動させてくれ、
ふと振り返った時に、いつもそこにいてくれる、
そういう、いわば「肩ごしの真の理解者」の存在こそが、
最も必要な存在だったのかもしれない、と、そんなふうにも思えて。
だから、このプロポーズは、
もともと千恵子の答えを求めていないんですよね。
いわば、亜蘭の、「自分は、いつもずっと、あなたの後ろにいるよ」
という、千恵子への、意思表示だったのではないか、と。
それだけで、今の千恵子には十分だったのではないか、と。

 

セイラと千恵子の、どちらがどちらに屈するのでも負けるのでもない、
真に対等の立場で向き合ったラストと共に、
この亜蘭の、千恵子に対する、決して前に立たない、
控え目で、確かなまなざし、というのも、
とても心に残るピリオドの打ち方だったように思いました。

 

亜蘭由紀夫という、人間らしいナマな感情をほとんど表に現さない、
空気のように実体が希薄で、しかし重要な、
ドラマ全体を包み込むような役を、最後まで演じ切った田辺さんに、
ファンとしては、またひとつ、
新しい「俳優・田辺誠一」を見せてもらったような気がしたし、
こんなに地に足の着かない役を、これほど自然に演じられてしまうと、
ますます「何でも来い!」な俳優になって行くなぁ、と、
前作の遠峰一青(神の雫)の、あの突き抜けた役作りに引き続き、
すご〜く頼もしく思ったりもして。

 

ともあれ、充実した2009年の締めくくりが、
このような、見応えのあるドラマであり 役だったことに、
心から感謝したいと思います。

 

田辺さん、1年間本当にお疲れさまでした。