『MR.BRAIN』〜亀梨和也 考(その2)

MR.BRAIN(第3話)〜 妄想過多の一田辺ファンから見た 亀梨和也 考(その2)〜
ひょんなことから「私論・亀梨和也考」の第2弾を書くことになりました。
前回以上に、私個人の妄想・空想が思いっきり含まれていますので、
特に亀梨くんのファンの皆さま、
あまり深入りせず、サラッと読み流していただければ幸いです。

 

今回、亀梨くんが演じた和久井雅和を観て最初に思ったのは、
その佇(たたず)まいに、まったく神咲雫(@神の雫)の匂いが感じられない、
ということでした。
雫が確かに持っていた、透明感、性格の素直さ、
人当たりのやわらかさ、アクのなさ・・
そういうものが、和久井からは感じ取れなかったし、
メガネをかけて白衣を着てるから、っていうだけじゃなくて、
全体から発する空気が、私には、まるで違っているように思えました。
(私が彼に対して「自分の気配を消せる」と思ったゆえん)

で、これは亀梨くんが、確信犯的に「和久井を作ってる」んだな、と。
神咲雫の時と同じように、
和久井のワクを作って、その中に自分を入れ込んで演技しているんだ、と。

 

和久井の、全体を通して何考えてるか解からないような雰囲気、だとか、
そんな中でふと めぐみにだけ見せる柔らかなまなざし、だとか、
画面のはしっこから九十九に向けられた視線、とか、
九十九に迫られても、心にがっちりガード張ってる感じ、とか、
めぐみの言葉にふいに潤む目元、とか・・
亀梨和也が前に出て来ない、
あくまで和久井のキャラとして作り上げた部分が
時に「作り物」としての嘘くささを越えて行く・・
そんな和久井を観るのは、本当に楽しかったし、嬉しかった。

 

「研究には金が掛かるんだ・・ここで潰すわけには行かなかった」
という、とんでもない自己チューな、ご都合主義的セリフを、
ちゃんとこちら(視聴者)に響くように血を通わせて語ったところなど、
まさに「亀版"力技"」だよなぁ!と感嘆させられたりもしてw。

本当に大袈裟じゃなく、亀梨くんが演じる和久井の一挙手一投足を、
すごく興味深く 楽しんで観ることが出来たんですよね、私は。

 

もちろん、彼が俳優として成長して行くためには、
まだまだ足りないものがたくさんある。
だけど、それはそれとして、
今この時、いろんなことを考えて和久井をあんなふうに作り上げた・・
うん、まさに「作り上げた」亀梨くんに、
私は素直に敬意と拍手を送りたいと思いました。

 

発声の件。
神の雫』の時もちょっと思ったんだけど、
亀梨くんは、セリフを口元(くちもと)だけで言うクセがあるので、
セリフが前に出て来ない時があるのかな、という気がします。
それが、雫とか和久井という役に対してだけ、なのかどうか、が、
亀梨くんの過去の作品を観ていない私には、
判断が付きかねているんですが。

 

ひょっとしたら、雫も、和久井も、亀梨くんの中では、
全力でぶつかっちゃいけない役、という捉え方をしていて、
セリフも、ある程度コントロールして出してるのかな、という気もして。
まぁ、そういう判断もあり、だとは思うんですが・・

で、このあたりが、実は、
先日ドラマの感想の中で書いた「60%の力」という話にも
繋がるのですが・・

和久井というのは、本当に「読めない男」で、
めぐみに対してさえ、自分の本当の姿を半分も見せてなかったんじゃないか
と思うのですが、
そういう役を演じる時、俳優自身も力をセーブしてしまうと、
和久井の掴みどころのなさ、みたいなものが、
「役の面白味」として観ている側に充分伝わって来ないような気がします。

 

前半から中盤にかけて、
和久井の研究医としての立場や、
婚約者であるめぐみとのやりとり、あたりに
もうちょっと強めの押し出しや感情の起伏が効いていたら、
役自体が、もっと魅力的になったんじゃないか、と思うのですが。
うーん、うまく言えないんだけど、役に対する食い付き方が弱い、というか
感情を抑え過ぎている、というか、
いずれにしても、全体的にメリハリが少ないために、
前半の和久井が平板な印象になってしまってたんじゃないか、と。

 

ただ、そのあたりは、脚本や演出との兼ね合いもあるので、
一概に亀梨くんだけの問題ではない、と思うし、
発声にしても、力の出し具合にしても、
しょせんは「技術」の問題でしかないし、
「技術」の問題なら、本人が常に真剣に役と向き合っていれば、
いつかは克服出来るものだと思うので。

 

逆に、終盤での、和久井の言葉や表情の上に刷かれた感情表現は、
グッと押さえ込まれて演じられていたんだけど、
ものすごくこちらの心に響くものがあって、とても良かった。

 

実は、そのあたりは「技術」だけではどうしようも出来ない部分・・
つまり、俳優の「感覚」とか「感性」とかの部分で、
私はよく「俳優が醸し出す空気感」というような言い方をするんですが、
それが、亀梨くん自身が持つ空気感ではなくて、
亀梨和也が和久井雅和として作り上げた空気感」であったこと、が、
私にはすごく興味深く、魅力的に感じられたし、
彼がもともと持っている「浮遊感」とか「不安定感」も、
私は、大事な「他人(ひと)と違う持ち味」なんじゃないかと考えていて、
そういうものって、俳優なら誰しもが持っている(作れる)
というものではないので、
その部分をこそ、大事にして欲しいなぁ、と思いました。
それが「俳優・亀梨和也の個性や魅力」に繋がって行くように思うので。

    *

神咲雫 や 和久井雅和 のような役は、
KAT-TUN の亀梨くんから伝わって来る はっちゃき感、元気のよさ、
というのがほとんど感じられなくて、
正直、ファンの方々の中には、
物足りない、と思われた方も多いかもしれないです。
俳優・亀梨和也として見ても、ファンの方々の正直な気持ちとして、
『ごくせん』や『野ブタ。にプロデュース』のガクラン着た亀梨くんをもう一度
と思っている人が多いんだな、というのは、
神の雫』のBBSの書き込み等を読んで、強く感じました。

 

だけど、時間は、誰にでも平等に流れて行きます。
亀梨くんのように若い俳優さんでも、もう、確かに取り戻せないものはある。

そのことについて、少し形は違ってるかもしれないけど、
以前、私が田辺誠一さんに対して感じたことを書いたものがあるので、
ちょっと長くなりますが、転載してみます。

 

「‘過去’が閉じて行く感じ 」が たまらなかった。 投稿日:2004年10月27日
私たちが歳を取るように、田辺さんも歳を取ります。
・・って、あたりまえですね。(笑)
私が彼のファンになったのは7年前、彼の20代の終わり頃です。
「俳優」としても、
演じる合間から見えるような気がする「素の田辺誠一」としても、
どこか危なげで、未熟で、痛々しくて、
いつもいつも、こちらに伝わって来る「ヒリヒリしたもの」が
あまりにも切実だったので、
何とかして受け止めて、何とかして言葉にしたい、と思ったのを
覚えています。

2年後、私は≪翔夢≫を立ち上げるのですが、
思えば、サイトを作ろうと思い立ったきっかけは、
そのあたりだったような気がします。

私はここから、ずいぶんと、「俳優・田辺」に苦言を呈して来ましたが、
俳優という職業に向いていない、と、ご本人自らがおっしゃる、そういう人が
役にぶつかってぶつかって、何度も跳ね返されながら、
やがてじんわりと確実な何かを掴んで行くさまは、
遠いこの場所で見ていても、ずいぶんと心躍らされるもので、
そういう「変化する俳優・田辺」を、刻々捉え、
受け取ったものを自分なりの言葉にして行く作業は、
すごく大変ではあるけれど、
それ以上に幸せで楽しいものになって行きました。

そうして今、30代半ば。
田辺さんは、私が密かに「こうなって欲しい」と願っていた
「俳優・田辺としての‘ひとつの型’」を、
私が想像していたよりずっと早い段階で、具現して見せてくれた――
「ナビオ」(@サボテン・ジャーニー)として。

だから何も言うことはない、文句のつけようがない、のは、重々承知の上で。
だからこそ・・・・
しっかりとした足取りで30代を突き進んで行く魅力的な俳優を、
遠くで眺めながら、やがて、たとえば40代になった時、
彼が確実に演じられなくなるだろう役柄を思い、
チクチクと胸を痛める自分がいるのを、どうにも止められないのです。

たとえば速水を、たとえば滝川を、たとえば沢木を。
「若さ」ゆえに演じ得た、それらのような役を、いつか演じられなくなるのだ
という、理屈抜きの悔しい悔しい思い。

そうやって、少しずつ‘過去’が閉じられて行く。
たとえ、今、閉じられたものの数倍も数十倍もの価値あるものを
田辺さんが俳優として掴んでいたとしても、
この先、何倍も何十倍も何百倍もの素晴らしい役を演じてくれるとしても、
私は、彼が演じて来た「過去」の痛々しさや切なさを、
それを観た時の、言い知れぬ想いを、感動を、
忘れることはきっと永遠にないし、
無理を承知で「あの田辺をもう一度」と言ってしまう自分を、
きっと止められないと思う。

日下部先生(@南くんの恋人)を見た時、
私は、そういう、「田辺誠一の若さゆえの切なさ・痛さ」を
スパンと遮断されたような気がして、
30代の俳優として、相応の演技をしているんだから、
いつまでも「過去」を追うな、と言われたような気がして、
(もちろん、ご本人はそんなこと考えてもいなかっただろうから、
すべては私の思い込み、には違いないんだけれど)
何だか、とてもたえられなかったんだ、
勝手に哀しくて、勝手に淋しくて、勝手に切なくて。

たぶん・・・・私は、25年後の田辺さんにも、
同じような想いを抱くのかもしれない。
中年期から老年期に差し掛かる頃の、
今よりさらに魅力的な俳優になってるはずの彼に、
うまく言葉にならない、哀しくて、淋しくて、切ない想いを―――

―――「時間」というものには抗えない。
だからこそ私は、今この時に田辺さんが何を見せてくれたか、を、
その彼を観て私は何を感じたか、を、
何かにせっつかれるように、言葉にしているのかもしれない。

 

今はもう吹っ切れて、
田辺さんが演じるどんな役も面白がって観てる私ですがw
↑こんなことを考えていた時期もあったんですよね。(なつかしいw)

 

で、亀梨くんも、似たような「過渡期」に入りつつあるのかな、と。
彼は、もう、十代の頃の亀梨和也とは違っているんだと思います。
いつまでも子供のままではいられないし、
高校生の役だって、出来なくなって行くのは、あたりまえのこと。
二十代の彼に、いつまでも十代の頃と同じ質のパッションを求めるのは、
難しくなって来てるんじゃないのかなぁ、という気がします。

 

23歳になった彼は、彼なりに、
この先を見据えつつ、考えながら行動しているのだろうし、
まだ若くて、多くのファンのさまざまな期待を背負っている
アイドルだからこそ、
自分がどう変化して行くのか、どう変化して行かなければならないのか、
を、いつも頭の中であれこれ思い巡らしながら、
楽しみ、というだけでなく、不安な気持ちも抱えながら、
日々を送っているんじゃないでしょうか。

 

アイドルとしてキャーキャー言われ続けてる自分が、
あとどれだけの時間、同じアイドルとしてやっていけるのか、
果たして、自分が、何を拠り所にして、
どんなふうに進んでいけばいいのか・・

 

そんな彼の「迷い」や「行く先の不透明さ」を感じてしまうと、
ファンとしては、不安になることもあるかもしれない。

 

だけど、悩むこと、迷うこと、苦しむこと、は、
亀梨くんにとって、決して無駄にはならないと思う。
たとえ今、そのことによって少しの停滞が感じられたとしても、
それは、彼が、より高みへジャンプする準備のために、
身をかがめているから、のように、私には思える。

 

それは、停滞ではなく成長の一段階。

 

まだ若い亀梨くんに、常に100点を求めるのは酷なこと。

 

それよりも、今、この時、彼が見せて(魅せて)くれるものを、
ファンならなおさら、出来るだけ見落とさないで欲しい、と思う。
ひょっとして・・もしかして・・
俳優としての大事なものを、今、掴み取ろうとしているかもしれないから。

    *

先日『ごくせん THE MOVIE』の予告を観ました。
実は、以前、ズームインか何かで映画の撮影風景を映してくれた時、
職員室に入って来るシーンでの亀梨くんが、
もろ 神咲雫に見えて、ちょっとガクッときたのですが、
(『神の雫』が終わってすぐの撮影だったせいもあるのかな)
映画では別なテイクが使われたようで、
それがまた打って変わって しっかり小田切竜になり切っているように見えて
ますます「亀梨くんって面白い〜」と思った私w。

 

で・・・・・
  (うーん、こりゃ映画も観に行かなきゃいけないだろうか。
   正直『ごくせん』は苦手なんだけど、小栗旬くんや三浦春馬くんも出てるし
   何より亀梨くんの「小田切竜 なりきり度」を確認したい!)

なんてことを、密かに考えているワタシなのでしたw。

 

★参考/『神の雫』〜亀梨和也考