答え:遠峰一青(『神の雫』と『怪』)

答え:遠峰一青(『神の雫』と『怪〜福神ながし』)

空飛ぶタイヤ』のインパクトが強過ぎて、
何となく『神の雫』の印象が弱まりつつある今日この頃ですがw
友人・夢とのメールの中で『怪〜福神ながし』の話が出て、
読み返してみたら、
改めて「遠峰一青by田辺誠一」の余韻を味わえたような気がしたのでw
皆さんにもご紹介したいと思います。

 

『怪』(第4話/福神ながし)2000年WOWOWにて放送―――――

夢:なんと言っても、中禅寺(近藤正臣)の存在が大きかったよね。

翔:そうだね、この作品は、中禅寺に近藤さんを使ったのが、最大の功績だった気がする。

夢:お!そこまで断言する?

翔:うん。やっぱり凄い人だよね。ドラマって、言わば「嘘の世界」なんだけど、その嘘にリアリティを持たせることが出来る・・・・うーん、「嘘」を「現実」に近づけるんじゃなくて、「現実」を「嘘の世界」に引きずり込んでしまうことが出来る、って言ったらいいかな。

夢:??・・・どういうこと?

翔:「嘘だ」、と思いながら、その虚構の世界に心地良く浸(ひた)れる、のめり込める・・・・それは、ドラマ上のリアリティが、きちんとした説得力を持って表現されているから、というのが大きいと思うんだけど、観客が、「嘘」だと知ってて、登場人物の性格やら背景やらに肩入れする、そう出来るのは、演じ手が、格好良く「嘘」をまとってみせてるからじゃないか、とも思うんだよね。

夢:「格好良く‘嘘’をまとう」 かぁ。

翔:うん。 そういう点に関しては、近藤さんって、ものすごく才能のある人なんじゃないか、と。

夢:うんうん。

翔:もちろん、うまい俳優さんではあるけれど、それだけで片付けられないものを持ってる気がするんだよね。 それって、こういう作品、こういう役柄によって、一層 醸(かも)し出されるものなんじゃないか、と。

夢:なるほどねぇ・・・ で、そんな近藤さんと、田辺・又市との絡(から)みは、どうだった? 前回、出番が少なくて淋しかったけど、今回は多かったし、中禅寺とのやりとりも多かったから、感じるところ、いろいろあったんじゃないか、と思うけど。

翔:うん。 いや、最初の頃に比べれば、又市を田辺さんがやることに、違和感みたいなものはほとんど感じられなくなったし、徳次郎(火野正平)や治平(谷啓)、右近(小木茂光)、おぎん(遠山景織子)ら、仲間との関係も、無理なく自然だった、という気がした。

夢:うん。

翔:でも、相手が中禅寺となると、やっぱり何かが足りない。 田辺さんの又市だと、どうしても、負けちゃうんだよね。

夢:どうしてだろう? 「キャリアの差」ってこと?

翔:まあ、そういうこともあるだろうけど・・・・ 「格好良く‘嘘’を身にまとう」その役への踏み込み方、のめり込み方、が、まだ、田辺さんには足りないような気がする。

夢:うーん・・・・・

翔:いや・・・・田辺さん自身は、おそらく、すごく「役」を掘り下げて考えたり、どこまでも探究したりする人で、そういう意味では、いつも、誰にも引けを取らないぐらい相当のめり込んでるんだろうとは思うんだけど・・・

夢:それじゃ足りない?

翔:結局、それを‘表現する段階’で 出て来るもの、こちら側(観客)に訴えるもの、が足りないんじゃないか、と。

夢:・・・・・・・・

翔:又市という人間は、物語の傍観者で、決して真ん中に立っちゃいけない役なのかもしれなくて、そういう意味では、田辺さんの役作りは間違っていないのかもしれないけど、でも、観てる方は、「それだけじゃつまんない」んだよ。

夢:ああ・・・・

翔:今回の又市って、事件との関わり方も、主役・中禅寺との関わり方も、すごく良くて、4話の中で一番丁寧に描かれてる、と、私は思うんだけど、ただ、又市が、中禅寺と同じように「何かを背負った人間」で、だからこそ、お互いに共鳴し合うものがあり、だからこそ、宗旨(しゅうし)違いのふたりが手を組むに至ったのだ、と、そこまで又市を膨らませて田辺さんが演じ切れていたら、もっともっと楽しめたんじゃないか、と思うんだよね。

夢:うーん・・・・でも、それは、脚本とか演出の意向から はみ出さない?

翔:はみ出してしまうかもしれないんだけど。 それでも、相手が近藤さんだし、シリーズの最終話なんだから、そのくらいのぶつかり方しても大丈夫だったんじゃないかと思う。 ――中禅寺の引き立て役、と捉えてしまうのではなくて、あわよくば食ってやる!ぐらいの激しさが、田辺・又市に欲しかった、というのは、あまりに贅沢(ぜいたく)な要望でしょうか?

 

――――きっちりと答えを返してもらった気がします、遠峰一青で。