『いのうえ歌舞伎☆號 IZO』感想:2

『いのうえ歌舞伎☆號 IZO』感想:2 
いまだに、
『IZO』の舞台をあれこれ思い返す日々が続いておりますが。(笑)
で、あれだけレベルの高い舞台だったのに、
私はいったい何が不満だったのだろう、と、改めて考えてみたのですが。
(あくまで田辺誠一ファン目線です。
しつこい、と思われた方は、読み飛ばして下さい)


 >少なくとも私には、
 >「以蔵という犬が、武市をご主人さまとして崇拝するようになった
 >瞬間」を、はっきりと感じ取ることが出来ませんでした。
と前回書きましたが、
岡田以蔵が、「同志」ではなく「犬」になってしまうのは、
一番初めの「刷り込み」(インプリンティング=imprinting)の段階で、
武市に対して、限りなく「下から目線」になってしまったから、
だと思うのですよね。

それはどうしてなのか、なぜそうなってしまったのか、
観ている側としては、その明快な答えが欲しかった気がするのです。
「あ、こういう武市半平太なら、
以蔵が“犬”になっちゃうのも解かるよね」というような。


そのあたりは、果たして武市を演じる田辺さんだけの問題なのか、
あるいは、台本、演出、以蔵役の森田剛くんとのバランス、
等々の問題なのか、私にはよく解からないんだけど、
少なくとも、田辺さんに、以蔵に対してだけに見せる
「ゆとりとうるおい」みたいなものがもう少しあったら、
またちょっと違っていたんじゃないかなぁ、とも思ったので。

うまく言えないんだけれど、
私は武市に、もっと「父性」に繋がるような大きさや優しさや強さを
感じたかったのかもしれません、
特に、以蔵との最初の出会いのシーンで。

最初の場面だけでなく、
田辺さんの武市は、全体的に硬くて情が薄い感じがします。
まぁ、以蔵に対しては、感情を爆発させている台詞がほとんどなので、
(田辺さん談によると8割は怒っているんだとか。笑)
そこに繊細で優しい感情をはさむのは、なかなか難しいこと
なんでしょうが。


インタビューを読むと、
田辺さん自身、どうにかしたいと思ってる感じもするんですよね。
でも、台本や演出の段階で求められていない、ってことなのかな、
と思ったり。
「しなやかさ」を色濃く出してしまうと、
勤王党党首としての武市の輪郭が弱くなってしまう、
という懸念もあって、あえて出していない、
ってことも考えられるかなぁ・・うーん・・

いや、でも、あそこまでまっすぐで揺らぎのない武市を作って来た、
ということについては
すごく嬉しく思っている自分がいるのも確かなんだけど。(笑)


それと、心の奥の本当の想いとしてはともかく、
「以蔵はおミツを選ばなかった」という事実があるので、
以蔵にとって、[武市との関係 > おミツとの関係] という不等式が
成り立たないといけない、と思うのですが、
おミツという掛け替えのないものを捨ててまで尽くそうとしたにしては、
以蔵と武市との関係性が弱い気がするのですよね。
田中新兵衛勝海舟のこと等のエピソードはいろいろあるんだけれども、
そこに重なる、お互いに対する心の機微(きび)みたいなものが、
武市にしても、以蔵にしても、
最後まで一本調子になってしまってる気がするんです。

もっと、武市という人間に翻弄され、
蟻地獄に飲み込まれてザザーッと堕ちて行く感じ、みたいなものが、
以蔵には欲しいし、
以蔵をそこまで追い詰める武市にも、
以蔵に対する感情の鬱積(うっせき)というか、
積み重ね、みたいなものが欲しい、と思うのです。

そのあたりも、演じている田辺さんと森田くんの問題なのか、
台本の描き方なのか、演出の問題なのか、
あるいは、そもそも
そういうものを求めている私の考えが間違っているのか・・
前回、以蔵と武市半平太の関係を、
 >武士として、より先に、人間として、の感情が、
 >武市を見つめる以蔵の心の奥に、渦巻いているように思えてならない
と書いたけど、やっぱり、あくまで
「武士として」の関係性でふたりを見るべきなのか・・
私には解からないのですが。
(解からないことばかりだったから、
感想書くのに時間が掛かったんだわ〜。苦笑)


ただ、田辺さんの中には、まちがいなく「しなやかさ」というのはある、
と思うのですよね。
あれだけ堂々とした力強い武市を作り上げたわけだから、
さらに、そこに少しずつ微調整を加えて行く・・
ちょっとずつ「しなやかな甘さ」や「優しさ」を挿し加えて行く・・
そういう冒険をしてもいいんじゃないか、と思うし、
そのぐらいのことをしても、あの武市半平太は揺らがない、
そんな気がします。