『いのうえ歌舞伎☆號 IZO』感想:1

『いのうえ歌舞伎☆號 IZO』感想:1
―――はじめに。
私は、劇団☆新感線のことも、いのうえひでのりという演出家のことも、
そんなに詳しく知っているわけではないし、
多くの新感線ファン・いのうえファンが抱いているであろう
特別な感情や思い入れを、
「いのうえ歌舞伎」という冠に対して持っているわけでもありません。
だから かもしれないけれど、
いのうえさん自身は、多くの傑作を生み出して来た「いのうえ歌舞伎」
という名前にあまり囚(とら)われていないし、
すでに一流ブランドとなったこの華やかな名前を、
あえて汚しても濁らせても構わない、
むしろ、そうすることによって、新たな「風」や「色」を生み出したい、
というようなことを考えているのかな、と、
今回の作品を観ていて、そんなふうに感じました。


―――さて『IZO』です。


実は、この感想を書くのに非常に難儀しました。
中身の濃い、素晴らしい舞台だったには違いないのです。
切なくて、苦しくて、哀しくて、重くて、痛くて・・・
それらが上滑りせず、
こちらの胸にまっすぐに突き刺さって来たのですから、確かに。
だから「ものすごく良かった!」と絶賛したい気持ちもあるのですが、
一方で「もう少し何とかならなかったか!?」という思いも
また渦巻いてしまって、でも、そのあたりをどう言葉にすればいいのか、
手掛かりが見つからなくて、ずーっと悶々としていました。


まず、素晴らしいと思ったのは、
登場人物が、皆、非常に魅力的だったこと。
もちろん、登場人物ひとりひとりの個性を丁寧に的確に描き、
幕末という時代の中にしっかりと息づかせた青木豪さんの台本と、
映画並みに数多いシーンを
スクリーンと回り舞台を上手く使って楽々こなし、
舞台の上で自在に人を動かして、正味3時間強、
ほとんど飽きさせずに魅せてくれた いのうえさんの演出の力も大きい
のだけれど、
私は、今回、それぞれの役を演じた俳優さんたちの力量、というか、
台本の中に棲む二次元の人間を、三次元に立体化する時の、
俳優さん自身の、役の捉え方、表現の仕方、というのに、
すごく惹かれました。

特に、木場さん、池田さんあたりは、
役に溶け込むだけじゃなくて、役を膨らませる、というか、
役を育てる、というか、そういうことが 格段に上手くて、
並みのTVの俳優さんじゃ太刀打ち出来ない確固たるものが
あったようにも思います。


とは言え、森田くんも、戸田さんも、田辺さんも、頑張ってはいたし、
彼らには彼らなりの、別な魅力があるには違いなくて、
それもまた、半端なものじゃなかった、と私は思っているので、
それはそれで、すごく興味深かったわけですが。(笑)


上に挙げた人たちはもちろんのこと、
たとえば、粟根さんにしても、山内さんや千葉さん、西岡さんにしても、
それぞれが演技者として台本の上に塗り重ねたものが、
ものすごく魅惑的で、
舞台で動き 話す あの人に惚れ、この人に惚れ、
もうほとんど最初から最後まで、眼がハート状態(笑)でした。


・・・って、なんだよ、十分楽しんでいたんじゃないか、自分。(笑)


―――いや、本当に、面白かった、素晴らしかった、濃かった、
切なかった、のです。十分に堪能し、感動もしたのです。

なのに私は、一方で、この作品を
「以蔵の悲劇」としてすんなりと受け入れることが出来ませんでした。
たぶん、かなり重厚なこの台本の中身を、
私自身、十分咀嚼(そしゃく)しきれていないから、
だろうと思うのですが、
始まってすぐ、から「何かが足りない」と思うようになり、
舞台が終わってからも、
それは何故だろう、どうしてだろう、と、ずっと考え続けていました。


以下は、かなり私の妄想が入っていると思うのですが―――

以蔵を「犬」と言うのなら、
武市が「ご主人さま」として以蔵の頭と心に刷り込まれたのは、
いったい「いつ」なのでしょうか?
おミツの兄を武士として切腹させてやった・・
そして道場に誘ってくれた・・
それだけでは、あくまで「武士としての尊敬や信頼」の域を
出ないような気がします。


以蔵が、武市に対して犬のように尻尾を振るのは、
武士としての武市の高潔さや志(こころざし)を知ったゆえ、ではなくて、
彼が以蔵に見せた、ほんのわずかな優しさや温かさに触れたせい、
ではないのか――
以蔵を、自分と同じ人間として認めてくれ、
同じ目線でものを語ってくれた、その、ほんの一瞬があったからこそ、
以蔵は、自らの意志で、武市先生のために「犬」になりさがった、
のではないのか――


・・・けれども、少なくとも私には、その
「以蔵という犬が、武市をご主人さまとして崇拝するようになった瞬間」
を、はっきりと感じ取ることが出来ませんでした。
以蔵の、武市への、盲目的・絶対的・狂信的な崇拝が、
どこから生まれたのか、
その萌芽を、しっかりと見つけ出すことが出来ませんでした。
そして、武市が、
なぜあれほど以蔵を疎(うと)ましく思うようになるのか、も。


確かに、他の志士たちと同じように、
以蔵にとっても、武士として生きることは、すごく大切なことで、
だからこそ、剣で武市に認められたい、と、
強く思うようにもなるのだけれど、
ただ、自分の一番得意なもので、武市の気を惹きたい、
武市から「よくやった」と言われたい、
という、ごくごく単純な想い・願いも、まちがいなくあって、
それはやはり、以蔵が、ある意味、
武市に愛されることを望んでいたからなのではないか、と思うのです。

・・・ん〜〜、うまく言えないんだけれど、
以蔵の中に、「俺がこんなにあんたのことを想ってるのに、
なんで気づいてくれないんだ!?」的な、
一種、恋に近い感情があるんじゃないか、とも思うんですよね。
(かなりの暴論かもしれませんが)

・・いや、もちろんそれは、
おミツに対する恋愛感情とはまったく違ったもので、
たとえば、自分はすごく大好きなのに、
自分のことを相手にしてくれない父親に、
「こっちを向いてくれ!、俺を愛してくれ!」と必死に願う
肉親の情愛を求める切実な子供の飢餓、と言った方が
いいのかもしれませんが。

とにかく、武士として、より先に、人間として、の感情が、
武市を見つめる以蔵の心の奥に、
渦巻いているように思えてならないのです。

だからこそ、以蔵は、武市が田中新兵衛と義兄弟となったことを知って、
強烈な嫉妬心を抱くようになるのだろうし、
だからこそ、武市も、武士としての尊敬や信頼の念ではなく、
人としての暑苦しい感情を自分にぶつけ、求めて来る以蔵がうっとうしく
疎ましく思うようになるんだろう、と。


「人斬り」として天誅を繰り返す以蔵は、
もちろん、決して人を殺すことを快感に思っているわけではなくて、
それが世の中のためである、と信じていたんだろうけれど、
それよりもむしろ、武市への情のぶつけ方を知らない彼の、
精一杯の愛情の表現が、「人を殺すこと」になってしまった、
ということなのではないか・・・

そういうイメージが、
舞台を観ている私の中に勝手に膨らんでしまったので、
以蔵に対する武市の気持ちが、最初から最後の以蔵との対峙直前まで、
ずっと同じように冷たく感じられたことが、すごく残念だったし、
以蔵にしても、もっと「人斬り=武市のため」という想いが空回りして、
どんどん追い詰められ、
まっさかさまに堕ちて行く感じが欲しかったように思うし、
物語全体としても、以蔵の感情にすべてが集約されるような流れ
であって欲しかった、と思うのです。


以蔵は、なぜミツを選ばなかったのか。
以蔵にとっては、剣か、恋か、の選択ではなくて、
どこまで行っても満たされない武市半平太という人間への情念の深さが、
ミツとの、穏やかで優しい恋の成就をためらわせた、
という気がするのですが、本当のところはどうなのでしょうか。


―――キャスティングについて。


まず最初に、森田剛岡田以蔵を、という、
いのうえさんのインスピレーションに、素直に脱帽。
そして、その いのうえさんの眼力と期待に、
見事に応えた森田くんに拍手!

実は、この日、森田くんの声はかなり枯れていて、
話している内容を余すところなく理解する、ということが出来なくて、
すごく残念だったのだけれども、
その分、全力で舞台中を走り回りころげ回り、
しゃがれた声で絶叫する彼が放つ、
強烈なエネルギーのほとばしり、みたいなものが強く感じられて、
さてそれは、声が普通に出ていても同じだったのか、
あるいは、声が出ないゆえに新たに生み出されたものだったのか、と、
いろいろ考えさせられました。

エネルギーの熱いほとばしりと、ゾクッと来る冷たさ、
その両極端の感情は、本当にうまいこと表現されていたんだけれども、
実は、以蔵というのはそれだけの人ではなくて、
ミツに対しても、武市に対しても、
もっと繊細な感情や痛みや憧れを持っていた人だったんじゃないか・・
と思う。
それを、森田くんなら表現しうるだろう、かなりの精度で、
とも密かに期待していただけに、
声が出なくて、それが出来なかった、
そういう部分を演じる森田くんを観られなかった、という、
すごく残念な想いが、
最後までフラストレーションになってしまいました。


戸田恵梨香さん(ミツ)
初舞台とは思えない、堂々とした演技でした。
森田くんと並ぶと、本当におままごとしてるみたいで、
そうなっちゃうのは、おおかた森田くんのせいなんだけれども(笑)
でも、森田くんの任には合っていて、戸田さんとのバランスも良く、
ふたりの淡い恋の部分では『荒神』よりずっと
感情移入しやすかった気がします。


池田鉄洋さんは坂本龍馬だろうな、と思ったら、案の定・・・(笑)
いや〜もうホントに自由自在な感じが好き。
橋本じゅんさんとは又ちょっと違う奔放さが大好き。
この人の明るさと確かさにどれだけ救われたか分からないし、
この吸引力が、別な形で、武市にも欲しかった、という気もしました。


粟根まことさん(勝海舟
べらんめぇ調のセリフがすごく心地よかったです。
私の中では、野田秀樹さんと並ぶ勝海舟役者。(笑)


木場勝己さん(吉虎の主人・寅之助)
こういう役が好きです。武士とは違った商人目線で以蔵を見る、
その中に、優しさだけじゃなくて冷淡さも含まれているのがいい。
木場さんうまいなぁ! 惚れました。


山内圭哉さん(田中新兵衛)も、千葉哲也さん(島村源兵衛)も、
西岡徳馬さん(山内容堂)も、揺るぎなく、確実な演技。


あたりまえの話だけれど、
舞台出身の俳優さんは、皆、セリフの歯切れが良くて、
聞き取りやすくて、心地よいです。

その他、今回のキャスティングは、本当に適材適所で、
ものすごくお得感がありました。


さて、田辺誠一さん。
芝居巧者たちの中で、まったく遜色なく、
以蔵が崇拝し「天」とも仰ぐ武市半平太を演じていました。
昨年秋の『風林火山』の小山田信有の最期から引き続き、
魅力的な人物を魅力的に、しかも、きっちりとした二枚目として
演じてくれていたことが、本当に嬉しかったし、
小山田の時には物足りなかった人物の背景も、
今回は、武市半平太という役自体が主人公(以蔵)にすごく近かった
こともあって、しっかり描かれていて、見ごたえがありました。

田辺さんの舞台、特に時代劇、となると、
私は、発声の仕方がすごく気になってしまって、
前回の『信長』の時も、かなりきついことを書いてしまったのだけれど、
今回、まったく違和感なく、力強くて明瞭な口跡になっていたことに、
びっくり。
正直、ここまで変わるとは思っていなかったので、
それだけで、かなりの満足感がありました。

また、勤王党を率いる長としての武市が持つカリスマ性や、
骨太な部分がきちんとありつつ、
真面目で清潔で妻想いで、容堂に対しては絶対的な崇拝の気持ちを持ち、
しかし、以蔵が邪魔になると、一転、
彼を毒殺しようとする冷酷さもあり、と、
なかなか今までの田辺さんにはない色の役で、
明智光秀(@『信長』)の時の田辺さんに感じた物足りなさが払拭され、
見た目と中身のバランスが格段に良くなったこと、
輪郭のはっきりした役を、
さほどの違和感も苦労もなく演じているように見えた(笑)こと、
田辺さんにもこういう役が出来るんだ、と思わせてもらえたこと、に、
心地よい感慨がありました。


・・・が。(って、いっつもこうだわ。苦笑)
そういう骨太な田辺版-武市半平太を堪能する一方で、
他の俳優さんではなく、
田辺さんが武市を演じることでしか生まれない「何か」、
田辺さんにしか醸し出せない「香り」、が十分に味わえなかったことが、
すごく残念でもありました。
(贅沢言ってるのは百も承知です、すみません)


これは私個人の好みでしかないのでしょうが、
私が最近、俳優・田辺誠一のどこが一番好きなのか、というと、
「しなやかな甘さ」なのですよね。

それが、ある時には「優しさ」になり、
またある時には「切なさ」になり、
ある時には「弱さ」になり、ある時には「強さ」にもなる。
その最大の武器(と私は思っているんですが)をまったく使わないのは、
本当にもったいない、と思う。

田辺さんが演じた武市半平太に、
この「しなやかな甘さ」が一刷け塗り重ねられていたら・・・
以蔵に「犬になってこの人について行こう!」と思わせる、
より確かな魅力が加えられたのではないか、
という気がして仕方ないのですが・・・

それは やはり、私の妄想に過ぎないのでしょうか。


                『いのうえ歌舞伎☆號 IZO』 青山劇場 1月18日(金)12:30開演


PS.
プログラムも、あれこれ惹かれるフレーズ満載だったのですが、
内容を詳しく書く気力がありません。改めてゆっくり書くことにします。

一言だけ。
橋口さん、やっぱりあなたはすごい人だわ!