信長(talk)

2006・1・25観劇(新橋演舞場
★このトークは、あくまで翔と夢の主観・私見によるものです。

夢:さて、問題の『信長』・・・だね。(笑)
翔:問題の・・って、そんな、危険なものを扱うみたいな言い方・・・(笑)
夢:いや~、実際、かなりへビーというかシリアスなトークになるんじゃないかと思って、あたしとしては戦々恐々としてるんだけど。(笑) 初見の時の詳しい感想や、BBSでのコメントは、「BBSpickup」で取り上げてるけど、相当きついこと書いてるし。
翔:・・・・・・・・(苦笑)
夢:で、どうなの? 今回、久しぶりに観直して、特に何か変化のようなものはあった?
翔:・・・・まぁ、私としては、いつものように、良いと思ったところは良い、悪いと思ったところは悪い、としか言いようがないし、それが≪翔夢≫のスタンスなわけだけど・・・・
夢:・・・ということは、やはり辛口なんだ?
翔:・・・いや、今回観直して、やはり、「織田信長の一生の描き方」という点では、すごく面白いお芝居だなぁ! と思った。 まず そのあたりから話そうと思うんだけど。
夢:うん。
翔:『山川静夫の新華麗なる招待席』というワクの放送で、作家の村松友視さんがゲストで出ているんだけど、彼が、「信長の死までを演じると、観ている側がどうしても彼を受け容れられない部分が出て来る。その‘受け容れられない信長’を演じたい、という、海老蔵の役者としての願いがあった」 という話をしていて、すごく惹かれたんだけど・・・
夢:・・・・うん。
翔:その「受け容れられない信長」に変化して行く過程が、今回再見して、ますますはっきりと伝わって来た気がして、なおさら面白く感じてしまって。
夢:え? それは どのあたりで?
翔:うつけと言われ、斉藤道三やお濃と出逢い、やがて、圧倒的に不利な中 桶狭間の戦いに勝利する、若き日の信長というのは、非常に爽快だよね。 
夢:うん。
翔:フロイスに地球儀を見せられ、自分たちがいる地球が丸いことを理解し、同時に、日本の小ささを思い知った信長は言う、「わしはこの世を極楽にする、この世を正気に戻すために天下を取らなければならぬ」と。
  その彼の胸のすくような明快な言葉に、一番彼を理解し心酔していた光秀がまず感動し、信長に上洛を勧め、朝廷を味方につけることを進言するんだけど。
夢:うん。
翔:だけど・・・信長が言う「この世」と、光秀が考える「この世」とは、スケールがまるで違っている。
夢:・・・信長は「世界」で、光秀は「日本」ってことか。
翔:そう。 地球儀を見て、いち早く「世界」を理解し、地球の裏側まで視野に入れてしまった天才・信長と、そこまでの理論・・というか高い意識を持ち得なかった凡人・光秀。 その「ズレ」が、やがて大きな亀裂を生むことになる。
夢:うん。
翔:以後、取り付かれたように、すべてを蹴散らし、なぎ倒して行く信長。 比叡山を焼き払い、小谷城を落とし、立ちはだかるすべてを・・女子供まで、容赦なく皆殺しにして行く。
夢:・・・・・・・・
翔:そこには大きな矛盾が存在する。「人々を救う」という名目のために、罪もない人々を犠牲にする、という大きな矛盾。 けれども、彼には立ち止まっている暇はない。 世界を見据えた彼には時間がない。 
夢:・・・・・・・・
翔:この信長の「時間がない=時は敵」という焦燥は、もし、お濃に子供が生まれていたら、その子に後を託すことで少しは弱められたかもしれないけれども、お濃は、この物語の中で、まるで信長が殺戮した多くの人間たちの恨みを買ったように、流産し、子を産めない身体になってしまう。
夢:信長にはたくさんの子がいたと思うんだけど・・・
翔:いや、少なくともこの物語の中では、お濃との子でなければ意味がないんだと思う。 ただ自分の築いたものを護って行くだけじゃない、「先人の築きし城を打ち壊せる者のみが、新しい世の扉を開く」 と 信長に説いた 斉藤道三の子である農姫ならば、自分の屍(しかばね)を踏み越えて行けるほどの 才能のある子孫を残せる、と、信長は思っていたんじゃないかな、無意識のうちに、ではあるかもしれないけど。
夢:・・・・・うーん・・・・・
翔:信長の苛立ちが、そのあたりから、あきらかに加速度を増して行く。
夢:・・・・ああ・・そう言われてみれば 確かに・・・・
翔:自分ひとりで「世界」に立ち向かわなければならない信長にとって、自分のために身を粉にして働いてくれる家臣(光秀や秀吉)の存在は大きいんだけれども、肝心の彼らには、信長ほどのあせり、というか、時間との闘いという認識はなく、そのことが、信長にとっては、ものすごく もどかしかったんじゃないか、と思う。
   人生50年、わずか50年しかない。 時間がない、時間がない、時間がない!・・・その焦燥が、日本という狭い国ひとつ治めるのに手間取っている家臣たちに向けられ、爆発する。
夢:・・・・・・・・
翔:光秀、お前は解かってくれたんじゃないのか、「乱世を終わらせるお方だ」と言ったお前の言葉は嘘か! 俺が望んでいるものを、おまえも望んでいたのではないのか!? 光秀よ、秀吉よ、なぜ俺と同じ速さで一緒に走ってはくれないんだ!?―――
夢:・・・・・・・・
翔:けれど、もともと日本という国のことしか考えていなかった彼らには、どれほど頑張っても、疾走する信長のスピードに付いて行けない。 到底、信長の考えをすべて理解することは適(かな)わないし、信長と共に走るだけの力もない。
夢:・・・・・・・・
翔:信長は自問自答する。それでも、天が俺を選んだのなら、俺にはそれが出来るはずだ、と。 それが「神」にしか出来ないことであるならば、自分が「神」になるしかない、と。
夢:・・・・・・・・
翔:光秀とお濃は恐れおののく。 信長はどこまで羽ばたいて行ってしまうのか。 人が「神」になれるはずがない。 信長も自分たちも、あと百年も生きられるわけではない。 奔(はし)っても奔っても、手が届かないものならば・・・永遠に手の届かないものに向かって必死に走らなければならない辛さ・口惜しさ・苦しさを、信長が死ぬまで味わい続けなければならないのならば、いっそ・・・・
夢:・・・・・・・・
翔:そうして本能寺の変は起きる――おそらくは「信長を救う」ために。光秀の、ちっぽけな、けれども必死な「愛」ゆえに。 
夢:・・・・翔のメールに、

・・・ 「走り続けることの限界を、誰かが彼に伝えなければ、彼は永遠に走り続ける。 そうして走り続けても、なお、彼の人生の最期には、残酷な「時の壁」が、立ちはだかる。 その時の信長の「絶望」がいかばかりか、を思う時、今、彼を押し留め、「志半ば」で彼の生涯の幕を引いてやることが、彼を、もっとも「信長」のままで生かすことになるのではないか、と、(少なくともこの脚本の)光秀は、そう考えたのではないか、という気がするのです。」
という一文があって、これは今までとまったく違った光秀像だな、と思ったんだけど。
翔:・・・・・・・・
夢:で、こんなふうに続く。

・・ 「そうして、信長もまた、自分の暴走を止めようとするのは、自分の敵ではなく、自分を理解しようと努力し、自分を最も愛した人間であろう、ということに、気づいていた。
  本能寺。 「旗印は桔梗か」――信長の確信。
私は、あの一言に、「そうしなければならなかった」光秀と、「そうなることを受け入れた」信長         の、互いへの一種の共感(ゆがんだ形ではあるにせよ)を感じたのですよね~。」
これは実は、すごく あたし好みの解釈なんだけど(笑)、でも、正直 この作品からそれだけのものを受け取るのは、翔並みの妄想をMAXに働かせなきゃ無理のような気がする。
翔:(笑) うーん・・・・確かにね。 そもそも、こういう読み方が正しいのかどうか、正直のところ解からないんだけど。 脚本や演出にそんな意図があったかどうか、も、定かじゃないし。 でも、私としては、少なくともこのお芝居の中では、信長と光秀の関係性って、こんなふうに読むのが一番しっくり来るような気がするし、その方が、絶対、光秀の存在に重さが出てくるとも思うので。(笑)
夢:そうなると、光秀はかなり重要な役になって来る。 翔が光秀をそういう人間だと思いたいのは、田辺さんが演じているから?(笑)
翔:いや・・・もちろんそれもあるけれど(笑)、誰が演じるにしろ、海老蔵さんの信長を際立たせるためには、そういう光秀が必要だった気がするので。 
夢:・・・・・・・・
翔:この舞台はあくまで海老蔵さんのもの。 だからこそ、光秀の存在を 信長と「対(たい)」ぐらいにまで大きくすることで、もっともっと信長像をくっきりと浮び上がらせることが出来たんじゃないか、と思うから。
夢:うーん・・・そうかぁ・・・・ 
★    ★    ★
夢:さて、翔のその見解に添(そ)うならば、かなり重い役目を担(にな)っていたことになる「明智光秀 by田辺誠一」ですが。
翔:うん。
夢:初見の時、お芝居の内容については絶賛してても、光秀に関しては さんざんきついことを書いていた。 再見しても、どうやらそのあたりは変わりなさそうだね。
翔:・・・・・・・・(苦笑)
夢:でもなぁ、どうなんだろ、正直なところ、脚本の中であれだけしか台詞が与えられていない光秀に、「信長と‘対’になれ」というところまで要求するのは酷(こく)なんじゃないか、とも思うけど。
翔:いや、私は、あれだけの台詞でも 十分に、信長と対になる光秀を作れたんじゃないか、と思うんだけど。
夢:・・・・・そう?
翔:もちろん信長の家臣なのだから、彼より前に出る必要はないんだけど、何と言ったらいいのかなぁ・・・「キャラを立たせ切れていない」と言ったらいいのかな・・・とにかく、あの舞台の上で、「光秀の存在」というものを、観客に強烈に印象づけ切れていなかった気がするんだよね。
夢:光秀の存在を印象づける・・・か・・・
翔:そう。 私、初見の時、発声の仕方についてあれこれ注文をつけたけど、発声そのものよりも、台詞の中にある感情を うまく観客に伝えることが出来ていない、ということの方が問題なんだ、ということを、改めて思った。
夢:・・・・・・・・
翔:BBSにも書いたけど、田辺さんの光秀を観ていると、「台詞=言葉」を観客に伝えようとするだけで精一杯、という感じで、その台詞や動作に込められているはずの「感情」や「心情」が、なかなかうまくこちらに伝わって来なくて、観ていてすごく もどかしかった。 「発声も含めた光秀の演じ方」にしても、「光秀の心情の捉え方」にしても、十分な表現として伝わって来なかった、という感じがして・・・
夢:演じ方と心情の捉え方のどちらも・・・?
翔:きつい言い方をしてる、と自分でも思う。 もちろん、田辺さんなりの光秀像というのがあったには違いないだろうし、十二分に考えて作って来たんだろうとは思うんだけど・・・・
夢:でもね、たとえば秀吉とかと違って、光秀って、ストレートに感情を外に出すタイプじゃない気がするんだけど。
翔:そうだね、田辺さんもそういう捉え方をしていたのかもしれない。 光秀は理詰めで考えるタイプだし、激昂(げきこう)するなんてこともないだろうし、信長に対しても、「家臣だから一歩さがって」 「信長への畏怖(いふ)もあっただろうから、さらにさがって」・・・って、どんどん控え目になってしまったのかな、という気もするけど・・・・
夢:光秀がそういう人間だった、と考えても、田辺さんの演じ方には不満があったわけだ、翔としては。
翔:私は、光秀って、この物語の中で、もっともっと大きな存在であってよかったと思うんだよね。 非常に力のある人でもあったと思うし、彼には彼なりの天下統一へのビジョンがあっただろうし、それを現実のものにしたい、という想いも、絶対にあったんじゃないか、と思うし。
夢:・・・・うん。
翔:でも、彼自身・・少なくともこの作品中の光秀・・は、自分が天下を取る、なんて野望は持ち合わせていなかった。 そのあたりが秀吉と違うところで、彼は、世の中が平和になればそれでよかった。 彼の望みは「乱世を一刻も早く終わらせること」であり、そのためには、信長というカリスマ性を持った力のある人間の存在というのは、非常に重要だった。 
夢:うん。
翔:稲葉山城(岐阜)で、信長は光秀にとって真のヒーローとなるわけだけど、ただひたすら服従する、というのではなくて、どこかで 信長と異質な「光秀自身の重み(魅力)」みたいなものが醸(かも)し出されないと・・・
夢:・・・・・・・・
翔:光秀の志はあくまで高潔であり、清濁合わせ呑む秀吉らとは違っている。 戦国の世に生きる人間としては、それはおおいなる弱点なのかもしれない。 けれど、それでも信長は彼を買い、重用した。 なぜ、あの信長が光秀をそこまで信頼したのか、その部分の(光秀の演技を通した)説得力が薄くて・・・ 
夢:・・・・・・・・
翔:清廉潔白ゆえの光秀の苦悩は、さっき言った「信長の持つ矛盾」(人々を救うために人々を犠牲にする)と直面することで、増大する。 比叡山の焼き討ちのシーンは、彼が、自分が今までいた穢れ(けがれ)ない場所を捨て、信長とともに地獄へ堕ちる決心をする重要な場面。 彼はそこで、罪もない母子を屠(ほふ)り、改めて 自分の生涯を信長に捧げ尽くす決意をする。
夢:・・・・うん。
翔:この場面の光秀の苦悩が、もっともっと強くまっすぐに、痛々しいぐらい切実に、こちらに伝わって来て欲しかった。 光秀の苦悩が大きければ大きいほど、その高潔な魂を取り込んでしまう程の「信長の吸引力=魅力」が際立つことにもなるわけだし。
夢:・・・・・・・・
翔:さらに、安土城で 家臣のふがいなさに苛立つ信長に対しても、その怒りを真っ向から受け止めようとする光秀であって欲しかった。 信長のマグマを何とかして全身で留めようとする光秀であって欲しかった。 ・・・比叡山で誓ったはずの 信長への愛と忠誠が大きく揺らぎ、ジレンマを抱えながら、信長の前で苦しむ光秀であって欲しかった。
夢:・・・・・うーん・・・・だけど・・・うまく言えないんだけど、比叡山での光秀の決意は、信長を自分の「神」とする、ってことだと思うんだよね。 だとしたら、信長に対して、そんなに強く反発することは出来ないんじゃないか、と思うんだけど。
翔:もちろん、あの場面では、秀吉の卑屈さと同様、光秀の畏怖も描かれなければならないのは確かだと思うんだけど・・・それだけじゃなくて・・・そんな単色じゃなくて・・・私は、光秀に、自分自身を明確に描くことで、信長像に陰影を刻む役割を担(にな)って欲しかったんだよね。
夢:信長像に陰影を刻む・・・?
翔:そう。 出番の多い少ない、台詞の多い少ないの問題じゃない、秀吉やお濃が、それぞれの登場場面で、その立場や感情を細やかに演じることで 信長との距離や立場をくっきりと浮び上がらせたように、光秀も、自身の輪郭をもっと鮮やかに描くことは出来なかったのか、と・・・・
夢:・・・・・うーん・・・・・・
翔:お濃の苦悩に同調して彼女をかき抱く、その時の光秀には、信長への畏怖だけではない、お濃と同じぐらいの信長への愛の深さや慈しみや、一方で、自分の傍にいて欲しい、という切望もあったはずなんだよ。
夢:お濃を抱きしめたのは、お濃への愛ゆえではない・・・というのが、翔の解釈だよね。
翔:・・・いや・・・もちろん、お濃を大切に想う気持ちはあるだろうけどね。 だけど、彼女を想うことは、その奥の奥で結局は「信長への想い」に繋がっている。 それは、お濃にしても同じことで。
夢:・・・・・・・・
翔:だから、あの時、ふたりは、お互いを見ていたんじゃなくて、相手の中にある「自分と同じ信長への想い」を感じていたんじゃないか、と。
夢:・・・・・うーん・・・・・・
翔:光秀が「お濃さま・・・お濃さま・・・」と言う、その言葉の中に、実は、大切な人間(信長)を同じように見失いそうになっているお濃への、深い共感と、憐憫(れんびん)と、光秀自身の苦しみと、哀しみと、が、凝縮されている。 わずか一言の中に、それだけの想いを込めるのは、演じ手としては、ものすごく難しいことなんだろうけど・・・・
夢:・・・・・・・・
翔:いや、もちろん、そもそも この作品の光秀をそういう人間として捉える、というところからして、私の妄想でしかないのかもしれないけど・・・・だけど、この「妄想」は、そもそも田辺さんが光秀を演じていなければ、私の中に生まれないものでもあったわけで・・・・
夢:・・・・えっ!・・・・・
翔:そして、ひょっとしてその妄想が正しいとしたら・・・・ 私は、そういう難しいものを田辺さんが求められている、田辺さんならそれが出来ると思われている、という、そのスタッフの評価というものを、すごく嬉しくも感じたので。
夢:・・・・・・・・
翔:これは確かに「信長の物語」ではあるんだけれども、信長に対して自分の何をどれだけ捧げられるのか、ということを、役の中で演じ手が徹底的に突き詰めて行くことで、その俳優が演じている役までもが 鮮やかさを増して行く・・・そういう作品だったような気がするから。
夢:・・・うーん・・・・翔がBBSで「この芝居の光秀は(お濃と同様に)信長と合わせ鏡になっている、そういう重要な役にもなり得た、と私は思っている」と書いていたのは、そういう気持ちからだったのか。
翔:そう。 ・・・・決して俳優に対して親切な脚本ではない。 俳優の想像を膨らませ、力量をMAXまで使わないと演じられない役だったかもしれない。 だけど、だからこそ面白い、だからこそやりがいのある役だったんじゃないか、と、私は、今でも正直、残念な気持ちを引きずっている。 そういう役を力づくでねじ伏せて、自分のものにする田辺さんを観てみたかったなぁ!という想いがすごく強かったので。
夢:なるほどねぇ・・・うーん・・・
翔:ただ・・・・
夢:・・・・・・ん?
翔:そのあたりの欲求不満は、武市半平太(@いのうえ歌舞伎☆號IZO)や 阿久悠(ヒットメーカー阿久悠物語)を演じている田辺さんを観て、だいぶ晴らせたような気もするけどね。
夢:・・・・・・ああ・・・・・・!
翔:時間が経った時、ちゃんと答え(応え)が用意されている。 だから遠慮なく、光秀(を演じている田辺さん)に対しても、初見の時よりもさらにキツイことが言えた、とも言えるので。(笑)
夢:ん~・・・「答え(応え)が用意されている」か・・・いつものように、ね ――なるほど。(笑)  いつもいつも、だから翔は安心して田辺さんにキツイことが言える、ってわけなんだよね。
翔:・・・・・・・(笑)