南くんの恋人(talk)

2004・7-9月放送 (テレビ朝日系)
★このトークは、あくまで、翔と夢の主観・私見によるものです。

  夢:リアルタイムで観てた時の翔のテンションの低さから行くと、トークにならなくて、簡単な一言感想で済ませちゃうんじゃないか、とさえ思ったんだけど・・・・(笑)
  翔:いや、実はそれも考えないわけじゃなかった。(笑)
  夢:あ、そうなの? でも、結局は通常トークになったわけだよね。
翔:ん~・・・今回、全部観直してみて、ドラマの中にすんなり引き込まれている自分がいたもので。
夢:え~!? リアルタイムの時は、結構突っ込んでたような気がしたけど。(笑)
翔:自分でもちょっとびっくりしてるんだけど。(笑) あまり深く考えないで、単純に、たとえば自分が中学生になったぐらいの気持ちで、南くん(二宮和也)とちよみ(深田恭子)の一途な気持ちに寄り添って観ていたら、何だか、どんどん引き寄せられて行った、というか。 
夢:ふ~ん・・・中学生ぐらいの気持ち、か。
翔:そう。 だから、突っ込みどころはいろいろとあったには違いないんだけど、そういう観方じゃなくて、たとえば「ファンタジー」として観れば、これはこれで受け入れられる気もした、というか。
夢:う~ん・・・・
翔:いや、それにしても、ご都合主義で話が進められるのは、どうにも納得行かなかった、というのはあるんだけど。
  たとえば、生徒の名前の点呼中に ちよみがいないことに気づいた日下部先生(田辺誠一)が、授業中にも関わらず、南くんを廊下に連れ出す。そんなことありえないでしょう? しかもそこに電話が掛かって来る。授業中に。 細かいことかもしれないけれど、そういうところで、もう 萎(な)えてしまっている自分がいたのも事実だし・・・
夢:でも、今回改めて観て、そういうところも受け入れられた、と。
翔:いやいや、そういうところは受け入れられなかった、今回も。 でも、そのあたりに眼をつぶってでも、観続けたい、と思ったのは、やはり、二宮くんと深田さんの演技が好きだったのと、脚本としては、小さくなってしまったちよみに自立させる道を作ってやった、というあたりで、ちよみというキャラクターが魅力的に感じられるようになった、というのが、大きかったかもしれない。 ・・・あ、もちろん、その辺は、私個人の感じ方として、なんだけど。
夢:ん~なるほどね。
翔:それにしても、本当に、二宮-深田コンビは、良かった。 これだけ奇想天外・荒唐無稽のドラマの真ん中を、まっすぐに進んで行った、その若さと、ナチュラルさと、一途さが、今回観直して、改めて「いい」と思えた。 何というか、すごく説得力があった、と言えばいいか。
夢:そうか・・・・
翔:周囲の人たちは、どうしても類型的になりがちで、だから、リアルタイムで観た時は、皆、絵に描いただけの薄っぺらな人間、という感じがしてしまったんだけど、これも、今回観直して、ちょっと印象が変わった。
夢:へ~・・・
翔:全部通して観た時に、ちよみのおじいちゃん(北村総一朗)や南くんのおかあさん(名取裕子)は、気持ちの変化というか流れというか、そういうものがちゃんと描かれていたんだ、と思ったし、狂言回し的にドタバタしていた日下部先生にしても、南くんのおとうさん(西村雅彦)にしても、マンガチックでくだらない・ばかばかしい、というだけじゃなくて、それなりに重さがあったんだなぁ、とも思えたから。
夢:うーん・・・まぁ、常々翔も言っているように、そのあたりは人それぞれの捉え方でいい、とは思うけど。 あたしはコメディとしてはちっとも面白くなかったから。
翔:確かに、コメディとして観てしまったら、とても笑えないけど。 さっきも言ったように、私は、これはファンタジーだと思ってるから、だから納得出来た、ということもあったのかもしれない。
夢:うーん、そうか。
★    ★    ★
夢:さて、日下部先生を演じた田辺さんだけれど、リアルタイム当時、翔は、かなり厳しい評価をしてたよね。
翔:厳しい評価、というか、私個人としては、あの役が好きになれなかった、ということなんだけれど。
夢:あたしとしては、あの役を田辺さんが演じた後に 翔がBBSに書いていた、『〈硬〉と〈軟〉と~日下部先生に想うこと』 や 『「‘過去’が閉じて行く感じ」がたまらなかった』 という文章が、どうしても思い出されてしまうんだけど。 ちょっと長いけど、↓に写してみます。

私はなぜ日下部先生をすんなり受け入れられないんだろう、
と、ずっと考えていたのですけど、
結局私は、田辺さんが「ああいう方向」に行ってしまうのが、すごく淋しいんだろう、と。
「演技」として、あの役をあのように演じたことに、不満があるわけではない。
田辺さんの、俳優としてのさらなる進歩、のようなものも、感じなかったわけではない。
なのに、田辺さんによってああいう演じ方をされた日下部が、
私は好きになれなかった。
それは、ひょっとしたら、
ファンではない多くの視聴者に、「あれが田辺誠一だ」と認識されてしまうのが、
私としては、嫌だった、というか、淋しかったから、かもしれない。
「私が観たい田辺誠一」が、
田辺さん自身の「演じたい役」と、どんどんかけ離れて行ってしまっているようで、
たまらなかったのかもしれない。
いいや、田辺さん自身は、きっと、どんな役だって受け入れて演じてくれるだろう。
演じやすい・演じにくい、は あるにせよ、
望まれれば、どんな役であれ、全力投球してくれるだろう。
だけど、肝心の制作側が、
俳優・田辺が持つ、「私が好きな・私が観たい‘魅力的な部分’」を必要としなかったら?
たぶん、私が、日下部を観て不安になったのは、そういうこと。
「柔らかさ」をその身に十分蓄えた上で、
折あらば三枚目の線に流れようとする田辺さん自身と
そういう田辺さんの資質(素質)を愛する制作側と・・・・
もしかしたら、彼は今、そういう才能を開花させようとしているのかもしれない。
ひょっとしたら、日本のドラマ(TV・映画・舞台を含め)にとって、
その「柔軟さ」というのは、あの年代ではとても貴重なものかもしれないから、
そういう独特のセンスを持った中堅俳優として、
田辺さんは、今後、ますます重宝されることになるのかもしれない。
それでもなお、私は、自分の「好きな」「観たい」に固執する。
「硬」と「軟」とが見事に調和し、そのどちらにも決定的には踏み出して行かない、
コメディであっても、どこかつつましく、シリアスであっても、どこか優しく穏やかな、
そういう部分こそ、絶対に失って欲しくない「田辺誠一の魅力」である、と、
少なくとも今現在、信じて疑わない頑固な自分がいるから。
でも―――
そんなところに拘っているあいだに、田辺さんは、どんどん突っ走って行くのでしょう。
その疾走のあまりの早さに付いて行けず、俳優・田辺の「真の魅力」に辿り着けないまま、
ひとり取り残されてしまうのではないか、という不安が、今、私の中に、
少しずつ芽生え始めている・・・
その想いが、はからずも、日下部によってさらに増幅されてしまったことが、
淋しい? 哀しい? 切ない? 悔しい??のかもしれません。
〈硬〉と〈軟〉と ~日下部先生に想うこと より  路地裏の空BBS 2004/10/13 

ここ最近の私の気持ちを、どう表現したらいいのか、ずーっと考えていました。
ちょっと前から、私の中に少しずつ燻(くすぶ)っていたもの、
はからずも、日下部先生への拒否反応、という形で噴き出してしまったもの、
の正体が、いったい何なのか、正直、自分でも掴み切れなくて、悶々としていました。
だけど今、ようやく、「何か」の正体が、少し見えて来たような気がしています。
私たちが歳を取るように、田辺さんも歳を取ります。――って、あたりまえですね。(笑)
私が彼のファンになったのは7年前、彼の20代の終わり頃です。
「俳優」としても、演じる合間から見えるような気がする「素の田辺誠一」としても、
どこか危なげで、未熟で、痛々しくて、
いつもいつも、こちらに伝わって来る「ヒリヒリしたもの」があまりにも切実だったので、
何とかして受け止めて、何とかして言葉にしたい、と思ったのを覚えています。
私はここから、ずいぶんと、「俳優・田辺」に苦言を呈して来ましたが、
俳優という職業に向いていない、と、ご本人自らがおっしゃる、そういう人が、
役にぶつかってぶつかって、何度も跳ね返されながら、
やがてじんわりと確実な何かを掴んで行くさまは、
遠いこの場所で見ていても、ずいぶんと心躍らされるもので、
そういう「変化する俳優・田辺」を、刻々捉え、
受け取ったものを自分なりの言葉にして行く作業は、
すごく大変ではあるけれど、それ以上に幸せで楽しいものになって行きました。
そうして今、30代半ば。
田辺さんは、私が密かに「こうなって欲しい」と願っていた
「俳優・田辺としての‘ひとつの型’」を、
私が想像していたよりずっと早い段階で、具現して見せてくれた――「ナビオ」として。
だから何も言うことはない、文句のつけようがない、のは、重々承知の上で。
だからこそ・・・・
しっかりとした足取りで30代を突き進んで行く魅力的な俳優を、遠くで眺めながら、
やがて、たとえば40代になった時、
彼が確実に演じられなくなるだろう役柄を思い、チクチクと胸を痛める自分がいるのを、
どうにも止められないのです。
たとえば速水を、たとえば滝川を、たとえば沢木を。
「若さ」ゆえに演じ得た、それらのような役を、いつか演じられなくなるのだ、という、
理屈抜きの悔しい悔しい思い。
そうやって、少しずつ‘過去’が閉じられて行く。
たとえ、今、閉じられたものの数倍も数十倍もの価値あるものを
田辺さんが俳優として掴んでいたとしても、
この先、何倍も何十倍も何百倍もの素晴らしい役を演じてくれるとしても、
私は、彼が演じて来た「過去」の痛々しさや切なさを、
それを観た時の、言い知れぬ想いを、感動を、忘れることはきっと永遠にないし、
無理を承知で「あの田辺をもう一度」と言ってしまう自分を、きっと止められないと思う。
日下部先生を見た時、私は、そういう、
田辺誠一の若さゆえの切なさ・痛さ」をスパンと遮断されたような気がして、
30代の俳優として、相応の演技をしているんだから、いつまでも「過去」を追うな!
と言われたような気がして、
(もちろん、ご本人はそんなこと考えてもいなかっただろうから、
すべては私の思い込み、には違いないんだけれど)
何だか、とてもたえられなかったんだ、
勝手に哀しくて、勝手に淋しくて、勝手に切なくて。
たぶん・・・・
私は、25年後の田辺さんにも、同じような想いを抱くのかもしれない。
中年期から老年期に差し掛かる頃の、今よりさらに魅力的な俳優になってるはずの彼に、
うまく言葉にならない、哀しくて、淋しくて、切ない想いを―――――
「‘過去’が閉じて行く感じ」がたまらなかった。より  翔夢BBS 2004/10/27 


夢:これ、当時、ファンの多くが、多かれ少なかれ感じていたものを、ある部分代弁してたような気がするんだよね。
翔:そう?
夢:うん。 読んでいて、翔が言いたかったことが強く伝わって来たし、あたし自身、「そのとおり!」とも思ったから。
翔:うーん、共感して欲しくて書いたわけではないんだけど。(苦笑)
夢:そうなんだろうけど、でも、切実だったよね、翔のあの時の気持ちとしては。
翔:そうだね、今にして思えば、切実だったと思うね、自分でも。
夢:でも、今はちょっと違うの? あの時に翔が感じた複雑な想いが、今回このドラマを観直したことで、また湧き上がってきた、ということはないみたいだけど。
翔:・・・いや、日下部先生に関しては、全体的にオーバーアクション気味だった、もうちょっと抑えて欲しかった、という気持ちは、あいかわらずあるにはある。 でも、あの当時の、本当に「淋しい・哀しい・切ない・悔しい気持ち」というのは、大分薄れている、という気はするね。
夢:それはどうして? 翔が言うように、年齢を重ねることで失われるものがあるなら、このドラマから2年経ってる今はなおさら、だとも思うんだけど。
翔:日下部以降、田辺さんは本当にいろんな役をやっている。 たとえば、このドラマの直後に放送された『サボテンジャーニー』のナビオ、『笑う三人姉妹』のヘンリー、『大奥~華の乱』の成住、『荒神』の風左衛門、『七人の恋人』の白い恋人くん、『明日の記憶』の園田・・・・ そういう役を観て来て、この人は、本当に、どんな役でも、求められたらそれに少しでも近づこうと努力してくれる人なんだ、ということが、改めて確認出来たし、制作側も、田辺さんの「日下部的部分」ばかりを求めてるんじゃない、ということが分かったから・・・
夢:あの時の翔の心配は、杞憂(きゆう)だった、と?
翔:杞憂、とまでは言い切れないんだろうけど。 実際、俳優として徐々に失われてしまっているものもあるんだろうし。 だけど、今は、それでいい、というか、そうなって行くのが当然なんだ、と思うようにもなったから。
夢:うーん・・・・
翔:失われて行くものもあるけれど、得ているものもあると思うし、その加減が、少しでもプラスになっていればいいわけだから。 そして、田辺さんは着実に、加えて行っていると思うから。
夢:・・・なるほどね。
翔:それと、日下部に限って言えば、今回、第1話を観た時に、自分を納得させるキーワードを見つけてしまって、それからは、何だか、日下部先生を受け入れて観ることが出来るようになった、というのもあって。(笑)
夢:キーワード?
翔:うーん、そういう観方をしていいのか、ってのはあるんだけど。 でも、私としては、すごく納得出来てしまったので。(笑)
夢:それはどういう・・・?
翔:つまり、日下部を演じているのは、赤井豪なんだ、と。
夢:・・・・・・え?・・・赤井豪って、あの・・『スクールデイズ』(Movie18参照)の赤井豪!?(笑)
翔:そう。(笑)  最初に観た時、私は、田辺さんが日下部先生を三枚目として演じているように思えて、すごく残念だった。 でも、今回観直して、コメディ的軽さだけじゃない、重い部分もちゃんとあったんだ、と思ったし、何より、すごく自然に演じていたし、だから、納得し満足したところもあったんだけど、でも、どうしても納得出来ないところもあって。 そういうところは、「これは赤井豪が演じているんだ」と思うことで、何だかすんなり受け入れられたような気がしたので。(笑)
夢:うわ~! ほんとにいいのか、そういう観方で!(笑)
翔:でも、赤井豪だって、田辺さんが演じた「役」には違いないわけで、そういうフィルターを通して観ることで、日下部のあの 過剰気味な表情や動き を受け入れられたのも確かなので。
夢:うーん・・・・
翔:このドラマって、調べてみたら、『スクールデイズ』の撮影時期と近いんだよね。 だから、田辺さんの中に、「赤井豪的部分」が存在していたのかもしれないし。
夢:そうかぁ・・・・うーん、でも、それはいいかもしれないね。 とんでもない役をやっていて、正直ついて行けない、と思った時は、「ああ、これは田辺誠一の中の赤井豪が演じてるんだ」と、自分に暗示をかける、って。(笑)
翔:暗示、というか・・・赤井豪もまた田辺誠一には違いないわけだから。 俳優・田辺誠一のある部分を赤井豪が担(にな)っている、と考えるのは、決して不自然なことじゃないんじゃないか、と。
夢:まぁ、そうかもしれないけど。(笑)
翔:・・・・そういう逃げ道を探している自分が、ちょっと切なくもあるけれどね。(笑)