『風林火山』(第41回/姫の死)感想

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風林火山』(第41回/姫の死)感想
小山田信有(田辺誠一)の死以来、
感想書く意欲の湧かないまま ぼ〜っと過ごしていたら、
なんと今回が由布姫(柴本幸)の最期、とのこと。
これは観なくちゃ!と、久しぶりにリアルタイムでテレビの前へ。


いや〜、私はやっぱり由布姫が好きでしたね〜。
ぎりぎりまで糸を引き絞ったような、
あの凛とした風情、気高さ、孤高の魂・・・
演じている柴本さんが描き出した諏訪の姫君は、
常人には手の届かない、
聡明で近寄りがたい「姫」としての気品と凛々しさがあって、
しかも、死が近づくにつれ、どんどん透明度が増して行くあたり、
こちらの胸に迫るものがありました。


武田が次に戦うのは、木曾が良いか、越後が良いか、
晴信(市川亀治郎)が由布姫に尋ねるシーンは、
他の姫では決して為しえない軍師・策士としての彼女の才能を見抜き、
たとえ一時(いっとき)でも、武田の行く末を丸ごと委ねることで、
彼女の、生涯満たされなかった心の空洞を、少しでも埋めようとした、
そうしてやりたかった晴信や勘助(内野聖陽)の、
由布姫への信頼と思いやりと愛情の一端ではなかったか、と。


勘助の、由布姫への想い―――
雪斎(伊武雅刀)に「そなたは何のために戦っておる」と尋ねられ、
「お屋形さま、諏訪の姫さま、四郎さまのおんため。
それがしの生きる意味は、そのお三方に限られております」
と言い切った勘助。
そこに、「由布姫さまを想って生きているそなたが愚かで好きじゃ」
という小山田の言葉が重なって聞こえたような気がしたのは、
小山田贔屓ゆえでしょうか。(笑)

しかし、「それは慈愛ではなく、家来としての妄執に過ぎぬ」
と雪斎に切り返され、
さらに、今川に嫁ぐ娘に対して、
自分の心を惜しみなく晒して、深く嘆き悲しみ、
決意を言い聞かせる三条夫人(池脇千鶴)の真の慈愛の姿を見て、
「わしには、これほどおのれの心を晒すことは出来ぬ・・か・・」
と自問する勘助。


その彼が、由布姫の死を知り、狂ったように剣をふるうさまは、
掛け替えのない大切な心の支えを失った痛みを
どこへ迸(ほとばし)らせればよいのか、
その先を見出せない、心を晒して吐き出せない、
勘助の閉じ込められた苦しみが、凝縮されているように思われました。


それにしても・・・
「賊徒」だの「私利私欲の域を出ぬ」だの、
山本勘助が主人公にも係わらず、武田は言われ放題。(笑)
確かに、義の王道を突っ走る長尾景虎Gackt)や、
天下平安という純粋な福を目指す雪斎に理があるのは当然なのだけれども
私は、「人の愚かさ」から逃れられずに生きる勘助や晴信が、
やっぱり好きだな。
自分の愚かさを知って初めて、
他人(ひと)の愚かさを許すことが出来る、と思うから。
・・・なんてことを書くと、また、小山田を思い出しちゃうわけですが。
(私も相当愚かだわ・・笑)


ここに来て、加速度的に世代交代が進んでいます。
武田・北条・今川それぞれの嫡男は、すでに元服済み。
雪斎の最期を見取ったのが、松平元信(のちの徳川家康)で、
彼も元服しているし、由布姫の子・四郎も、まもなく元服
ドラマが始まってから、ちょうど一世代分、時が移った、
ということになるんですね。
風林火山』というドラマ自体、
長い歴史の一コマを切り取っただけに過ぎない、
ということが、よく分かります、あたりまえのことだけど。(笑)

で、この辺の役をあてがわれる若手の俳優さんも、なかなか興味深い。
小山田の嫡男・弥三郎が浅利陽介くんだったり、
四郎が池松壮亮くん(晴信の子供時代も彼でしたよね)だったり。
そういう中から、いずれ大河を背負って立つような俳優が育ってくれたら
嬉しいんだけどなぁ。