またの日の知華(talk)

2005・1公開
★このトークは、あくまで、翔と夢の主観・私見によるものです。


夢:実際に観るまで長かったねぇ! 『ハッシュ!』の時も、映画の完成~公開~地元で上映されるまでの時間、というのが ものすごく長かったけれど、この『またの日の知華』は、それよりさらに待たされた印象がある。 
翔:第1期撮影が2000年、第2期撮影が2003年、公開が2005年、DVD化が2007年・・・映画の撮影に入った、と聞いてから、丸7年だからね。
夢:うわ~・・・・
翔:・・・・まぁ、映画自体が、3年間のブランクを経てようやく出来上がったものだったし、上映劇場も少なかったし、DVDになるかどうかも分からなかったわけだから・・・ 私としては、とにかく「形」にして観せてくれてありがとう、という気持ちだけど。
夢:そういう意味では、待ちに待った!ということなんだろうけど・・・ 正直、ドキュメンタリー監督として確固たる地位を築いている原一男さんの初めての劇映画、ということで、取っ付きにくいんじゃないかな、という先入観があったけどね、あたしは。
翔:確かにね。 私も、ちょっと覚悟して観なきゃいけないかな、というのはあった。
夢:覚悟、ね。 なるほど。 
翔は、映画を観る前、こういうタイプの監督さんの作品に対しては、「出来るだけ深く‘監督の気持ち’を探りたいと思ってしまう」 って言ってたよね、 たとえば、橋口亮輔監督(@ハッシュ!)とか、小林政広監督(@フリック)とか・・・
翔:田辺誠一監督(@DOG-FOOD)とか・・ね。(笑)
夢:うんうん。(笑) 
翔:何だろう・・・映画の内容として伝えたいもの、というより先に、監督個人が持っている「核」みたいなものがあるような気がするから。 それを解き放ちたくて映画を作っている、みたいな。
夢:・・・・・・・・・
翔:そういう、生真面目な中に溶け込んでいる痛々しさ、みたいなものが、観ていてすごく辛いんだけど、すごく魅力的にも思える。 「監督の人間性」そのものが、より強く、というか、深く、というか、映画に反映されているような気がするので。
夢:・・・・・・・・・
翔:今回の映画も、そうなるんじゃないか、と思っていた。 原監督の「やむにやまれず映画を撮っている」という「核」が、どういうふうに露呈するんだろう、と。
 でも、そんなことを考えていたのは映画の初めだけで、あとはもう、本当に自分でもびっくりするほどすんなりと入り込めた。
夢:ふ~ん・・・・
翔:橋口さんにしても、小林さんにしても、田辺さんにしても、こちらが勝手に彼ら(の映画)と格闘してしまってたんだけど、原さんに対しては、そういう部分がまったくなくて。
夢:あ、そうなんだ。
翔:さらさらっと観ることが出来た・・・もちろん、私個人の捉え方として、ということだけど。
夢:・・・・・・・・
翔:それが 逆に残念だったかな、何となく肩透かしをくらったみたいで。
夢:翔としては、もっと突っ込んであれこれ考えたかった?
翔:そうだね、正直、物語としても、映画に込められた監督の気持ちとしても、読み解(と)く面白さ、みたいなところが、あまりないように感じられたので。 
夢:うーん・・・あたしとしては、たとえば『DOG-FOOD』とかに似た「どういうこと?」という疑問は持ったけどな。 翔は、そういう感じはなかったの?
翔:・・・・たぶん、私はこの時代を知っている、ということが大きかったかな。 もちろん、子供の頃の記憶として、ってことだけど。(笑)
  果たして、そんなふうにノスタルジックな気分だけでこの映画を観てしまって良かったのか、という疑問はあるし、監督の意図からは完全に外れてるかもしれないけどね。
夢:・・・・何だか突っ込みが甘い気がするな、翔にしては。(笑)
翔:そう? ・・・まぁ、そんなふうに感じられるとするなら、それはひとえに、田辺誠一という俳優が、映画の中で、こちらが想像していた以上に魅力的に息づいていた・・ 思いがけず正攻法でぶつかって来られた・・ というのが大きいんだろうけど。
夢:・・・・ん~・・なるほどね~。 その辺は、あとでじっくり聞くことにしよう。
★    ★    ★
夢:この映画は、「知華」という女性を4人の女優が演じる、ということで話題になったわけだけど、そのあたりでの違和感はなかった?
翔:知華の大学時代の回想シーンを除くと、4人の女優によって演じられるのは、わずか7~8年の年月の「知華」でしかない。 そのわずかな年月を、吉本多香美渡辺真起子・金久美子・桃井かおり、という、まったく個性の違う4人の女優が演じたことで、「4人の女優をひとりの知華として観なければならない」 ということに余計な神経を使ってしまって、感情移入がスムーズに行かないもどかしさがあったのは確か・・かな。
夢:うんうん。
翔:そういう意味では、もっと・・・たとえば20年ぐらいの年月を、4人が飛び飛びで演じてくれたら、ずっと楽に受け容れられたような気もするけど。
夢:ああそうか・・・そうだね。
翔:ただ、私個人の感覚で言わせてもらえば、この映画は、知華という女性の半生をただ追ったものじゃない、とも思うんだよね。 主人公は知華じゃない、言うなれば、知華の背景にある「時代」なんじゃないか、と。
夢:・・・・・時代・・ねぇ・・・・・
翔:知華って、最初の脚本段階から、芯がなくて ゆらゆら揺れてるように描かれていたような気がする。 そういう知華を4人が演じることで、さらに、その「揺れ」が大きくなった気がする。
夢:うん。
翔:で、あの時代って、まさに、そういう「揺れ」のあった時代だったんじゃないか、と。 だから、これはやはり一種の「ドキュメンタリー」なんじゃないかと思う、「知華が生きた時代」、つまり「昭和の ある一時期」を映し取った・・・
夢:昭和のある一時期、か・・・・・
翔:ひとりの女性を4人が演じる意味を考えるのは野暮なのかもしれないけど、あえて、なぜ?と考えたら、時代の多面性・・・日本全体の揺れ・・・みたいなものを画面に摺(す)り込みたかったのかなぁ、と。 ひとりの女性を、いろんな方向から見ることで。
夢:・・・・うーん・・・・時代の多面性かぁ・・・・・ あたしは正直、そうすんなりとは受け容れられなかったんだけど。 やっぱり、ドキュメンタリーじゃなくドラマとして観ていたわけだし、そうして観ると、あまりにもあっさりと表面だけをなぞってる、知華の魅力が描かれていない、だから他の登場人物(和也も含め)も魅力的じゃない、と思ってしまったんだよね。
翔:・・・・・確かに、そういうところあったかもしれないけどね。
夢:原監督が知華を通して描きたかった時代、って、どういうものだと思う?
翔:・・・どう言ったらいいか解からないけど・・・・・
大切な何かが壊れ、失われ・・・ いつか、日本人が、巨大なブラックホールに向かって少しずつ追い詰められ、苦し紛れに自壊し始めるのではないか、という漠然とした不安・・・・
知華の生と死は、昭和という時代の中で確実に何かを失って行く日本、をドキュメントしているんじゃないか、とか・・・・
夢:・・・・・・・・
翔:それは、たとえば『せかいのおわり』みたいな「個の痛み」ではなくて、もっと大きな、もっと捉えどころのない、ごっそり抜け落ちてしまいそうな何か、なんじゃないか、とか・・・・・
夢:・・・・・うーん・・・・・・
翔:・・・・・・・・ごめん、あまりにも深読みし過ぎてる、と、自分でも思う。(苦笑) 
夢:・・・・・・(笑)
翔:でも、私としては、そのあたりで、いちいちピッタリとこちらの気持ちに重なるものがあったことで、この映画をほとんど何の抵抗も違和感もなく観られた、というのも確かなので。 
監督としては、何か深いものを含んでいたとしても、それを「映画に込めたメッセージ」として強く感じ取って欲しかったわけではない、とも思うし、私のように、勝手にいろいろ受け取ってしまっても、それはその人の捉え方で構わない、と思ってもいるんじゃないか、と、自分に都合よく考えているわけだけれども。(笑)
夢:(笑) 『せかいのおわり』と聞いて思ったんだけど、この映画も、やっぱり「9・11テロ」の影響ってあったんだろうか。 ちょうど撮影を中断していた時期にテロが起こったわけだけど。
翔:どうだろう? まったくない、と言ったら嘘になるだろうけど、それによって揺り動かされた監督の気持ち、というのは、少なくとも私には、映画の中からほとんど感じられなかった。
夢:うん。
翔:それよりも、原監督は、「時代に揺れる人間」 「時代に取り残されそうになっている人間」を、自身のノスタルジーを随所にまぶしながらも、あまり思い入れを濃くしないでさらりと描いている、という気がした。
夢:・・・・・・・・
翔:私としては、上村一夫さんの『同棲時代』の匂い、みたいなものを強く感じたんだけど。
夢:同棲時代・・・・・うわ~懐かしい。
翔:和也がね、次郎に見えて仕方なかった。 『同棲時代』に描かれた匂いに近いものを、この映画にも感じた、と言ったらいいか。
夢:・・・・ああそうか・・・確かにね。 それは、さっき翔が言ったように、私たちが、そういう時代を知ってる、というのが大きい気がするけど。(笑) 分からない人たちにとっては、何が何だか、って感じだろうし・・・・ とすると、この映画って、ある時代以降の若い人たちにとっては、なおさら、掴みにくい、面白くない、ってことになってしまうのかもしれない。
翔:・・・・・ん~、そうかもしれないけどね。
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夢:さて、田辺さんだけど。
翔:田辺さんの3年間の時の流れ、みたいなものが、これほどくっきりと鮮やかに画面上に出て来ているとは思わなかったので・・・・
夢:いや~、やられてしまいましたね~、あの「若さ」に。(笑)
翔:まったく。 法事や、百八灯祭りの和也の表情や仕草を撮り残しておけたことは、財産と言っても過言ではない。(笑)
夢:(笑)
翔:それほど出番があったわけではないから、かもしれないけど、その「若い田辺誠一」に、ナマの痛々しさとか、切なさとか、不確実なところとかが感じられなかったことが、何だかすごく嬉しかった。
夢:・・・・ん?
翔:あの頃 私が田辺さんに対して時折感じてた、演技として未熟な部分、歯がゆく感じてしまう部分、って、この映画にはまったくなくて。 それどころか、田辺さんの、若さゆえの美しさ、を、きっちりとカメラに収めてくれた、という、そのことでもう、映画の内容とは別のところで、私の原監督に対する信頼度がグーンとうなぎのぼりになってしまった、というのはある。(笑)
夢:ふふ・・・なるほどね~。
翔:で、第2章の途中から、3年後(2003年)の田辺誠一になるんだけど、それがまた、2000年の田辺誠一の「美しさ」をあっさりと凌駕(りょうが)する「確かさ」で。
夢:うんうん。

翔:たぶん、全編を2000年に撮り終えてしまっていたら、こんなに「田辺誠一がいい」とは思えなかったと思う。
  3人の知華と絡(から)む・・・特に、第3章・第4章の知華と絡むのは、2000年の田辺さんだったら、かなり違和感を抱いてしまったかもしれない。 3年過ぎて、明らかに、俳優としての力を蓄えて来たから表現出来たんだろう、と思えるところがたくさんあったから。
夢:第3章で、和也が初めて登場するシーンがあるじゃない、知華のアパートの階段で座ってる、という・・・
翔:うん。
夢:あの一発目のシーンで、あたしは2003年の田辺さんにやられちゃったんだけど。(笑)
翔:分かる分かる、あの、焦点の合わない澱(よど)んだ眼、ね。(笑) 私も、あのシーンは、和也の上に流れた時間みたいなものが しっかり刻まれてた気がして、好きだった。
夢:うん。
翔:第4章の知華は桃井かおりさんなんだけど、彼女とじゃれ合ってるところとか、もう完全にヒモ状態で情けないんだけど、何だか憎めなくて可愛い、という・・・・(笑)
夢:・・・・・ああ、だから『同棲時代』なのか。(笑)
翔:そうそう。 そういうことが演技として自然に出来ていたのよね、あの時期に。
夢:そうか~・・・
翔:さっき、「9・11テロ」の話が出たけれど、和也を演じていた田辺さんにとっては、むしろ、中断していた3年の間に『ハッシュ!』の撮影があった、ということの方が大きいかもしれない。 特に後半、浮かずに演じられたのは、勝裕を演じていたからこそ、という気がした。
夢:うんうん。
翔:画面に映し出された和也は、後半では勝裕的リアリティがありながら、前半ではツグオ(@冬の河童)の雰囲気もあったような気がする。 ひとつの映画の中でそれが見られた、というのは、田辺さんが俳優として大きく変化した時期をはさんで撮影されたからこそ、だったんだろうし。
夢:うん。
翔:映画そのものは、大変な思いをして、生みの苦しみを味わいながら作られたわけで、だから、こういうことを言ってしまうのはちょっと気が引けるけれども、3年の時間を掛けたからこそ、こういう「田辺誠一」が観られたんだ、と考えると、私としては、この映画が辿った不遇さえ、幸せなことに思えてしまうんだよね。
夢:・・・・うーん・・なるほどね~・・・・
★    ★    ★
夢:翔は、いつも田辺さんのラブシーンには厳しいんだけど・・(笑)
翔:・・・・・ああ、はい。(笑)
夢:今回、けっこう濃厚なラブシーンが2回あったわけだけど、どうだった?
翔:・・・いや、私が さっきから 和也を演じた田辺さんに対して好意的に語ってるのは、実は、ラブシーンに まったく引っ掛かりや違和感がなかったから、というのが最大の原因なのかもしれない、という気がして来た。(笑)
夢:え~っ!?(笑)
翔:キスシーンにしても、ベッドシーンにしても、いつも物足りなさを感じてしまってたから、私。
夢:よく、「もっと がっつり行ってくれ~!」って叫んでたもんね。(笑)
翔:いや、ソフトだからこそいいラブシーン(キスシーン)になった、と思えるのもあるんだけど、『笑う三人姉妹』とか。
夢:ああ、うん。
翔:でも、どうも中途半端に感じてしまうことが多いんだよね、田辺さんのラブシーンって。
夢:うん。
翔:それは、演じている田辺さんに、かすかな「照れ」があるせいなのかなぁ、と思ったこともあったんだけど、このラブシーンを観た時に、そうじゃなくて、そもそも監督から求められていなかったんじゃないかな、と。
夢:求められていない・・・?
翔:原監督が求めたように、他の監督が求めていたら、どんな激しいラブシーンでも、ちゃんとやれる人だったんじゃないのかなぁ。 ただ、そこまで突き詰めて田辺さんを追い込んでくれる人がいなかった、ってことなんじゃないだろうか。 
夢:・・・・うーん、そうかぁ。
翔:まぁ、監督から求められなくても、演じている田辺さん自身が考えて作る、というのがベストだろうとは思うけれどね。
夢:でも、田辺さんって、いつまでもラブシーンを楽に演じられなさそう、って気がする。
翔:俳優として、もっと場数(ば かず)を踏まないといけないのかも。
夢:場数・・・かぁ・・・(笑)
翔:いや、ラブシーンをきれいに見せるための「型」みたいなものがあるような気がするから。 それを自分のものにするには、殺陣と同じように、やはり、たくさんそういうシーンを経験するしかないんじゃないか、と。
夢:ああ、なるほどね。
翔:それから、さっきも言ったように、監督にうんとダメ出ししてもらって、追い詰めてもらうことも不可欠だと思う。
夢:うんうん。
翔:今回、その点すごくうまく行ったんじゃないか、原監督から田辺さんに求められたものが的確だったんじゃないか、だから田辺さんも滑らかに演じられたんじゃないか、と思えるんだけどね、ラブシーンだけじゃなく、すべてのシーンにおいて。
夢:うん。
翔:それとね、和也が知華を呼び出して、無理やり関係を持とうとするシーン、知華を間近に見て、一瞬、ものすごく切ない顔をする。 それを観た時に、ラブシーンそのものも大事だけど、そこに至る気持ち、みたいなものもすごく大事なんだ、と思った。 その部分は、田辺さんの中で しっかり出来上がっていたんだ、というのが伝わって来て、何だか嬉しかった、「ああ・・これが田辺誠一なんだよなぁ」 と。(笑)
夢:・・・・・ん~・・ふふ・・なるほど~・・・・・
翔:そういう、田辺さんが持っている引き出しを、原監督は、この映画の中で、本当にうまく、しかもたくさん開けてくれた、と思う。 そのひとつひとつに十分に応え、ああいう和也を作り上げた田辺さんにも、何だか感無量のものがあるんだけど。
夢:うん。
翔:逆に言えば、これだけのものを田辺誠一から引き出してくれる監督が、なぜ他にいないんだろう、と・・・ もっともっと田辺誠一をいじめてくれる監督出て来い!と、またそこに戻ってしまうのだけれどね。
夢:いじめて・・・!(笑)
翔:・・・・・・・・(笑)