『信長』(舞台中継)感想

信長』(舞台中継)感想
NHKBS2で放映された、
山川静夫の新・華麗なる招待席〜『信長』」を観ました。
まず、中継の 熟練した上手さに感心してしまいました。
奇をてらわないオーソドックスな作りなのですが、
アップと引きのバランスが良くて、画面の切り取り方も違和感なく、
必要以上にアップを多用しないところもよかったと思いました。

 

中継の前と後に、山川さんと作家・村松友視さんの対談が入るのですが、
これも面白かった。
村松さんは、市川海老蔵さんの襲名興行をずっと追いかけてたそうですが、
歌舞伎の大名跡團十郎)を継ぐ人間・海老蔵の魅力を、
「信長」という人間になぞらえていて、中でも、
「誰にも分かってもらえない中で生きていかなければならない孤独」
という捉え方には、何だかとても共感させられました。

 

さて、肝心の舞台ですが、
TV画面を通して観ても、やはり、とても面白かったです。
特に海老蔵さん。
肝心のところで大アップになるシーンがいくつかあったのですが、
こちらが遠目で観て感じた以上に、
大胆かつ細やかな表情をしていたのだなぁ、と、ちょっと驚きました。
これは、TV中継の賜物と言っていいかもしれません。
もちろん、総合的には、
生の舞台を観る以上のものには成りえないのですけれども、
TV中継には、実際に舞台を観るのとはまた違った切り口の楽しみ方が
あるのだ、ということを、改めて感じました。

 

私は舞台を一度しか観ていないのですが、
観終わって、舞台のことをいろいろと思い出し、考えて行くうちに、
一番心に残ったのは、「時の壁」ということでした。
いち早く「世界」に眼を向けていた信長、
ものすごいスピードで日本を駆け抜けようとしていた信長、が、
「人生五十年」という時の壁に阻まれまい、と、懸命にあがいている姿。
一年でも一日でも一刻でも早く!
急げ!急げ!!急げ!!急がねば、間に合わない!!
という焦燥・苛立ち。
けれども、信長が目指したものは、あまりにも大きく、
周りの者たちの人智は、信長に遠く及ばない。
信長の心を覆い始めた「虚しさ」が、
信長を、より孤独の淵に追い詰めようとする寸前に、
光秀は、本能寺の変を起こす、信長を敬愛するがゆえに―――

 

しかし今回、TV中継を観て一番心に残ったのは、
実は、またちょっと違った部分。ん〜〜、上手く言えないのですが‥
「天命」に賭けた信長の、「自分は生かされている」という感覚というか
自分自身を、突き放して見ている感じ、というか、
俯瞰から見下ろす「歴史の眼」としての信長、というか。
その視線が、私たちが今生きている時代にも注がれているような気がして、
ちょっとドキッとさせられたり。

 

本能寺で、謀反を起こしたのが光秀だと見抜いたのは、
自分を殺しに来る者が、自分を一番理解し 愛そうとしている者だ、
と知っていたから、だと思うのですが、
光秀が、謀反という手段を使って、
気持ちのありったけを込めてぶつかって行っても、
信長のほうは、「生きるも死ぬも天命」と、
ものすごくドライに受け止めていた感じがしたのですよね。
自分自身の命にも関わらず、
光秀ほどには「信長」という人間を大切に思っていない、というような。
その、自分自身であって、自分自身でない、生かされている感覚、
というのが、
最後の「これは‥夢か」というモノローグに繋がっているようにも思えて、
とても興味深かったし、
逆に、私はそこに、光秀の想いの肝心な部分が伝わらない、
どこまで行ってもすれ違うしかない気持ちみたいなものを感じてしまって、
光秀贔屓としては、正直、ちょっとつらいものもありました。
その辺、光秀に、もっともっとパワーがあったら‥
信長と対等のエネルギーがあったら‥
信長を現世に引き摺り下ろすことは出来なかっただろうか、とか。

 

‥‥ああ すみません、やっぱり上手く言えませんが。



          *

さて、田辺誠一さんが演じていた光秀ですが。
生で観た時にとても気になった、
信長に対した時の第一声が随分と良くなっていて、
それほど引っ掛からずに入り込めたのには、ちょっとびっくり。
私が観た翌日の録画にも関わらず、ちゃんと変化(進化)があって、
とても嬉しく思いました。
まぁ、他のシーンでは声がもとに戻ってしまったところもあったのですが、
しょっぱなの掴(つか)みのシーンに違和感がなかったのは大きく、
声に関しては、生で観た時よりもずっとすんなり耳に馴染みました。

 

ただ、台詞の抑揚という点では、やはりどうしても一本調子になりがちで、
光秀の感情の流れ みたいなものが、
ぶつ切れになってしまったのが非常に残念。
心酔→疑いと恐れ→裏切り という心の変化が、
登場場面ごとにきちんと描かれているにも関わらず、
ほとんど同じ調子で語られてしまうので、
こちらに真っすぐに伝わって来ない。
台詞になっている「言葉」を、
観客に正確に伝えようとするだけで精一杯のような感じで、
もっと踏み込んだ台詞の緩急(=感情の細やかな表現)があれば、
この芝居の中で、光秀は、信長と対をなす存在にもなれたのではないか、と
すごく残念だった、というより、何だか口惜しかったです。
田辺さんが引き出さなければならなかった「光秀の魅力」。
それによって浮かび上がる、合わせ鏡のような「信長の魅力」というのも、
間違いなくあったはず(しかも少なからず)なのだし。

 

まぁその辺は、大阪ではだいぶ良くなっていたらしいし、
マイクなしで地声で勝負しなければならない、というハンデがあった、
ということは十分察しているので、
あまり強く言うのもどうか、とは思うのですが、
でも‥やっぱり、東京公演の一ヶ月が もったいなかった!
と思ってしまうわけです。

 

今さら穿(ほじく)り返してどうするんだ、って話ですね、
すみません>田辺さん&ファンのみなさま。