『イン・ザ・プール』感想

 ん〜〜単純に複雑に面白かったです。(笑)

病気を扱う映画(ドラマ)って、
喜劇にするのはなかなか難しいと思うんだけど、
この映画は、病気を抱えた人間を深刻に取り扱わず、
非常にばかばかしいところで話を展開させつつ、
その「底」にある痛さや辛さを、
ほんの少し、ほんとに少〜しだけ見せている。

ここでの「病気(になった人)の扱い方」は、
多分、(真っ当な)映画的には、非常に乱暴だし、
ぞんざいなのかもしれないけれど、
たとえば、いくつかの病気コントが組み合わされたもの、
という視線で観ると、
それなりに興味深い「緩(ゆる)さ」なのか、とも思える。

 

あえて(と私には思えるのですが)
脚本や演出でコント的に緩めているスジや人物を、
「映画」というフィールドに引っ張り上げているのは、
他でもない、俳優陣で。

中でも、「コント風喜悲劇」を「隙のない演技」として見せてくれた
オダギリジョーが、私には、ダントツに面白かった。
田口という役は、そのシチュエーションだけで十分面白いのだけど、
病気に陥るまでの詳しい経過が説明されていない段階で、
もう、その「人間性」による「原因」みたいなものが
ちゃんと伝わって来て、
改めて、「演じる」ことでたくさんのものを伝えられる俳優だなぁ、
と、感嘆させられた。
あいまいな表情〜笑ってるんだか困ってるんだか、みたいなのが上手くて、
おもしろおかしいんだけど、どこか切なくて、
ほんと、いいんだよなぁ!(笑)

 

市川実和子は、動くことで、天然の面白さを醸し出す。
誰かと絡むことで、さらに。
伊良部(松尾スズキ)や編集長(ふせえり)とのやりとりは、
彼女の「作らない」ように見えるしぐさや言葉で、
独特の間と雰囲気が生まれ、それがとても面白く、興味深かった。

 

松尾スズキは、存在そのものがおかしい。笑える。(笑)
伊良部は彼でなければ出来なかった、と思わせられるような人物造形は、
実は、市川さんのように天然から作られたのではなくて、
相当計算して作っているように思える。
何もしないようでいて、
実はちゃんと二人(田口と涼美)の治療に手を貸しているあたり、
脚本も良く出来ている気がしました。

 

オダギリジョーが「演技」としての笑い、
市川実和子が「天然」としての笑い、
松尾スズキが「存在」としての笑い・・・・

とすると、田辺誠一は何の笑いなのでしょうか?

 

――実は彼の役・大森には、「笑い」の要素がほとんどないのですよね。

田口(オダギリ)や涼美(市川)が、
すでに病気であり、その病気に対して、どうやって対応していくか、
つまり「治療経過」(相当 はちゃめちゃであれ)を追っているのに対して
大森(田辺)は、病気になって行く過程を見せている。

だから、彼はまだ、「治す」という前向きな行為に向かえない。
だから、彼だけは、病気を笑い飛ばせない。

彼が、二進も三進も行かなくなって、
プール依存症になるまで追い詰められて行く過程、の描き方というのは、
正直、私には弱い感じがしたけれど、
その、描き方が弱い感じもまた、
逆に言えば、誰でも簡単に病気になり得るのだ、という暗示と、
捉えられなくもなくて。

 

田口や涼美のような、
病気ゆえの「特殊な状況」に至っていない大森の「普通」さ。

田辺さんが、その「普通さ」を求められたことで、
オダギリ・市川・松尾と反対側のシーソーに乗せられた感じがして、
観終わった後、正直、ちょっと淋しかったりもした、
同じフィールドで闘ったらどうだったのだろう、
という興味が強かったので。

だけど、思えば、ああいう役を普通に演じること、というのは、
田辺さんにとって、たとえば振り子に例えるなら、
「田辺くん」(七人の恋人)あたりとは真逆に振り子を振り上げた状態の
演技をしてる、ということなんじゃないか、とも思い、
それは、以前の田辺さんにとって、とても難しいことのはずだったのに、
今、それを、まったく違和感を感じさせず演じている、
それって、ひょっとしてすごいことなのではないか、と、
そんなことも思い。

 

田辺さん、この役のために体重を増やした、という噂があったけれど、
それが本当だとしたら、もう大正解だったと思う。
大森の、いろんなものを引っ被(かぶ)った「重さ」というのは、
いつもの細身の田辺さんでは、なかなか表現出来にくかったに違いない。

仕事上の地位、それに伴う責任、
幼さの影が残る妻とのギクシャクした会話、
愛人の存在、ストレスを周りに気づかせないための抑制・・・・
それらに、もう若者ではない、歳を重ねて来た男、として抱えてしまった
「脂分」のようなもの、が、かすかに感じられた時、
私は、顔が丸みをおび、少し腹が出て来た大森のリアルが、
これほど的確に田辺さんによって表現されたことに、かなり驚かされた。

 

仕事場での、いかにもやり手なリーダー像も
(会話のテンポが、あきらかにいつもの田辺さんと違う)、
妻とのかすかな隙間を埋めようとする会話も
(この時の佇まいがとてもいい)
大森という人間の性格を、的確に捉えている。

そういう、役の「外見的な捉え方」としても、
役の「内面的な捉え方」としても、
大森を演じた田辺さんに、まったく迷いを感じなかったことに、
「嘘」を「嘘」と感じさせなかったことに、
(いや、本人はずいぶん悩みながら役作りをしたんだとは思うけど)
なんだか、ナビオ(サボテンジャーニー)を観た時と同じくらい
(でも形の違う)鼻の奥がツーンと来るような嬉しさと感慨を
感じずにはいられなかった。

 

いろいろな意味で、大森は、この映画の重石(おもし)的存在だった。
その「確かさ」を求められたこと、その「重さ」を求められたこと、
求められた「確かさ」「重さ」を、確実に見せてくれたこと、
が無性に嬉しかった。
まるでそこに、少し若い佐藤浩市がいたみたいに。(笑)

 

クレジットタイトルの最後に名前が出る、ということは、
主人公の対極にいる好敵手、という場合ばかりじゃない、
こういう役によっても与えられる名誉なのであり、
それを、またひとつ手に入れた田辺誠一という俳優の今後が、
またまた楽しみになる、そんな気がしました。

 

―――そして私はまた思う、「橋口亮輔監督、観てる?」と。