『せかいのおわり』感想

2005・9公開
以下は、BBSに載せた『せかいのおわり』の感想です。

続・「二枚目」雑感  『せかいのおわり』:1   投稿日:2006年2月18日(土)showm
せかいのおわり』の中本。
蓮實(@きみはペット)の時に感じた「二枚目になりきれてない」感が、
この役ではきれいに払拭されていて、本当にびっくりした。
 ≫何だか拍子抜けするぐらい(笑)役にはまってます。
と書いたのは、そういうこと。
「二枚目(見た目)」の役をやる時にいつも感じてた、照れや戸惑いが、
まったくなくて、なんだかすごくドキドキした。
迷いなく、逃げずに、まっすぐに役に向かってるなぁ、とも思った。

撮影は、03年秋。
きみはペット』を終え、『パンキース』を終えた後。

―――うーん、田辺は進化している。


Re:ありがとう  『せかいのおわり』:2   投稿日:2006年2月20日(月)showm
せかいのおわり』の中本。
確かにね、私も、映画に描かれたキャラクターとしての「中本」という人間は、
けっして好きじゃなかったし、そういう点で言えば、
田辺さんが、その「私が好きじゃない中本」に迷いなくすっぽり収まってる感じ
というのは、どうにも こそばゆかった、ってのも事実なんですが。(笑)

その一方で、私としては、
田辺さんは悪くないし、作り手の意図としてはあの田辺誠一でドンぴしゃなのだろう――
というところで、ものすごく納得、というか、満足させられたのも事実なので。
あの「弱さ」というか、「繊細さ」というか、
「子供の頃の痛みを引きずって大人になってしまった哀しみ」というか、
そういうものを、寸分の狂いなく表現してしまう田辺誠一への、驚嘆。
さらに、そこから一歩進んで、演じ手・田辺の、
中本への「憐れみ」、のようなものまで感じられたことへの、感慨。

なんだかね、いろんな意味で、
田辺誠一も大人になったなぁ」という想いがあったのですよね。(笑)

キビキビしていないというか、安定しちゃって、危うい魅力がないというか――
痛いところを突いて来ますねぇ。
うん、言いたい事、とてもよく分かります。
↑に書いた「大人になった」とか、最近よくいう「上手くなった」とかは、
ひょっとしたら、そういう、「危ういほどの、痛々しいほどの、ピンと張り詰めた‘何か’」
が失われつつある、ってこと、でもあるのかもしれない。

中本にしても、大森(@イン・ザ・プール)にしても、
今、私が田辺さんを高評価しているのは、
日下部をくぐり抜けて、田辺さんが辿り着いたところ、が、
俳優として、間違いないフィールドだ、と感じられるから、ですが、
それらの役と同時期に、一角とか、風左衛門を演じてくれていたから、というのも大きいです。

「危ういほどの、痛々しいほどの、ピンと張り詰めた‘何か’」
が、今の田辺さんにも、求められれば演じられるのだ、と思えたこと。
演技で埋められるものなのだ、と信じられたこと。

いつでも「そこに戻れる」と信じているから、
だから、安心して、中本や大森を「二枚目」だと思えるのかもしれないです。