『いま、会いにゆきます』
今回はビデオに撮って観てしまいました。(笑)
『14ヶ月』といい、この作品といい、
市川たくじ(拓司)さんの描くファンタジーというのは、
私には、結構居心地がいい感じがします。
(ドラマを通じてしか知らないけれど)
描かれている「嘘」の部分に、
惹かれるもの・魅力的なものがあるから、かなぁ。
「ファンタジー」としての《的》を外していない、というか。
こういうタイプの作品(ファンタジー)のドラマ化で難しいのは、
そういう空気感を持っている俳優さんを見つけ出すこと、
なんじゃないでしょうか。
成宮寛貴くんあたり、私にとっては、
そういう意味での最高の俳優さんのひとりだし、
ミムラさんや中村俊介さんも、ドラマを観てて、いい雰囲気だと思った。
で、田辺誠一さんですが。
私は、彼もまた《ファンタジー要素》を十分に持ってる人、
だと思うのですよね。
経験を積み重ねて「上手い」俳優さんになってしまうと、
往々にしてそういう「やわらかで優しい虚構にどっぷり浸かる」
ような役から遠ざかってしまうことが多いのだけれど、
私は、田辺さんにはいつまでも「ファンタジーが似合う俳優さん」
でいて欲しい、と思う。
彼が、50になっても、60になっても、70になっても、
優しく深く何かを見つめ、それを心からいとおしく想い、
ひたむきに愛し続ける、
そういう「繊細な嘘」をまとえる俳優でいて欲しい、と思う。
そのためには「上手い」と言われる俳優になんか、ならなくていい、
とさえ思う。
歳を経て、経験を積んで、
徐々に蓄積されて行く「確実さ」「重み」「リアリティ」・・・・
俳優として、それを手に入れたい、と思うのは、当然のことだし、
それを手に入れて、誰からも「上手い」と言われることも、
俳優にとっては自然な願いではあるんだろうけれど、
私は、何だか、そこ‘だけ’に嵌まってしまうと、
田辺さんが持つ、とても貴重なかけがえのないもの・・・
「役を自分に必要以上に近つけず、嘘を嘘のまま本物より魅力的に見せる」
と言ったらいいか、
そういう、他の俳優さんとは違った魅力になっている大切な部分を
失なってしまうのではないか、と、
ちょっと不安、というか、心配、というか、そういう気分に
させられてしまうのです。
――――ああ、いやいや、誤解を招く言い方してますね。
これじゃ半分しか語ってないな。
ファンとして、そういう「成長」を見せてもらえるのは、
とても幸せなことではあるんですよ。
田辺さんが「上手い」といわれるのは、とても嬉しい、のも確か。
だから、
>「上手い」と言われる俳優になんか、ならなくていい、とさえ思う。
というのは、極論なのかもしれないんだけど。
う〜〜ん、そうですね、願わくば・・・・
ものすごく難しい注文と分かっていて言わせてもらえば・・・・
作品によって、「重み」と「繊細さ」を使い分けることが出来る俳優には
なれないものだろうか、と。
「リアル」と「ファンタジー」、
その両方を自在に行き来する、あるいは自由に混在させる、
そういう《身軽さ》を、これから先ずっと(出来れば永遠に)持ち続ける、
そんな俳優になることが出来たら・・・・
それが、田辺さんに対する、今の私の ≪新しい夢≫
と言っていいのかもしれません。