『笑う三人姉妹』感想:11

 えーーと、誤解のないように付け加えますが
(誰も誤解してないとは思いますが 笑)
脚本に書かれた段階のヘンリー〈田辺誠一〉が好きだったわけでは、
もちろんありません。(爆)

居候して父親さがし。週刊誌にリーク。流れ星に願い事。
どうして僕に逢いに来てくれなかった。父を偲んで吹くハーモニカ。
線路は続くよどこまでも。・・・・

このドラマが、たとえファンタジーだったとしても、
そこに描かれた、どう好意的に見ても「天然」ではなく、
「幼稚」にしか見えない 広瀬ヘンリー という男性の、ほとんどすべて、が
私が「新進気鋭の36歳の建築家」という肩書きから想像し、
納得出来る範囲からは程遠いものでした。
しかも、三人姉妹はちゃんと仕事してたからまだ許せるけど、
彼はほとんど働いてないし。(私としては、ここ、重要ポイント)

そういう意味では、私は、ヘンリーが(脚本の段階では)嫌いだった、
と言っていいと思う。

 

けれども、その「宇宙人的にかわいいだけの36歳男」(←パクリ。笑)を
田辺誠一さんが、どう料理し、見せてくれるのか、という興味は、
なまじ、きちんと身の丈に合った、いかにも田辺さんらしい役をやるよりも
ずっと強かったのも確か。

そうして演じられたヘンリーが、ああいう形で出て来た時、
とにもかくにも、「幼稚」なのではなくて、「天然」なんだ、
と納得させられる、
そういう青年になっていたことに、私は、妙に感動してしまった、
田辺の底ヂカラの一端を垣間見たような気がして。

 

脚本に書かれたセリフや行動は、演じる俳優には替えようがない。
けれども、その役に乗せる想いや気持ちは、俳優にしか生み出せない。
どんなに嘘っぽい現実離れした役でも、
俳優は、ドラマの中にきっちりと息づかせるために、
最大の努力を払おうとする。
その役を許し、認め、信じ、そして愛する。愛さなければならない。

 

演じたい!演じたい!と念じている俳優にとって、
脚本に書かれたその人物が、観ている側(観客)にとって魅力的かどうか、
というのは、実は、あまり意味がないことなのかもしれません。
要は、自分が演じることで、その役を、
どれだけ説得力のある、誰もが納得出来る、魅力的なものに育てられるか、
ということなのかもしれません。

 

しかし、そういう「大義名分」(笑)の一方で、
田辺さんが演じてみせた、ヘンリーの過分なほどの感情の溢れさせ方が、
私にはまるで、
きちんとヘンリーを愛しているように思えない脚本に対する、
小さな叛乱(謀反)のようにも取れて、非常に興味深かった。
(もちろん、私個人の偏った捉え方です)
田辺さんの「演じたい気持ち」が
溢れて溢れて抑え切れない状態になってしまっているから、
そうなってしまった、というふうにも感じられて、
それもまた興味深かった。

 

こんなこと(叛乱=役に収まり切れずに役をはみ出す)を感じたのは、
実は、二度目。
一度目は、『きみはペット』の最終回、スミレとの別れのシーンでしたが、
(それを感じたのは、ドラマが終わってずっと経ってからだったけれど)
しかし、あの時は、まだ、
「結果的に叛乱に見えた」という程度だったのだ、と、
ヘンリーを観ていて、逆に気づかされた気がします。

 

ヘンリーと同時期に演じられた高木(離婚弁護士2)では、
きちんとその辺の気持ちを収めることが出来ていた、
巧妙に隠しおおせていた(笑)ような気がするので、
なおのこと、
ヘンリーの「はみ出し感」(笑)と、高木の「ぎりぎり収まり感」(笑)
とを同時に観せてもらえた今回は、私としては、とても面白かったです。