『荒神〜AraJinn〜』感想:8

 「お芝居」の楽しみ方って、いろいろあるんだな、と、つくづく思う。
たとえば、脚本の意図することは何なのか、とか、
演出の意味するものは何なのか、とか、
「物語の奥深さ」を読むことも面白いけれど、
そんなことよりもまず、
目の前に森田剛田辺誠一がいて、そこで息をしている・・・
中島かずきの言葉を、いのうえひでのりの動きを、
彼らが、他の仲間たちと一緒に手をつなぎ合って「形」にして行く・・・
その瞬間に立ち会えることこそが、
何よりも一番楽しくて嬉しいことなのだ、と、
改めて、千秋楽の客席にいて、強く感じた。

 

演じる側が、「芝居の意味をどう伝えようか」とか、
観る側が、「芝居の意図をどう受け取ろうか」とか、
そんな しち面倒くさいことを頭で考えるより、
今ここで、この一瞬を、一緒になって楽しんで、喜んで、笑って、生きて、
舞台の上も下もない、演じる側も観る側もない、
一体になって、この「空間」を、この「刹那」を 共有する・・・
幕が降りたらそれでおしまい、な〜んにも残らない、
思い切り良くパーンと弾けて一瞬にして消える、
まるで打ち上げ花火のように、むずかしいことは何も考えなくていい、
ただ、きれいだったね、美しかったね、と、
その一刻、そこにいた幸せを噛みしめる・・・
それこそが、「ライブステージ」の一番の魅力に他ならないのだ、と、
演じた田辺さんも、観ていた私と同じように、感じてくれていたら、
こんなに嬉しいことはない。

 

時はうつろう。
パンキースの五十嵐も、近松の与兵衛も、
観たその瞬間に、どれほど重いもの(意味や意図)を受け取ったとしても、
少しずつ色褪せて行く。
きっと、風左衛門も、そうなって行くんだろう。
いや、「後に残るもの」が少なかった分、
もっともっと早く、風化して行ってしまうかもしれない。

だけど、今は、そうやってはかなく消えて行く、その「消えざま」さえも、
いさぎよくて、鮮やかで、美しい、と思う。
その「消えざま」を、いさぎよくて鮮やかで美しい、と思える、
そういう舞台を作ってくれたすべての人に・・・
演じる人も、舞台裏の人も、劇場の人も、そして観客も、すべての人に・・・

       心から、ありがとうございました。