『熊沢パンキース03』感想:2

『熊沢パンキース03』感想:2 投稿日: 2003年8月23日(土)showm
この舞台では、「病気」や「死」が、ものすごく軽く扱われています。
いや、「軽い」というより、
「病気」の只中にいて、「死」と隣り合わせでありながら、
その状況を受け入れてなお、
「自分の正直な生き方」のほうに より執着している、と言った方がいいか。

もともと、病気や死を、受け入れようとしない体質、というか、
それよりももっと大切な何かがあって
(他人が見たら、くだらないことかもしれないけど)
そいつに心を占領されている、というか。

 

この感覚を、少年マンガに例えた人がいたけれど、言い得て妙、
だと思いました。

観た直後、私は、死んで何度も生き返る、
いくつもの命を与えられているゲームのような印象を持ったけど、
それよりも、確かにこれは「少年マンガ」の肌触りに近い。
しかも、私の感覚では、「少年ジャンプ」なんですね。

たとえば「ドラゴンボール」にしても、「ワンピース」にしても、
男達は、簡単には死なない。
血まみれになって、骨が砕けて、ボロボロになって、
それでも立ち上がって闘い、また倒れ、また立ち上がり・・・・

それは、所詮、現実離れした、ありえない絵空事ではあるんだけど、
だけど、そこに、「怪我」や「病気」や「死」を超越した、
突き詰めた「情熱」も、間違いなく存在しているように思われるのです。

 

『熊沢パンキース03』は、しかし、
上記の少年マンガのように、最終的に核として残るのは「友情」だったりする
そんな「きれいな物語」ではなくて、
自分を犠牲にしても、相手を救おうとする、自己犠牲の精神など、
誰一人として持ち合わせてはいなくて。(あ、五十嵐は別かも 笑)

 

ここにあるのは、「まず自分」。
このおじさんたちは、相手を思いやり、相手が傷つかないように、
なんて考えない。
自分が自分らしく生きることで、他人との衝突があるとしたら、
そいつを蹴散らしてでも、自分の道を確保しようとする。

とにかく、みんな、めちゃくちゃワガママで、煩雑で、
誤魔化したり、騙したり、強がりながら逃げ道探したり、
それでも、不思議に統率が取れている。

「祭り」のような熱病に浮かされ、仲間内だけに通じる馬鹿騒ぎの中で、
ほとんどの登場人物が血を吐き、倒れ、
それでも、誰一人、この街を捨てようとは考えないんですよね。

 

かっこ悪い、ダサい、暑苦しい、
ギトギトした濃い繋がりを壊そうとしないことで、
街の外に暮らす、垢抜けてかっこいい人々に、
かっこよく生きることが、決してかっこいいこととは言い切れないのだと、
「サイテ−」と十把一絡げにしてしまう世の女性たちに、
「それでも俺達は生きてる!」と、
吼(ほ)えるように訴えているようにも思えたり。

「病気」や「死」を真剣に扱わないことは、
イコール、そこにある痛みや辛さから逃げている、というわけではないし、
それらに屈しているわけでもないんじゃないか、と。

むしろ、彼等が、そういうものを、チームのパワーで呑み込もうとしている、
「生きたい」「生きたい」と強く願い、
だからこそ、「死」のとなりに立つことで、精一杯「死」に抗っている、と、
それを、ただひとりではなく、「チーム」としてやろうとしている、と、
そんなふうに思えてならないのです。

 

今日は、高校野球勝戦
スター選手がもてはやされる中で、
無骨でごつごつした、名前も知らない、じゃがいものような少年達が、
ひたすらに熱く、熱く、甲子園という小宇宙で生きている姿を見る時、
そこに、女性には入り込むことの出来ない、
(と言い切ってしまうと語弊があるかな)
「男達の、熱にうかされたような馬鹿騒ぎ」の原点、に
出会ったような気がするのは、私だけでしょうか。