ハッシュ!(talk)

2002・3公開
★このトークは、あくまで、翔と夢の主観・私見によるものです。
 

  夢:やっと『ハッシュ!』に来たね。 話したいこといっぱいあるんじゃない?
  翔:そうだね。
  夢:長くなりそうなので、「作品について」「監督について」「田辺さんについて」と、おおまかに3つに分けよう、ということなんだけど。
  翔:作品について、田辺さんについて、というのは、いつものことなんだけど、今回、どうしても 橋口亮輔監督についても話したいな、と。
  夢:『ハッシュ!』の公開と前後して、ほんとに膨大な量の情報が入り込んで来た時に、翔は、「橋口監督に引きずられる~」と、よく口にしてたよね。
  翔:橋口監督って、すごくいろんなことを考えたり感じたりしている人で、それを言葉にするのが上手で、インタビューから伝わって来るものが、深くて、重くて、切なくて、まるで『眠らない羊』で感じた「田辺像」みたいに、いろんな形でぶつかって来られて、踏ん張るのがやっと、という状態で。
  夢:うん。
  翔:映画を観る前に、橋口監督が映画に載せているものの大きさというか、重さというか、そういうものを まざまざと見せつけられて、そこまで自分をさらけ出してしまっていいのか、と思いつつ、でも、それって、私としては、けっして不快じゃなくて・・・・
  夢:でも、翔は、田辺さんが作品の中に自分をさらけ出していると感じられるものに対しては、あまりいい感想を持ってなかったような気がするけど。『SWIM・2』とか。
  翔:いや、『SWIM・2』は、あまりにも直接的で しんどかった、背負わされる感じが辛(つら)かった(もちろん、私が一方的にそう感じただけで、田辺さんとしては、そういう受け取られ方は心外だろうけど)というのは確かにあったけど、『眠らない羊』や『DOG-FOOD』の段階では、そういう受け取り方をすることもなかったし。
  ただ、『羊』は特に、あまりにも私が描いていた「田辺誠一」のイメージと違っている部分があったので、びっくりした、というのはあったけど。(苦笑)   
  夢:うん。(笑)
  翔:・・・・で、田辺さん同様、「心が裸になること」への躊躇(ちゅうちょ)がない感じがするんだよね、橋口さんも。 だから、「作品」に込めているものの質、とか重みとか、というのは、すごく近いものがあるんじゃないか、と。
  夢:・・・・ふ~ん・・・・・
  翔:橋口監督もまた、「自分への理解」を求めている。 でも、それは、田辺監督のように、自分自身に向かって突きつけている部分もある(諸刃の剣みたいに)というんじゃなくて、もっと、開放的に、外へ外へと向かっている、と、そんなふうにも思った。
  夢:うーん、言ってる意味が・・・・
  翔:うまく言葉がみつからないんだけど・・・・
  田辺さんは、自分自身に対しては、ざくざく斬りつけるようなところがあるにもかかわらず、観る人間に対しては、ものすごく優しく寄り添ってくれて、自分の気持ちを伝えることに心を砕いてくれる。
・・・・それって、突き詰めれば、心のどこかで、伝わらないことを不安に思い、その為に自分が傷つくのを怖れているんじゃないか、だからこそ、逆に、自分で自分を斬りつけ、自分の痛みをさらすことで、その不安や怖れを弱めようとしてるんじゃないか、とも思える。 
  でも、橋口監督の場合は、そういう「親切な不安」や「余計な痛み」を自分が抱えることを良しとしない、そのかわり、自分が(観客に気持ちが伝わらないことによって)傷つくことがあってもかまわない、という気持ちがあったんじゃないか、と。
  夢:親切な不安、ねぇ・・・・
  翔:もちろん、これはあくまで私が個人的に感じたことだし、自分で話していても、ものすごく曲解(きょっかい)している気がするけど。(苦笑)
  夢:あたしにはピンと来ないけどね、その辺のことは。 でもそれって、両監督の作品の中に表われてる部分がある、と思ってるのよね、翔は?
  翔:何て言ったらいいかな・・・伝えたいことを、セリフとか場面とか登場人物の性格づけとかに変換して、俳優に語らせる、画面に語らせる・・・・その時に、田辺監督のように、生真面目に丁寧に作品に反映させる、というんじゃなくて、橋口監督の場合、一度作品を突き放して、自分のテリトリーから解放して、改めて第三者の視点でエンターテインメント化する、というか、どうせなら楽しませて伝えようとしている、というか。
  夢:・・・うーん。
  翔:もちろん、どちらがいい、悪い、という問題ではなくて、それって、監督の性格によるものなんだと思うんだよね。 で、『DOG-FOOD』のように、正座して観る、きちんと受け取る、という感じも嫌いじゃないけど、『ハッシュ!』みたいに、はじけて、笑って、いつのまにか心に染みている、そんな感じも とても好きだな、と。
  実はまだ田辺監督の新作『ライフ・イズ・ジャーニー』を観ていないので、その辺の印象は、映画を観たら、まったく変わる可能性もあるわけだけど。
  夢:うんうん。
  翔:『ハッシュ!』に話を戻すと、まず、自分が言いたいことが最優先にあって、その上で、登場人物の性格づけ、色分けを明確にして、セリフや行動として映画の上に描き切る、ものすごく明快に、ストレートに、手の内を全部さらして、スパン!と こちらに斬り込んで来る、その心地良さ、というのが、この作品には、あったな、とも。
  夢:でも、それって、観客からしたら、確かに心地良い爽快感みたいなものがあるかもしれないけど、逆に、映画のどこか(あるいは、登場人物の誰か)に受け入れられない部分があると、かなり辛(つら)い、というか、痛い、って気もするんだよね。
   たとえば、『DOG-FOOD』だと、人によって、いろんな観方・感じ方が出来るから、かえって、観てる側に、逃げ道というか、余裕がある気がするんだけど。    
  翔:・・・・・・・・
  夢:現に、あたしは、橋口監督の「女性への視線」に、すごく残酷なものを感じて、居たたまれないような気分にもなったんだけど。 自分が女であることが嫌になっちゃうような、そういう描き方をされてるようで。
  翔は、そういう意味での反発、みたいなものはなかったの?
  翔:まるっきりなかった、とは言い切れないけれど、でも、あそこに描かれた女性陣は、私としては、どの人も、ものすごく好きだったし、今回、改めてじっくり観ても、やはりその印象は変わらなかった。
  たとえば、勝裕(田辺誠一)の義姉・容子(秋野暢子)とか、勝裕の同僚・永田エミ(つぐみ)とか、観方によっては、橋口亮輔の、女性への偏見(蔑視?)と取れるような性格を持った女性たちに対しても、私個人は、まったく違和感なく納得して、受け入れることが出来たし。
  夢:どうしてだろ?
  翔:橋口さんは、登場人物みんなを愛している、と感じられたから、かな。 たとえばエミなんかは、同じ女として、すごく「いやなヤツ」だと思うし、橋口監督としては、「ある種の女性」のステレオタイプとして登場させた、という気もするけど・・・・   
  夢:・・・・・・・・
  翔:でも、少なくとも橋口監督がエミをああいう性格にしたのは、「そういう女が嫌いだから」という理由じゃない、という気がするんだよね。 「こういうタイプの女性が嫌い」、という、まとめて切り捨てるような感覚は、橋口さんにはなかった、という気がする。
  夢:うーん・・・・
  翔:少なくとも、容子やエミや直也の母親(冨士眞奈美)や、そういう人達への、軽蔑、というか、嫌悪、というか、そういうものは、私には感じられなかった。
  むしろ、ある種の女性達に対する、白旗、というか、降参、というか、「かなわねぇな」という想い、と言ったらいいか、そういうものが感じられて、だから、一見、ひどい描かれ方をしていても、あまり気にならなかったのかもしれない。
  夢:・・・そうなのかなぁ。 直也(高橋和也)の母親への態度なんか見てると、露骨に嫌ってる感じがするけど。
  翔:直也が?
  夢:直也・・も、橋口監督も。
  翔:そうかなぁ・・・確かに「困った親だ」とは思っていたかもしれないけど、それでも、私には、直也があの母親を嫌ったり否定したりしてるとは思えなかったんだけど。
  夢:・・・・・・・・
  翔:人それぞれ、立場や考え方の違いがある。 「どういう人間でも、生きていていいんだ」、という根本のところをきっちり押さえてある橋口作品だからこそ、登場人物すべて、画面に映るものすべて、「否定」でも「嫌悪」でもなく、「だって、しょうがないじゃん。こんなふうにしか生きられないんだから」という、裏返しの肯定、みたいなものに繋がってるような気がするんだよね。
  夢:・・・・うーん・・・・・
  翔:そして、主役3人に対して、あるいは、あらゆる、どこか「負」を背負った人たちに対して、そうやって、裏返しでもなんでもいいから自分を肯定した上で、「だけど、ちょっとずつでいいから変わって行きたい」と望んでいいんだよ、望めば何かが変わるかもしれないよ(傷つくこともあるかもしれないけど)、と、ちょっと痛いけれど、でも優しい励ましを送ってるように思え・・・
  夢:・・・うん。
  翔:一方で、3人とは対極にいる、この映画でものすごく残酷に描写された人たちについても、実は、残酷であればあるほど生きることにたくましいんじゃないか、そして、そういう人たちを、橋口監督は、どこかで羨(うらや)ましく思っているんじゃないか、と、そんな気もしてならないんだけど。
  夢:・・・・・・・・
  翔:この映画は、どの登場人物を観ても、どの一コマを切り取っても、すべて「橋口亮輔」なのだ、と思う。 すべて、彼の身体内で生まれ、彼の血を注いでこの世に産み出されたものたち。 ならば、彼が心から憎むものを、存在させるわけがない、とも、思うんだけれど・・ね。
★    ★    ★
  夢:ふぅ~、濃いねぇ、最初から。(笑)
  翔:(苦笑)
  夢:次は「作品について」。 主役3人のうち、ふたりがゲイである、ということで、観る人たちに、変な先入観を持たれたら残念だな、と思ったけど、全然そういうことがなくて。
  翔:やはり、リアリティがある、というのは、大きいよね。
  夢:うん。
  翔:もちろん、橋口監督自身がカミングアウトしている、という部分で、「想像」や「嘘」にはなりえないわけだけど、それにしても、主人公がゲイであるということが、さほど大きな問題にならない・・・・確かに そのことによって引き起こされる事件はあるんだけれども、ゲイというものへの偏った表現がない、勝裕も直也も、どこにでもいる普通の青年である、というところで、少なくとも、観る側が、まるでゲイを特異体質みたいに見るような愚かな斜視をすることはなかった。
  夢:確かに、こんなに自然なゲイのお話を観たのは、初めてだった。
  翔:橋口さんの中には、男だから、女だから、あるいはゲイだから、ストレートだから、という、はっきりした線引きがないような気がする。 だからこそ、この映画を、ちゃんと地に足のついた「人間のドラマ」にすることが出来たんじゃないか、とも思うし。
  夢:・・・そうかぁ・・・・うーん・・・・
  翔:私たちと同じ空間に生きている、呼吸をしている、という感じ・・・と言ったらいいか。
  夢:・・・でも、その中で、朝子(片岡礼子)が抱えてるもの、というのが、やっぱりあたしにはしんどかったんだけど。 他の女性たちについては100歩譲ったとしても、朝子の場合は、間違いなく「女性」であるゆえの屈折だったと思うし。
  翔:・・・・・そうだね。
  夢:そもそも、朝子は、どうして「勝裕の子供を産みたい」と思ったのか、というところで、もう つまづいちゃってたし。(笑)
  翔:うんうん。
  夢:あの雨の日、蕎麦屋の前で傘を貸してくれた、ただそれだけで、「あなたはお父さんになれる眼をしてる」って、あんまり突飛過ぎないか、と思ったし。
  翔:・・・・・・・・
  夢:なぜ「勝裕」だったんだろう。
  翔:・・・・・・・・・うーん・・・・・・・・・・・ 
  夢:・・・・・・・・
  翔:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「田辺さん」・・・だから?
  夢:え・・・え?・・・・・・ええっ!?(笑)
  翔:いや・・・でも、なんとなく、田辺さんだったら受け入れてくれそう、っていうのがあるから。(笑)
  夢:・・・・いや、それはそうかもしれない・・・・うーん、そうかもしれないけど・・・・
  翔:答えになってない?
  夢:その答えは、ちょっと・・・反則じゃない?(笑)
  翔:そうだね。(笑) ・・・・あのね、蕎麦屋で、朝子は、なにげなく勝裕と直也の様子を見ていて、ふたりがゲイであることに気づいてるんだよね。
  夢:うん。
  翔:で、勝裕が、「子供が欲しい」という気持ちをどこかに持ってる、ってことも、ふたりの会話を聞いて、薄々気づいてる。
  夢:うん。
  翔:で、朝子のほうは、と言うと、病気のことや年齢的なことで、いずれ子供を産むことが出来なくなってしまうんじゃないか、という不安を抱えている。
  夢:・・・・・・・・
  翔:だけど、だからと言って、誰かと結婚して、子供を産んで、という、言わば「普通」の道を辿ることが、朝子には考えられない。
  夢:どうして?
  翔:そうやって産み出された自分自身に、嫌悪感みたいなものがあるから、かな・・・・
  夢:・・・・・・・・
  翔:男女が出会って、好きになって、SEXして、子供を産んで、という流れを、彼女としては、どうしても受け入れられない、というか。 そうやって誕生する「家族」というものに、自分を当てはめて考えることが出来ない、というか。
  夢:・・・・うーん・・・・それでも「子供」が欲しい?
  翔:うん。・・・・ああ、でも、朝子の思ってる「子供」って、男性とSEXして女性の体内に宿る「生命体」とは、ちょっと違う気もするんだけど。
  夢:・・・・・??・・・・・・
  翔:人とうまく付き合えない朝子が、どうにかして人と繋がりを持ちたいと思った時、まず、同性とはうまく行きそうもない、というのは、分かるよね。
  夢:うんうん、あの性格じゃちょっと・・・ね。
  翔:じゃ、男性は、というと、マコト(沢木哲)みたいに、そこにはSEXという問題が、間違いなくある。 身体を求められて、SEXして、その果てにある、妊娠、出産、そして「家族」が出来て。
  父親がいて、自分たち夫婦がいて、子供がいて、そうやって繋がって行く家族の歴史、みたいなものへの、どうしようもない嫌悪。
  ならば、ひとりで生きて行く、と、心でそう思っていたはずなのに。 いざ、自分が30代にさしかかって、ひょっとしたら、このまま永遠にひとりで生きて行かなくちゃならないかもしれない、と思った時に、無性に「誰かの手」を必要としている自分にぶつかって。
  夢:・・・・・・・・
  翔:蕎麦屋の前で、傘をなくして途方に暮れている時、勝裕に傘を差し出されて、朝子は、ひょっとしたら、この人になら、自分の内にある、ものすごく抽象的な「家族」の形・・・・「ドロッとした男女の関係の果てに生み出されるものじゃない、‘家’の歴史に埋没してしまうことのない、家族」の父親に、なってもらえるかもしれない、と、咄嗟(とっさ)に、そう思ったのかもしれない。
  夢:うーん・・・・・
  翔:いや・・・・もっと、それ以前の・・・・
  夢:ん?
  翔:人との距離を測れなくて、いつもいつも傷つき、傷つけて、人に添うことに臆病になっていた彼女が、「この人なら、屈折した自分をさらしても、ちゃんと受け止めてくれる」 「この人を手放してしまったら、もう二度と、自分は、誰かに寄り添って生きて行くことが出来ない」 と思い詰めるほどの何か、を勝裕に感じたとしたら、たぶん、彼も、ゲイであること、それを隠していること、で、何かが欠けている状態のまま生きていて、でも、そういう自分に決して満足しているわけでも、直也のように達観しているわけでもない、というのを、薄々感じ取ったからなんじゃないのかな、と。
  夢:・・・・・・・・
  翔:勝裕は、ゲイのままでは、自分の「子供」を作ることが出来ない。 一方、自分は、「子供」を産み出す「機能」を持ち合わせている。 これから勝裕との繋がりを持とうとする時、言葉は悪いけれど、それが「武器」になる、と考えたんじゃないか、と。
  夢:武器・・・・
  翔:そう、自分を認め、受け入れてもらうための。 ・・・・もちろん、計算づくでなく、無意識のうちに、ということだけれど。
  夢:・・・・武器、ねぇ・・・・ そういうふうに考えると、ますます朝子が許せなくなってくる自分がいるんですけど。(苦笑)
  翔:たぶん夢が引っ掛かっているのは、「子供」をダシに使っているような朝子の態度、だと思うんだけど・・・・
  夢:だって、ふざけてるとしか思えないもん。 愛情があって、その上でSEXして子供が生まれる、それって、もうちょっと崇高・・とまでは言わないけど、もうちょっと「心」が伴ったものじゃないの? スポイト持って、「(精子を)これで取ろうかと思って」って、まるで機械的に子供を「生産」しようとしてるみたいで、ものすごくむかついたんだよね、この際、正直に言っちゃうけど。
  翔:・・・たぶん、そう思って不快になった人も、きっと多かったんだろうな、という気もするけど。
  夢:ということは、翔はそう思わなかったわけね。
  翔:・・・私は、あのスポイトって、現実に「精子」を採るためのもの、というわけじゃないんじゃないか、と思うんだよね。
  夢:え!?
  翔:あれって、「手」 なんじゃないのかなぁ。
  夢:手?
  翔:そう。 人と繋がるための、人に寄り添うための 「手」。
  夢:・・・・・・・・
  翔:朝子って、今まで、そういう手段って、何も持ち合わせていなかった。 ・・・・いや、もちろん、さんざんいろんなこと試したりはしたんだろうけど、たまに繋がったと思うと、ただ欲望をぶつけてくる相手だったりして、どうしても、「ひとり」というところに、ストンと落ちて行ってしまって、あげく、家具の間で身体丸めてるしかなくて。
  夢:・・・・・・・・
  翔:そういう彼女が、もう一度自分を奮い立たせて、この人と接点を持ちたい、じゃ自分には何があるのか、と思ったら、ゲイで、子供を欲しがっているらしい相手に差し出せるものって、「あれ」しかなかったんじゃないか、と。
  夢:・・・・・うーん・・・・・・
  翔:でも、決して彼女自身、自分が差し出したものに、自信があったわけじゃない。 ちっちゃなちっちゃな、ほんとにおもちゃみたいな、ビニールのスポイト。 ふたりに納得して欲しくて、必死で話しかけるけど、最初に彼女が持っていたものは、ただ、そんなものでしかなくて。
  夢:・・・・・・・・
  翔:自分の、まったくSFまがいの提案に、しかし、ふたりは乗っかってくれた。 真剣に考え、受け止めてくれた。 何より、自分がふたりの傍にいることを許してくれたことが、彼女には、とっても嬉しかったんじゃないか。
  やがて、いろいろな障害にぶつかって、それでも揺らがないふたりに護られて、彼女は、さらに、ふたりへの強い絆を差し出す。 それが、最後に出て来る、大きなガラス製のスポイト。
  夢:・・・あ!・・・・
  翔:だから、あれは「手」なんだ、と、やっぱりそう思うんだよね、私は。 勝裕ばかりか、直也にまで、なに滅茶苦茶なこと言ってるんだ!って、普通の感覚なら、「絶対に許せない女」ということになってしまうんだろうけれど、私はむしろ、彼女が生きて行くために、もうひとつの手を求めることに躊躇(ちゅうちょ)しなかった、そのことの方が嬉しかった。 家具の間に挟まっていたあの朝子が、勝裕だけでなく、直也とも、「永遠の握手」をしようとしてる、と。
  夢:・・・・永遠の握手・・・・・
  翔:そう。 ・・・子供を産む、って、どういうことなんだろう、と思う。 もちろん、結婚して、その結果として子供が生まれる、子供そのものの存在、というのも、確かに大きいんだろうけれど、私は、もっと手前の、「この人の子供が欲しい」 「この人の子供を産もう」 と思う気持ち、というのが、ものすごく大きなもの、大事なものなんじゃないかな、って、この映画を観て 強く感じた。
  夢:・・・・・・・・ 
  翔:それって、これからの自分の人生、ずっとその人と寄り添って生きようとする、ということ・・・言い換えれば、その人と、永遠の繋がりを持とうとする、ということでしょ?
  夢:・・・う・・ん、うん。
  翔:そんなふうに長いスパンで、自分の人生を考えることをして来なかった3人が、「子供を産む」という目的を持つことで、永遠の繋がりを得ようとする、死ぬまで一緒にいようと思う・・・・その気持ちが、一番重要で、一番必要なことなんだ、と、そう言いたかったのかな、と。
  夢:実際に子供を産む、産まない、という問題ではなくて?
  翔:そう。
  夢:だから、スポイトは、本来の意味ではなく、「手」の意味合いが強かった、と?
  翔:そう。
  夢:・・・・うーん・・・・・
  翔:もちろん、結果として子供を授かる(SEXの果てにではなく、まさに「授かる」) ことも、心から望んでいることではあるんだろうけど。 でもそれは、むしろ、3人が「永遠の手」を結んだ、そのずっと先にあるもの・・・・「遥かな夢」のような気もするんだよね。 
  夢:・・・・あたしは「スポイトを使って子供を産む」ということに、こだわり過ぎてたかなぁ。 
  翔:いや、実際そう思って辛くなった人も多かった(特に女性)んだろうけど。 私には、橋口監督の意図がそこにある、とは、どうしても思えなかったし、「子供を産む」ことではなくて、「産もうとすること」について描きたかったのかな、という気がしたので。 もちろん、実際の監督の考えは分からないけれども。
★    ★    ★
  翔:作品について、というところで、ぜひ「京都の話」もしたいんだけど。
  夢:翔、言ってたよね、京都のエピソードで、勝裕の内面がたくさん見えた、って。
  翔:あの実家での1日に、勝裕が背負っているもの、壊したいもの、が、ものすごく端的に表現されてたんじゃないか、と。 ゲイになった理由(わけ)まで読めるような・・・そんな感じがしたので。
  夢:あたしは、すごく「重い」と思ったんだけど。 井戸につばを吐いて、しばらくしてお兄さん(光石研)が亡くなってしまうこととか。
  翔:その辺の 夢の読みって、すごく興味深くて。
  夢:そう?
  翔:あの「つば」が、「青いインク」と同じ意味を持つなんて、私はまったく考えてなくて、夢に言われて、目からウロコ状態になって。
  夢:・・・・・・(笑)
  翔:井戸に青いインクをたらす、つばを吐く・・・歴史や時間を呑み込んでいるものへの、そんな ささやかな抗い(あらがい)が、父や兄の「死」という、大きな結果を引き起こしてしまう。 
  冷静に考えれば、そんな馬鹿な話はないんだけど、でも、少なくとも、勝裕が切りたがっていた「家族の歴史」というものが、実は、ものすごく簡単に途切れてしまうものなのだ、と、砂の城のようにもろいものだったんだ、と、そんなことも考えさせられて。
  夢:・・・・うん。
  翔:容子と勝裕って、ある部分、似ているところがある・・・
  夢:え!?
  翔:トークか何かで、橋口さんが「容子は勝裕が好きなんじゃないか」と言ってたそうだけど、私は、容子の中に、「歴史」から逃げ、「歴史」を背負おうとしない勝裕に憧れている、というか、「なりたかった自分」を見ている、というか、そういう部分があったんじゃないか、と思う。
  夢:容子が朝子にやきもちをやいてる、っていうのは・・・・
  翔:勝裕が好きだから、というより、自分が嵌(は)まってしまって身動きとれない「綿々と続く家族の歴史の流れ」というものとは まったく違う、新しい形で「家族」を作ろうとしているふたり(勝裕と朝子)への、強烈な嫉妬、なのかな、と。
  夢:新しい形・・・・
  翔:そう。 父親になる男と、母親になる女。 まるでアダムとイブのように、そのふたりから始まる、そのふたりが紡ぐ「家族」の形。 自分たちと同じように、子供を作ることを目的にしていても、まず、相手を見つめて、相手を想って、そこから「子供のタネ」を見出そうとしてる、というか。
  夢:うーん・・・・・
  翔:容子が、朝子にぶつけた激しい言葉は、自分が守ってきたものを壊されまいとして、じゃないんだと思う。
  容子は・・容子こそ、一番そういうものを壊したがっていた、なのに、そこに埋没してしまうしかなかった自分と、そこから逃走し、あろうことか、穢(けが)れた血を その(自分が犠牲になることで続いている)「栗田家」に取り込もうとしている、勝裕に対する憤(いきどお)り、みたいなものが、勝裕の相手である朝子に向かって放たれた、という気がしたんだけど。
  ・・・・その憤りが、逆に言えば、容子の勝裕への想いに繋がっている、と、言えないこともないのかもしれないけど。
  夢:・・・ふぅ・・・・ん・・・・すごいな・・・・
  翔:直也の母親が、直也と勝裕の関係の方に興味を寄せていたのに、容子が、まったくその事実に気付かない、というのも、彼女にとっては、勝裕と朝子とその子供(いずれ生まれるかもしれない)のことが、ものすごく重要な問題だったから、という気もするんだけどね。
  夢:・・・・うーん・・・なるほどねぇ・・・・
★    ★    ★
  夢:次はいよいよ「田辺さんについて」だけど、言いたいことたくさんありそうよね、翔は。
  翔:(笑)
  夢:その「笑い」が、いろんなものを含んでる。(笑)
  翔:・・・・いや・・・・ある俳優さんのファンになって、こんなふうに、その俳優の「羽化」する場面に出くわす僥倖(ぎょうこう)に預かれる人って、どのくらいいるんだろう、と思ったら、私は、橋口監督にも田辺さんにも、心から感謝したい、と。
  夢:映画が出来てから、公開されるまで、さらに、あたしたちが映画館で実際に観るまで、ものすごく時間差があったわけだけど、翔は、ずーっと一貫して、『ハッシュ!』は田辺さんにとって特別な作品だ、と言い続けてて、で、実際に映画を観て、「やっぱり」という想いを強くして・・・・
  翔:でも、映画を観た時は、田辺さんではなくて、むしろ、橋口監督の凄さ、みたいなものに、心臓をわし掴みにされたような心地だったけどね。(笑) 作品関連のインタビューとか、たくさん読んでいたせいだと思うけど。
  夢:その辺も、翔らしいと言えるのかもしれないけど。(笑) で、映画を観てから さらに時間が経って、今、改めて「田辺誠一の勝裕」「田辺誠一ハッシュ!」という観方も出来るようになったんじゃないか、とも思うんだけど。
  翔:DVDを買って、かじりつくように観て(笑)、田辺誠一の勝裕への同調の仕方、というか、溶け込み方、というか、に、心が届くようになって、改めて、「あ、なんて力み(りきみ)なく素直に演じてるんだろう」って、すごく惹かれるものがあった。
  夢:うんうん。
  翔:と同時に、逆に、勝裕の方から田辺さんに歩み寄っている、という感覚も間違いなくあって、こんなふうに「役と親しくなれる」って、一生俳優やっていても、それほど何度もあることじゃないんだろうな、という気もした。
  夢:それはやっぱり橋口監督のうまさ、ということになるんだろうか。
  翔:そうだね。 ものすごく俳優さんを引っ張ってくれる、というか、導いてくれる、というか、居心地・座り心地の良い場所に落ちつかせてくれる、というか、ここに、こういうふうに居ることしか出来ない、その場所に、みんなちゃんと座らせられている、というか。
  夢:橋口さんに壊されたもの、って、特に田辺さんにとっては、すごく大きなものだったんだろうね。
  翔:それでも、壊されっぱなしじゃない、田辺さんなりに頑固に踏ん張った、橋口さんの強い大きい流れに呑み込まれなかった部分もあったんだろうな、と、これは、私の独断でしかないけど、そんなことも思ったけどね。
  夢:それを翔がどの辺で感じたのか、ってのが、すごく興味あるところなんだけど。 翔が『雑記帳3』(現在はありません)に書いてた、
  しかも、橋口監督が求めただろう、「完全な溶解」ではなくて、
  キラキラと、まるで氷花のように美しく鋭角にきらめく「氷の破片(かけら)」を残しながら、
  その破片をいとおしく心に留めたまま、彼は、大きな飛躍を果たしたのだ。

というあたりにも繋がることなんだろうけど。
  翔:そうだなぁ・・・・・なんとなく、っていうんじゃダメですか?(笑)
  夢:ダメ。(笑)
  翔:・・・具体的にどうこう、ってことじゃないんだけど・・・どう言えばいいかなぁ・・・・うーん・・・・
これは、あくまで私個人の受け止め方・感じ方でしかない、というのを踏まえて聞いて欲しいんだけど。
夢:うん。
翔:『ハッシュ!』の頃の田辺さんって、それまで何年か俳優をしてきて、こんなふうにやって行こう、みたいな、自分なりの方法論や方向性を見出しつつあった時期じゃないかと思う。
  夢:うん。
  翔:だけど、それは頭の中だけで作られたもので、言わば「ハード面」だけを固めて行ったに過ぎなくて、それだけじゃない何かがある、というのも、うすうす感じていて、じゃあどうすればいいか、というところで、ちょっとうろうろしていた、というか。
  そういう時に橋口監督に出会って、そういう、ある意味自信を持って築いて来たもの(築くことで、俳優としての「自信」にしようとしていたもの)を壊されて、その上で、新しい「俳優・田辺誠一」を構築させられることになったんじゃないかと。
  夢:・・・・・・・・
  翔:・・・・たぶん、橋口さんが田辺さんに最終的に与えたかったものは、「自信」だと思う。 「型」から役を作るという今までのやり方を捨てて、頭でっかちになっていた自分を壊して、裸になって、その上で、「俳優として、田辺誠一が持っているものを信じろ!己れ(おのれ)を信じろ!」と。
  だけど、田辺さんは、その言葉に心地良く乗っかって、演じ切ることは、出来なかったんじゃないか、と。 もちろん、推測の域を出ないんだけど、私は、何となくそんなふうに感じた。
  夢:でも、それにしては、田辺さんの勝裕は素晴らしかったよね。
  翔:でも、それは、自分のせいじゃなくて、橋口監督のおかげ、と思っている部分が大きいのかな、と。
  夢:うーん・・・・
  翔:ひょっとしたら、そういう、一歩引いてしまう部分を壊すことによって、さらに俳優としてステップアップすることが出来るのかもしれないんだけど、田辺さんには、それだけの自信が、まだ再生されてないんじゃないか、とか。 ・・・・というか、勝裕以降、いろんな役を演じれば演じるほど、「俳優」というものの奥深さを思い知らされているんじゃないか、という気もするけど。
  夢:・・・・『ハッシュ!』の頃、ではなく、今の方がもっと?
  翔:あの頃より、今現在の方が。
  ・・・・で、あえて言わせてもらえるのなら、もともとの彼の「俳優としての自分を かっこいい と思っていない」という、俳優にあるまじき(笑)ナルシシズムの欠如と、この頃とみに感じるようになった「俳優としての自分に、絶対的な自信が持てない」という、自負心のなさ(というか、正確に言えば、驕り(おごり)のなさ、と言った方がいいのかもしれないけど)が、逆に、田辺誠一を、他の俳優と隔てている要素なのかな、とも思ったり。
  夢:褒めてるのか貶(けな)してるのか・・・・(笑)
  翔:どうなんだろう。(笑) ただ、うまい、へた、で言えば、少なくとも勝裕を演じている田辺さんは、抜群にうまかった、と思う。
  自分をそこに留めておけば、ちゃんと評価してもらえるんだろうけど、田辺さんは、そこに自分を収めようとしない、ひとつの役が終わると、そこで得たものを一旦リセットして、新しい作品に対して、また一からコツコツと作り上げて行く。 その、カメのごとき歩みが、田辺さんの田辺さんたる所以(ゆえん)なのかな、と。
  夢:非常にもどかしいスローウォークだけど。(笑)
  翔:うーん、ひょっとしたら、いつか、とんでもないスピードにギアチェンジするってこともあり得るのかもしれないけどね。(笑)
  でも、俳優としての田辺さんは、今、そうやってゆっくりと進んで、手を差し延べてくれるすべての人たちに、きちっと応えようとしている。 その誠実な応え方に、内容が伴って来ている。 「いい人」だけじゃない、「使いたい俳優」になりつつある、それが嬉しいと思う。
  夢:確かに、長塚圭史さんとの対談(男優倶楽部Vol.12)とか読むと、いずれ「阿佐ヶ谷スパイダース」からも出演のオファーが来そう、とか思ったもんね。(笑)
  翔:そうだね。(笑) その辺、監督・田辺とは、まったく逆、というか、監督としては、自惚れとか自尊心とか、ちゃんとしっかり持ってる人なんだと思うしね。(笑)
  夢:監督としては、それでいい?
  翔:はい。 ある意味、自分を信じていないと創れない、みんなを引っ張ったりまとめたりすることが出来ない、ということもあると思うので。
  夢:なるほど。
  翔:そして、その「俳優」と「監督」との落差が、最近、私が、非常に興味深く感じている部分でもあるんだけど。
  夢:その辺も、話し出したら長くなりそうな。(笑)
  翔:・・・・そうね。
  夢:・・・・話を戻すけど、結局、田辺さんの「氷の破片」というのは、「自分に酔ってない部分」ってことになるのかな。
  翔:うー・・・・ん、リアリティに確実な自信を持てない、というか、持たない俳優、ということ・・・かな。うまく言葉にならないけど。
  夢:うんうん。
  翔:・・・・結局、橋口さんは、そういう部分を壊せなくて、というか、確実な自信を植え付けようとして拒まれて、その代わり、勝裕を、そういう田辺さんに近づけて行くことで、調和を図った・・んじゃないか、と。 橋口さんとしては、本心では、「俳優・田辺誠一」が いきなりトップにギアチェンジすることを望んでいたのかもしれないけれど、ね。(笑)
  夢:ひょっとして・・・・その辺、クドカン宮藤官九郎)が、田辺・勝裕を評して、“すごく自然なのに何かが胸につかえているような演技”と言ってたことと関係ある?
  翔:どうなんだろう。 ただ、確かに、リアリティのある役を100%その通り演じることは、少なくとも「今の」田辺さんには出来ないのかもしれない。 それを、現在の田辺さん自身が自覚している、という、そのことが、私には、すごい進歩にも思えるし。
  夢:ふ~ん・・・・

     「それは僕にリアリティがないからですね。
     僕、ものすごい普通の役とかをふられると、どうしたらいいかわからなくなるんですよ。」

という、クドカンに返したあの田辺さんの言葉は、深い意味がある?
  翔:そう・・・ひょっとしたら、これから先、どこまで行っても、「これが自分だ!」と言い切れるものに出会えないんじゃないか、とか。
  夢:ええっ?
  翔:どこか、本当じゃない、これは嘘なんだ、と思っている、信じていない部分が、かすかに、ではあるけど、田辺さんの心のすみっこに根付いているような気がする。 それを取っ払ってしまえば、もっともっと、恥ずかしげもなく、厚顔に、「役者」として生きていけるんじゃないかと思うけど、それを壊せずに、引きずったまま生きて行くというのも、それはそれで、私には、興味深く感じられるので。
  ま、まだしばらくは、なのか、永遠に、なのかは知らないけど、とりあえずは、そうやって引きずっていてもいい、という気もするし。
  夢:「氷の破片」を抱いたまま?
  翔:う・・ん。 どれほど素晴らしく演じても、絶対に満足しない、満ち足りない、そういう部分を持ち続けている人なのかもしれないし。
  そう考えると、田辺さんのような人が賞を取れた(注・『ハッシュ!』で報知映画賞主演男優賞他を受賞)というのは、逆の意味で、非常に興味深いことだったんじゃないか、と、そう思うけど。
  夢:・・・うん、そうだね!