『人間の証明』(第4話)感想

人間の証明
國村準さん演じる小山田が、下半身不随という障害がある、ということに、
私は、すごく深いものを感じます。

TVドラマでは、よく「障害」が登場するけれど、
たとえば国籍・身分・身体的なこと等、どんな場合であれ、
その「障害」が、
ドラマを面白くするためのエッセンスでしかありえないことが多い、
という気がします。

小山田の場合、障害が、生きることと直結している。
障害があることで、「何が」出来ないのか、
あるいは、障害があっても、出来ることは「何」なのか。
それが、まるでドキュメンタリーででもあるかのように、
これでもかこれでもか、と、活写される。

「妻の失踪」という事件が、
彼にとって、心情的に辛い、というだけでなく、
妻(横山めぐみ)がいなければ生活に困る、
妻が必要不可欠なものであることを、彼自身が悟らされる。
その辺の過程が、しっかりと描かれ、
なおかつ、しっかりと役者によって演じられる、
そこに浮き彫りにされる「切なさ」は、本物、なのだと思う。

小山田夫妻+新見(風間杜夫)のトライアングルに比べると、
郡一族は、皆うすっぺらな感じがして、
それが意図されたものなのかどうか、というのが、
どうも掴めなかったのですが、
ひょっとしたら「わざと」そうしてるのかな、という気もしてきました。

ひとつには、佐伯(田辺誠一)の掴みどころのなさ、
もうひとつには、佐伯の言いなりのように見えた恭子(松坂慶子)が、
ひょっとしたらけっこうしたたかなのかもしれない、と思わされた予告、
の影響が大きいんですが。

この、いろんなものが「時間差」でじわじわ滲み出て来る感じというのが、
すごく興味深くて。

佐伯にしたって、ただの参謀じゃ終わりたくない、
郡恭子の当選が、自分のさらなる野望へのステップでしかない、
そういう裏の面を持ってる人間なんだろうし、
そういう部分を、田辺さんがまた、
ちょっとした眼の表情とか、言いまわしとかで、
少しずつ小出し(笑)に表現してて、
それを読んで行くのが、すごく楽しかったり。
(きみぺの時のように、思いっきり外す、ってこともあるかもしれない
にせよ。爆)