『2001年のおとこ運』(第1・2話)感想

以下は、BBSに載せた『2001年のおとこ運』の感想です。(第1話・2話のみ)

ヨーヨー振り子? 『2001年のおとこ運』:1 投稿日: 2001年.1月10日(水)
『2001年のおとこ運』観ました。
実は、午前中『月下の棋士』をちょっと観ていて、滝川幸次にどっぷりと浸かっていたので、天羽良之モードに切りかえるの大変じゃないかと、内心思っていたのですが・・・・
田辺さん、変わりましたね。
なんて言ったらいいか・・・あの菅野美穂さんと、あんなふうに屈託なくやりあえるなんて、『恋の奇跡』の頃は、想像も出来なかった。
もちろん、役柄的に絡みやすかった、ってこともあるんだろうけど、それだけじゃなくて・・・・

私は、今まで、田辺さんの演じている役を、最初からすんなり受けとめるということが、ほとんど出来なかったんです、正直に言うと。
たとえば、『月下』の滝川や、『BRUES HARP』の健二は、最初から、心臓わしづかみにされたような衝撃を受けたけど、それにしたって、「田辺誠一という俳優が、頭の中で練り上げて、そして形にしたものを見せられてる」という印象、否めなかった。
もちろん、滝川などは、田辺さんのその計算が見事にはまって、一種の「様式美」みたいなところまで作り上げられて、それはそれで、ものすごい役作りの出来る人なんだ、と、感動したのですが、今回は、それとはまったく逆に、頭で役作りする前に、役が自然と出来上がってた、という感じ。

田辺さんの、役作りの苦しみや、計算・・・
頭の中で、まず組み立てて、肉付けして行って、形にして、最終的にきちんと出来上がったものを持って本番に臨む、というプロセスが、今までは、どうしても、役の後ろで見え隠れしているように思えて、私は、「田辺誠一」という俳優が持っているムードや、役を練り上げる能力や、自己評価の鋭さに対して、すごい人だな、とは思っても、彼を、うまい、と思ったことは、あまりなかったのです。

でも、今回は・・・・
同じナチュラルでも、『走れノボセモン』の時とは違う。同じコメディでも、『フードファイト』の時とは違う。
こんなに肩の力を抜いて、役の中で今ある自分を自然に見せてくれた田辺さんに、私は、初めて出会えた気がします。

「振り幅広すぎ」とは、カトリーヌあやこさんの田辺評ですが、今回、振り幅の広さ+ヨーヨーのような伸縮の大きさも身に付けつつあるのではないか・・・なんて、菅野あたるとコタツの取り合いしてるの観ながら、キスシーン(予告)観ながら、そんなことを考えていました。

余談ですが、今までずっと、菅野さんの次に名前が出てた田辺さん、本編タイトルロールで、一番最後に名前が出てきて、嬉しかった。予告ストーリーとか見てて、天羽(田辺)さんは、最後に名前が出るような役じゃないか、と、ずーっと思っていたので。

いろいろと・・・ 『2001年のおとこ運』:2 投稿日: 2001年1月18日(木)
えっと、まず『おとこ運』第2話、観ました。
で、思ったんだけど、田辺さん、やっぱり感覚だけで演技してるんじゃない、ちゃんと、見えないところで計算もしてるんだ、と思うようになりました。(笑)
計算はしてる、でも、ものすごく余裕(ゆとり)があるので、観てるこっちに、ひょっとして演技してないんじゃないか、と思わせてしまうのでは?
これって、やはり「グリークス」と「ハッシュ!」の賜物なのかな。
もっともっと自信から来る余裕が出来たら、もっともっと自由自在に画面を行き来する田辺さんが観られるかもしれない。楽しみ。