今さら『坂の途中の家』感想

昨年(2019)4月-6月、毎週土曜 22:00から WOWOW連続ドラマW枠で放送された全6回のドラマ。今さらながらの感想です。

WOWOWならでは、の非常に重厚で奥深いドラマ。
「彼女は‥私です」という終盤の里沙子の台詞を、私は、まるで自分がつぶやいたように感じました。

角田光代さんの原作は未読。
私が彼女の映像化作品を観たのは『紙の月』(映画)に次いで二度目ですが、どちらの作品も、逃げ場のない世界に閉じ込められた人間の息苦しさを しっかりと描き切っていて、非常に見ごたえがありました。

特にこの作品は、被告の安藤水穂(水野美紀)と境遇が似ている山咲里沙子(柴咲コウ)はもちろん、子供を授かりたいと願っているけれど不妊に悩み半ば諦めかけている女性誌編集長・芳賀六実(伊藤歩)、裕福な実家の生活が忘れられず子供にお金をかけることに夢中になる妻を止められない会社員・山田和貴(松澤匠)、共働きで子育てしながらキャリアを目指す裁判官・松下朝子(桜井ユキ)ら、裁判に関わった登場人物それぞれの日常を被告人に絡(から)めて行くことで 事件をいろいろな方向から多角的に捉えることに成功していて、本当に隙(すき)がない。
息をつめて観ていて息苦しくなったこと何度か。続けて観るのはつらいんだけど、観ないではいられない、観る者の眼を惹き付けて離さない、その吸引力(引き寄せる力)が凄かったです。

生後8ヶ月の赤ちゃんを死なせた母親。その事件の補充裁判員に選ばれた女性が、裁判を通じて、自分の中に封じ込めていた過去や今現在のさまざまな問題と向き合って行くのですが‥

はじめはすごく良い家族に見えた。子育てや家事を丁寧にこなす専業主婦の里沙子、妻を支え子供にも優しく接する夫・陽一郎(田辺誠一)、聞き分けのいい3歳の娘・文香(松本笑花)‥しかし、裁判が進むにつれ、薄皮を剥(は)ぐように、そんな「幸せな家族」が抱えている問題が 私たちの前に少しずつ暴(あば)かれるようになります。
自分の子育てと 周囲の人たちのやり方が どうしても合わない、何とか自分のやり方を通そうとするのですが、そうすればするほど、いろいろな問題が里沙子にのしかかって、やがてそれが被告人・安藤水穂の立場と被(かぶ)って見えて来る‥まるで事件に至るまでの水穂の気持ちをなぞるように 徐々に追い詰められて行く里沙子の姿を観るのは 本当に切なかった。

陽一郎は子育てにも理解を示し、姑・里子(風吹ジュン)も何くれとなく手助けしてくれる、なのに、里沙子の孤立はどんどん深まる。なぜか‥
陽一郎の言葉はいつも少しキツいんですよね。毒が潜んでいる、と言ったらいいか。
わがままを言う娘・文香をちょっとのあいだ路上に一人きりにする、確かにそれはかなり危なっかしいことではあるけれど、洋一郎が里沙子に言った「幼児虐待」というのとはちょっと違うだろう、と。
さらに、里沙子がストレスから毎日ビールを飲むようになるのを「アル中」と言ったのにも引っ掛かった。だって、陽一郎だって毎日ビール飲んでるのに、なぜ里沙子だけアル中ってことになってしまうのか、なぜ男の人は毎晩飲んでも問題ないのに、女性(母親)は同じことをしてもアル中って言われてしまうのか。‥そのあたりから、どんどん引っ掛かることが増えて行く。
思えば、過去、「仕事をしたい」と陽一郎に言っても、里子が専業主婦でなにくれと面倒を見てもらった陽一郎は、それが母親の正しい姿だと思っているので、耳を貸さないことがあった。自分がこうしたいと思っても、本当の意味で救いの手を伸ばしてくれない、それがずっと続いていたことを思い出す。
里沙子が裁判で出掛けているあいだ文香を預かってくれている里子が、イヤイヤ期ど真ん中の文香を甘やかしてやりたい放題させていることにもストレスはたまる。
何かあると、陽一郎から里子に(あるいは里子から陽一郎に)速攻で連絡が行くのもしんどい。
それでも、何とか自分の気持ちに折り合いをつけて、やっと少し落ち着いてきたかと思うと、すかさず陽一郎は同僚を家に連れて行くと言い、里沙子が自分たちの分しか料理がないと言うと、簡単なのでいいから、おふくろから10分レシピもらっただろ、1時間ぐらいで帰るから‥って、おい!
これねぇ、陽一郎のどこが悪いの?と思っている人も多いのかもしれない、里沙子に対する言葉に少しトゲがあるだけで。
でもその「少しだけ」が積もり積もって常に里沙子の心に刺さり、きつい状態が積み重なって、どんどん精神的に追い詰められて行く‥ああもう(陽一郎を演じている)田辺さんのファンなのに腹立つったらない!

そうやって、観る側にも いつのまにか里沙子と同じような鬱屈(うっくつ)や痛みが蓄積されて行く、それは、妻として女性として少なからず里沙子と同じような経験をしたことがあるから、だから共感し共鳴するんだと思う、重い息苦しさと共に。

う~ん、だけど‥
二度目に観た時には、ちょっと違った捉え方をしている自分がいたのも事実で‥
陽一郎は、里沙子への言動には問題があっても、文香に対してはとても優しいし、世話も焼くし、食べ物をこぼしたときに雑巾を持って来させて自分で片付けさせたり、ジュース買ってと言われて 飲むのは家に帰ってからな、と諭(さと)すことが出来る、いいお父さんでもあるんですよね。 もしかしたら、里沙子のように厳しくしつけなくとも、文香はイヤイヤ期をスムーズに乗り切れるのかもしれない、ひょっとしたら陽一郎が100%悪いとも言い切れないんじゃないか、と。
誰かだけが100%正しくて あとはみんなゼロ、なんじゃない、みんなそれぞれ正しいところがあり、間違っているところもある、そこが悩ましいところなんですよね。

で、ふと、里沙子たちが結婚してすぐ住んだ 坂の途中の家(アパート)で生活していた時のことを考える。そこで文香を出産し、世話をしていた里沙子は、どういう生活をしていたのか‥その時期のことを自分の内で封印してしまうほどのどんなことがあったのか‥その時 陽一郎は里沙子にどんな言葉をかけたのか‥母乳が出なくて姑にいろいろ言われた、ということぐらいで、詳しくは描かれていないんだけど、だからこそいろいろ想像し、考えさせられました。

ママ友の篠田さかえ(酒井美紀)のように、深刻に考え過ぎず、甘え上手で、物事をサラリと受け流せる人もあれば、里沙子や水穂のように、生真面目で、何でも自分の内に抱え込んで、もっとしっかりしなければ、もっと頑張らなければ、と自分に強いてしまう、そんなふうにしか生きられない人もいる。
いい母親だと思われたい、とか、順調に何の間違いもなく子育てしていると見られたい、とか、どこかでちょっとした見栄や虚勢心が働くのも、当たり前の事だし‥
妻として母親として、は もとより、人間としてどうすればいいか、ということの正解はない。だから、難しいな、と思うし、だから、悩んだり迷ったりしてしまうし、だからこそ、自分で考えることを諦(あきら)めて、誰かの言いなりになってしまったりもする‥でも、結局はそのことが自分の枷(かせ)になってしまう、ということもあるのかもしれないなぁ、と‥
「自分を否定せずに子育てするのは難しいですよね」
「自分じゃない誰かの常識にとらわれて生きるのはつらいですね」という言葉のように。

陽一郎は、里沙子が家を出るのを止めようとして「あなたはどうして私に悪意を持つの?」と言われ、はじめて自分の言動が何かしら里沙子の気持ちに圧(の)し掛かっていることを知り、さらに児童福祉司の新庄(西田尚美)からはっきりとモラハラモラルハラスメントと言われて、やっと里沙子の言葉の意味を真剣に考え始めます。
一方、家を出た里沙子は、ホテルに訪ねて来た実母・富路子(高畑淳子)に対し、私が離れて行くのが怖かったから いつまでも可愛そうな子供のままでいさせたかったの?と尋ね、富路子は答えられずにその場を去ります。

相手を支配することで自分の腕から出て行かないようにする、そういう愛し方しか出来ない人がいる‥里沙子は母親の心情を思い測ることで、ギリギリのところで自分を押さえつけていたものを吹っ切ることが出来、もう一度裁判所に向かいます。
里沙子だけでなく、六実も、和貴も、朝子も、それぞれに収束への道を見出して行くここからの展開が、ちょっと切ないながらも、それぞれの新たな一歩を踏み出すことに繋がっていて、肩に力が入ったまま画面に釘付けになっていた私は、やっと少し息をつくことが出来ました。

「子供がいる人生といない人生、お互いに想像し合えたら、もう少しだけ楽になれるのかもね」職場や公園で心痛める出来事が重なったにもかかわらず(いや、だからこそ?) 里沙子に対してそう言えるまでになった六実も‥
「君の言う不自由とか豊かさっていうのはどうしたってお金でしか測れないもんなのかな。これがあるからこの子は幸せだって言えるものを、お金じゃなくて、品物じゃなくて、俺たちが与えてやることは無理なのかな、もう一度二人で‥」と妻に電話した和貴も‥
「私仕事辞めようと思っていたんです。でも今日の青沼さんの判決を聞いてやっぱり続けたくなりました。福岡へ行きます、子供も連れて」と言ってキャリアへの道を踏み出した朝子も‥

カラッと日本晴れ、みたいな展開にはならない、だからこそ 観終わってからもあれこれ考え続けることを止めることが出来ません。
現実に起こるさまざまな幼児がらみの事件を聞くにつれ、特に今の日本は、子供の命の重さをややもすると母親だけに背負わせてしまいがちな社会になってしまっているんじゃないか‥ 父親も、周囲の家族も、社会全体も(ひょっとしたら母親自身も)、子供一人一人が開かれた社会の住人なのだということを認識していないことも多い、だから、もう少し母親と子供に対してみんなが想像力を働かせてあげられたら‥
そして、もっとも大事なことは‥

「母親はいつでも救済されるべき立場ですか。一番に救済されるべきは子供です」
という青沼裁判長(利重剛)の言葉なのだ、と改めて感じました。

「判決。懲役10年。母親として被害者を守るべき立場にありながら、被害者を生後8ヶ月という短さでこの世を去らせてしまった責任は重大であると言わざるを得ない。しかしながら、初めての育児で戸惑っている中、周囲の人の言葉、心ない言動にさらに自信をなくしてしまったこと、誰にも助けてもらうことが出来なかったことや、助けを呼ぶことも出来なかったことは、事実としては否定出来ない。
被告人の罪は被告人一人によってなされたものではあるが、その根本的な理由については、本件に関係する夫や義理の母といった家族を含めたすべての人間のさまざまな事情が重なり合い、それらが一手に被告人に対する大きな心理的圧力になってしまったと見るべきである。その意味においては被告人にとっては避けようのない行為だったとも言え、そのすべての責任を被告人一人に背負わせるのは必ずしも妥当ではない。本来であれば、関係するすべての人間がこれを分かち合うべきものであると裁判所は思慮します」
青沼裁判長の言葉を聞いて、初めて嗚咽(おえつ)を漏らす水穂。今まで法廷では一言も言葉を発しない、泣きもしない、すべての感情を殺して来た、それが彼女なりの罪の償い方であり 周囲の人たちへの抗議でもあったのかもしれない、ようやくそこから解き放たれた、という気がしました。

裁判が終わり、裁判所に向かってさよならとつぶやく里沙子。
彼女に駆け寄る文香。そして陽一郎。
この時 陽一郎は里沙子に何と言ったのか、二人はどんなことを話したのか‥
「家族の物語」はこれで終わりじゃない、これからも続いて行くんだなぁ、と、厳しい気持ちとやわらかな気持ちとその両方で二人の姿を観ている自分がいました。


重苦しい始まりから、甘いだけじゃない少し苦味を含んだ余韻の残るラストまで、少しの緩(ゆる)みもない素晴らしいドラマでした。
原作を徹底的に読み込み、そこからさらに物語の本質に踏み込んだと思われる脚本(篠﨑絵里子)にも、それを的確に映像化した演出(森ガキ侑大)にも、すごく惹かれました。
映像の美しさ。雄弁さ。これには本当に参ってしまった。
周囲の人たちのインタビューが実は水穂のことではなく里沙子の事だった、というミスリードがピリッと効いていたし(特に美千花(滝沢沙織)の言葉には 何となく悪気(わるぎ)を感じて、後に陽一郎が相談していた大学時代の友人だと知ってゾクッとした)、水穂と義母(倍賞美津子)のやり取りが水穂寄りと義母寄りの両方描かれる、どちらが実際のことなのか、とか、舅(光石研)が考えた手立ての一つが結果的に里沙子を救うことになったのは偶然だったのかどうか、とか、陽一郎の同窓会のハガキは本当に最初から冷蔵庫に貼ってあったのか、とか、坂の途中にあるアパートでの生活はどんなものだったのか、とか、観ていて読み切れない部分もいろいろあったのですが、それをあえて分かりやすく丁寧に描き込み過ぎない、けっして親切じゃないところも良かったです。
妄想過多気味で、ついあれこれ深読みしたくなる私としては、好き勝手に読み解く楽しさが思う存分味わえた、幸せなドラマでした。


出演者について。
演じる俳優さんも、みなさん、役に対して誠実に丁寧に演じていた印象が強く、どの役も、演じ過ぎず、出過ぎない、その程良い加減が心地良かったです。

柴咲コウさん(山咲里沙子)
柴咲さんが持つ 一種のほの暗さみたいなものが、里沙子にぴったりだと思いました。 魅力的でもある眼差しの強さをすんなりと封印して、どこか自信なさげで、でも突っ張らないと自分の弱さに負けてしまうから頑張っている、そんな里沙子を力まずに演じていて、観ていて何の引っ掛かりもわだかまりもなくスーッと心に入り込んで来る感じがして、里沙子が自分の性格に近かったこともあって、感情移入しまくりました。

水野美紀さん(安藤水穂)
回想で、同じ場面の夫や姑や実母とのやり取りが、姑たち目線と水穂目線の二種類演じられるのですが、それが本当に微妙なところの変化だけなのにすごく伝わるものがあって良かった。どちらが正解かではなくて、受け取る側によって同じ言葉でも正反対に感じられることってあるよなぁ、と。
水野さんは私の中で、スカッとかっこいいイメージがある(いまだに円道寺きなこ(@恋人はスナイパーの印象が抜けきらない)のですが、今回はそういう部分はまったく出て来なくて、裁判や回想の中の水穂のあまり表情を変えない顔と、終盤、海辺で里沙子と愚痴を言い合う、その清(すが)しい笑顔との対比に、水野さんの 水穂を演じる姿勢 みたいなものが透けて見えたような気がしました。

風吹ジュンさん(山咲里子)/倍賞美津子さん(安藤邦枝)/高畑淳子さん(三沢富路子)/長谷川稀世さん(安田則子)
母4人‥ですね。実は、私の年齢からすると、里沙子よりこちらの方がずっと近いw。
だからなのかどうか、「嫁はこうあるべき、母親はこうあるべき、姑はこうあるべき」という昔からのあるべき姿に囚(とら)われてしまい、自分のやり方を曲げられない彼女たちに対して、簡単に、嫌い、とは言い切れなかった。
里子の良かれと思ってつい口出ししてしまう気持ちも、富路子の子供を束縛したい気持ちも、邦枝の嫁に対する憤(いきどお)りも、すごく良くわかる。自分の長年の苦労や辛抱やそれを乗り越えて来た自負心があるから、子供世代との違いをすんなり受け入れられない。そのあたりのリアリティがガンガン響いて来て、年齢が近いからなおのこと、確かにこの人たちの言葉は苦しくてつらい気持ちしか抱くことの出来ない身勝手なものかもしれないけれど、そのすべてを否定することもまた出来ない気がしました。
風吹さんのまとわりつくような重い優しさ、倍賞さんの激しさ、高畑さんのひんやりした空気感、長谷川さんの自信なさげな雰囲気‥それぞれ絶品でした。

光石研さん(山咲和彦)
陽一郎の父(里沙子の舅(しゅうと)ですが、家のことはすべて里子に任せっきりで、な~んにもしない。いるよなぁこういう人。(苦笑)
でも、里沙子がつらい時に「頑張ってるよ」と言ってくれて。この一言で救われた、と思ったら、そこから転げ落ちるように、この人のツテで精神科に連れて行かれたり児童福祉司が訪ねて来たりして、里沙子はどん底に‥
たまに動いたと思ったら、ますます悪い方に行っちゃったじゃないか~と思ったんですが、その児童福祉司が結果的に里沙子を救うことになるんですよね。
‥で、結局どんな人なのかよく分からないw。でも、分からなくて正解なような気もします。設定は70歳前後だと思うのですが、威厳ある感じじゃないし、重みをあまり感じない、少しだけ浮いた感じが、すごく説得力があったように思います。
光石さんが田辺さんのお父さんかぁ‥とちょっと感慨深かったですが、違和感まったくなかったですね。

伊藤歩さん(芳賀六実)
六実を描くことで、この事件を違った角度から見ることが出来、事件の深さがより浮かび上がって来たように思います。仕事をバリバリこなしながら、子供が欲しい想いが募る。そういう彼女にとって、水穂のしたことは絶対に許せない。一方で、部下の心ない言葉に傷ついたり、公園で知り合った少女の母親に罵倒を浴びせられたり、つらい想いもする。伊藤さんは、その、凛とした部分とやわらかな部分のバランスがすごく良かったです。

桜井ユキさん(松下朝子)
時々心配げに里沙子を見る、この人のまなざしが好きでした。
桜井さんの名前だけは知っていたのですが、ちゃんと認識して観たのは今回が初めて。今後いろいろな役がまわって来そうで楽しみ。

西田尚美さん(児童福祉司・新庄)
この人が結果的に里沙子の封印を解いてくれたと言っていいんじゃないでしょうか。児童福祉司というのは子供の問題だけを扱うんだと思っていたのですが、考えてみれば、児童の問題は、ほぼ親の問題でもあるんだよなぁ。
西田さんは本当にいろんな役をやる人で、ひそかに女田辺と呼びたいぐらいなんですがw、今回の新庄は、仕事に全力ゆえに上司に煙たがられてる、だけど、だからこそ当事者の真の痛みに辿り着ける‥まるで少年のような純粋さで一直線に相手の心に向かって行く感じが、すごく役に合っていたように思います。

田辺誠一さん(山咲洋一郎)
『紙の月』でも思った事ですが、こういう役をやると本当に憎たらしい。でも、いかにも憎々しい、っていうんじゃなくて、うまく言葉に出来ないくらいほんの少しだけ嫌な気持ちにさせられるんですよね。それが少しずつ積み重ねられて行く。だからなおのこと観ていてイライラさせられる‥のは、制作側と田辺さんの思うツボにはまってる、ってことなんでしょうね。
本来なら、もうちょっと若い俳優さんに当てられる役だったんじゃないかと思うのですが、田辺さんでドンピシャリ。陽一郎の徐々に圧し掛かってくるような あの息苦しくなるような 自覚ない悪意は、田辺さんだからこそ出せた空気感だった気がします。
普段はノホホ~ンとした感じの人(あくまで私個人のイメージですがw)なのに、役によって本当にイメージが変わる。それは、役に対する読み込みの深さ(『由利麟太郎』の脚本の付箋の多さったら!)だったり、想像力の豊かさによるものなんじゃないか、と、だから、こんなにも幅広く、いろんなジャンルの役のオファーがあるんだろうな、と(いつもながらの甘々~なファン目線ですがw)、ドラマを観終わった後、改めてそんなことを考えました。



連続ドラマW『坂の途中の家』
放送:2019年4月27日 - 6月1日 毎週土曜22:00 - 全6回 WOWOW
原作:角田光代 脚本:篠﨑絵里子 監督:森ガキ侑大
音楽 :山口由馬 エンディング MuseK「silence」
プロデューサー:岡野真紀子 黒沢淳 金澤友也
製作:WOWOW テレパック
出演:柴咲コウ 田辺誠一 
伊藤歩 眞島秀和 桜井ユキ 松澤匠 松本笑花
西田尚美 倍賞美津子 高畑淳子 佐藤めぐみ 滝沢沙織 利重剛 酒井美紀
光石研 風吹ジュン 水野美紀 他
公式サイト

今さら『雪の華』(映画)感想

2019年2月より映画公開。今さらながらの感想です。

これは少女マンガです。‥と 自信を持って言い切ってしまいますがw。
中島美嘉さんのヒット曲『雪の華』をモチーフにしたオリジナル作品ですが、私には、「意図的に 映画で‘少女マンガ’を描こうとしている」 と思われてなりませんでした。

最初、美雪(中条あやみ)の「一生分の悲劇背負ってます」的な台詞が どうしても心に響いて来なくて、さらに100万円払って悠輔(登坂広臣)と恋人契約 なんていう話になって、うわ~無理無理、これは最後まで観るの辛いかも‥と思ったのですが、観続けるにつれ、美雪がどんどん可愛く感じられて、その可愛さに引きずられてラストまで行くうちに、「要するにこれは‘少女マンガ’なんだ」と感じるようになり、この世界観を受け入れることが出来るようになったような気がします。

正直、数々の深いテーマを手掛けて来た岡田惠和さんの脚本なのに‥という物足りなさもあったには違いないのですが、ほのぼのとしてひたすら優しい「これぞ少女マンガ」といった空気を確信犯的に作った中に、ただカワイイだけでない、どこか捻(ひね)ったところが所々に差し挿(はさ)められていて、そこが興味深いと思いました。

主人公が病気になって余命が告げられて‥という映画なら、きっとこんな展開なんだろうな、という こちらの予想を少しずつ覆(くつがえ)して行く‥実写の人間の生々しさを出来るだけ拭(ぬぐ)い取りつつ、マンガの良い意味での嘘っぽさ(自由な‘作りごと‘の魅力)をあえて踏襲する、そうすることで、安易にお涙頂戴にしない、悲劇に浸り過ぎない、だから、どこかさっぱりしていて、一種のさわやかさみたいなものも伝わって来る‥

もちろん、本当に病気になったら、本人も周囲もこんな余裕ある気の持ち方なんて出来ないのがあたりまえだし、映像化するなら そこもちゃんと描かないと、と言う人もいるかもしれない。
けれど、この映画は、そんな「病気がもたらす切なさ・辛さ・苦しさ・痛々しさ」をバッサリ斬り捨てて、「余命を宣告された病弱な少女」(‘少女’でなく‘女性’と書くべきかもしれませんが、あえて)を軽々と飛翔させる。
詳しい病名をあえて出さず、病気であることの切実さを回避しようとする、だから現実味がないし、しょせんキレイ事でしかない、だけど、もしこの映画が「少女マンガ」なんだとしたら、余命を告げられた少女をそんなふうに描くことも許されるのかもしれない、と。
それがいいか悪いかは、観た人それぞれの感じ方でいいと思いますが、私は、闘病映画に間々ある「泣ける!」と連呼される作品の、「悲しいでしょう、切ないでしょう、さぁ泣いて下さい」みたいな、泣かせることが第一義になってしまっているような姿勢に乗り切れない人間なので、病気と闘わず共存しようとする美雪の言動を(マンガテイストなので少々こそばゆく感じながらも)最後には認めていました。

それと、実はとても大切な事だと思うのですが、実際に 美雪本人や母親(高岡早紀)が「少女マンガ」というキーワードをたびたび口にするほど 設定自体はかなり無理矢理ではあっても、出逢って付き合い始めた美雪と悠輔の感情の流れとしては、不思議なほど不自然さを感じさせなかった(少なくとも私には感じられなかった)。
それは第一に、美雪の、見た目に似合わぬ 良い意味での しぶとさ、したたかさ、強さ、に因(よ)るような気がします。
誰かの支えがなければ生きて行けない‥といった弱さや甘えがなく、主体的で、すべてを受け容れた上に楽しんでしまおうとするゆとりがある。
悠輔に「こんなふうに ままごと してればいいわけ? 恋愛ってそういうもんじゃないだろ」と言われ、「契約成立したんだからいいじゃないですか、需要と供給が一致して」と言い返したり、悠輔の家に遊びに行って、妹(箭内夢菜)の険悪な空気に、「初美さん、もしかして嫉妬してます? ひとに嫉妬されるの人生初めてなんです、ありがとうございます!」とか、入院直前にフィンランドに行ったことを心配しつつ怒る母親に対して、「お母さんにはあんまり怒られなかったから ちょっと嬉しいかも」とか、矛先(ほこさき)をかわす一言が絶妙で、こちらも思わず笑顔。
そういう駆け引きが無理なく自然と出て来る。病気だけど頑張ってる‥んじゃなくて、心の持ち方が前向きなんだろう、と。
対する悠輔も、美雪の自由過ぎる行動に振り回されつつも、それを自然と受け容れて彼女の隣にいる、義務感から仕方なく、嫌々ながら、ということじゃなく、彼自身の素直な柔軟性と優しさによって。
観進めるうちに、そういう二人の姿が微笑ましく思えるようになったし、本当に「映画で少女マンガを読んでいる」ような不思議な気持ちにさせられました。

さらに、これも大事なことだと思うのですが、お店とかホテルとか、画面上に繰り広げられる光景がどの場面もとても素敵で、一種の「統一した香り」のようなものが感じられ、そこは実写として伝わるものがマンガより遥かに雄弁だった(きっとこの空間をマンガで描くのは至難の業だろう)ということもあり、こういう映画の作り方・伝え方もあるんだなぁ、と興味深く感じました。


中条あやみさん。
もうほんとに、この人の透明感というのは、とっても素敵です。以前にも書きましたが、現代的というよりはちょっと古風で、そのレトロ感が魅力にもなっている人。
観ていて、『ハチミツとクローバー』(映画)の蒼井優さんが思い浮かんだのですが、この映画のおかげで、(少女マンガが原作ではなかったのに)中条さんも少女マンガの透明でやわらかな空気感を表現出来る女優さんなんだなぁ、と感じられて、嬉しくなりました。

登坂広臣さん。
登坂さんというと、やはり三代目JSBのかっこいいイメージが私の中では強かったので、少女マンガテイストの登場人物ではあっても、華やかさや美しさをあまり活かすことが出来ない普通の青年である悠輔という役が、登坂さんにそぐわないのではないか、とちょっと思ったりしたのですが、美雪の言うこと為すことすべてを受け止め 受け容れる素直さだけでなく、無骨で朴訥としたところもあり、繊細さもあり、美雪の病気に流されないブレない強さもしっかりある、というところが出ていて、適役だったと思います。

高岡早紀さん。
出番は少ないのですが、こういう役で出てくれるというのが嬉しい。なぜ美雪と離れて暮らしているのか、どういう仕事をしているのか、なんの説明もないのだけれど、観ているだけで きっと仕事バリバリこなしてるんだろうな、と思える。美雪との距離感もべたべたしてなくていい感じでした。

田辺誠一さん。
美雪の主治医。すごくフレンドリーで、頼もしくて、その上に 美雪を心配する気持ちが眼差しからきちんと伝わって来る、こういう人が医師(せんせい)だったらいいな、と思わせる好人物。もうほんと、こういう役には抜群の安定感を発揮しますね。いい意味で男性性を感じさせない、清潔感・清涼感がある、田辺さんならでは、の、少女マンガ鉄板の役づくり。楽しかったです。


雪の華』Snow flower
公開:2019年2月1日
監督:橋本光二郎 脚本:岡田惠和 原案:中島美嘉雪の華
音楽:葉加瀬太郎 主題歌:中島美嘉雪の華
製作:渡井敏久 田口生己 製作総指揮:濱名一哉
制作会社:エー・フィルムズ 製作会社:映画「雪の華」製作委員会
配給:ワーナー・ブラザース映画
出演者:登坂広臣 中条あやみ
高岡早紀 浜野謙太 箭内夢菜 田辺誠一
公式サイト

今さら『BLEACH 死神代行篇』感想

2018年7月より映画公開。今さらながらの感想です。原作は未読です。

死神とか‥ホロウとか‥ソウルソサエティとか‥こういった独特の世界観を持つ作品というのは、まず初めに、その世界がどういう成り立ちであるのか、登場人物がどういう背景を背負っているのか、を観る側にある程度理解してもらわなければならないと思うのですが、イラストやアニメ(これがまためちゃくちゃカワイイw)などをうまく使って分かりやすく説明しようとする工夫が感じられて楽しかったです。

ただ、観ている側の私がちゃんとそれを十分理解し納得出来たかというと、ちょっと消化不良だったかなぁ‥
物語が人間界だけでない重層的な世界を表現しようとしていたので 仕方ないところもあるんだろうけど、どうしても 登場人物全体に説明不足の感は否めず、ある人物の説明を他の人物にさせていることが多いので、台詞そのものも説明口調になってしまい、人となりの魅力を十分表現出来るまでに至っていないように感じられたのが残念でした。

それと、全体の流れはそれほど複雑ではないので ある程度は掴めたのですが、物語の肝(きも)になるんじゃないか、と(私が勝手に)思った、ルキアの一護に対する「情」が、具体的にどういったものなのか、が、私にはしっかり伝わって来なかった。
なぜルキアは一護に惹かれるのか‥
霊圧が強いから、というだけでない、そしておそらく 恋愛 とかいう甘酸っぱいものでもない、たぶんそこには、「家族」に対する屈折した憧れ・羨望があるのではないか、という気がします。弟(けっして兄ではないよなぁw)に対するような感情、と言ったらいいか。私としては、観ていてそれがルキアの気持ちとして一番しっくりくる気がしました。
なので、ルキアの孤独感みたいなものが もうちょっとしっかり描かれ、そこに、一護と、彼の家族や友人たちとの日々の暮らしぶりがもっと絡んで来ると、ルキアの心の揺らぎが、よりストレートに 観る側に伝わったんじゃないか、と。

とは言え、あんまり難しいことを考えずに観る分には楽しい映画だったことは間違いないことで。
全体的なビジュアルのセンス、ロケーション、スピード感、が良いので、画面を観ているだけで楽しかった。(珍しく3回もリピしたw)
一護の初登場シーンの高架下、一護やルキアがホロウと戦う住宅街や公園、二人が特訓する橋の下とか、遠景にある高層ビルと手前の大きな木(画面内のバランスが絶妙!)とか「絵になる」場所が多くて、いちいち感激して、で、ロケハン大変だっただろうけど面白そうだな~、なんてことまで考えたりして。

全体的にスタイリッシュな空気感が漂う画面ではあったのだけど、特訓シーンはアナログっぽくて、昔のスポ根マンガを観ているようで、それもまた興味深かったです。そういう空気をあえて作っている、リスペクトした上であえて一護に「汗まみれになること」を求めているようにも感じられて。

その、ちょっと懐かしい香りみたいなものに惹かれてしまった、昭和のど真ん中を生きて来た私みたいな世代wには、最後の戦いの場(空座駅前)の大掛かりなオープンセットは 特にワクワクさせられるものでした。
こういう映画に付き物のVFXとかCGとかもまったく違和感なくて楽しかったのですが、その魅力に安易に頼り過ぎない、ウルトラマンと怪獣がミニチュアセットを豪快にぶっ壊しながら戦っているみたいな、一瞬でなくなってしまう 後戻り出来ない中で身体張ってる感じが、一種のスポーツを観ているみたいな爽快感にも似ていて、演じるほう(撮るほうも)は大変だったと思うけど、観ているほうはすごく楽しかったです。

出演者。
一護の福士蒼汰さん。正直、今迄この人の魅力をイマイチ掴みかねていたのだけど、今回は、心地よく思いっきりよく 役 に飛び込んでいたように感じられて、すんなりと気持ちよく入って行けました。おちゃらけてるところとウエットな部分のバランスがいいのは、本人もだけど、スタッフの一護という役の作り方も良かったのかもしれない。
ルキア杉咲花さん。この人のちょっと陰の入った少年のような雰囲気は、こういう役に合っていると思います。ただ、ルキアそのものがしっかりした背景(そこに至るまでの必然)を十分に与えられていないので、ちょっともったいない感じがしてしまった。
恋次早乙女太一さん。この人の殺陣はさすがに見ごたえありました。刀を持った時の構えがかっこいい。白哉とのバランスも良かった。
白哉(MIYAVIさん)のひんやりした空気感にはちょっとびっくりしてしまった。横顔の美しさ+あの髪型が似合っちゃうって相当すごいことなんじゃないだろうか。
雨竜(吉沢亮さん)の立ち位置がいまいちよく理解出来なかった(クインシー一族が具体的にどういうものなのか、とか、なぜ死神に滅ぼされたのか、とか)のと、チャド(小柳友さん)や織姫(真野恵里菜さん)が、しどころがなくて可哀そうだったのが、ちょっと残念。そこまで丁寧に描く時間がなかったんだろうな、とは思いましたが。(そのあたりは続編で、という思惑もあったのかもしれませんが)

最初観た時、ひょっとしたら一護の母親・真咲(長澤まさみさん)は以前は死神だったんじゃないか、だから一護や妹たちは霊力が強いのではないか、と思ったのですが‥違ったのね。(観た後でウィキ読んで知ったw)
ルキアにあの男は殺せまい。情がうつっている。死神にとって情というものは病に等しい。罹(かか)れば衰え、根を張れば死ぬ」という白哉の台詞を聞いて、勝手に一護の父親・一心(江口洋介)と真咲の「人間と死神の道ならぬ恋」みたいなことを妄想してしまったんだけどw。
見事にはずれましたが、そんなこんなあれこれ妄想を広げるのは楽しかったです。

浦原喜助田辺誠一さん。現世に残った元死神、ということですが、空気感みたいなものはある程度うまく伝わっていた気がします。ただ、この役も、雨竜やチャドと同じように 書き込み不足という感じで、田辺さんの演じ方としても、喜助をしっかり掴まえきれていないように私には思えました。う~ん、田辺さんだったら、もう一味(ひとあじ田辺さんなりの喜助への解釈を入れ込むことも出来たんじゃないか、と。(もうちょっと深い「喜助@田辺」を観たかった、というファンのわがまま、ご容赦)

個人的には、一心・真咲・喜助でスピンオフ作って欲しいですw。


BLEACH 死神代行篇』
公開:2018年7月20日
監督:佐藤信介 脚本:羽原大介 佐藤信介 原作:久保帯人BLEACH
音楽:やまだ豊 主題歌:[ALEXANDROS]「Mosquito Bite」
撮影:河津太郎 編集:今井剛 製作:和田倉和利 製作総指揮:小岩井宏悦
制作会社:シネバザール 製作会社:映画「BLEACH」製作委員会
配給:ワーナー・ブラザース映画
出演:福士蒼汰 杉咲花 吉沢亮 真野恵里菜 小柳友
田辺誠一 早乙女太一 MIYAVI 長澤まさみ 江口洋介
公式サイト

『ガラスの仮面』雑感

ガラスの仮面』(「ドラマ×田辺誠一」+「原作マンガ」)雑感です。思いつくまま書いてみようかと。

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昨年10月から今年4月にかけて、BS朝日にて『ガラスの仮面』『ガラスの仮面2』が放送されました。

このドラマは、私が田辺誠一さんのファンになるきっかけを作ってくれました。
特に『2』の後半、田辺さん演じる速水真澄にすっかり惚れ込み、以後、田辺関連のホームページやブログを作るなどして、20数年、ずっと(時期によって距離感の遠近はありますが)田辺さんを追いかけることとなり、今に至っています。

もともと原作の『ガラスの仮面』が好きで、マンガもずっと読んでいたのですが、ドラマになった当初は、原作への思い入れもあって あまり真剣に観ようとは思わず、『1』は最終回近くなって何話か観る程度でした。
『1』の評判が良かったこともあって 『2』がドラマ化された時は、どんなもんだろう?と興味が湧き、最初から観ました。そこで感じたこと…
田辺さん演じる速水真澄は、原作とはちょっと違っている、でもその「違っている部分」というのが、私にはすごく興味深かった。速水真澄としての空気感(全体の雰囲気や表情、マヤへの想い等々)が原作以上に響いて来ることも多く、あっという間に速水@田辺にドハマリしたわけです。

今回、久しぶりに観た『ガラかめ』は、やはり面白かったですが、田辺さんに関して言えば、正直、どこか物足りなさも感じる。
たとえば、安達祐実さんにしても、野際陽子さんにしても、今 同じ役を演じても あの時とほとんど変わらない気がする、つまり、あの時点でほぼ出来上がっていた気がするのですが、田辺さんは違うと思うのですよね。
あの時はまだ、演技として未熟な部分があったのだなぁ、と、あれ以来、田辺さんが演じるとんでもなく幅広い多彩な役を数多く観続けて来て、改めて思います。
無理な注文とは分かっているのですが、「ああ、今の田辺さんで観たかったなぁ」(年齢完全無視…というか、原作の速水の一種 老成した雰囲気は、今の田辺さんの方が近い気がするw)と思うこともしばしば、で、その気持ちが、物足りなさに繋がっているのかもしれません。
だって本当に凄いと思うから、田辺さんが俳優として20年積み上げて来たものって…
しかも、あの時田辺さんが醸し出した「速水真澄の 少年のように純粋で痛々しいほどの優しい躊躇(ちゅうちょ)」は、20年以上経った今でも俳優・田辺誠一の内に宿っているに違いないし…

原作が非常にスローペースで、なかなか進まないこともあり、ドラマを観てからは、何となく本家のマンガに違和感を覚えるようになってしまい(本末転倒w)、マンガの速水を見て「田辺さんと違う!速水さんじゃない!」と訳の分らんことを思い(爆)、それでも、この大大大長編マンガの最後がどんなものになるのか、という興味は、やはりあって。

先日、オペラ『紅天女』の無料配信を観ました。この芝居を最後まで描いた(脚本を担当)、というのは、美内すずえさんにとって、『ガラかめ』のラストを描く決心がついた、ということなのではないか、と、勝手に思ったわけですが…

実は、私の中でも、もう『ガラかめ』のラストは出来上がっています。もちろん勝手な妄想ですがw、それは、ずっと変わらず私の心の中で発酵し続けています。

ここからは、私個人のまったくの想像・空想・妄想の中でのお話、と強く断りを入れておきますが―――

『ガラかめ』の連載が始まったのは、いわゆる「少女まんが」というジャンルがより広い世界に認められ出した頃。『ベルサイユのばら』や『エースをねらえ!』といった、今も語り継がれるような傑作が生まれ、その後の「二十四年組」に繋がる流れの中。
連載当初、美内さんは『ガラかめ』を2巻ぐらいで終了させようと考えていたらしいですが、その思惑がはずれたのは、もちろんマンガ自体がすごく面白かったので多くのファンの支持を得た、ということが一番大きかったとも思うけれど、私はちょっとひねくれた観方をしていて(そういうの得意というか大好物なのでw)、実は『エースをねらえ!』が陰に影響していた部分もひょっとしたらあったのではないか、という気がするのですよね。
『エース』の岡ひろみと宗方仁の師弟関係は、北島マヤ月影千草に近いし、「紅天女」を姫川亜弓と二人で争うようになってからは、マヤと速水真澄の関係にも似ている部分があるなぁ、と。
どちらのマンガも、主人公だけでなく、主人公の夢を支える側の人間の葛藤にもしっかりと筆を費やしている。宗方がテニスを通して本人に知られないままひろみを愛する姿は、速水が紅天女を通して密かにマヤを愛する姿に被(かぶ)る‥なんて、そんな観方をするのは私だけなのかもしれないけどw。
でも、テニスと演劇、という違いはあるにせよ、宗方と速水の底に流れるひろみやマヤへの愛情の深さは、俗に言う「男女の恋愛」といった言葉だけでは簡単に括(くく)れないもののような気がするのです。
それは、どちらかがどちらかを真似た、ということではなくて、あの時代、たとえば『ベルばら』などにも通じる、非常に大きなものに共に立ち向かう「姿勢」と言えばいいか、互いが相手だけを見つめる、といった男女の恋愛関係(だけ)ではない、互いが支え合って、高みにある最も大切なもの・命を懸けて悔いないもの に向かってひたすら突き進んで行く、そのひたむきさが、あの当時の少女マンガのいくつかに共通する世界観として存在していたのではないかと。
(美内さんが稀代のストーリーテラーと言われる所以(ゆえん)は、さらにその上に、速水というキャラに対して、自分の素直な感情を告白出来ない事情を挟み込んだ、というところなんじゃないか‥というのは閑話)

『ガラかめ』が、当時の美内さんの思惑通りに短期間で終われなかったのは、「命懸けで何かに挑む物語」を、ベルばらやエースのすぐ後に三番煎じのように終わらせたくない、というような、密かなためらいがあったのではないか、という気がするのですが‥まぁ考え過ぎかなw。

いずれにしても、終わりの時期を逸したガラかめは、美内さんのそれこそ未曽有の「あらゆる設定の物語をいくらでも生み出せる稀有な才能(能力)」もあって、次から次へと新しいドラマが紡がれて行き…そして40年、49巻を経て、未だに終わらない。

49巻が世に出てはや8年(2012.10刊)にもなるのに、そこから50巻へ踏み出せないのはなぜか。
もちろん美内さん自身の個人的なさまざまな事情もあったでしょうが、私は、美内さんの中で、自分が決めたこの物語のラストを実際に描くことへの迷いがあったのではないか、という気がしています。
あの時代なら描けたことでも、今の時代に同じように描くことが可能なのか、描いてしまっていいのか、等身大の少女を描くことの多い現在の少女マンガという括(くく)りの中で、良く言えばドラマチック、もっと言えば荒唐無稽でさえある(でもそこが面白いんだけど)このマンガが、あの頃のように、皆に受け入れてもらえるのかどうか…

これだけ長く続けていると、このマンガのラストはどうなるのか…と、ファンの間でもさまざまな憶測が生まれます。
マヤと速水が結ばれる大団円を望むファンも多いですが、はたしてどうでしょうか。
二人が幸せになる、という括りで言えば、私が考えた最後も、あながちそこからはずれたものではない、という気がします。
マヤの一番の幸せとは何か、速水の一番の幸せとは何か…
マヤが紅天女になるために最も必要なものを速水だけが与えられるのだとしたら…
互いが互いを求め、ひとつになる‥オペラで阿古夜と一真がひとつに溶け合って自然そのものと一体になったように、速水がマヤの内に溶け込んで一体となり、紅天女を演じる‥それが二人の幸せであり、二人の紅天女であり、それがこの長い物語のラストなのだとしたら…

そして、マヤの永遠のライバル亜弓については…
これから先、速水のマヤへの大きな愛、それこそが、亜弓がマヤと紅天女を争う上での、もっとも大きな厚い壁となるのではないか、という気がします。
視力を失いつつある彼女がこの試練をどう乗り切るか、も、非常に気になるところですが(どんな形であれ、ハミルの存在が大きくなって行って欲しいです)、亜弓派の私としては、彼女には、さらに大きな役目を背負って欲しい、とも思う。
常にマヤの前を走る、走り続ける…
紅天女に選ばれるか否かにかかわらず、彼女には、そうやってずっとマヤの前を走り続ける、いつまでも「マヤが目指すべき女優」であって欲しい、と願ってやみません。

ここに来て(実はこの記事を書くために40巻から再読したw)桜小路優の存在が、控えめでありながら重要な役目を担うのではないか、と思われるようになって来ました。マヤを実質的にささえて行くのは、彼の今後の役目になって行く気がします。

そして‥ 実は、このマンガで私がもっとも気になっているのは、紫織さまの去就。どういう結果になるにせよ、決して紫織さまが不幸であってはならない、彼女こそ絶対にこれ以上不幸にさせてはならない‥と、そう願っている自分がいます。速水やマヤのためにも。
(ふと、ドラマ『きみはペット』の蓮實@田辺さんを思い出した、なぜだろう)

まとまりませんが…
これが、今現在、私の心の中にある『ガラスの仮面』の姿です。


追記。
ガラスの仮面』『ガラスの仮面2』と来たら、ぜひ『完結編』も再放送して欲しいし、すべて込みでのDVD化というのも、過去に周囲の田辺さんファンと一緒に実際に「完結編のビデオ化お願い運動」をした者としては、それこそ「悲願」ではあるのですが…
原作が終わらない限り、なかなか難しいのかな、と、私は思っています。

そもそも、原作が終わっていないにもかかわらずドラマでピリオドを打ってしまう、というのは、とても難しいこと。原作者の最も大切にしているテリトリーにズカズカ踏み込んで、作者が丁寧に丁寧に練り上げて来た最終回のイメージを、へたすると壊してしまう可能性もあるわけで。
たとえば『JIN~仁~』というドラマは、1クールで無理に終わらせず、原作のマンガが終了してから完結編を作りましたが、それほど慎重に扱わなければならない事なのだと思うのです。
だから、『ガラかめ』も、完結編を作ってくれただけで感謝、原作が終わっていないにもかかわらず その許可を与えてくれた美内さんの懐の深さにも感謝、という気がします。

『完結編』は、まだ原作が描いていない部分に触れている(ドラマ独自の解釈で一応の終止符を打っている)。なので、再放送は難しい、というのが、私の見立て。
原作マンガが無事終了したら、『完結編』の放送も、『ガラスの仮面』すべてのDVD化も、ファンからのリクエストが多ければ、美内さんからOKが出るのではないでしょうか。
だから、望みを捨てないで待っていよう、と思います。

…ん~~、ただ、原作はまだ「紅天女」の試演にも至っていない。
オペラ化でついに「紅天女」のラストを描いたことで、美内先生が本家の『ガラかめ』を描く気になってくれたとしても、50巻どころか、60巻ぐらいまでかかりそうな気がするなぁ (-_-;)

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↓ 49巻未読のまま7年半前に書いた「ガラスの仮面 考」
私の『ガラスの仮面』(原作)に対する観方は、この当時とほとんど変わっていないなぁ、と、改めて思うw
『ガラスの仮面』考 - 路地裏より愛を込めて

ブログのデザインを変更しました。

昨日からブログデザインが目まぐるしく変わって、戸惑った方もいたかもしれません。すみません💦

以前から、このブログのスマホ画面の使い勝手があまり良くないことが気になっていて、もっと検索しやすいようにしたい、PCのサイドバーの「カテゴリー」や「月別アーカイブ」といった検索機能をスマホに持ってこれないか、と考えていたのですが、ブログをレスポンシブデザイン(PC・タブレットスマホなどの異なる画面サイズの幅を調整し最適な表示にする)にすればいい、ということを知り(今さらですよね~(^^;))、はてなのデザインテーマをあれこれ調べていました。で、ようやく、シンプルで見やすくて読みやすくてレスポンシブ仕様でもある、このデザインに決めました。

<注意>
・PCの画面幅によっては、サイドバーが下欄に表示にされることがあります。
スマホの一部機種では、「コメント」欄に書き込みが出来なかったり、「注目記事」「月別アーカイブ」「最近のコメント」が表示されなかったりすることがあります。(←実は私のスマホが これ💦)
ご了承下さい。

今後ともよろしくお願い致します。