『紙の月』(映画)感想

11月21日一部訂正

『紙の月』(映画)感想
角田光代原作×吉田大八監督×宮沢りえ主演。
こんな強力タッグから生まれた映画だから、
面白くないわけがないんでしょうが、
私は、角田さんの小説も 映像化されたものも ほとんど観ていないし、
吉田監督の作品も一本も観ていないし、
宮沢さんの出演作を観たのもすごく久しぶり(確か『阿修羅城の瞳』以来)なので、
観る前まで、どれほど凄いのか正直見当もつかず・・

で、ほとんどフラットな気持ちで観たのですが、
結果、余計なこと何も考えずにこんなに集中して映画を観たのは久しぶり、
終始 息をつめてスクリーンを凝視し、
目をそらすのも、息を大きく吐くのも、体を動かすのも忘れて、
終わった時には、体が固まってしまってました。
観る者を惹きつけて離さない力がある、
すごく魅力的な映画だと思いました。
周囲のお客さんの気配もあまり感じなかったから、
皆さん かなりスクリーンに集中していたんじゃないでしょうか。



さて、映画そのものの感想ですが。
観終わった時、何だか不思議な感覚に陥ってしまいました。
梨花宮沢りえ)はもちろん、他の登場人物の誰にも悪意がなく、
押しつけがましかったり道徳的だったり説教じみたセリフもほとんどない、
だからかもしれないけれど、
ずっと「犯罪」を観続けて来たはずなのに、
自分の中に、重苦しさが残っていなかったのですよね。
「横領」という言葉の響きから受ける「罪悪感」みたいなものが、
この映画からはほとんど感じられず、
砂を噛むような虚しさの奥に、
うまく言葉に出来ない 不思議と軽やかな後味が残って・・

それは、この映画に出てくる多額の紙幣が、
まるで、ただの紙切れのように扱われていたから、なのかもしれない。
この映画に登場する紙幣は、正当なお金の重みを持たない。
私たちが考える10万円や100万円の価値とは隔たりがあって、
まるでゲームチップのようで・・

そのせいか、
梨花が、光太(池松壮亮)という「与える相手」を見つけて、
彼との逢瀬にのめり込み、
一瞬の快楽のために大金を湯水のように使い、
あっという間に後戻り出来なくなって、
次々と顧客の金をかき集める以外に道はなくなって行く、
そんなふうに梨花が一気に転げ堕ち、追い詰められて行くさまは、
観ていてハラハラもドキドキもするんだけど、
貢いでも貢いでも、抱かれても抱かれても 埋まらない穴は、
与えることに懸命になればなるほど、
ぽっかりとさらに大きく彼女の前に広がって行って・・
途中から、その穴に堕ちまいと必死でジタバタする彼女の姿が、
すごく哀れで、でも何だか少し滑稽でもあって、
辛味の効いた悲喜劇を観ているような気分になりました。


一方、梨花と対峙する形で描かれる隅(小林聡美)は、
地道に真面目に仕事を続けて来たのに、
井上次長(近藤芳正)に煙たがられて、
不本意な部署への転勤を迫られている、
それでも、彼女は、居づらくなったからといって辞めたりはしない、
行くべきところに行く、と梨花に告げるのですが・・

この二人の対峙は、相容れない者同士のぶつかりあいでありながら、
どこか、お互いの中に自分の足りないカケラを追っているような、
反発しながらも、どこかで惹かれ合い理解し合っているような、
共感者めいた空気感があって、すごく興味深かったです。


「お金はただの紙。でもだからこそ お金で自由は買えない」
と言う隅を残し、窓ガラスを叩き割って疾走する梨花

フラッシュバックのように 夫(田辺誠一)や光太の姿が映し出された時、
軽々しく与えるだけでなく、本気で求めていたら、
彼女が本当に欲しかったものが手に入っていたのだろうか・・
なんてことを考えさせられました。


そして・・
次の瞬間、どこかアジアの街に立っている梨花
りんごがこぼれ、それを拾ってやると、そこにはどこかで見た顔が・・

このラストシーンには、賛否両論があるかもしれない。
梨花がやって来たことを思えば、
一片の救いも与えられるべきではないのかもしれない。
けれども、彼女がりんご(という代価)を食べた時、
初めて、「与えることは幸いなり」という言葉の真の意味を
味わうことが出来たのではないか、
と、そう思いたい自分がいたのも確かで、
だから、私は こういう終わり方もありなんじゃないか、と思いました。

   **   **

キャストについて。
プレミア試写会の時に、吉田監督が、
登壇した俳優陣(宮沢りえ 池松壮亮 大島優子 田辺誠一 近藤芳正 
石橋蓮司 小林聡美)に対し、
「ここにいる誰一人欠けても 僕の作りたかった『紙の月』ではなくなります」
と言ったそうですが、
まさに、このメンバーだからこそ出せた空気感があって、
非常に納得の行く顔ぶれだったと思いました。
無理して役作りしている人が誰もいない、
と 感じられたのが嬉しかったです。


宮沢りえさんvs小林聡美さん。
どのシーンも非常に緊迫感があって、素晴らしかった。
梨花の、ギリギリ一杯の痛々しさと共存する 小気味よい大胆さ・・
隅の、正義というのとは少し違う、すべてを見透かすような視線・・
彼女が、梨花を「犯罪者」という眼で見ていなかったところが、
この映画の救いになっていたようにも思いました。

私が一番好きな二人のシーンは、
終盤、ランチ代を払えない梨花に、隅がそっと1000円札を差し出すところ。
そこには紛れもなく1000円の正当な価値感があって、
何だか、この映画の中で、
やっと本当のお金に出会えたような気分になりました。
この時の二人の表情がまた何とも言えず深くて、
じんわりと切ない気持ちにさせられました。

宮沢さんの梨花は、気持ちがピンと張りつめてるのに、
いつもどこか漂っている感じで、
思い切ったことをやってのけるたくましさの中に、
本当の心をどこかに置き忘れてしまったような空虚感があって、
何をやっても埋まらない感じが、切なかったです。

小林さんの隅は、最初から最後まで佇(たたず)まいが揺るぎなくて、
「正しいスケール(ものさし)」がそこにあることで、
浮遊しっぱなしになりそうな梨花と この映画を、
しっかりとあるべきところに引き戻してくれていたような気がします。


池松壮亮くんは、光太という青年の中に、
素直さと どうしようもなさを自然に混在させているところが
すごいと思いました。
この俳優さんが子どもの頃から観ているので、
宮沢さんとの濃厚な絡みには、
大人になったなぁ、と、つい保護者目線になってしまった。w
で、彼が一番1990年代の空気感をまとっていたように思います。

余談ですが、映画が始まる前の予告の何本かに彼の姿があって、
旬の俳優の勢いが彼にはあるんだなぁと びっくりしました。


大島優子さん。
梨花の心にさざ波を立てる窓口係の相川。
梨花の耳元でそそのかし、彼女を不安定にさせる・・
この役を観ていて、ふと『デスノート』のリュークを思い出しました。
大島さんというと、私は『三代目明智小五郎』が印象深くて、
あの時の一瞬の表情に惹かれたのですが、
今回の、ただの窓口係女子らしからぬ気配、みたいなものも、
興味深かったです。
なかなか骨太な女優さんだと思いました。


近藤芳正さん。
わかば銀行の井上次長。
ありがちな設定なのですが、そこにぴったりと嵌(はま)っていて、
嫌な役柄ではあるんだけど、私はすごく好きでした。
この人と小林さんのやりとりには何とも言えない味があって、
不謹慎な言い方かもしれませんが、観ていて楽しかったです。


石橋蓮司さん。
光太の祖父・平林孝三。
もうちょっとこの人の言うことを信じていたら、
梨花がお金を使い込むことはなかったかもしれない。
ただの好色じいさんだと思っていた孝三の 梨花への態度が、
最後に父親のようにも感じられたのは、
石橋さんの持ち味によるところが大きかった気がします。
平林老人の存在が、
物語をキュッと締めてくれていたように感じました。


田辺誠一さん。
梨花の夫・梅澤正文。
「知らずに傷つける旦那ということだったんですが、
この旦那だからこうなったんだと、やりすぎないように、
と監督から言われました」
という田辺さんの試写会でのコメント、
その解釈で田辺さんが梅澤正文という役を作ると こうなるのか、
という、新鮮な驚きがありました。
映画を観た人の中には、「ひどい夫だ」という意見もあれば、
「このくらいどうってことないじゃない」という意見もあるようで。
私としては、どちらも間違ってはいない、
映画の中の梅澤正文は そういうふうに作られていたのだから、
と思っていますが。

妻を理解しようとしない鈍感さと想像力の欠如の上に、
ちょっと うっとうしいぐらいの明るさと、どこか子供っぽい軽さ、
それらを重ね、綯(な)い交ぜにして出来上がった正文は、
その存在だけでは 妻の暴走の原因のすべてとは言い難いけれど、
十分にひとつの切っ掛けには なり得ていた。
そしてまた、その独特な役の色合いと、
梨花に対する絶妙なポジショニングは、
結果的に、映画全体の空気の執着性や粘着性を より薄める力があった、
と、そんなふうに 私には感じられました。



『紙の月』
公開:2014年11月15日(土)-
脚本:早船歌江子 演出:吉田大八 プロデュース:池田史嗣 石田聡子 明石真弓
音楽プロデューサー:緑川徹 音楽:little moa  制作:松竹
キャスト:宮沢りえ 池松壮亮 / 大島優子 田辺誠一 近藤芳正 石橋蓮司 / 小林聡美
中原ひとみ 佐々木勝彦 天光眞弓 平祐奈 他
『紙の月』公式サイト