おらが春(talk)

2002・1・3放送(NHK)
★このトークは、あくまで、翔と夢の主観・私見によるものです。
 

  夢:いよいよ 2002年 。「運命の幕が開く」って感じだよね。(笑)
  翔:まさに、ね。 このトークをしているのは、1年後(2003年)の2月なので、この2002年という年が、田辺さんにとってどういう年だったか、ということが、私たちには分かっているわけで・・・・
  夢:だからこそ余計に、『おらが春』の草杖がトップバッターとして登場する意味、ってのが、大きかった気がするんだけど。
  翔:そうだね。
  夢:草杖って、1年前なんだね。 なんだか、もっとずっと前だったような気がするけど。
  翔:草杖以後の仕事の数が半端じゃなかったから。 
  夢:普通の俳優さんの3倍ぐらいの仕事こなしてた、って感じ。(笑) それだけオファーが来た、というのもすごいよね。
  翔:このあいだ新聞を読んでいたら、若手の注目株の男優さんのインタビューが出ていて、読むとはなしに読んでいたら、「昨年5本のドラマに出たすごい奴」みたいな書かれ方をしていて、じゃあ 8本のドラマに出ていた田辺さんは、何なんだ、と思ったけど。(笑)
  夢:(笑)それだけ出てたわりには、あんまり注目されてなかったような・・・・
  翔:・・・・そうね。
  夢:なんでだろう?
  翔:うーん・・・あまりにも役柄の幅が広過ぎて、「田辺誠一」という俳優自体の認識に至らない、というのは、あるかもしれない。
  たとえばキムタクだったら、いつどんな役をやっても「木村拓哉」という名前が先に来るんだけど、田辺さんの場合、役としての印象が強いから、○○をやった人、という役名の認識が先で、なかなか俳優名が出てこない、ということがあると思う。
  夢:うんうん。
  翔:で、またそういう状況を、田辺さん自身も楽しんでいる・・・・次はどんな役が来るだろうと、本人が一番わくわくしているし、観ている人をなんとかして驚かせたいし、だから、あんまり認識されてしまうとつまらない、みたいな、そういうふうに考えてるんじゃないか、という気もするんだけど。(笑)
  夢:功名心ゼロ?(笑)
  翔:・・・・いや、認められたい、という気持ちは絶対的にある、とは思う。 でも、名前が重くなることで、やりたくてもやれない役が出て来たりするかもしれない。 そうなるのは、ひょっとしたら、嫌かもしれないな、と。
  夢:名前が重くなる・・・?
  翔:「ハクがつく」と言ったらいいかな。 有名になって、名前が重くなる、というのは、俳優さんにとって、大切なことかも知れないんだけど、田辺さん本人は、あまりそういうことにはこだわっていないような気がする・・・・いや、これは、もしかしたら、「そうであって欲しい」という、私の願望、なのかもしれないけど。(笑)
★    ★    ★
  夢:で、改めて『おらが春』。
  翔:うーん・・・・何も言うことがない。
  夢:ちゃんちゃん♪<終>  ・・・って、こらこら。(笑)
  翔:(笑) いや、でも、本当に「言うことない」のよ。 役の選び方といい、表現の仕方といい、きっと田辺さんは、ずっとこういう役がやりたかったんだろうな、と、そういうふうに、観ているこちらが納得させられてしまうような「草杖」だった、と思うし。
  夢:うん。
  翔:キャスティングも、ものすごく豪華で、芸達者揃いだったし、とにかく、ものすごく贅沢に作られた作品のその中に田辺さんがいる、その嬉しさ、って、格別なものがあったな、と。
  しかも、草杖という役が、決して伊達男、というだけでない、いろんな屈折を抱えている、たくさんの色を持っている男で、そういう役を、すごいメンバーに伍して、しっかり「演技」で観せてもらえたことが、すごく嬉しかった。
  夢:草杖はねぇ、あたしもすごく好きだった。 町人髷(まげ)に着物姿が あんなに似合ってるとは思わなかったし。何だか久々に萌えた。(笑)
  翔:田辺さんの時代劇って、私は今まで、文句なく合格点と思えた作品がなかったんだけど、この草杖は、合格点どころか、一気に田辺作品ベスト5に入ってしまいそうな勢いだな。
  夢:もう、ふたりして大絶賛。(笑)
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  夢:これだけで終わるのも寂しい、ということで、もうちょっと詳しく。 脚本、市川森一さんだったけど、どう?
  翔:市川さんも、一度田辺さんと組んでもらいたい脚本家だったんだけど、まぁ、よくぞ、草杖をあんなふうに描いて下さった!と。
  夢:翔は、BBSで、物足りない、みたいなことも言ってたけど?
  翔:市川さんとしては、小林一茶の対極として草杖を描いたんだと思うけど、だとしたら、確かに食い足りない部分もあったから。
  もっと「俳句」に対して鋭角にぶつかって行く感じがあったら、終盤、草杖の慟哭(どうこく)の中身がずっと明確になったと思うし、一茶と草杖とが、俳句にのめり込むことで諸共(もろとも)に道を外していく、という、凄(すさ)まじさ、みたいなものも、もっとあったら良かったんじゃないかと思うんだけど。
  夢:うんうん。
  翔:私、『月下の棋士』のイメージが残っていて、「将棋」が、あんなふうに「闘うもの」として表現されていたので、「俳句」も、そういう部分があるんじゃないか、と思ったのだけど、でも、ひょっとしたらちょっと違うのかもしれない・・・
  夢:違う?
  翔:今回観直して、改めて心に残ったのは、あの美しい風景、四季の移り変わり、自然の中に生きる人々・・の姿なんだよね。 あの穏やかな時間の流れ、風景の移行の中に、「俳句の素(もと)」があるんじゃないか、と。特に一茶の場合は。 だとしたら、(少なくとも一茶の)俳句は、人と人とがぶつかり合う道具にはならないんじゃないか、と。
  夢:うーん・・・でも、だとしたら、最後の草杖の慟哭って、何だったのか、って気もするけど。
  翔:草杖の場合は、俳句を「そういうもの」として捉えることが出来なかった、自分を飾るもの、装飾品、それこそ「道具」としてしか、俳句を捉えることが出来なかった・・・
  一茶(の俳句)によって、そのことを思い知らされて、それでもなお、変わらない、変われない自分を引きずって・・・・ 自分を受け入れなかった世の中に、無性に腹を立てながら、でも、それが何故だったのか、ということも、気づいていて・・・・
  夢:んー・・・・・
  翔:根底にある「俳句が好きだ」という気持ちは、ふたりにそれほどの違いはなかったような気がする。 だけど、そこに注ぎ込むものが、まるっきり違っていた。 そのことにようやく気づいた時、草杖は、すでに年老いていて・・・・
  夢:・・・あの、老草杖・・・・すごかったよね、ほんとに。
  翔:・・・・・草杖の、あの眼の輝き・・・・ すす汚れて、老いさらばえて、なお、虚空に向かって手を伸ばそうとする、間違いだと知りながら、歩を進めようとする、この男もまた、「俳句に取りつかれた男」なのだ、と、そういう「あきらめない、あきらめきれない自我」を抱えて、おそらく一生さまよい続けるんだろう、と、そんなことを感じさせる輝き・・・だったな、と。
  夢:・・・・・・・・
  翔:一茶に対する意地やプライドも、確かにあったかもしれない。 けれど、俳句と共に墜ちていく「道行き」は、あれほど老いさらばえてボロボロになってなお、とどめることが出来ないほど、魅惑的なものだったのかもしれない、と。
  夢:・・・・・・・・
  翔:流されるまま、澱(よど)みなく、ただひたすら「地獄の果て」へ・・・・・あの先、草杖が向かうのは、きっとそんなところなんだろう、と、なんとなく、そんなことを考えさせられました。
  夢:・・・・う・・ん・・・・・
★    ★    ★
  夢:翔、この作品、以前と観方がちょっと変わった?
  翔:ビデオを観直して、自然の美しさを、ああいうふうに画面に焼きつけられたのを観た時に、これは「小林一茶の物語」なんだ、と思って、で、そういう意味では、草杖をあれだけ描いてもらっただけでも、良し、としなけりゃいけないかな、という気もしたので。
  夢:最初観た頃より、その辺の翔の突っ込みが甘くなった気はするけど。(笑)
  翔:うーん・・・(笑)  まぁ、その辺の不満は、田辺さん自身が、だいぶ解消してくれたような気がするので。
  夢:田辺さんが?
  翔:脚本が突っ込み切れなかったもの、草杖の「描かれなかった部分」って、田辺さんが演じてみせてくれたものの中に、ずいぶん補足されているような気がしたから。
  夢:?
  翔:粋(いき)に見えて、実は卑屈な部分を持っていたり、世渡り上手のようでいて、先が読めなかったり、俳人としても人間としても中途半端な自分を、持て余して持て余して、やがて身を崩していく、という、そういう草杖の「どうしようもなさ」って、確かに脚本としては、十分に描かれたとは言いがたい。
  夢:うん。
  翔:だけど、草杖を演じる田辺さんには、おそらく市川さんが伝えたかった、草杖の心情、というか、身に付いているもの が、ほとんど揺らぎなく備わっていた、だから、どんなに出の少ないシーンでも、草杖の心の動きが きちんと観る側に伝わって、「ああ、もう、ほんとにどうしようもないヤツだな」って、納得させられたんだ、と。
  夢:ああ、うん、それはとっても分かる気がする。
  翔:もともと、田辺さんは、そういうことが得意だったと思うんだけど、でも、今までは、それを表現する段階で、ストレートに出て来なかった、頭の中で「役作り」して、形にして出すまでに、ものすごくいろんなものを着込んでしまっていた・・・という気がするんだけど・・・
  夢:翔は、以前それを、「鎧(よろい)を着てる」 と表現したことがあって、それが、あたしにはすごく印象的だったんだけど。
  翔:自己防衛本能みたいなものが、おそらく本人の気づかないところで作動していた、みたいな感じ、と言ったらいいかな。 例によって、私の個人的な感覚だけど。(笑)
  夢:「あくまで私見・主観です」ってやつね。(笑) で、今まで鎧を着込んでた(ように翔には見えた)田辺さんが、草杖では、その鎧を脱いでいた、と。
  翔:・・・・「脱いだ」と断言するまでには、実はあと2~3作待たなきゃならないんだけど。
  夢:おいおい。(笑)
  翔:・・ごめん。でも、私としては、ガッチガチだった鎧が、勝裕(@ハッシュ!)や、天羽(@2001年のおとこ運)や、船木(@恋人はスナイパー)や、この草丈といった役を演じ重ねて行くごとに、少しずつ衣をはがすように薄くなって来ている、という感覚なので。
  夢:・・・ん~・・なるほどねぇ・・・
翔:・・・・・・・・
夢:・・・・なんとなく・・・・
  翔:ん?
  夢:なんとなく、これからは、翔とのトークの内容も変わって行くのかな、という気が、今ふと したんだけど。(笑)
  翔:・・・どうだろうね。(笑) 
  ただ、この作品の中で、西田敏行さんやかたせ梨乃さんらに躊躇(ちゅうちょ)なくぶつかって行く、その姿を観た時に、大袈裟な言い方かもしれないけれど、田辺さんの 「俳優としての覚悟」 を感じたような気がした。 背水の陣、というか、これしかない、というか。
夢:うんうん。
翔:田辺さんが、こんなふうに、自分を、演技を通して見せよう・伝えようとするなら、こちらも、その演技から受け取った「田辺誠一」を、より透明に、曇りなく、形にしたい、と思うけれど。 どこまで「田辺誠一のリアル」に斬り込んで行けるか、は、分からないけれど、ね。

以下は、BBSに載せた『おらが春』の感想です。      
『おらが春』  投稿日: 2002年.1月 8日(火)showm
さて、草杖の話をしましょう。
私の感想を一言で言うなら、「田辺~、このやろうぉっ」でしょうか。(笑)
(前にもこんなことどこかで叫んだ気が・・・)
大暴言吐いてホントにすみません、でもこれ、私の最高の賛辞なんです。
こんなふうに裏切られたくて、田辺さんのファンを続けてる、というところがあるので。

具体的なお話。
前半の草杖は、正直、市川さん(脚本家)にきっちりと書き切ってもらってるとは言えない
という気がしました。
一茶(西田敏行)にとって、草杖はどういう存在なのか、というのが、はっきりしないので、
(おそらくライバルという位置付けだったとは思うのですが)
いまひとつ、掴み所がない感じは否めませんでした。
印象としては、
もっとずるかったり、汚かったり、どうしようもないヤツでよかったとも思いますし、
肝心の俳句の腕はどうなのよ、とも思いました。

役の上での食い足りない部分、それはそれとして、それでも、
田辺さんの草杖を「良い」と思ったのは、
その、書き切れていない部分を補う何かが、
田辺さんが作り上げた草杖の中に、ちゃんと詰まっていた、という感じがしたから
かもしれません。

以前、田辺さんが「頭の中」で役を作ろうとしていた、というのと、
まったく次元の違う「役作り」。

ハッシュ!』で、「自分」を役の上に開放することを知った、というのは、
田辺さんが俳優を続けて行く上で、
最も高いハードルを越えた、と言っていいほどの出来事だったと思うのですが、
今回は、そのハードルを越した上で、さらに、「役を作る」という、
言わば俳優としての醍醐味を味わったのではないか、という気がしました。

特に、ラスト近く、50を過ぎた草杖は・・・・
私には、すごく感慨深いものがあって、胸が熱くなりました。

『グリークス』で感じた、
平幹二郎という大俳優にぶつかって、ぶつかって、それでも埋められなかったもの。
今、相手は違え、西田敏行という、別な意味で日本の演劇界を背負って立つ大俳優に、
伍して闘いを挑んだその姿勢に、
「俳優(という職業)を好きになった田辺誠一」の「覚悟」が見えた、
と言ったら、ほめ過ぎでしょうか。

田辺誠一・・・彼は、本当に、これからが楽しみな俳優なのだ、と、
そんなことを、あらためて感じた2時間でした。