プリティガール(talk)

2002・1-3月放送 (TBS系)
★このトークは、あくまで、翔と夢の主観・私見によるものです。
 

  夢:さぁて・・と、どこから話しましょうか。
  翔:夢は、突っ込みたくて、手ぐすね引いて待っていたんだよね。(苦笑)
  夢:だって、もう、言いたいこと てんこ盛り なんだもの。
  翔:私も、さすがに この作品には、きつい突っ込み入れざるを得ないな、と。
  夢:ぜんぜん面白いと思えなかったし、最後まで観るのが、本当に辛(つら)かったし。
  翔:・・・・・そうね。
  夢:翔は、また、ビデオを借りて観直したそうだけど、どうだった?
  翔:1クールのドラマを観直すのは、とてつもないエネルギーがいるので、田辺さんの出ているところを選んで観よう、と思うんだけど、普通のドラマだと、ついつい続けて観てしまうことが多い。つい、ストーリーに引き込まれてしまう、というか。
  夢:うん。
  翔:でも、このドラマは、ただ田辺さんだけ観ていればいい、と。 他は、ほとんど興味が持てなかったから、9話ぶんのドラマ、半分以下の時間で観終わってしまいました。
  夢:うわ・・・・ 翔、それ、あたしのツッコミより、キツイかも。(笑)
  翔:(苦笑) 
★    ★    ★
  夢:あたしとしては、どのキャラにも魅力が感じられなかった、ってのが、最大の欠点に思えるんだけど、その辺については、どう?
  翔:とにかく、花(稲森いずみ)と歩美(米倉涼子)と高嶺(田辺誠一)というトライアングルを、きちんとしたポジションに立たせることが出来ないまま、中盤まで流れて行ってしまった・・・・ 花はいったい何者なのか、人間なのか天使なのか妖精なのか、という根本の部分さえ、きちんと描いてもらっていなかった・・・・
  夢:うん。
  翔:これ、たとえば 「天使が王子様に恋をする」 というドラマにしたら、ちょっと面白いものが出来たんじゃないか、と思う。
  夢:?
  翔:王子様の氷の心を解かすために遣わされた天使(のような心を持った女性)が、いつのまにか王子様に恋してしまう。 だけど彼女は「みんなの幸せが自分の幸せ」と考える天使なので、自分の気持ちを隠して、歩美を王子様の許(もと)に導く。 花によって氷の心を解かされた王子・高嶺は、花のうしろに立っていた歩美に気づき、好きになる。
  夢:・・・・うん・・・・・
  翔:高嶺は、花か歩美か、どちらかを選ぶ(迷う)、というんじゃなくて、「花への反発、やがて友愛(と言うか何と言うか)、そして花に導かれた歩美を好きになる」、という気持ちの流れの方が、しっくり来るような気がする。  
  夢:・・・・・・・・
  翔:巨大デパートの中を、まるで人生ゲームかすごろくするみたいに、花に導かれ、少しずつ「上がり(高嶺)」に近づいていく歩美。 皆が「本命」と思っていた花は、上がり直前でふりだしに戻り、後ろを追いかけていた歩美が、結局、高嶺を掴まえる、という・・・・
  夢:ふりだし、ねぇ・・・・
  翔:「花は天使である」という前提があれば、デパート再生も、もっとファンタスティックな手段を講ずることも出来たと思うし。
  夢:つまり、翔としては、あまり生々しい話にはして欲しくなかった、ってこと?
  翔:だって、「あるところに、王子様に憧れる娘がおりました」なんていう話、今時、ナマな人間のドラマとして見せられて、面白いと思う人がいるかどうか・・・
  夢:うんうん。
  翔:あとはもう、ファンタジーにするしかなかったんじゃないか、と思う。 よく、外国の映画なんかにあるよね、そういうジャンルで、大人向けの すごく しゃれたのが。
  夢:ああ、うん。
  翔:・・・・ただ、そういう話にしてしまうと、歩美のあの子供っぽいキャラが、なんだか合わない。
  夢:うーん、あたしも、歩美は米倉涼子さんじゃないだろ、と、ずっと思ってた。
  翔:いや・・・私は、歩美を米倉さんに、というのは、決してピント外れのキャスティングじゃなかったと思う。
  夢:・・・・・え?
  翔:「大人の童話」を目指すなら、歩美は米倉さんでいい。 ただ、それなら、歩美を、あんな子供じみた性格じゃなく、もっと大人の女性にしても良かったんじゃないか。
  夢:・・・・・・・・
  翔:子供の頃から密かに憧れていた高嶺に、なんとかして近づきたくて、頑張って自分を磨いて、「いい女」になって、なのに、彼の前に出ること、階段を一歩踏み出すことに臆病になっている。 いつもいつも、デパートの片隅から、遠い最上階の高嶺に想いを馳せ、ため息をつくばかり。
  夢:・・・・うん。
  翔:そんな歩美の前に、花が現れる。 花は、歩美の良さ、魅力を気づかせてくれ、さらに、仕事一直線・朴念仁の高嶺の心をなごませ、彼が歩美の存在に気づく手助けをし、やがて、静かに去って行く、という・・・・
  夢:じゃ、高嶺さんは、最初から、花じゃなく歩美のことが好きなの?
  翔:うーん、途中で、あまりにも自分を理解してくれる花に、心を動かすこともあるかもしれない。 それで、逆に、花のほうが高嶺を意識するようになる、とか。
  夢:うんうん。
  翔:でも、高嶺にとって、花は、究極、母親のイメージじゃないか、と思う。 「好き」という感情じゃない、なごみ、癒(いや)される相手なんじゃないかと。 ただ、花の方は、「好き」という感情も芽生えていて、だから、胸が苦しくなったりするんじゃないかな。
  夢:ふ~ん・・・・なるほど。 
  翔:私がこのドラマを好きになれない理由、って、まぁ、いろいろあるんだけど・・・
  夢:いろいろ!(笑)
  翔:(笑) 何がダメって、努力しないで幸せになろう、誰かにおんぶ抱っこされて幸せを掴もう、なんていう甘い考えを持っている歩美に感情移入出来なかった、というのが大きかった。
  夢:うん。
  翔:デパート再生ドラマとして観ても、あまりにもリアリティがなくて、そもそも銀座のデパートというところから、もう萎(な)えていて、再生のために、花が繰出すカードというのが、あまりにもチャチで、また萎えて。
  夢:そうそう! アンドリューズシティを作る作らない、って話のはずが、いつのまにか、負債500億、だしねぇ。(笑)
  翔:(苦笑)ドラマとしての、きちんとしたベースが出来上がっていない、ステージ(舞台)にしても、キャラにしても、行き当たりばったり、のような感じが否めなかった。
  夢:うんうん。
  翔:今まで、くだらないドラマも、バカバカしいドラマも、たくさん観て来たけれど、こんなに‘軸’が ぶれてしまって‘核’のないのは珍しい。
  夢:うーん、厳しい、翔のほうがよっぽど厳しい。 あたしはへたに口挟めないわ、こりゃ。(笑)
★    ★    ★
  夢:さて、こういうフニャフニャなドラマに出た田辺さんですが。
  翔:フニャフニャ、って・・・・・(苦笑)
  夢:せっかく「草杖」(@おらが春)であれだけのものを見せてもらったのに、その直後に、こういう どうしようもない役 やるんかい、と、物哀しい気分になったんだけど、翔は、そんなふうには思わなかったわけ?
  翔:いや。 脚本や演出の出来不出来は(さんざんさっき言ったから)別にして、この時期、あえて「王子様な役」に取り組んだ田辺さんには、最大級の賛辞を送りたい。
  夢:?
  翔:いくら速水真澄という当たり役があるとは言え、いいかげん、こういうキャラから卒業してもいい、とも思うんだけど、あえてそこにとどまっている田辺さんの節操のなさ、って、ものすごくチャーミングに思える。
  夢:節操のなさ!(笑)
  翔:・・・いや、田辺さんって、自分はこういうものをやりたい、という願望とか、反対に、絶対こういうのはやりたくない、という拒否反応とか、まったく持っていない人なのかな、って。
  夢:翔、前にもそんなこと言ってたよね。
  翔:自分に一切の枷(かせ)をかけない、というのは、凄いことだと思う。 たとえば誰かが、田辺さんに歌を歌わせたい、と思ったり、踊らせたい、と思ったりしたら、それがどんなに苦手でも、きっと、やっちゃうんじゃないか・・・・
  夢:え~~!?(笑)
  翔:いや、それは たとえ話だけれど。(笑) でも、自分の中の要素として、そういうものを見出してくれる人がいたら、その人の眼を信じたい、苦手分野でも、とりあえずぶつかってみよう、と思っていることは、確かなんじゃないか、と。
  夢:うーん・・・うん。
  翔:言ってみれば「まな板の上の鯉」よね。 好きにしてくれ、と。
  夢:うんうん。
  翔:今回、それだけの覚悟(というか、何も考えず、と言った方がいいか。笑)を決めて飛び込んで来た田辺さんを受け止める制作側に、田辺さんほどの度胸が感じられなかった、というのが、ものすごく残念に思えて。
  夢:・・・・と言うと?
  翔:1クールのドラマを作る、って、ものすごいことだと思う。 お金の面でも、労力の面でも、すごく大きなものを背負って出発するわけでしょう?
  夢:うん。
  翔:ドラマを制作する側(特に制作トップ)にしたら、それは、局のドラマ枠を埋めるための「たくさんの仕事のひとつ」で、すぐに「過去の作品」になるものでしかないのかもしれないけど、だけど、それを演じる俳優さん達は、ひとつの役を失敗したら後はない、ぐらいの覚悟で演じているんじゃないかと思う。 なにせ、俳優である自分を支えているのは 自分自身しかいない、誰にも頼ることが出来ない、ものすごく危ういところで仕事をしているわけだから。
  夢:・・・ひとつの失敗が、命取りになりかねない?
  翔:そう。 今回、田辺さんもそうだけど、宇津井健さん、片平なぎささん、渡辺いっけいさん、等々を観ていて、演じる側が、なんとかして作り手の意図を読もう、きっちりと役に入り込もう、としているのが、ひしひしと感じられた。 にもかかわらず、制作側に、その気持ちをきちんと汲んで、ぎりぎり自分達を追い詰めて、絶対いい作品を作ろう!という、密度の濃い盛り上がり、というか、高揚、が感じられなかったんだよね、少なくとも私には。
  夢:・・・・・・・・
  翔:ひとつのドラマを作る時に、まず最初に、自分達は「こういうドラマ」が作りたいんだ!という、制作者側の強い意志がないと、作品自体に、すごく揺らぎが出て来てしまう。 それって、演じる俳優さんたちに対しても、もちろん、観ている私たちに対しても、ものすごく失礼なことなんじゃないのかな、と思うんだけど。
  夢:確かに、そうだよね。 TVドラマって、気軽に観ることが出来るお手軽感ってあるけど、でもそこに、いろんな楽しみを抱いて待ってるあたし達、ドキドキワクワクしながら待ってるあたし達がいるわけだから、作る方が、気軽・手軽に作られちゃかなわないよね。
  翔:そういう、演じる側の意欲、観る側の希望、みたいなものを、制作トップ、あるいはTV局のトップの人達は どれほど真剣にキャッチしようとしてるのか。 私には、最近、視聴率を取るための方程式作りに奔走して、肝心の「ドラマの中身を濃いものにしよう」という意欲が、どうも薄れて来ているように感じられて仕方ない。
  夢:うん。
  翔:もう、「作れば誰かが観てくれる」という、TVの‘甘い時代’は終わったんだと思う。 その認識を、一番上に立つ人がきちんと持たないと、これからますますTVドラマは廃(すた)れて行く、そんな気がするんだけどね。
★    ★    ★
  夢:ものすごーく深いところまで、話が飛んで行っちゃった気がするけど。(笑)
  翔:でも、この「TVドラマ衰退」というテーマは、一度話してみたかったので。
  夢:『プリティガール』が、いいチャンスだった?
  翔:(苦笑)
  夢:気を取り直して。(笑) 実は、翔と以前話してて、『ガラスの仮面』と『プリティガール』の違い、というか、速水も高嶺も、どちらも「王子様キャラ」なのに、どうしてこんなに違うのか、という話になって、すごく面白かったので、ここで、もう一度、改めてやりたいんだけど。
  翔:やってもいいけど、一言で終わるよ、きっと。
  夢:えっ!?
  翔:「切なさ」があるか、ないか。
  夢:うっ!・・そ・・それだけじゃ、あまりにも・・・(笑)
  翔:(笑) 最初から順序立ててちゃんと、ね。
。。。まず、『ガラスの仮面』というのは、美内すずえさん(原作者)という、強力なストーリーテラーが作り上げた、ものすごく練り込まれた緻密なドラマである、という大前提があるんだけど。
  夢:うんうん。
  翔:彼女は、とにかく、盛り上げどころを知っている。 観ている側(読者)が、登場人物がどういう状況に置かれた時に、一番心をときめかせたり、泣かされたり、はらはらさせられたりするのか、ということを、熟知している。
  それを、くさい、と言う人もいるけれど、気持ちよく酔わされる、引き込まれる、その辺のうまさは、一流だと、私は思う。
  夢:・・・・・・・・
  翔:で、北島マヤに対する速水真澄、という設定は、たぶん「足ながおじさん」とか「源氏物語」あたりが基本形なんだろうけれど、そこにはいろんな仕掛けがあって、マヤは、貧しいちっちゃな女の子であり、千の仮面を持つ天才女優であり、紫のバラの人を慕う少女であり、紅天女の後継者であるわけで、一方、速水は、紅天女を狙う大都芸能の副社長であり、マヤのファンであり、複雑な生い立ちを持つ青年であり、紫のバラの人であり、婚約者がいる、という・・・・
  夢:う・・ん・・・・これだけいろいろな面を持ってると、いろんな状況が生まれるよね。
  翔:そう。とにかく、ふたりとも、すごくいろんな感情が出せるように仕組まれている。
  夢:うん。
  翔:で、中でも、速水のマヤに対する「好きだ」という気持ち、これは、最初、「ファン」という形でスタートするんだけど、どんどん速水の中で膨(ふく)らんで行ってしまう。
  夢:その辺のスピードって、TVは、すごく速かった気がするけど。
  翔:そうだね。   
  夢:ところが、マヤは速水を目の敵にしてる、だから、打ち明けたいけど、打ち明けられない、と。
  翔:そう。 だけど、美内さんのうまいところは、速水に、紫のバラの人、という一面を持たせて、そちらは、逆に、マヤの最上級の信頼と愛情を得ている、という状況を作ったこと。
  夢:それ、あたしもすごい、と思ったよ、ひとりの人間のなかで、好かれてる部分と嫌われてる部分を持ち合わせてる、しかも、相手はそのことを知らない、って、なんちゅう話だ!と思ったもの。(笑)
  翔:それを知っているのは、速水本人と私たちだけ、という、秘密を共有した、というか、共犯者というか、読者を引き込む才って、そういうところにも感じるよね。
  夢:ああ、うん。
  翔:普通、恋をして耐え忍ぶのは女性のほうなんだけど、このドラマ(TVの場合)は、あくまで速水。 苦しくて、切なくて、どうしようもなくて、何度も打ち明けようとして、踏み止まって、近くにいるのに触れられない、好きだと告白出来ない、その、ぎりぎりの状況って、美内さんの『ガラスの仮面』をドラマとして引き継いだ時に、もっともきちんと受け渡しが出来た部分だったんじゃないかな、と思う。
  夢:うん。
  翔:ドラマって、どういうドラマでも、究極、「切なさ」が必要なんじゃないか、とさえ思ってしまうんだけど。 どんなにナンセンスなものでも、ギャグ満載でも、明るい天然ドラマでも、どこかに「切なさ」があれば、その明るさが一層引き立つわけだから。
  夢:そういうドラマが、今は少ない?
  翔:私も、あまりドラマを観ているほうじゃないけど、でも、脚本の弱さ、演出の弱さ、というのは、時折感じることがある。 作品としての「色」が、複雑じゃない、ものすごく単純、というか。
  夢:なるほどね。
  翔:この『プリガ』も、そう。 出て来る人、みんな一色で、「明るい」なら明るい、「暗い」なら暗い、「泣き虫」なら泣き虫・・・としてしか描かれていない。 コメディーだから、と言い捨てるにしても、あまりにも単純すぎるんじゃないか、と。
  夢:うん。
  翔:高嶺にしても、いろんな事情や問題を抱えているのに、それを消化するための苦悩とか辛さとかを、簡単にわかりやすく「言葉化」させられてしまってる。
  夢:言葉化?
  翔:そう。 苦しい、とか、痛い、とか、全部言葉で表現すればいいようになっている。 すごく デジタルな感じ、と言ったらいいか。
  夢:ふ~ん・・・・
  翔:人間って、もっともっと複雑なはずなのに。 ・・・・で、そういうところに、ポンと投げ込まれた俳優さんは、それでも、必死で何かを伝えようとしている、言葉で補えないものを、演技で滲(にじ)ませようとしている・・・・さっきの話に戻るけど、その俳優さんの努力が、ぜひ、実を結ぶようなドラマが、多く生まれて欲しい、と、思わずにいられない。
★    ★    ★
  夢:いつもと、雰囲気の違うトークになってる。(笑)
  翔:説教じみててすみません。(笑)
  夢:いや、それはそれで面白かったよ。 ・・・・でも、最後は田辺さんの話題で終わりたい。(笑) 
翔は、最終回観た後、田辺さんのこと、ものすごく褒(ほ)めてたよね。
  翔:さっき、「俳優さんは、言葉で補えないものを、演技で滲ませようとしている」と言ったけど、最終回の田辺さんが、まさにそうだったな、と思ったので。
  夢:・・・そう? あたしには、ピンと来なかったんだけど。
  翔:最終回、田辺さんの顔が、本当に晴れやか、というか、「俺は歩美が好きだ!」という表情だったので、びっくりしてしまって。(笑)
  夢:(笑)
  翔:これもまた、あくまで私見だけど、田辺さん、今回の高嶺って、最後まで掴み難そうで、悪戦苦闘しているように感じられた。 「自分は、本当に歩美を好きになってしまっていいんだろうか」「ひょっとしたら、最後に、本当は花が好きだった、という展開になりはしないか」「だとしたら、どっちにも‘気持ち’が動いてる、という演技をしておかないとまずいんじゃないか」・・・等々、作品の方向性がブレていた為に、田辺さんも、高嶺を演じる上で迷いが出てしまったんじゃないか、と。
  夢:・・・・・・・・
  翔:ようやく最終回で、歩美と結婚することになって、その迷い、というか、気持ちの揺れ、というか、そういうものから解放された(ように見えた)時に、ものすごく「いい顔」をしていて、それを観て、「あ!やられたな!」と。(笑)
  夢:・・・・そう?
  翔:どうして好きになったのか、とか、どこが好きなのか、とかっていう、もっとも根本のところを、脚本に描いてもらっていないにもかかわらず、「俺が好きになったんだから、端でゴチャゴチャ言うな!」 みたいな、有無を言わせぬ説得力があって、観ているこちらとしては、「わかりました」 と素直に頭を下げるしかない、みたいな気分にさせられたので。(笑)
  夢:・・・・うーん、あたしはどうも、あの急展開について行けなくて、ダメだったな、最後まで。
  翔:それはそれでしょうがないよね、受け取り方は、人それぞれなんだし。
  でも、作品的にどれほど満足が行かなくても、ちゃんと描き込まれていなくてやり難い役でも、俳優は、そこから「何か」を読み取って、そして「演技」で見せて行く、そういうものなんだな、と、考えてみれば当たり前のことを、今回、改めて田辺さんに教えてもらった、と、そういう気がしたから。
  それと・・・本来は、脚本・演出・出演者・その他すべてがいいバランスで出来上がっている作品が「素晴らしい作品」なんだろうけれど、中には、脚本が強かったり、演出が強かったり、という作品もある。 で、今回は、あきらかに「俳優が勝ってる作品」だったな、と、田辺さんばかりじゃなく、他の出演者たちの熱演を観ていても、そういう感じがしました。
  夢:脚本、演出、頑張れ! ってところかな。
  翔:制作に携わるすべての人、頑張れ! だね。 謹んでエールを送っておきましょう。
 
  翔:UPした後に、肝心なことを書かなかったことに気づきました。 アンドリューズの秘書室長・神田川さん(羽場裕一)について。
  夢:何で書かなかったの? あんなに熱く語り合ったじゃないか!(笑)
  翔:ごめんごめん。(笑)
  夢:こういう立場の人って、あたしも翔も大好き、って話をしたのよね。『ベルサイユのばら』のオスカルに対するアンドレ、みたいな。
  翔:いや・・・今回の神田川さんは、ちょっと違う気がするけど・・・(笑)
  夢:そうかなぁ・・・・
  翔:まあベルばら云々は別として、中央に座っている田辺、脇に控える羽場、という構図は、ふたりとも好きな私には、堪えられない美味しさだった。(笑)
  夢:いやいや、もっともっと絡(から)んで欲しかった! こんな薄っぺらな話じゃなかったら、もっとうんと楽しめたのに。
  翔:そうね、それは言えるかも。 高嶺(田辺)にしても、神田川(羽場)にしても、型通りの役で、それ以上の広がりを持たせられなかったのは、すごく残念だった。
  夢:うん。
  翔:せっかく田辺-羽場コンビが復活したんだから、『ガラかめ』の「屋台」に負けないくらいのシーンが観たかった。 ただ、セリフのやりとりをするだけじゃなく、余韻、というか、余情、というか、そういうものを滲(にじ)ませるようなシーン、と言ったらいいか。
  夢:うんうん。
  翔:たとえば、高嶺が「俺は間違ってるか」と訊(たず)ね、神田川が「いいえ」と答える。 たったこれだけのやりとりだって、背景がきちんと描かれていれば、ものすごく意味の深い名シーンになったかもしれない。 全体的に、このドラマには、そういう部分・・「セリフに深みを与える必然性」みたいなものが不足していたような気がするね。
2003・3・10追記

以下は、BBSに載せた『プリティガール』の感想です。
カープか」に大爆笑  『プリティガール』:1  投稿日:2002年.3月 8日(金)showm
『プリティガール』最終回、今、観終わりました。
いやぁ~怒涛の「がぶりより」(って言うんかい?こういうの 笑)でしたね。

みんな、不平不満たらたらだろうな、
これを「面白かった」と言ったら、反論五万と来るだろうな、と思いつつ、
いつのまにか、1時間、十分に最高に楽しんでる自分がおりました。
(うわぁ~石投げないでくれ 笑)

同じ9時間のドラマを作るなら、
最初から、
不思議な女の子と、ドジな女の子と、不器用な男とのトライアングルに焦点を絞ったら、
もっと楽しめたのに。
そしたら、花(稲森いずみ)の遼(田辺誠一)への気持ちの揺らぎとか、
歩美(米倉涼子)が、ドジしながらも、専務のためにと、
勇気を持って自分を変えようとするところとか、
何より、遼が、少しずつ、そんな歩美に心を開いていく過程とか、
フィナーレへの布石が、きちんと踏めたのに。

フィナーレ・・・・そうですね、この最終回、私は、
まるでミュージカルでも見てるような、フワ~ンとした心地良さの中にいました。

もちろん、ドラマとしては、
きちんとスジが通っていなくて、随分イライラさせられたし、
正直、「何なのこれは??」と、半分放り投げたい気分の時もあったのだけど、
あれだけとっ散らかってたストーリーが、
ラストになって、ようやく、何とな~くまとまって、
みんなが、それぞれ納まるべきところに納まった、みんな幸せ、みんなハッピー、
めでたしめでたし。
ステージに、みんなが着飾って並んで、客席に向かってにこやかに一礼、
そんな中、花が、静かに銀橋を渡って去り、幕がおりる・・・
って感じかな?

なんで最後になってこんなに楽しめたか、というと、
私には、田辺さんが長~いトンネルを抜けた、つまり、「迷い」から解放されて
のびのび楽しんでるように思えたからかもしれません。

最初から、遼のキャラ作りに苦労してるな、とは思ってたんですけど、
特に6話ぐらいの時、これ以上どうしようもないぐらい、
田辺さんがすごく悩み、揺らいでいるように見えた。

もともと、深く役を作り込んで行くタイプの人だけに、
ストーリーの中で、遼がどういう位置にいればいいのか掴めないのは、さぞ辛いだろう、
などと、勝手に田辺さんの気持ちを想像してたんですが、
最終回観たら、遼のポジションに、これ以上ないくらい嵌(は)まってて、
で、こっちも、素直に肩の力をぬいて観ることが出来たんです。

田辺さん、かっこいい。それでOKじゃあ~りませんか。
えーえー、楽しかった、
たとえみんなに石ぶつけられようと(笑)
罵声浴びせられようと、踏みつけられようと、(笑)
楽しかったもんは楽しかった、と言うしかござんせんわ。(ひらきなおりっ!)

最後に、片平なぎささん、渡辺いっけいさん、ばんざいっ!

いやぁ、やっぱり・・ 『プリティガール』:2 投稿日:2003年2月13日(木)roji
プリガ最終回を観終わって。
やっぱりこの回の高嶺さん(を演じてる田辺さん)は いい。
ストーリーハチャメチャだろうが、ナンダソレな役だろうが、絶対 いい。
どうして好きになったか、とか、いつから好きになったか、とか、
そんな細かいこと、どうでもいい、と思えるくらい、
歩美が好きだ!という気持ちに溢れてて、
「ええいっ、この田辺さんで速水真澄を観てみたかった」と、痛切に思いましたです。
プリガ嫌いの皆さま、すみません。
(トークまで待とうと思ったけど、やっぱり書きに来ちゃいました)

Re:ありがとう 『プリティガール』:3  投稿日:2005年10月25日(火)showm
私は、田辺さんがらみのドラマは、
物語として「うーん・・まっいいかあ」と思うことはあっても、
田辺さんが演じた役としては諦め切れないことが多いです。(だからあーだこーだ言う)

『プリガ』はね、何が残念だったか、って、
第一には、作り手が「王子様」の意味を履き違えてた、というところです。
視聴者(の女性)が、王子様の何をもって「ステキ~」というのか、
が、全然わかってなかった。
(白馬に乗ったからって王子様になれるわけじゃないんだよ)
加えて演じ手が、すんなり「二枚目」に酔える人じゃなかったし。(笑)
今はどうでしょうねぇ、田辺さんが高嶺をやったら。
たぶん、やっぱり「二枚目な王子様」にはなれないんだろうなぁ、
成住(@大奥)観てると、そんな感じがしますけどね。

田辺さんはそれでいい、と思う気持ちと、
一回ぐらいその壁を突き破ってくれよ、という気持ちと、どっちも持っているけれど
後者の気持ちの方が断然強いですね、今の私の場合。