今さら『女王の法医学 ~屍活師~2』感想

2022年3月21日20:00からテレビ東京系で放送されたドラマ『女王の法医学 ~屍活師~2』の、今さらながらの短め感想です。

事件は、埼玉県警の村上(田辺誠一)が追っていた不審な男・大塚が、「やめろ!助けてくれ!」と叫んで屋上から転落し死亡、現場には大塚の他に村上しかいなかったことから、村上に疑いがかかるところからスタート。
法医学准教授・桐山ユキ(仲間由紀恵)が解剖したところ、大塚のコカイン摂取が判明、幻覚症状による妄想によって飛び降りた可能性が大きく、大塚が来ていたジャンバーから村上の指紋が発見されなかったということもあり、早々に村上の疑いは晴れ、謹慎を解かれます。
この後、ユキと村上はラウンジでコーヒーを飲むのですが、あいかわらずユキは砂糖を山ほど入れます。「コーヒーだけじゃ礼には足りないか」と言ってちょっと距離を置いて隣のテーブルにつき ネクタイをゆるめる村上に、「何かホッとした顔してんね。実はビビってた?」とユキ。「バカ言うな」「強がりは昔っから変わんないね」「アンタは変わったな。脳外科にいたころから愛想はなかったが、もっと笑ってた」「今の私が笑ってたら、アンタはムカつくんでしょ‥法医学はいいよね、遺体が相手だから死なせる心配はないし」「‥確かにな」
欲深ですが、ユキと村上の こういうちょっとトゲのある応酬が好きな私としては、この時の二人の空気感をもうちょっと長く味わわせてもらいたかったなぁ、と思いました。

さておき。大塚の転落死は、この後のさらなる事件の序章となります。
大塚が持っていたバッグの中の宝飾品が瓜生公造(山田明郷)という男性のものであることがわかり、警察が瓜生の自宅に行くと、瓜生とその妻・節子(手塚理美)が殺されていたのです。
大塚が犯人かと思われましたが、彼は頸椎ヘルニアの後遺症で握力が弱いうえに、腕を振り上げることが出来ないので、二人を殺すのは不可能。

ユキは瓜生夫妻を解剖、死亡時間をずらすトリックに気づきます。
そのトリックを仕組んだのは、節子の息子・仁史(高木雄也)。犯行の動機は、公造の遺産を狙ったため。
20億の資産を持つ公造が節子と同時に死んだ場合は、全額が実子の淳(袴田吉彦)に、公造が死んだ時に節子が生きていた場合は、遺産の半分は淳に、半分が節子に渡る。しかし、節子が死んでいるので、その遺産は節子の子である仁史が相続することになる——­このあたりちょっとややこしいのですが、仁史は公造の養子ではない、というところがミソ。
しかし、仁史は私欲のためにそうしたのではなく、「遺産を全部寄付すれば、かあさんは注目されて感謝もされる、かあさんが生きてきた証を残したかった」と。
それを聞いたユキは「変な承認欲求。くだらない。お母さんは感謝されたいって言ったの?勝手に死んだ人の気持ちを決めつけたわけだ、一番母親を理解しているはずのあなたが」とバッサリ。
父親のリハビリで仁史の世話になり、本当の兄のように慕っていた実習生・ワンコこと犬飼一(松村北斗)の「お母さんは本当に不幸だったのかな」の言葉で、身体が弱かった自分のために節子が自分を犠牲にして瓜生の妻になった、母はずっと不幸だった、と思い込んでいた仁史が、節子との日々を思い出し、そうではなかったと気づいていく‥
そんな仁史への、「死んだからってその人が消えるわけじゃない、私たちが遺体の声を聞けるように、生きてるアンタの思いもきっとお母さんに届く」というユキの言葉は、ちょっとほっこりしたところかな。
その言葉をきっかけに、実はワンコの父親の手術をしてくれたのがユキだったことも判明、「みんなの思いがお父さんに届いたね」と言った後のユキのやわらかくて美しい笑顔がものすごく印象的でした。
(‥そうかぁ、脳外科医だった頃はあんなふうに笑ってたんだ‥村上もきっとユキのあの笑顔が好きだったんだろうなぁ‥弟のことがあってその笑顔が見られなくなって寂しい気持ちもあるのかもしれないなぁ‥なんて、勝手に妄想してしまいました)

たった数時間の死亡時刻の違いで遺産を相続する者が変わるというのは、なるほどと思わせるものでしたが、大塚が家を荒らしたところに、ちょうど瓜生の秘書・三島(筧美和子)がやって来て二人を殺し、その後に仁史が来た、というのは、ちょっと出来過ぎかなと。
ただ、もっとも怪しい人間と見られた瓜生淳(袴田吉彦)が見せかけに過ぎず、次から次へと容疑者が浮かび、宝飾品を盗んだ人間、二人を殺した人間、死体に細工をした人間が、別々にそれぞれの思惑で動き、それがひとつの事件として構成されて行くのは、なかなか面白かったです。

今回は、ワンコが随分と頼もしくなって、ユキとバディと言われても違和感なくなっていてびっくり。
「先生は亡くなった人のことばかり考えて、生きている人から逃げているように見えます」なんて、ユキの痛いところを突いてくるようになったりして。
節子の遺体の前で「真実で遺族が浮かばれないこともある」と言うワンコに、ユキが「ありのままを見なさい、遺体のありのままを。アンタの思い入れはこの人の真実と関係ない。真実はこの人の体の中にしかない」と諭すシーンでは、ワンコの成長も見られて良かったし。

でも、その分、村上とユキの関係がちょっと弱まったかな。コーヒーを飲むシーン以外は、二人の立ち位置が前回ほど明確ではなかった気がします。相容れない気持ちがありながらも仕事の腕は認め合っている、という、微妙なニュアンスが少し薄まってしまったようで、村上好きとしてはそこがちょっと残念ではありました。

ユキのあいかわらず陰影のある雰囲気がとてもいいです。味が分からない、変なお菓子に手を出す、でもなぜ味が分からないのか‥というのは、すでに放送済みの「3」で明らかになったのでしょうか。観るのが楽しみです。

『女王の法医学 ~屍活師~2』
放送:2022年3月21日20:00-21:54 テレビ東京
原作:杜野亜希「屍活師」 監督:村上牧人 脚本:香坂隆史
チーフプロデューサー:中川順平(テレビ東京
プロデューサー:黒沢淳(テレパック)、雫石瑞穂(テレパック)、山本梨恵(テレパック
制作:テレパック 製作:テレビ東京 BSテレ東 テレパック
出演:仲間由紀恵 松村北斗SixTONES
高木雄也Hey! Say! JUMP手塚理美 袴田吉彦 筧美和子 山田明郷
新実芹菜 小松利昌 石坂浩二 田辺誠一 他

今さら『椿の庭』(映画)感想

2021年4月に公開された映画『椿の庭』の、今さらながらの短め感想です。

画面から伝わる空気が最初から最後まで素晴らしくて、圧倒されました。
この作品が映画初監督となる上田義彦さんは、今まで数々の傑作CMを作って来た方だそうで、今回、脚本・撮影も担当されたとのこと。
藤の紫、金魚の朱色、椿の赤、木々の緑、空の水色、海の青‥と、小高い丘の上に建つ古い家を包み込む色味の美しさ、佇まいの美しさが実に詩的で、鮮やかで、静やかで動きが少ないのに画面から伝わってくるものがとても雄弁で、心に響きました。

この家に、年老いた女性・絹子(富司純子)と孫娘・渚(シム・ウンギョン)が暮らしています。しかし、この二人がどういう関係なのか、中盤まで詳しい説明はありません。

(つくばい)の中の死んでしまった金魚を悲しげに見つめる二人。
金魚を花びらに包んで埋める、という行為が、二人が 自然の中で生かしてもらっている感覚をとても大切にしていることを物語っているような気がしました。
余計な言葉を重ねない、シンプルで柔らかく、しっとりと潤いを帯びて、なのにどこかきりっとしている・・それは絹子そのものの空気のようにも思えて。
それから、和装の祖母・絹子と、たどたどしい日本語を話す孫・渚、税理士の黄さん・・その多国籍な感じが、この家全体から醸し出される和洋折衷な佇まいに合っていて、絶妙なバランスで、自由で軽やかな空気を生んでいるようにも思いました。

春のある日、絹子の夫の四十九日忌が営まれ、それからほぼ1年の月日、この家の時間がゆっくりと流れて行くさまを、カメラが丁寧に映して行きます。

夫の死による家の相続をめぐる現実は、絹子を穏やかな気持ちのままでいさせてはくれません。税理士の黄(チャン・チェン)から何度か家の売却の話が出て、絹子はやがて決心せざるを得なくなります。

夫の友人・幸三(清水紘治)が訪ねて来ます。
久しぶりに心浮き立つ時間を持つ絹子。しかし、彼の帰り際、絹子は、「記憶って、場所や物に宿っていて、ある場所に行くと突然思い出したり、物を見ると思い出すみたいなことって‥そういうことってあるわよね。そしたら・・もし私がこの家から離れてしまったら、ここであった家族の記憶やそういうものすべて思い出せなくなってしまうのかしら。そしたら私は今の私ではなくなってしまうわね」そう言って倒れてしまいます。

ある日、黄が戸倉(田辺誠一)を連れて来ます。
「この部分は明治時代に京都の農家を移築したものです」という黄の説明を熱心に聞く戸倉。
「すばらしいですね、庭も手入れが行き届いていてとても気持ちがいい。それに海がこんなにきれいに見えるなんて。いい家ですね」と気に入った様子。

やがて、測量会社の人たちがやってきます。「明日だと思ってた」と言う絹子。
丁寧に手入れされた庭を見て、「もったいないね」と測量の人。
その言葉を聞いて、薬を捨てる絹子‥

思い出の品々の整理を始める絹子。
9月半ば 陶子が来ます。
具合どう?と心配する陶子に、「ぴんぴんしてる、お薬が効いてるのかしら」と元気にふるまう絹子。
家についても、もう決めたから。と。
「税理士の黄さんがいい人見つけてくれてね、その方若いんだけど、この家を大事に使ってくれるっていうのよ。」と。
かねてから、この家をたたんで自分のところに来て欲しい、と言っていた陶子の言葉にようやく従う決心をしたようです。

久しぶりに泊まった陶子は、渚とまくらを並べ、陶子の姉でもあった渚の母の思い出話をします。
ここでようやくこの家族の物語が見えてきました。

本を読む渚。「歌はどうして作る」「じっと観、じっと愛し、じっと抱きしめて作る」「何を」「『真実』を」「『真実』は何処に在る」「最も近くに在る」「いつも自分と一所に」

絹子は秋の深まりとともに次第に元気を失って行きます。
薬を飲んでいないことに気づいた渚は、落ち葉を片付けて、という絹子に、「今日掃いても明日また落ちてあんまり意味ないでしょ。それよりちゃんと薬飲んで休んでよ。それにもうこの家あの人に売っちゃうんでしょ」と言いますが、一人で片付け始める絹子を結局手伝います。

TRY TO REMEMBERを聞きながら、落ち葉を掃く渚を見ている絹子。
元気がありません。一つ咲く椿。
雨が降って来て、「おばあちゃん、晴れてるのに雨‥雨だよ」と言う渚に返事はなく‥
椅子に横たわる絹子。
レコードが回り続けている。海の上に虹がかかる。
雨上がりに散った椿の花びら。
絹子の手を握ってそっと涙する渚。
瑠璃紺の海‥

春 桜 取り壊される家を見守る黄。
絹子の「この家を大事に使ってくれるって言うのよ」と言う言葉を信じ、「いい家ですね」と言った戸倉を最後まで信じていた私は、重機で壊される家を見てショックで、勝手に裏切られたような気がしてしまいました。
いや、たぶん最初からそういう約束だったのかもしれませんが‥測量の人の「もったいない」という言葉に、絹子の中で信じていた何かが崩れて、薬を飲まなくなった、とも考えられて‥
結局 最後には家は壊されてしまうんだなぁ‥それが何だかすごく切なかった。

独り住まいの渚の部屋。小鉢に、あの家の金魚が放たれる‥
金魚はおばあちゃんであり、あの家であり‥渚にとっての真実、ということなのでしょうか。
渚が読んだ、「真実は最も近くに在る、いつも自分と一所に」という与謝野晶子の詩の一節が最後にふと浮かびました。


『椿の庭』
公開:2021年4月9日
監督・脚本・撮影・編集:上田義彦 
音楽:中川俊郎
配給:ビターズ・エンド
出演:富司純子 シム・ウンギョン 田辺誠一 清水紘治
チャン・チェン 鈴木京香 他

今さら『青天を衝け』感想(その4/第32回~最終回)

2021年2月14日 - 12月26日NHKで放送された大河ドラマ『青天を衝け』(第32回~最終回/実業〈算盤と論語〉編)の、今さらながらの感想です。

▶第32回~最終回(実業〈算盤と論語〉編)
栄一(吉沢亮)は大蔵省を辞め、第一国立銀行の総監役として、新たな道を歩み始めます。西洋の簿記の指導を受ける際、算盤(そろばん)の必要性を認めさせるなど、何から何まで西洋をまねる必要はない、という栄一のフラットさが気持ちいいです。

母・ゑい(和久井映見)が体調を崩し、栄一のもとに身を寄せます。
子供の頃、みんなが幸せになるのが大事、と話していたことを栄一が忘れずにいてくれたこと、ゑいは嬉しかったんじゃないでしょうか。でも、「近くにいる者を大事にするのを忘れちゃいけねえよ」とクギを刺すことも忘れない、さすが栄一の母、ですね。
ゑいの臨終の場に、千代が くに(仁村紗和)を連れて来ます。ゑいの千代への「ありがとう」は、辛抱強く栄一を支え子育てをしてくれたこと、くにを受け入れてくれたこと、自分を看病してくれたこと、等々、もうすべてのことに感謝しての言葉だったんだと思います。

小野組が放漫経営で倒産し、多額の貸しつけをしていた第一国立銀行も連鎖倒産の危機に陥ります。
三井組の三野村利左衛門(イッセー尾形)は、この機に乗じて銀行の乗っ取りを企(くわだ)てますが、栄一は、銀行を守るため、日本で初めての西洋式銀行検査を行い、大口の貸し付けが三井組に偏っていて合本銀行として不健全、との評価を得ることで、三野村との一世一代の大勝負に勝ちます。

久しぶりに論語を読む栄一。千代(橋本愛)に、「大事なのは民だ。今のような世のままでは先に命を落とした人たちに胸を張れねぇ。貧しい人や親のない子を集める養育院を預かろうと思う」と話します。
一方、喜作(高良健吾)は、横浜の外国商人が日本の主要輸出品である蚕卵紙(さんらんし)を買い控えして値崩れを待っていることに憤慨しますが、政府は通商条約で手が出せません。
これは民が解決しなければ、と言う伊藤博文(山崎育三郎)に、大久保利通石丸幹二)や大隈重信大倉孝二)は栄一を思い浮かべます。この時の、「あいつには絶対頭を下げん!」という大隈の栄一への苦手意識がねぇ、いろいろあっただけに面白かったです。
仕方なく大久保が栄一に会い、「自分を助けるのではなく国を助けると思って味方になって欲しい」と頭を下げるのですが、この時の栄一の「おかしれえ、やってやりましょう」という一言が、かっこいいったらなかった。誠意をもって話せばちゃんと通じる相手だったんですよね。

栄一は、蚕卵紙をすべて買い占め焼き尽くす、それを新聞に載せ世間に広く報せる、と言って、喜作や惇忠(田辺誠一)たちを驚かせます。
次々運ばれる蚕卵紙に火をつける3人。「焼き討ちだい、10年越しの俺たちの横浜焼き討ちだい」という喜作の言葉に頷く栄一と惇忠。人同士が殺し合う戦ではない、別な戦い方がここにある、と。
‥うわ~、ここで焼き討ちの伏線を回収して来ましたか!

三野村が渋沢家を訪ねて来ます。「怖いのは、あまりにも金中心の世の中になって来たってことですよ。誰もが金を崇拝し始めてる。私ら、開けてはいけない扉を開けてしまったのかもしれませんね」と、意味深な言葉を残して去り、栄一は懐にあった〈論語〉に手を当てます。

西南戦争勃発。政府の税収の実に9割近くが戦費に費やされました。
西郷隆盛博多華丸)は戦争で、大久保は不平士族に襲われて死に、その頃の日本の税収を動かしていたのは大隈重信でした。
伊藤から、世論を集めるために商人の会議所を作って欲しい、と依頼された栄一は、
外国に負けぬ商売をするためにも力のあるお方と手を組みたい、と、海運で力をつけていた岩崎弥太郎中村芝翫)を誘うことに。

栄一は岩崎弥太郎から宴席に誘われ、意気投合しますが、あくまで合本(多くの民から金を集めて大きな流れを作りまた多くの民に返す)を主張する栄一に対し、「強い人物がバーッと儲けて税金を納めんと日本は破綻する。貧乏人は貧乏人で勝手に頑張ったらええ」と言う岩崎。
その迫力に呑み込まれそうになるところを、偶然居合わせたやす(木村佳乃)に、「あんたはあんたの道を行きな。あの人のためにも、きっといい世にしておくれよ」と背中を押され、その場を去ります。
いや~思いがけない所で平岡(堤真一)が出て来てくれたの嬉しい!そして栄一を踏みとどまらせてくれるとは!やすさん、いい仕事してくれました。

アメリカ前大統領・グラント将軍来日が決定。20年来の不平等条約改正が悲願だった政府は沸き立ちます。
民間を代表して接待することになった栄一は、千代やよし(成海璃子)にも協力を頼みます。渋るよしに、「おなごの私たちが大切な仕事をいただいたんだ、がんばんべえ」と千代。こういうところはいかにも尾高家らしいですね、母・やへさん(手塚理美)を思い出します。

千代たちが、大隈綾子(朝倉あき)や井上武子(愛希れいか)らの指導を受け、西洋式マナーの習得に悪戦苦闘しつつも、みんなでワイワイ楽しげに頑張ってるのが良かったです。この回は女性陣奮闘の回ですね。何だかほっこりしました。

歓迎行事は順調に進みますが、突然、グラント将軍が渋沢家を訪ねたいと言い出し、栄一は悩むも、千代は、なんという僥倖、こんな光栄なことはない、と、さっそく手配を始めます。ぐるぐるする千代、こんなに生き生きしていて魅力的な彼女を観るのは初めてかもしれない。
心のこもったもてなしを受けたグラントは、「多くの欧米人、特に商人は、日本が対等になることを望んでいない。日本が独立を守り成長するのは大変なこと。しかし私はそれが成功することを願っている」と温かい言葉を残して帰ります。

日本が国力を高めることに力を注ぐ中、政府の保護のもと海運業を独占したのは、岩崎弥太郎率いる三菱でした。
「経済には勝つ者と負ける者がある。才覚があるもんが力ずくで引っ張らんと国の進歩はない」という岩崎の言葉を噛みしめる栄一。

そのころ、長女・うた(小野莉奈)と穂積陳重(田村健太郎)が結婚、渋沢家が幸せな空気に包まれますが、突然、千代が病に倒れてしまいます。
政府の命で、岩崎弥太郎に対抗するため共同運輸会社発起人大会が開催されますが、千代の看病で栄一は来ない。泣きそうな喜作の表情、切なかったです。

「あなたの道を生きて下さい」という言葉を残して千代が亡くなり、栄一は憔悴していました。そんな折、やすの紹介で伊藤兼子(大島優子)と出会い、後妻に入ってもらうことに。

東京府会では、千代が心を砕いて来た養育院が廃止されようとしていました。「貧民などがどれだけ苦しもうが一向に構わん、自ら努力もせぬ人間に汗水たらした我らの税を使われたくないのは当然だ」と。

一方、海運業の覇権をめぐって、栄一の共同運輸と弥太郎の三菱が熾烈(しれつ)な競争を繰り広げ、やがて両社は値下げ戦争に突入、消耗して行きます。
これ以上の争いは不毛と、五代友厚ディーン・フジオカ)が、三菱と協定を結ぶよう栄一を説得、両社を仲裁しようとしますが、栄一は、これは岩崎さんの独裁と俺の合本の戦いだ、刺し違えても勝負をつける、と息巻きます。
しかし、岩崎が「日本を一等国に、世界の航路に日本の船を、日本に繁栄を!」という言葉を残して亡くなり、五代もまた、消耗しきった日本の海運業はやがて外国の汽船会社に牛耳られる、と、三菱と共同運輸に合併を促(うなが)した後、亡くなります。

栄一はこの10年でさまざまな産業に関わるようになり、東京養育院を自ら経営するなど、教育施設や福祉施設充実にも力を注いでいました。
栄一の長男・篤二(泉澤祐希)は、後継者として期待されていましたが、栄一のあまりにも幅広い活躍ぶりに、劣等感を募らせることに。
栄一は、遊び癖が抜けない篤二を退学させ、栄一の妹・てい(藤野涼子)が篤二を血洗島に連れ帰ります。
篤二は、10歳の時初めて父・栄一と草むしりをした思い出をていに語ります。「母様の病は悲しかった。でも普段ほとんど家にいない父がずっと家にいるのが嬉しくてたまらなかった。‥母様は治らなかった。今でも夏は苦手です」
根は優しい子なのだよなぁ。栄一が立派過ぎるゆえの劣等感というか、空虚感というか、手の届かない感じというか、なんか身につまされます。

明治27年夏、日清戦争が起こり、やがて日本中が戦勝に湧く中、伊藤の、日本はやっと一等国になった、という言葉に、慶喜(草彅剛)を東京に呼び寄せる機が熟した、と考える栄一。
朝敵だった過去を忘れてはならぬ、と強く固辞していた慶喜が、栄一たちの熱意に応え、ついに東京に戻って来ました。

栄一は、惇忠や喜作を誘って慶喜に会います。弟・平九郎(岡田健史)のこと、富岡製糸場のことをよく知ってくれていた慶喜、自分のそばに歩み寄って「長く生きて国に尽くされ、言葉もない。残され生き続けることがどれほど苦であったことか。私はねぎらう立場にないが、尊いことと感服しておる」この言葉に、初めて慶喜の顔を見て感慨深く頭を下げる惇忠、そして喜作。こののち、惇忠は亡くなりますが、いや~惇忠じゃなくてもいろんなことが頭をめぐってしまって、胸が熱くなりました。
残され生き続けることがどれほど苦であったか‥それは慶喜も同じなんですよね。そしてそれを尊いと、そう思うに至った長い年月の積み重ねが、今、苦しいだけでない何かを彼らの内に育ててくれている、という気がしました。

栄一たちは、韓国に手を伸ばそうとするロシアに警戒感を抱きます。
この時の、「国というのは、それほど どんどんと大きくならないといけないものなんですか?」という妻・兼子の素朴な疑問が実にいいですね。栄一は「そういうもんだ」と、言うだけでしたが、この素直な問いかけの持つ意味って、すごく大きい気がします。

栄一の活動が世界に広がるにつれ、放蕩を重ねてきた篤二も家業を手伝うように。
やがて、日露戦争が勃発。財界代表として戦争への協力を求められた栄一は、日本がロシアと戦うのは仁義の戦である、との演説で公債購入を呼びかける役割を担ったのですが、本心はどうであったのか‥この時の栄一の声、視線、全体から醸し出される空気感が、とても雄弁だったように思います。
篤二が演壇を降りた栄一に向けた厳しい視線‥栄一は、胸を押さえて倒れてしまいます。
父上は戦争の時に限って病になる。よほど体質に合っていないのかもしれない、と言う篤二。
病はさらに悪化、兼子は、覚悟するように、と医者から言われます。
栄一から、あとは頼んだ、と言われ、動揺する篤二。見舞いにやって来た慶喜に、「僕も逃げたい!それでもあなたよりはましなはず。あなたが背負っていたのは日本だ、日本すべて捨てて逃げた。それなのに、今も平然と‥」そこまで吐き出して、篤二はハッと我に返り、屋敷を飛び出して行くのですが‥この時の慶喜の顔、怒っているような、悲しんでいるような、それをみんな吐き出してしまいたいような、いろんな感情が混じり合った表情で、やるせなかったです。

ロシアとの戦争も優位に立った日本。しかし内情は、日本海海戦でようやく奇跡的な勝利を得るも国力を使い過ぎ、限界に達しようとしていました。
2か月後、なんとか講和条約ポーツマス条約)を調印しますが、国家予算の6倍もの戦費負担を強いられた国民の怒りが爆発、責任の一端は民を焚きつけた自分にもあると責任を感じる栄一。

世情が落ち着かない中、栄一たちは、慶喜の功績を後世に残すため、伝記の編纂(へんさん)を始めます。しかし、慶喜は、汚名がすすがれることは望まぬ、私がなすすべもなく逃げたのは事実、と、大坂城のことを思い返すのです。
「人は誰が何を言おうと戦争したくなれば必ずするのだ。欲望は道徳や倫理よりずっと強い。ひとたび敵と思えばいくらでも憎み残酷にもなれる。私は抵抗することが出来なかった。ついにどうにでも勝手にせよと言い放った。それで鳥羽伏見の戦が始まったのだ。失策であった、後悔している。多くの命が失われ、この先は何としても己が戦の種になることだけは避けたいと思い、光を消して余生を送って来た」と言う慶喜に、喜作は「それはただ逃げたのとは違いましょう。あれほど数々のそしりを受け、なにもあえて口を閉ざさずとも‥」と言いますが、「いいや、人には生まれついての役割がある。隠遁(いんとん)は私の最後の役割だったのかもしれない」と。
戦争の矢面に立ち、その責任を一身に背負った経験のある者であるからこその深い悔恨であり、たどり着いた境地‥なのでしょうが、国民の幸せのために自分が出来ることが、自分という存在を忘れてもらうこと、というのは、もうほんとに‥何とも切なくて胸が痛みます。

慶喜たちが帰った後、「私の道とは何だ」と篤二に尋ねる栄一。「日本を守ろうといろんなことをやって、ようやく外国にも認められるようになって来た。しかし、私のめざしていたものはこれか?いいや違う。今の日本は心のない“はりぼて”だ。そうしてしまったのは私たちだ。私が止めねば」そして「近く実業界を引退する」と。

60以上の会社を辞職、実業の第一線を退いた栄一が、伊藤と話します。「ようやく間違いに気づきました。我々はずいぶん前に尊王攘夷から足を洗ったはずが、つい最近までどこか変わらぬ思想でいたんだ。この線からこっちに入る気なら、清国をそしてロシアを何としても倒さねばならんと。自らの保身のために他国を犠牲にして構わんとはなんと傲慢で自分勝手だったことか。自分たちが同じことをされたらどうです、それこそ焼き討ちだ」 伊藤は「怖かったんじゃ、絶えず列強に怯えてきた。日本を守ろうという心が強すぎて臆病心が出とったんじゃ」 「しかりです。恐れや臆病から来る争いはとても危うい。これがある限り、人は戦争を辞められません」
栄一の言葉に、ふいに、このドラマが伝えたい最も大事なことが浮かび上がって来たような気がして、何だか身震いしてしまいました。

アメリカにいて排訴されようとしている10万人以上の日本人を救うため、栄一ら渡米実業団一行は、特別列車で60都市を巡り、民間外交に奔走します。
栄一は、日本に友好的なタフト大統領の、「これから先は日本に“平和の戦争”(商売の戦い)を挑むつもりだ」という言葉にわだかまりを感じます。平和と戦争‥まったく相容れないはずの言葉です。
「争いとは人体の熱のようなものだ。適度な熱は人を生かす、ほとばしる気力を与える、しかし過度になれば人を殺すのもまた熱だ。日本があくまでおびえず憤らず平熱を保っていられるように励まねば」と栄一。 

道中、長年の友、伊藤博文暗殺の知らせが飛び込みます。
排日運動の激しいサンフランシスコでの講演で、長年の友が殺された、と話す栄一。「私は人生において実に多くの大事な友を亡くしました。互いに心から憎しみ合っていたからではない、相手を知らなかったからだ。知っていても、考え方の違いを理解しようとしなかったからだ。相手をきちんと知ろうとする心があれば、無益な憎しみ合いや悲劇は免れる。日本人を排除しようとするアメリカ西海岸もしかりです。
日本人は敵ではありません。我々はあなた方の友だ。日本人移民はアメリカから何かを奪いに来たのではない、この広大な地の労働者として役に立ちたいという覚悟を持ってはるばるこの地にやって来たんです。それをどうか憎まないでいただきたい。
日本には“己の欲せざる所人に施すなかれ”という忠恕の教えが広く知れ渡っています。互いが嫌がることをするのではなく、目を見て、心開いて、手を結び、みんなが幸せになれる世をつくる、私はこれを世界の信条にしたいのです。大統領閣下は私に「ピースフル ウォー」とおっしゃった。しかし私はあえて申し上げる、ノーウォー!ノーウォーだ!どうかこの心が、閣下、淑女、紳士諸君、世界のみんなに広がりますように」
この演説は喝采を浴びます。
ホールの外で掃除をしていた黒人にも。駅で待っていた移民家族にも‥

日本に帰ってしばらくすると、篤二が再び問題を起こし、責任を感じた栄一は廃嫡という苦渋の決断を下します。外ばかり案じて一番近くにあったはずの篤二の心を‥あいつの辛さを理解出来ていなかった、と自分のあさはかさを悔やむ栄一。
喜作は、生物学が好きな篤二の息子敬三(笠松将)に、「おまえのおやじはよく頑張っておった。ただ向いていなかったんだ。栄一は、近くにいる者からすれば、引け目ばっかり感じさせる腹立たしい男だい」と言い、敬三は微笑みます。

明治天皇崩御、大正時代に。
血洗島のあの木の下に、栄一と喜作がいます。中国に行って中国の人たちと語り合いたい、と言う栄一に、少しは諦める心も覚えろ、と言う喜作。誰もがおめえみてぇに前ばっかり向いて生きられるわけじゃない、と。この年、喜作は亡くなります。

そんな中、慶喜の伝記の編纂は大詰めを迎えます。栄一は、慶喜から、「自分はいつ死んでおれば徳川最後の将軍の名を穢さずに済んだのかとずっと考えて来た。しかし、ようやく今思うよ、生きていて良かった。話をすることが出来て良かった。楽しかったなぁ。‥しかし困った、もう権現様のご寿命を超えてしまった」と。
よく生きて下さいました、と頭を下げる栄一、そなたもな、と応える慶喜。尽未来際ともにいてくれて感謝しておる、と。
「快なり!」と声をあげ、微笑む慶喜、天寿全う。徳川歴代一の長寿でした。最後は、じわ~んと心に沁みるような、本当にいい表情でした。

第一次世界大戦勃発。
栄一は、大隈首相から実業界の協力を依頼されるも、欧州列強が内輪喧嘩をしているうちに大陸に手を伸ばそうとしているだけではないか、と疑います。
「日本は徳川の世が終わってからその後たびたび戦争をし、そのたびにせっかく育ててきた経済が打撃を受けた。民もそうだ、たび重なる増税と物価高に苦しめられ、反論すれば政府が力でねじ伏せようとして来る。そして平気で噓をつく。日本にはもっと外国と腹を割って話し合うべきことがあるはずではありませんか」
「日本ば守るためにも国土を広げねばならんのじゃ。国は大きくならんばならんとや。日本のみ友好などとほざけば、戦争で一気に潰されるのみ」
「もっと自信をもって下さいよ。私たちが作って来た国ではありませんか。だいたい80に近い年寄りになってまで、なぜまだ首相などやっておるのか」
「誰も首相などやりたいもんがおらんからである。伊藤は死んだ、井上も病気、おいは一人で今も維新の尻ぬぐいをしているのである」
結局、日本は日英同盟にもとづきドイツに宣戦布告、戦争に参戦します。

ーー最終回のはじまりに、家康はこう言います。
渋沢栄一の物語を閉じるにあたって、ぜひ皆さんに感じていただきたいことがあります。真心を込めて切り開いた彼らの道の先を歩んでいるのは、あなた方だということを。是非に」

ドイツの降伏で第一次世界大戦は集結。
パリ講和会議以降、日本は、アジア支配を世界中から警戒されるようになります。中国や朝鮮半島反日運動が起こり、喜寿になって実業界から完全引退した栄一も、あちこちから日本が嫌われる状況になっていることを悔しがります。
慶喜の伝記も完成。しかし毎日15時間は熱心に働いている、と敬三のナレ。
(最終回は敬三がナレーションしているのですが、さわやかでとてもいいです)
敬三は、栄一の願い通り経済の道に進み、跡継ぎとして栄一を手伝っています

栄一は悪化する一方の日米関係を民のレベルで改善しようと活動を続けていました。
アメリカ人をもてなすためにトイレ掃除を懸命にやってる敬三が可愛い。こういうことこそが大事なんじゃないか、とも思います。

栄一はワシントン会議に合わせて再び渡米し、移民問題も議題に加えるよう進言、「なぜこの会議で移民問題が大事か、国と国の関係が結局は人と人とのかかわりだからだ、人間の根っこの心の尊厳の問題だ」と。しかし、会議は排日移民の問題を取り上げることなく終わります。
それでも栄一はあきらめず、平和を訴える旅を続けました。そして、旅の途中、大隈の死を知るのです。

敬三は、岩崎弥太郎の孫娘・木内登喜子と結婚(このあたりも縁を感じますね)、イギリスに渡ることに。
敬三は、父(篤二)に会って欲しい、と栄一に頼みます。父にこの家に戻って来て欲しい、父を許し今一度再生の機会を与えてはいただけないでしょうか、と。

関東大震災が発生。事務所も何もかも燃え尽き、すべてを失った栄一、そこに篤二がやって来て、ふたりは互いに生きていたことを喜び合います。
焼け出された暴民が裕福な家を襲うといううわさが立ち、栄一の周囲の者は彼を血洗島に戻るよう諭しますが、「私のような老人はこんな時にわずかなりとも働いてこそ生きる申し訳が立つんだ。これしきを恐れて何のために生き残ったんだ」と、避難者の救護所を開くため動き出します。篤二は、「父上の言うようにさせてやろう、あれこそ渋沢栄一だ」と。
栄一は、内外の実業家に寄付を呼びかけ、救援の最前線に立ちます。すると栄一からの電信に応え、世界中の企業から多くの支援が寄せられます。

しかし、アメリカでは、排日移民法が議会両院を通過、日本では、アメリカは日本を劣等国の烙印を押した、と、米国討つべしの声が大きくなって行きます。
何度も何度も繰り返された戦争、その兆候が、また‥

数年後、中国で大水害、91歳になった栄一は、これは中国に日本が友人だと示す好機‥と、ラジオを通して自らの思いを伝えるため、気力を振り絞ってマイクの前に立ちます。
「思い出して下さい、かの関東の震災の時、中華民国の人々は我が国を救おうとたちどころに多くの義援金を贈ってくれた。当時反日運動のさなかだったにもかかわらずです。あの時私たちがどれほど励まされたか。今度は日本が立ち上がる番だ。
私が言いたいことはちっとも難しいことではありません。手を取り合いましょう、困っている人がいれば助け合いましょう。人は人を思いやる心を‥誰かが苦しめば胸が痛み、誰かが救われればあったかくなる心を当たり前に持っている。助け合うんだ、仲良くすんべえ。そうでねえととっさまやかっさまに叱られる。みんなで手を取り合いましょう。みぃんなが嬉しいのが一番なんだで。どうか切に切にお願い申し上げます」
募金は驚くほど集まります。しかし、満州にいた日本関東軍奉天郊外で鉄道を爆破、満州事変を引き起こし、中国の厳重な抗議の意思表示のため救援物資は受け取ってもらえなかったのです。
病床で栄一は、手を繋ぐべぇ、みんなで幸せに‥と言い、俺はまだ生きてるかい・・そうかい、死んだら教えてくれよ‥と兼子につぶやき、亡くなります。穏やかな死に顔でした。

追悼式で。敬三の挨拶。祖父から皆さんに宛てた伝言を預かってまいりました、と。
「長い間お世話になりました。私は100歳までも生きて働きたいと思っておりましたが、今度という今度はもう立ち上がれそうにありません。これは病気が悪いのであって私が悪いのではありません。死んだ後も私は皆さまの事業や健康をお守りするつもりでおりますので、どうか今後とも他人行儀にはして下さらないようお願い申します。渋沢栄一
どこかユーモアがあってかわいらしいです。

血洗島を訪れる敬三。そこにいる若き日の栄一に尋ねられます、「今、日の本はどうなってる?」 敬三は答えます、「それが‥恥ずかしくてとても言えません」 「ははは‥何言ってんだい、まだまだ励むべえ」と鍬を振るう栄一。
みんなの声が聞こえ、笑って走り出す若い栄一。同じ空を見、青天を衝くように手を伸ばす敬三‥その空は今の私たちの上にも広がっている‥ 沁みるような余韻の残る終わり方だったなと思います。

どうしても、前半の方が印象が強くて、リアルタイムで観ていた時は、このあたり(終盤)は何となくサラッと流してしまったのですが、今回改めて観て感じたのは、なぜ戦争は起こるのか、どうすれば戦争はなくなり、人々が幸せに暮らすことが出来るのか‥いわばこのドラマの髄の部分が、このドラマなりの答えが、ここで描かれていた、ということでした。

幕末から明治へ、そして大正・昭和へ。
江戸時代の終わりというのは何となくごちゃごちゃしていて、どういう流れで明治へとつながって行ったのかが良く分かってなかった私、最後の将軍・慶喜についてもいろんな解釈があって、あまり関心を持つことが出来なかったのですが、幕末と言ったら定番の、勝海舟坂本龍馬も出てこない、しかも一平民だった渋沢栄一の視線で描かれる、さらにその栄一を吉沢亮さんが演じる、ということで、興味が途切れることなく最後まで楽しむことが出来ました。
特に、政治だけではなく、経済面も色濃く描きながらの、江戸から明治へ、システム大改造中のてんやわんやとその顛末‥というところは、私のような歴史苦手な人間でも、とても興味深く、結果、描きつくされた感のある幕末が、まったく新しいドラマとして再生されたように感じられて、本当に面白かったです。

通常より10回ほど短い作品となりましたが、もしその10回があったら、脚本の大森美香さんは何を描こうとしたでしょうか。
あのエピソードを、あの出来事を、あの人をもうちょっと深堀して欲しかった‥などと、自分なりに妄想を広げられたのも楽しかったです。


登場人物について。
渋沢栄一吉沢亮さん
吉沢さんのあの目力は本当に魅力的で、勢いや熱量がストレートに伝わって来て、とても気持ちが良かった。きれいに澄んで 力強い まっすぐな視線が 全編を貫いていた、という感じがしました。
ぐるぐるしたり、むべむべしたり、収まりのつかない感情を持て余しているところも、偉人と言うより もっとずっと身近な人に感じられて、好きにならずにいられなかったし、とにかくもう “渋沢栄一吉沢亮”の牽引力半端なかった。その勢いに、1年間、観る側も心地良く引っ張られ続けた気がします。
ただ、意気軒昂な人というイメージもあり、実際いつまでも若々しかったのかもしれませんが、晩年は、さすがにもうちょっと老けさせた方が良かった気がします。(吉沢さんの演じ方というより、メイクとかもうちょっと工夫出来なかったか、と)それが唯一残念でした。

渋沢喜作/高良健吾さん
栄一の幼馴染にして相棒。
侍としての矜持(きょうじ)を持って生きることを望んだ喜作と、市井(しせい)の人間として生きることを望んだ栄一‥自分の死に場所を求めて戦争に赴いた喜作と、人々が幸せになるために自分のすべてを懸けようとした栄一‥二人の対比が、江戸時代の終焉という怒涛の中での、物語の核になっていたように思います。
それでも、長七郎のように何もかも背負い込んで閉じこもってしまうようなキャラにならなかったのは、喜作の生来の明るさ・朗らかさがあったからのような気がするし、そういう喜作を、高良さんが絶妙な軽やかさで演じてくれていたから、だとも思いました。

千代/橋本愛さん 
前半の静かに耐え忍ぶ姿から、女性としての働き場所を見出した後、生き生きした様子に変わって行くところがとても良かった。
千代が持つ芯の強さ、きりっと凛々しく、常にまっすぐに生きようとする姿勢‥橋本さんだからこそ表現出来たところも多かった気がします。

慶喜/草彅剛さん
この人独特の空気感が、慶喜という役にも存分に生きていました。
特に、平岡を失い、大坂を離れ、汚名を着せられ、一人になった慶喜が、自分の死に場所を探していたというくだり。苦しいはずなのに、切羽詰まったギリギリ感はなくて、死さえも自然に受け入れてしまうような ひっそりとした佇まい、と言ったらいいか。
時が経ち、栄一らと再会し、徐々に心がほぐれ、ついには生きていて良かったと言うに至る、その流れがまったく不自然でなくて、どこかファンタジーにさえ思えてしまう、吉沢さん演じる栄一とは正反対の、役にしっかりした芯が通っていない、だからこそ伝わるものも確かにあって。草彅さんのそういうところが好きだな~、と改めて思った次第。

長七郎/満島真之介さん
この人の、何者かになりたくてあがいてあがいて、結局何者にもなれなかった姿って、この時代の多くの若者に共通するものだったんじゃないか、という気がします。ある意味、時代そのものを背負ったような負の立ち位置を、満島さんは存分に表現してくれていた気がして、すごく心に刺さりました。

市郎右衛門/小林薫さん ゑい/和久井映見さん
栄一がやりたいと思うことを何でもやらせてくれた‥栄一を信じて任せてくれた‥間違いなく、渋沢栄一という大木の根っこを作ってくれた人たちですよね。小林さんと和久井さんの安定感というか、安心感というか、が、すごく大きくて、どのシーンも心穏やかに観ることが出来て、ほっこりと温かくて心地良かったです。

他に、特に印象に残ったのは、大隈重信大倉孝二さん)・三野村(イッセー尾形さん)・篤二(泉澤祐希さん)・敬三(笠松将さん)といったところ。
篤二や敬三については、もう少し掘り下げて欲しかった気もしますが‥
兼子(大島優子さん)の千代とは違った佇まいも好きでした。控えめに、しかし ちゃんと栄一を見つめている、というか。

惇忠/田辺誠一
栄一や喜作から兄いと呼び慕われ、尊王攘夷の思想を彼らに指南した人。
兄い‥もうこの言葉がぴったりでしたね。
自分のせいで二人の弟を失った、という悔恨はずっとこの人の中に生き続けていた、それでも前へ進むために、みんなが幸せになるために、栄一の誘いを受けることを決める‥そこまでの葛藤が、短いながらもじんわりと、でも確実に伝わって来て、ファンとして何だか勝手に嬉しいような誇らしいような気持ちになりました。

感慨深かったのは、慶喜との面会シーン。「残され生き続けることがどれほど苦であったことか。私はねぎらう立場にないが、尊いことと感服しておる」と慶喜が言った時、惇忠がその言葉に共鳴したんじゃないか、という気がして。
それは、何度も共演している草彅さんが相手だったから、でもあるのかな、と。(二人のファンとしてそう思いたい)

栄一や喜作たちを子役が演じていた時からずっと同じ役を演じ続ける‥最初の出が10代で、ちょっとびっくりしましたが、あれ、最近そんな役をやった人いたよね、と考えて、思い出したのが『カムカムエヴリバディ』の濱田岳さんでした。
濱田さんと同じように、田辺さんが惇忠を初回からその死まで一人で演じ続けることによって、“青天を衝けの時代(序盤)”にひとつの芯が通ったような気がして、その存在意味も大きかったんじゃないか、と、まぁこれもファンとしての勝手な妄想ですがw、リアルタイムで観ていた時にそんな感慨に浸ったのを思い出しました。


大河ドラマ『青天を衝け』
放送:2021年2月14日 - 12月26日 NHK総合 毎週日曜 20:00 - 20:45
脚本:大森美香 音楽:佐藤直紀
演出:黒崎博 村橋直樹 田中健二 川野秀昭 鈴木航 渡辺哲也 
制作統括:菓子浩 福岡利武
プロデューサー:板垣麻衣子  制作:日本放送協会
出演:吉沢亮 高良健吾 橋本愛 草彅剛 
中村芝翫 イッセー尾形 大倉孝二 山崎育三郎 
大島優子 泉澤祐希 笠松将 和久井映見 田辺誠一北大路欣也 他
公式サイト

今さら『青天を衝け』感想(その3/第22回~31回)

2021年2月14日 - 12月26日NHKで放送された大河ドラマ『青天を衝け』(第22回~31回/パリ~静岡~明治政府編)の、今さらながらの感想です。

▶第22回~31回(パリ~静岡~明治政府編)
昭武(板垣李光人)ら幕府使節一行は、船・汽車を乗り継ぎ、ようやくパリに到着、グランドホテルに投宿しますが、日本のしきたりを通そうとする昭武随行水戸藩士は給仕相手にさっそく一揉め。まあね、つい最近まで攘夷攘夷と騒いでた人が、外国に行ったからって急に変わるわけもなく‥先が思いやられます。
太夫吉沢亮)たちは万博会場を視察、蒸気機関やエレベーターなど最先端の西洋技術に度肝を抜かれます。
そんな中、昭武はナポレオン三世の謁見式に出席し、堂々と慶喜(草彅剛)の名代としての役目を果たします。昭武の凛とした姿がほんとに清々しかったです。

その頃日本では、慶喜が次々と幕政改革を断行。
島津久光池田成志)はかつての朝議参与を集め、政治の主導権を慶喜から奪おうとしますが、慶喜もぬかりない。ホトガラフ(写真)の機械など見せて、まんまと彼らの興味をそらすことに成功。このエピソードは楽しかった。新しいものに興味があるのは皆変わりないですもんね。で、結局、久光も写真撮るのねw
しかし、この後、薩摩は急速に倒幕へと舵を切ることになります。

パリでは使節団の滞在費用がかさみ始め、経費節約のためアパルトマン暮らしに。
薩摩の企てにより、幕府のフランスからの借款は消滅してしまいますが、篤太夫が資金繰りに奔走、昭武は無事に条約を結んだ諸国への留学の旅に出発しました。

同じ頃、日本では、岩倉具視山内圭哉)や大久保一蔵(利通/石丸幹二)が 徳川を一掃して王政復古への動きを進めようとし、西郷吉之助(隆盛/博多華丸)が軍備を整え、来るべき時に備えていました。
慶喜は、「500年政(まつりごと)から離れている朝廷に力がないのは明らか。まだ公儀に見込みはある」そして「こういうことを一人で考えねばならんとは‥」と平岡(堤真一)や篤太夫を思い出します。
平岡が生きていたら、どれほど頼りになったか。慶喜ももっと本来の力を発揮出来たのではないか、という気がします。結局 水戸藩士のやったことが慶喜を苦しめている、というところが何とも切ない。
慶喜は先手を打って「政権を朝廷にお返しし、広く天下公平な議論を尽くして天子さまの決断を仰ぎ、同心協力してこの国を守りたい」と、大政奉還を宣言します。「私が成しえることでこれに過ぎるものはない。しかしながらなお意見がある者はいささかも遠慮なく言上せよ」と。
家康(北大路欣也)が何か言いたそうにしながら前に進み、しかしその言葉を深く飲み込む‥徳川の終焉の始まりです。

一方、パリでは、各国歴訪を終えた昭武たちが留学生活に入りました。家庭教師のヴィレットの教えに従い、篤太夫たちは髷を落とし、刀も外し、洋服を着ることに。
太夫は、役人も軍人も商人も同じ、身分の違いなく皆が同じ場に立ち、皆がそれぞれ国のために励む、その風通しの良さに改めて驚き、このことわりこそ日の本に移さねば、と思いを深めます。
そんな折、慶喜が政権を朝廷に返上し開陽丸にて江戸に戻った、との知らせを受け、篤太夫たちは大困惑&大混乱。詳しい状況を掴むことが出来ず、すぐに帰ることもならず、で、彼らの焦燥感はmaxに。

ほどなく、水戸の殿様がなくなり、朝廷の思し召しで昭武が水戸家を継ぐことが決まったのですぐに戻るように、という命が下り、昭武は帰国を決断します。
太夫はエラールに礼を言います。彼の勧めで国債と鉄道債を買い、600両も儲け、さらにフランスの鉄道にも役立った、と。
キャピタルソシアル=鉄道や水道など、志は良くても一人では出来そうもないことが、多くの人から少しずつお金を集めることで可能になる、一人一人の小さな力が合わさり、皆が幸せになる、そんな術があったことに改めて感心する篤太夫。「俺が探し求めて来たものはこれだ!」と、どんなことになってもこの手で日本のために尽くすことを決意します。

こうして一行は帰国の途につきますが、ここまでのパリの描写が全体的にとても良かった。VFXがうまく使われ、画面全体から伝わる光の加減がちょうどよく、陽の明るさやキラキラした感じ、太陽の光の温かさや風の柔らかさが自然と伝わって来て、気持ちが良かったです。

―明治になりましたよ。しかしまだまだ各地で戦は収まらず、薩長新政府は政権を奪い返しはしたものの、金もなく内政も外交もふらふらだ。民の多くもまだピンとこず、すぐ元の世にもどるだろうと思う者も少なくなかった。篤太夫たちはそんな最中に帰って来たのです―と家康。
帰国した篤太夫は、杉浦愛蔵(譲/志尊淳)らと再会し、その時初めて鳥羽伏見の戦いで公儀が錦の御旗を掲げる薩長に負けたことを知ります。敵対すれば上様は朝敵となる、それを恐れたのだろうと。
慶喜は先の将軍・家茂の正室であった静寛院宮(和宮深川麻衣)に目通りも願わず、天璋院上白石萌音)からも失望されます。「某(それがし)は断じて朝廷に刃向かう気はございません」と言うも、天璋院は「武士の棟梁としていさぎよく腹を召されませ」と冷たく言い放ちます。

その後、静寛院は岩倉具視に、天璋院は西郷吉之助に、自分の命を懸けて徳川の存続を願い出るのですが、この二人の肝の座った姿勢、凛々しくてすごく良かったです。この時の慶喜が腑抜けた感じに見えたのでなおさら。これもまた、女性の戦い方、と言えるのかもしれません。

慶喜は上野寛永寺に謹慎、江戸城は戦もなく薩長に明け渡されました。川路聖謨平田満)は自殺、斬首される小栗忠順武田真治)の舌にはネジが!これには息を呑んでしまいました。小栗の信念を物語る印象的なシーンでした。

さらに、篤太夫は、川村恵十郎(波岡一喜)と虎之助(萩原護)から、成一郎(高良健吾)、惇忠(田辺誠一)、平九郎(岡田健史)が、振武軍と名乗って秩父の山で新政府軍と戦って敗れたことを聞きます。
惇忠と成一郎は逃げ延び、成一郎は箱館へ向かい五稜郭で戦っている、慶喜は水戸から駿府へ移り謹慎を続けている、と。
この時の平九郎最期のシーンは、観ていてとても苦しかった。激闘の中、徳川様に200年の恩があるという老夫婦に助けられ、蚕様を見て懐かしむ平九郎が本当に哀しい‥血洗島にいたら、てい(藤野涼子)と夫婦になって幸せに暮らしていたかもしれないのに‥。そして最後は、我こそは、と名乗りを上げ、敵兵に討たれ、自刃‥それは長七郎(満島真之介)が求め焦がれた武士としての本懐、というものなのかもしれない。でも、その本懐が、本当に命と引き換えにするほどの価値あるものなのかどうなのか‥泣

太夫が戻って来る、と血洗島に連絡が来ます。
千代(橋本愛)は、長七郎に「栄一さんが命を捨てるのを踏み留まったのも、今の道を歩まれたのも兄さまのおかげだ」と言いますが、「俺は死に損なったのみ、このまま生きても母様や兄いに迷惑かけるだけ」と。そして惇忠に「兄い、俺たちは何のために生まれてきたんだんべなあ」そう話す長七郎の目が澄んでいてきれいで‥そのことが余計に哀しかった。この時の3人兄妹の表情が、それぞれが背負った苦しさを表現しているようで、すごく重く感じられました。

久々に故郷に戻った篤太夫は、千代、市郎右衛門(小林薫)、ゑい(和久井映見)ら家族と再会を喜び合い、そこで長七郎が亡くなったことを知ります。
尾高の家で惇忠に出会う栄一。惇忠が、自分が二人の弟を巻き込まなければ‥と深く悔いているのが、容易に察せられます。
「誰にも合わす顔がねえ、戦で死ぬことも忠義を尽くすことも出来ず、一人おめおめ生き残るとは‥」と言う惇忠に、「兄いが戦で死なねえでよかった。合わせる顔がねえのは俺だ。パリまで行ってようやくわかったんだい。銃や剣を手に戦をするんじゃねえ、畑を耕し、藍を売り、歌を詠み、皆で働いて励むことこそが俺の戦い方だったんだい。ようやく気付いて お千代にも平九郎にもとっさまにもかっさまにも本当に申し訳ねえ。この恥を胸に刻んで今一度前に進みたい、生きている限り‥」と号泣します。

太夫は、成一郎たちがいる函館には行かず、まず慶喜に挨拶に伺いたい、と駿府に向かいます。駿府は、江戸を追われた徳川家家臣たちの受け皿になっていました。
昭武から預かった直書を届け その返事を貰うため、篤太夫は宝台院で謹慎している慶喜との謁見を願い出ます。
慶喜の質素な身なりに驚く篤太夫。この時の すっかり覇気を失ってしまった慶喜がすごく胸に刺さりました。圧巻でした。
旅の様子を詳しく話し始める篤太夫。穏やかな表情で聞き入る慶喜は「昭武が障りなく帰国出来たのもひとえにそなたのおかげだ」と深く頭を下げます。
立ち去ろうとするところを思わず上様と声をかけるも、慶喜の心中を図って言葉を飲み込む篤太夫
もし慶喜が公儀存続を持ちこたえていたら、フランス留学後の昭武に日の本の将来を託すことが出来たかもしれないのに‥いや、他ならぬ慶喜こそ、その任にもっとも適した人間であったかもしれないのに‥
お互いがお互いの深い胸の内を察してそれ以上の言葉を掛けずに別れる‥淡々としていましたが、苦しい無念の想いが伝わった名シーンだったと思います。

―江戸は東京に変わるやいなやすっかり寂(さび)れた。大名は国元へ帰り、商人や町人も多くは去り、100万人を超える人口は半分以下になった。一方駿府には徳川の行き場を失った幕臣やその家族など10万人が一気に流れてきた。多くがフリーターになってしまった―と家康。
そんな中、篤太夫は、駿府藩の勘定組頭を命じられます。
この命令が、昭武に重く用いられた篤太夫水戸藩士に妬まれ平岡の二の舞になりかねないことを案じた慶喜の取り計らいであることを聞かされ、駿府に残ることに。一時でも幕臣としていただいた百姓の矜持として、禄をいただくことなく百姓か商いをして余生を過ごしたい、と。
その話を聞いた慶喜がおかしろき男だ、と微笑む。平岡が使った「おかしろい」という言葉が、ポイントで使われるの いいですね。

太夫は、新政府から藩の財政を救うため太政官札が出ているのを知ります。それを使えば新政府から借金したことになり、返せなければ駿府は破産する、と、パリで学んだ知識を生かし、武士と商人が力を合わせて商いを営むコンパニ―を始めるために商法会所を設立、財政改革に乗り出します。
太政官札を2割安で正金に換える時の篤太夫と三井組番頭・三野村(イッセー尾形)のやりとりが面白かった。刀を観て、その重いのは商いをするにはさぞ邪魔でございましょうなあ、とか、食えないおやじだ、とか。刀ではない新たな戦いが、さっそく始まりそうな気配。

千代や娘のうたが駿府に来て、家族で暮らすようになります。
太夫は「武士には刀を捨てそろばん勘定を、商人には駿府の一端を担うという矜持を持っていただきたい、これからは力を合わせて共に働くんです」と得意の一席をぶち、それに応じて刀を外す川村恵十郎がかっこよかったです。
改革は徐々に軌道に乗り始めます。

箱館では、成一郎や土方歳三(町田啓太)、高松凌雲(細田善彦)らが新政府軍に最後の抵抗を続けていました。
成一郎は、死ぬ覚悟の土方から、お主も(篤太夫と同じ)生の匂いがする、生きろ、生きて日の本の行く末を見届けろ、と言われます。
数日後、五稜郭開城。すべての徳川の戦いが終わりました。

版籍奉還駿府静岡藩となります。慶喜は謹慎をとかれ1年半ぶりに自由の身に。美賀君(川栄李奈)も慶喜の元へ。
新政府(明治政府)から大蔵省への出仕を求められた篤太夫は、直接断りを入れるため東京へ向かいます。
伊藤博文(山崎育三郎)の案内で大隈重信大倉孝二)を訪ねた篤太夫は、「静岡での務めがある。大蔵省に一人の知人もおらず、租税司の職とて何一つしらぬところ。本音を申せば、先の上様から卑怯にも政を奪った薩長の新政府に、どうして元幕臣の某が務めることが出来ましょうか」と、きっぱりと辞任を申し出ます。
最初完全にビビってる大隈が面白かった。篤太夫のひややか~な目、最高。
そして大隈の大演説。
「君は 某は何も知らぬと言うたばってん、おいが何でん知っとうと思っとるのか。それこそお門違い。まったくもって新しか世ば始めようとすっとにそのやり方を知る者などおいも含め一人もおらん。これからどうしたらいいのか、おいも含め知っちょるもんはだ~れもおらん。知らんから辞めると言ってみんなが辞めてしまったらこの国はどうなるか。誰かがやらんばならんばい。新政府においてはすべてが新規に種の蒔き直しなのであ~る」
すかさず篤太夫の鋭いツッコミ。「まことに国の為を思うなら、新政府は徳川を切るべきではなかった。天子様のもと、世界の知識を第一に持ちえた徳川と諸侯が一体となり政(まつりごと)をすべきだったんだ。上様はその覚悟があった、だから政を返したんだ、それなのに薩摩や長州が徳川憎しと戦を仕掛け‥」と蒸し返すと、戦のことはおいは預かり知らん、と逃げる大隈。
伊藤は「今、外国から新政府の評判はいよいよ悪い」と。
大隈は「新政府は名ばかり、恥ずかしか限りである。御一新は終わりじゃなか。国をひとつにまとめるのはこれからばい。すべて古い因襲ば打破し、知識ば海外に求め、西洋にも負けん新しか制度を作らねばならん。そのためには外国の事情に通じた優秀なもんば一刻も早う政府に網羅し、それぞれ非常な奮励努力ばもって、協力同心するしかないのであ~る。日本中から八百万の神々を集めるようなもんたい。君もその一人、八百万の神の一柱ばい。われこそは国のためにこれをやってやりたいと思うことはなかか。皆で骨ば折り、新しか国ば作ろうではないか。おいは渋沢君に日本を作る場に立って欲しいのであ~る」‥ここで息切れしちゃう大隈さん、笑っちゃうけど、でも、この演説は凄かった!その言葉を全身に浴びて、徐々に目をキラキラさせて行く篤太夫も良かった!久しぶりに胸がぐるぐるしてる、と、観ていて鳥肌立ちました。

慶喜は、篤太夫に「まだ日本は危急存亡のときだ、私のことは忘れ、この先は日本のために尽くせ」と最後の命を下します。
慶喜なら、本当に新しい日本を作ることが出来るはずだ、と、それは篤太夫だけでなく、おそらく慶喜自身も思っていたんじゃないか、という気がします。しかし、自分がしゃしゃり出ることで、また日本中が混乱に巻き込まれ、いらぬ戦いや争いが起こることを恐れた‥この人は本当に日本を俯瞰で見ることが出来る人だったのかもしれません。この引き際も潔いです。

太夫という名を返した栄一(吉沢亮)は、各省の垣根を超えて広く日本に必要な物事を考え即実行できる “改正掛(かいせいがかり)”を立ち上げ、杉浦譲や前島密(三浦誠己)を静岡から呼び寄せます。
改正掛は、租税の改正、戸籍の編纂、貨幣や郵便制度の確立など、新たな国づくりのためまい進、このあたりのまとまらないワヤワヤ感と、同時に旧幕臣たちが自分たちの力の発揮どころを見つけてワクワクしてる様子が、すごく面白かった。
幕臣の活躍を快く思わない一派は大隈に文句を言いますが、やるべきことを次から次へと遠慮なくしかも的確に進言して来る栄一に、何も言えなくなってしまいます。

そんな中、日本随一の輸出品である生糸の質が悪いとフランス商人から文句を言われた、と愚痴る大隈。お蚕様も知らない大隈を前に生糸の作り方をレクチャーする栄一に、養蚕のことは君にまかす、って、丸投げの大隈さん。ずるいなぁと思いつつも、かわいげがあって憎めない。
次女・ことが生まれ、栄一のもとを訪れた栄一の父母は、惇忠が村をまとめ、養蚕に精を出していること、武州の良い生糸で国を富ませたい、と話していることを栄一に伝えます。このあたり、後の富岡製糸場に繋がって行きそうです。

飛脚便を国で管理して飛脚印(切手)を貼る、それを「郵便」と名付ける郵便事始めとか、外国のやり方をまねていろんなことをどんどん進めて行く、スピード感が楽しい。
横浜の商いの帰りに惇忠が栄一の家に寄ります。栄一は、新政府に入らないか、と誘いますが、平九郎が新政府に殺されたことにわだかまりのある惇忠は拒否。
栄一は「自分たちも横浜焼き討ち計画で異人を殺そうとした。戦は、一人一人は悪くなくても、敵だと思えば簡単に憎み、無残に殺してやろうという気持ちが生まれてしまう。もう侍の世はごめんだ。壊すんじゃねえ、作るんだ。己の手でこの国を救えるんだったら何だってやる」と。この言葉、惇忠のど真ん中に刺さったと思う。

村に戻り、仕事の手を止め、自分の掌を見つめる惇忠。戦に倒れた平九郎や、「俺たちは何のために生まれて来たのか」と言った長七郎の顔が浮かぶ、栄一の「この恥を胸に刻んで、今一度前に進みたい。生きている限り」という言葉も。
そして‥改正掛に来てくれた惇忠‥涙。
栄一の嬉しそうな顔、惇忠の決意に満ちた顔‥もう‥かっこいいったらない!こっちまで嬉しくなりました。
そして、あれだけ攘夷をとなえていた惇忠が、少しの躊躇の後、強い眼差しで富岡工場の顧問である外国人と握手するシーン‥はぁ~良かった、惇忠もやっと前に進める気がします。

栄一は、大阪の造幣局で、五代友厚ディーン・フジオカ)や三野村と再会。栄一は、「世が変わっても商人がお上の財布代わりになる古いシステムは変わらん。この大阪で日本の商業を魂から作り変えたい」という五代の考えに共感します。
そして、くに(仁村紗和)との出会い‥

一方、あいかわらず政府は混乱、首脳会議では、突然、西郷隆盛博多華丸)が「まだ戦がたらん」と声を上げます。
それを、井上馨福士誠治)は “戦覚悟で廃藩置県を断行せよ”との意思表示と理解し、栄一たちに廃藩をやると宣言しますが、それには各藩の藩札の価値の違いや負債など問題が山積みであること、旧大名や士族たちの不安を取り除けば、無駄な争いは避けられる、との栄一の言葉に、ならばそのあたりを内密に改正掛でやってくれ、って、また面倒なことを丸投げされてしまう栄一。
文句を言いつつも、それからわずか4日で廃藩置県をやり遂げるのですが、これは外国からも「封建制度は一夜にして廃止、完全なる変革を成し遂げた」と、世界に類を見ない無血革命として驚きをもって報じられました。

冬のある日、栄一のもとに、父危篤の知らせが届き、栄一は馬車を走らせ会いに行きます。市郎右衛門は栄一に、心残りはなにもない、俺は渋沢栄一の父だ、天子様の朝臣になったおまえを誇りに思っている。と。2日後、家族が見守る中、亡くなります。
「なんと美しい生き方だ!」という栄一のつぶやきが胸に沁みます。
いつもすっきりと背筋を伸ばして物事を広くまっすぐ温かく見つめるこの人の生き方・姿勢が、栄一の中に息づいている気がしました。

くにが妊娠、身寄りのない彼女を渋沢家に連れてきた栄一。「おくにさんもおなかの子もここで共に暮らせばよいではありませんか。お前様の子です、共に育てましょう」と、千代はすんなり受け入れますが、その後一人になった時の彼女のため息が深くて、切なかった。
函館で戦った成一郎が2年半ぶりに釈放され、栄一は「死なねえでよかった」と、成一郎と抱き合います。

大久保や岩倉が使節団として海外に赴くことに。そのあいだ新規の改正をするべからず、という約定を残して。
栄一はそれを、廃藩置県後の処理であればおおいにやれということ、と都合よく解釈、日本初の銀行設立に乗り出します。
早速、豪商の小野組、三井組に協力を依頼、合同銀行を作りたいと提案しますが、独自に銀行を作りたい三野村はこれを拒否。栄一は三井組小野組の官金取り扱いを取りやめる、今預けている官金をすべて返納せよ、と半ば脅しをかけ、あわてた三野村たちは頭を下げ、合同で銀行を作ることを受け入れます。

富岡製糸場の開業準備を手伝うため群馬に向かった成一郎は、惇忠がフランス人とともに働く姿に驚きます。「腹を割って話せば、結局は人と人なんだ、生き残った以上おれたちも前に進まぬわけにはいかねえ」と。ここの惇忠の目力がいいです。成一郎も納得しないわけにいかないですね。

栄一からの、合同銀行を作りたいという提案も、三井組ハウスを銀行に、という申し入れも、三野村は渋々受け入れます。この時の顔がねぇ、もう最高でした。
「渋沢様もやはりお役人。しょせん私たちとは立っている場所が違う。これから先も、地べたに這いつくばって、あなたがたの顔色をうかがうのみ。徳川の世と何も変わりませんな」という三野村の痛烈な皮肉に、上納金を岡部藩の役所に運んだ時のことを思い出す栄一。

そのころ、惇忠は、富岡製糸場で伝習工女が集まらないことに悩んでおり、娘のゆう(畑芽育)に、最初の伝習工女になって欲しいと頼みます。
悩むゆうに、祖母(手塚理美)は言います、「私らはずっと男たちを観ているだけだった。何をたくらんでいるかも、外で何が行われているのかも何にも知らせてもらえねえで、ただ黙って‥その惇忠が娘のあんたに頭を下げて助けてくれと頼んでるんだ、なんだか嬉しいじゃねえか」
二人の息子を失った彼女ですが、この言葉には、国のために何をなすべきか、女性も考えて行動出来る時代になろうとしている、それをやってもいいのだ、という、新しい社会に目を向ける女性の姿があったように思います。さすが淳忠・長七郎・平九郎の母ですね。そういうところはまた、娘の千代にも受け継がれているように思います。
そしてゆうの決心がきっかけとなり、多くの女工が集まり、製糸場は操業を開始、女性の社会進出のさきがけの場となります。

喜作は生糸を学ぶためイタリアに。
千代が男子を生みます。
政府は、予算を握る大蔵省と各省の間で対立が深刻に。
栄一は、政府に入ったのは新しい日本を作りたかったから。なのに、高いところから物言うだけのおのれが、心地が悪い。おかしろくねえ、と、大蔵省を辞める決意をするのです。
俺の道は官ではない、一人の民(みん)なんだ。今度こそ最後の変身だ。と。


いや~、今回、一番楽しかったかも。
慶喜と篤太夫の邂逅(かいこう)も深い味わいがあってとても良かったですし、新政府に入ってあらゆるものをどんどん改革して行く栄一と改正掛の人たちが、過去の立場を超えて手を繋ぎ、未曽有の困難に立ち向かって行く熱量とスピード感が、半端なくビシビシ伝わって来たところも本当にワクワクしました。
大隈さんの大演説と、その勢いに徐々に吞み込まれて行く栄一の表情も良かったなぁ‥時代の境目に居る感覚みたいなものを私自身も味わえた気がして、栄一みたいに胸がぐるぐるしました。


大河ドラマ『青天を衝け』
放送:2021年2月14日 - 12月26日 NHK総合 毎週日曜 20:00 - 20:45
脚本:大森美香 音楽:佐藤直紀
演出:田中健二 黒崎博 村橋直樹 田島彰洋 鈴木航
制作統括:菓子浩 福岡利武  プロデューサー:板垣麻衣子  
制作:日本放送協会
出演:吉沢亮 高良健吾 橋本愛 草彅剛 
大倉孝二 イッセー尾形 田辺誠一北大路欣也 他
公式サイト

今さら『青天を衝け』感想(その2/第13回~21回)

2021年2月14日 - 12月26日NHKで放送された大河ドラマ『青天を衝け』(第13回~21回/一橋家臣編)の、今さらながらの感想です。

▶第13回~21回(一橋家臣編)
物語は、血洗島村から京へと移ります。
栄一(吉沢亮)と喜作(高良健吾)は、江戸で平岡円四郎(堤真一)の妻・やす(木村佳乃)から二人が平岡の家臣だという証文を受け取り、侍のこしらえをし、平岡を追って京へ向かいます。
その頃、政(まつりごと)の中心は江戸から京へ。孝明天皇尾上右近)は、慶喜(草彅剛)・松平春嶽要潤)・松平容保(小日向星一)などを朝議参与に任命、参与会議を開かせますが、その中心にいたのは武力に勝る薩摩・島津久光池田成志)でした。

京に着いてほどなく金を使い果たしてしまう栄一たち。攘夷の連中は幕府への不満をべらべら言ってるだけでちっとも動かねえ、それならば、と、「ここに眠る志士たちの目を覚まし、横浜焼き討ちの悔いを晴らす。今一度共に画策致したい」そのために長七郎(満島真之介)に京に来て欲しい、と惇忠(田辺誠一)に手紙を送り、長七郎は京へ向かいます。しかし、道中で狐の嫁入りの幻想を見、誤って飛脚を斬ってしまい、捕えられてしまうことに。
もうねぇ‥長七郎の全身から絞り出されるようなやるせなさが、観ていて本当に切なくて苦しくてつらい。

長七郎が捕まったことで、自分たちも追われるのではないかと心配し逃げようとするところを、栄一たちは平岡に呼ばれます。
平岡相手に臆することなく「一刻も早く幕府を転覆せねば、と悲憤慷慨している」と正直に胸の内を明かす栄一。本当にこの人は怖いもの知らずで、いつも誰にでも臆することなくまっすぐぶつかって行きますね。
しかし平岡から「おまえらが幕府を駄目だと思っていても、一橋が同じとは限らねぇ。一橋の家来になれ」と言われます。
栄一は、「今仕官すれば俺たちはただの逃げ回る百姓じゃねえ。幕府からの嫌疑は消え、長七郎を救い出す手立てがみつかるかもしんねえ」と、平岡に「一橋様に手前どもの愚説を建白いたしたい」と申し出ます。
すごいですよね、まだ何者でもない人間が、直接 慶喜に会って物申したい、と言ってるのですから。
―とんでもない、この頃の慶喜は大変だったんです。朝議参与に勝手なまねはさせまいと、家茂(磯村勇斗)と幕府老中たちが京にやって来る。将軍後見職であり、朝議参与でもあった慶喜は板挟みに―と家康(北大路欣也)の解説。
平岡はどうにか二人の顔だけでも拝謁してもらおうと、遠乗りの折に強引に会わせる算段をする‥そして、これが、初回の「渋沢栄一でございます!」に繋がるんですね。
ここからはその続きとなります。

慶喜の前に進み出た栄一は、「すでに徳川のお命は尽きております!」なんと思い切ったことを!そりゃあ、慶喜だって馬も止めちゃいます。そして「天下に大事があった時のためにこの渋沢をお取り立て下さい!」と言うのですから、肝が据わっているというか図々しいというか‥
数日後、拝謁を許される二人ですが、慶喜は、特に聞くべき目新しい意見もなかった、とけんもほろろ。しかし、ずけずけと遠慮なく物申すところなど平岡と似ていて、その出会いを思い出した慶喜は、平岡の進言もあり、二人を召し抱えることに。
平岡は二人に、今 慶喜が置かれている立場を語って聞かせ、「異国を追い払うのではなく、これからは日本も国を国としてきっちり談判するんだ。わが殿も、朝廷や公方様や老中や薩摩や越前やら毎日一切合切を相手にしながら一歩も後に引かねえ強情もんだ。この先は一橋のためにきっちり働けよ」と。
栄一と喜作は、この時初めて、今までただ想像していただけの「この国の政治を実際に動かしている現場」に足を踏み入れた、ということになります。

二人は一橋家で働くことになり、一緒にぼろ長屋で暮らすことに。
薩摩が中川宮に取り入り朝廷への影響力を強めようとしていることを知った慶喜は、中川宮に直談判に行き、島津・山内・松平を天下の三愚物と言い放ち、「天下の後見職である自分が大愚物と同様にみられては困る。私の言うことが心得違いと申すのなら、明日からは参内致しませぬ!」と宣言。これを機に参与は解散、政治が幕府の手に戻ります。
慶喜の内に秘めた熱いものがやっと外に出て来た感じ‥固い意志と並々ならぬ覚悟とが伝わった場面でした。
慶喜の大愚物発言騒ぎをきっかけに朝議参与は勢いを失い、慶喜への期待が高まり、第一の家臣・平岡円四郎の名も広く知れ渡るようになります。

栄一と喜作は、平岡から「篤太夫(とくだゆう)」「成一郎」と新しい名を授かります。恥ずかしがる栄一がかわいい。
太夫の初仕事は、摂海(大阪湾)を異国から守るため防備の要職につく薩摩藩士・折田要蔵(徳井優)の隠密調査でした。折田のもとには台場つくりを学ぼうと諸藩から大勢の武士が出入りしていて、篤太夫は、そこで西郷吉之助(博多華丸)と出会います。
折田がさほどの人物とは思えない、と平岡に告げ、優秀な家臣を増やしたいなら、知り合いの志士たちを召し抱えて欲しい、と頼む篤太夫。金がないと嘆く平岡ですが、高い禄や身分を望まずに一橋に仕えたいという者が必ずいる、という篤太夫に、平岡は慶喜への建言を約束します。

折田の元を去る篤太夫。国のあちこちから来ている者たちのため、仕事が円滑に進むよう薩摩方言をまとめて冊子にし、喜ばれます。
このエピソード好きでした。癖の強い方言を相互理解させるためのツールって、実はこの時期すごく必要なものだったんじゃないか、大きな政治とは別に、こうした実務の中からも世の中を変えて行く土台が少しずつ育まれて行ったんじゃないか、という気がして。
西郷は篤太夫と一緒に鍋を囲み、この先この世はどうなると思う?と尋ねます。「幕府には力がない、天子様には兵力がない、徳川の代わりに一橋さまが治めるべき」と即答する篤太夫に、西郷が「薩摩が治めてはだめか」と聞くと、「薩摩の今の殿様にその徳がおありならそれもよい。それがしは徳ある方に才ある者を用いてこの国をひとつにまとめてもらいてぇ」と。
太夫の明瞭な物言いは、朝廷だ公儀だ薩摩だと狭い空間でしか物の見えない連中に、もう一つ上から見ることを示唆しているようで、彼の視野の広さと考え方の柔軟さがうかがい知れたような気がしました。

太夫は、「無理に死ぬのを生業にするこたあねえ、侍は米も金も生むことが出来ねえ。この先の日の本やご公儀はもう武張った石頭じゃあ成り立たねえのかもしれねえ。だから渋沢、おめえはおめえのまま生き抜け。必ずだ」という平岡の言葉を胸に、成一郎と共に一橋家の兵を集めるため関東に旅立ちます。
その頃、水戸藩は攘夷を唱え決起した天狗党の対応をめぐって大きく揺れており、藩主・徳川慶篤(中島歩)は家臣に天狗党を捕らえることを命じなければならなくなります。
党の者が惇忠のところにも軍用金を集めに来ますが、「水戸のご主君はご承知の上か。兵を挙げるのに大事なのは大義名分。それがなければただの争乱となる」と断ります。このあたりは、長七郎や栄一(篤太夫たちによって天下の動きを天狗党より広く深く聞き知っていたゆえの言葉だったように思います。
しかし、岡部の役人から水戸の騒動とのかかわりを疑われ、惇忠と弟・平九郎(岡田健史)は捕らえられてしまいます。
一方、京都では土方歳三(町田啓太)ら新選組池田屋を襲撃。この襲撃を命じたのが一橋慶喜であるといううわさが流れ、水戸の攘夷派志士の怒りは、慶喜と側近・平岡円四郎に向かっていきます。
そして‥死亡フラグが何本も立ったうえでの平岡の最期・・
「死にたくねえぞ‥ 殿、あなたはまだ‥‥ やす‥」との言葉を残して・・ 
その死があまりにも唐突にやって来たので、こちらの感情が追い付かない・・泣

一橋家のために人を集め、江戸に向かう篤太夫と成一郎。惇忠からの文が届き、村の者たちが岡部の陣屋に押しかけ惇忠の放免を直訴し平九郎の手錠もはずされたと知ります。惇忠(の中の人)推しとしては、このエピソードは嬉しかった。惇忠、名主さまとして村人たちにそれだけ信頼されていたんだなぁ。

集めた兵と共に江戸に戻った篤太夫と成一郎は、平岡の死と、襲ったのが水戸の攘夷志士だったことを猪飼(遠山俊也)から知らされ、衝撃を受けます。
その頃、京では慶喜が、長州を撃てという孝明天皇の勅命を受け、御所に押し入る長州藩兵と戦っていました。禁門の変蛤御門の変)ですね。そこに、西郷吉之助率いる薩摩藩兵も加勢し長州は壊滅しますが、この時西郷は、慶喜が長州びいきの公家を押さえつけるなど役職に違わぬ働きをしたことを知り、しばらくは一橋側についた方がよい、と思うようになります。
一方将軍である家茂は、この戦に何も為してはいないこと、慶喜に比べ無力であることを嘆きます。

水戸では、藤田小四郎(藤原季節)が率いる天狗党が、武田耕雲斎津田寛治)に首領になることを頼み、慶喜に力になってもらおうと京を目指していました。しかし耕雲斎は「上洛はあきらめて国へ落ち延びよ、でなければこの手で天狗党を討伐せねばならぬ」との慶喜の密書を携えた成一郎と面会し、自分たちが慶喜を追い詰めてしまったことを悟り、公儀に下ることを決意します。
慶喜は、公平な処置をする、という言葉を信じ、幕府に天狗党の身柄を預けますが、ことごとく首を斬られることに。
戦が終わったのに、何故そんなむごいことになった、と驚く篤太夫に、「天狗党を生かしておけば、いずれ殿が彼らを取り込み幕府をつぶす火種になる、と考えて皆殺しにした。攘夷なんぞどうでもいい、この先は一橋を守るために生きる」と成一郎は腹を決めます。
このあたりで二人の行く道がはっきりと分かれてしまった気がします。武士として慶喜のために命を懸けることに生きる道を見出そうとした成一郎と、日の本に生きる人間すべてが幸せになる道を見つけるためにまず一橋家の土台を整えようとした篤太夫と。

天狗党事件以後、長州や薩摩は一気に外国に擦り寄った。もはや彼らの敵は外国ではなく、徳川になってしまった―と家康解説。
公儀もまた財政に苦慮しており、小栗忠順武田真治)が、軍事だけでなく、財政や経済が重要であると幕府に提言。
薩摩やご公儀に侮られぬほどの歩兵隊を作りたい、その役目を自分に与えてもらいたい、と、慶喜に願い出、軍制御用掛歩兵取立御用掛に任ぜられた篤太夫は、一橋領のある備中へと向かい、漢学者・阪谷朗廬(山崎一)のもとで塾生に交じって学び始めます。港を開くべきと考える阪谷は、「異国が通商を望むのは互いの利のため。それを盗賊に対するように無下に掃おうとするのは世界の流れと相反することになる」と。それを「おかしれえ」と感心する篤太夫‥(この言い方が平岡にかぶって泣ける)
役人ではありますが、通い詰めて塾生と親しくなったり、畑に行ったり海に行ったり、この地のなにもかも知りたい、という篤太夫の気持ちが通じ、やがて、一橋家に御奉公したい、一緒に連れて行って欲しい、という者が集まるようになります。

慶喜に褒美をたまわる篤太夫。兵が増えた分、兵を賄うお金も必要。ご公儀に借りてどうにかしよう、という猪飼に、「借りた金では懐が豊かになりません。武士とて金は入り用、いかに高尚な忠義を掲げようが、戦に出れば腹も減る。腹が減り食い物や金を奪えば、それはもう盗賊だ。両方なければだめなのです。この壊れかけた日の本をまとめられるのは殿しかいない。そのためにこの一橋家をもっと強くしたい。懐を豊かにし、その土台を頑丈にする、軍事よりはそのようなことこそ己の長所でございます」とあいかわらずの熱烈自己アピールで、慶喜の許可を得ます。
武士として一歩先に行かれていた成一郎に自分の長所で追いつこうとする、やっと自分のやるべきことを見つけた篤太夫‥このあたりはもう観ていてワクワクしどおしでした。

太夫は、領内の出来の良い米の大坂での入札制、火薬の製造、など、一橋家の懐を豊かにするために動き出します。やるべきことを見つけたら行動は早い。一気に才能開花、って感じですね。
一方幕府でも、小栗が、フランスから軍艦を買い長州や薩摩を討ってしまえば日の本は上様を王とするひとつの国となる、と、考えをめぐらし、交易の利益を得るためフランスからの万国博の誘いにも応じることに。
―新たな世は経済の知識なしには成り立たなかった―と家康。
イギリスから、公儀が勅許を取れなければ じかに朝廷と話をして勅許をもらう、と伝えられた家茂は、慶喜に将軍職を譲る決心をし、江戸に戻るところに慶喜が早駆けで追いかけて来ます。「上様あってこそ臣下は懸命に励むのです。私が将軍になったところで誰もついては来ぬ。将軍はあなた様でなければならぬのです」と家茂を説得。そして、慶喜は、公儀が調印した条約の勅許を切腹覚悟で天皇に願い出、7年越しの修好通商条約の勅許を得ます。
このあたりはもう慶喜にとって内も外もギリギリの攻防、という感じですね。

一方、篤太夫は、一橋の木綿をまとめて買い入れブランド化して商品の価値を高めることに成功、百姓を潤すことでやがて国そのものが豊かになることを確信、さらに紙幣の流通にも取り組みます。
紙幣作り、面白かったです。こういう場面って普通の時代劇じゃなかなか出てこないんですよね。お侍さんばかりが明治維新の礎を築いたわけじゃない、というところが爽快。渋沢栄一を主人公にしたがゆえの面白さだと思います。
‥で、紙幣作りに話を戻すと‥ 貨幣だと重すぎる。しかしどうすれば紙切れに価値を与えられるのか‥精密な版木を3つに割って、3つ合わさってはじめて印刷が出来るように工夫し、半年かけて銀札引換所を作り、百姓たちが木綿を作って紙幣に替え、それを銀に替える仕組みを作った。一橋家は額面通りの銀に引き換えたことで信用を得た。またたくまに一橋の懐が安定、篤太夫は、慶喜にその成果が認められ、勘定組頭に抜擢されます。面白いほど打つ手が当たる、ほんと楽しいなぁ。
成一郎は軍制所調役組頭に昇進、別れて暮らすことに。勘定方に納得がいかない成一郎ですが、自分はこっちの方が向いている、と篤太夫。一橋の勘定方として幕府の勘定方・小栗にも負けねえ差配をしてやんべえ、と。
「俺は命を懸けて殿のために戦う。長七郎が志士として名を遺す好機を俺たちは奪っちまった。しかし死んじまったら何にもならねえ。俺はいつか長七郎と揃って一橋家の雄となる。‥道は違えるが、互いに一橋を強くすんべえ」と成一郎。

ついに幕府は2度目の長州征伐へ…しかしひそかに薩長同盟を結んだ長州を前に、幕府は大苦戦。
そんな中、大坂城で指揮を執る家茂(磯村勇斗)が亡くなり、慶喜は徳川宗家を相続、事実上次の将軍になることが決まります。
長州追討は、幕府の敗北が決定的に。出陣前だった大坂城慶喜は、引き際と考えて和睦を進めようとします。
一方、薩摩の大久保一蔵(石丸幹二)は岩倉具視山内圭哉)と共謀し、幕府を捨て王政復古することを画策していました。

一橋家の家臣の一部は将軍家に召しかかえられることとなり、篤太夫や成一郎も一橋家を離れることに。慶喜が上様になってしまうことで、もう二度と建言など出来ない、と悲しむ篤太夫
大坂の幕府陸軍奉行所で働き始める篤太夫と成一郎。そんな中、血の気が多いと目をつけられた篤太夫は、新選組副長・土方歳三(町田啓太)とともに謀反人の捕縛に向かい、土方に助けてもらいます。
武士となって国のために戦うのが目当て、潔く命を捨てる、命に未練はない、という土方の言葉に割り切れないものを感じる篤太夫
土方の言う、武士らしい潔い死、というのは、成一郎と考え方が同じなんだろうと思います。しかし、篤太夫は、もはや侍らしく死ぬことが誇らしいとは思えなくなっている。勘定方として百姓らとやりとりしたり、天狗党の失敗を目の当たりにして、日の本を発展させるには経済力が不可欠と理解する、刀よりも鉄砲よりも日の本を強くする力がそこにあることを知った篤太夫‥それは、子供のころより父親について商いしてきた彼自身がもっとも得意とした分野でもあったわけですよね。

太夫は、慶喜の弟・昭武(板垣李光人)の随行でパリ行きを打診され、その場で快諾します。
一方、江戸からの帰りに血洗島に立ち寄り、惇忠と会って「倒幕の心つもりだった俺たちが幕臣に転じるなどあまりに変節。しかし今は幕臣として上様を支えたいと思っている」という成一郎に、「俺は今や一橋様のお考えに異論なしだ。国を開くことでかえって国威を上げるのであれば、これぞまさに水戸様の教え」と惇忠も賛同します。
「兄いにだけは、道が違うと言われたくなかった」ほっとする成一郎。そして、惇忠や平九郎に、一緒に来ないかと誘います。「上様には優秀な軍師が必要、兄いにならそれが出来る」と言われた時の惇忠の顔が、いろんな想いを含んでいるように思われて・・うん、推しのこういう表情を見られただけで嬉しい。

慶喜は第十五代征夷大将軍に就任。しかし、孝明天皇は種痘に罹り崩御
慶喜は篤太夫を呼び出し、昭武と顔合わせをさせます。慶喜は昭武に、そなたがパリの博覧会に出ることで、日の本もようやく世界の表舞台に立つことになる、と、「会が終わった後は条約を結んだ各国を回り、その地の王に挨拶すること。その後フランスにて学問を収めること」など5つの心得を伝えます。
人払いをした後、慶喜は篤太夫に、将軍になってしまった、と話をします。「内外多難の今、もはや私の力などでは及ばぬことも分かっておる。ゆえに、行く末は、欧州にてじかに広き世を見知った若き人材に将軍を継がせたい。それには昭武がふさわしい。昭武が戻れば、もし私に子があっても、昭武を世継に推す所存だ」と。
跡継ぎを純粋にその才能から選ぼうとする慶喜の我欲のなさみたいなものが、誰もかれも己の利のために動いているような中で、際立って清々しいです。
太夫が、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず」とそらんじると、慶喜が「不自由を常と思えば不足なし、心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし」と続き、篤太夫「堪忍は無事長久のもとい」慶喜「怒りは敵と思え」そして二人声を揃えて「勝事(かつこと)ばかり知りて負くることを知らざれば、害その身に至る。己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり」と大権現(家康)の遺訓を唱えます。
いいシーンでした。初めて二人の心が本当に繋がった瞬間、という気がしました。昭武を頼む、ということは、この国の将来を頼む、というのと一緒なのかな、と、少なくとも慶喜にとっては、篤太夫はそれほど信頼のおける人物になった、ということなのでしょうね。

その後、横浜で初めて勘定奉行小栗忠順と対面した篤太夫は、幕府復権のための大きな目当てとして600万ドルの借款の考えがあること、公儀がいつまでもつか分からないが、いつか公儀のしたことが日本の役に立ち、徳川のおかげで助かった、と言われるなら、それもお家の名誉となろう、無事戻れれれば共に励もう、と言われます。

旅立ちの前、成一郎と再会した篤太夫。二人は牢に囚われている長七郎(満島真之介)とようやく会うことが出来ますが、「捨てるべきだった命を捨てることが出来ねえまま、生きながら死んでるみてえだ」と嘆く長七郎の姿に、言葉をなくします。

「お前が帰る頃に日の本はどうなっているのか‥ただ、今よりきっとよい世になっていると思いてえ。俺たちがよい世にしていくんだい」という成一郎の言葉に、頷く篤太夫

船上にて。
高島秋帆玉木宏)の「誰かが守らなくてはな、この国は」との言葉に、「俺が守ってやんべえこの国を」と答えた少年時代を思い返す篤太夫

そして物語はパリへ。外国についての情報がほとんどなかった時代、カルチャーショックも半端じゃなかったでしょうね。
また、武士として己の命の捨て方を考える長七郎や成一郎や土方に対し、己の命の活かし方を考えている篤太夫‥その対比が今後もっと色濃いものになって行くと思いますが、それは次回に・・


大河ドラマ『青天を衝け』
放送:2021年2月14日 - 12月26日 NHK総合 毎週日曜 20:00 - 20:45
脚本:大森美香 音楽:佐藤直紀
演出:田中健二 川野秀昭 村橋直樹 尾崎裕人  制作統括:菓子浩 福岡利武
プロデューサー:板垣麻衣子  制作:日本放送協会
出演:吉沢亮 高良健吾 橋本愛 
草彅剛 堤真一 木村佳乃 磯村勇斗 町田啓太  
要潤 武田真治 尾上右近 津田寛治 博多華丸  
小林薫 和久井映見 田辺誠一 満島真之介北大路欣也 他
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